第3章 「幼なじみ会と、すれ違う二人」
翌週末の夜。駅前にある居酒屋の看板が賑やかに光りを放つ中、加賀美玲奈(かがみ れな)は玄関先で出迎えに立つ幹事役の同級生と挨拶を交わした。
「玲奈、久しぶりだね。元気してた?」
「うん、なんとかね。こっちに戻ってきてからまだ慣れてないことも多いけど……」
幹事の友人は大学時代からずっと地元近辺に暮らしており、こうした同窓会や幼なじみの集まりの企画をよく引き受けている。玲奈も誘われるのは初めてではないが、今回は特に参加者が多いらしく、彼女自身ちょっと緊張気味だった。
やがて店の奥に案内されると、すでに何人かが席に着いており、ビールやウーロン茶を手に盛り上がりはじめている。玲奈は軽く会釈してテーブルについた。
「おーい、玲奈ー! こっちおいでよ」
別の友人が手を振っている。その近くには、彼女が一番会いたいような、会いたくないような――そんな微妙な存在の幼なじみが座っていた。向坂颯太(さきさか そうた)だ。
颯太は普段通りのラフな私服で、軽く髪をセットしている。高校の頃からそこそこオシャレには気を遣っていた男だが、社会人になってから大人っぽい落ち着きが加わった印象を受ける。
「玲奈、こんばんは。忙しいのに来てくれてありがとな」
「……こんばんは。ううん、私も久々にみんなに会いたかったから」
短い挨拶ながら、どこかぎこちない。前に、駅で偶然再会したときはもう少し自然に話せたはずなのに、こうして周囲の同級生たちの視線があると、余計に意識してしまう。
「じゃあ全員そろったかな? それじゃあ、幹事の◯◯くん、乾杯の音頭お願いしまーす!」
盛り上がった声とともに、テーブルの上でジョッキやグラスが鳴り合い、一気に賑やかな空気が流れ込む。玲奈もウーロン茶を片手に小さく乾杯をしながら、懐かしい顔ぶれを見渡す。こうして集まるのは本当に久しぶりだ。仕事や結婚の話題、引っ越しや転職の報告などが飛び交い、みんな各々の人生を歩んでいることを実感する。
しかし、その和やかなムードの一方で、玲奈の胸にはわだかまりのようなものがあった。そもそも、颯太に“彼女”がまだいるかもしれない――そう思うだけでどこかそわそわしてしまう。以前の噂によれば、大学時代に付き合い始めた工藤千尋(くどう ちひろ)という女性がいて、今も続いているらしいと聞いていた。
「ねえ、颯太、あんた今は彼女とはどうなの?」
案の定、誰かがズバッと問いかける。こうした同級生の飲み会では、お決まりの質問だろう。
「え、オレ? うーん……まあ、付き合ってはいるんだけど、最近あまり会えてなくて。正直、すれ違いが多いんだ」
颯太が軽く苦笑いを浮かべると、近くの友人たちが興味津々に「それって危ないんじゃないの?」「ちゃんと連絡してる?」と追及を始める。
(……やっぱりまだ続いてるんだ……)
玲奈は心のどこかで覚悟していたはずなのに、その事実をまざまざと突きつけられると、妙に胸の奥がひりつくような痛みを覚える。
「あ、彼女さんってあれでしょ、確か“ちひろ”って名前だっけ?」
「そうそう、大学のときからだよね?」
どこからか追加情報が飛び交う。玲奈はなるべく気にしないようにして、テーブルの料理を取って食べるふりをする。だが、耳はどうしてもその会話を拾ってしまう。
「まあ……あっちの仕事が忙しいし、こっちも地元に配属されて一人暮らしする予定だったけど、バタバタしてるうちに距離ができちゃってね。完全に別れたわけじゃないんだけど、どこまで続くのかな……」
そう呟く颯太の横顔は、どこか吹っ切れないまま困っているように見える。
話題はそのまま恋バナへと流れ込んでいき、「玲奈はどうなの? 彼氏いないの?」「転職でバタバタしてたら恋愛してる暇もないでしょ」などと、今度は玲奈が質問攻めに遭う。
「私? 今は仕事に慣れるので精一杯かな。高校卒業してから、ちゃんと彼氏できたこともあんまりないし……」
照れ隠しに笑って応じると、周囲は「えー意外」「もっとモテそうだけど」などと言う。
「そうなんだよな、玲奈はわりとモテるタイプだと思ってたけど。まあ、本人が気づいてないだけかもしれんけどねー」
クラスメイトの一人がそんなことを言い出すと、いつの間にか颯太の視線がちらりと玲奈に向けられた。目と目が合い、思わずドキッとする。だが、何か言うでもなく、彼は目線を逸らしてビールを口に運んだ。
(……私だって、昔は……)
言葉にならない思いが胸を埋め尽くす。高校時代に抱いていた淡い好意を、結局ぶつけることはできなかった。それが今さら蘇ってどうする――玲奈はそう自分に言い聞かせるが、割り切れるはずもない。
◇◇◇
酒が進むにつれ、同級生たちは二次会の話を持ち出し始めた。カラオケに行くという案や、もう少し落ち着いたバーに行こうという案が飛び交う中、玲奈は少し迷っていた。いつもなら付き合いを重視して顔を出すところだが、今日はなんとなく心が折れかけている。あまり飲み歩く気分にはなれないのだ。
「ごめん、私、明日ちょっと朝から用事があって……」
そう言って早々に失礼することを決めると、幹事役の友人は「そうか、じゃあしょうがないね」とあっさり納得してくれた。
席を立って出口へ向かおうとすると、他のところで喋っていた颯太が気づいたようで、慌てて近寄ってくる。
「もう帰るのか? ちょっと飲み足りないんじゃない?」
「ううん、私はこれくらいでいいかな。久々にみんなと話せたし、十分楽しかったよ」
玲奈が努めて明るく答えると、颯太は少し残念そうな顔をする。そんな様子を他の友人たちが見つけ、「おいおい、颯太も送ってあげれば?」と茶化すように声を上げる。
「いや、俺は二次会の段取りとかあるし……」
困った顔で言う彼を見て、玲奈も「いいよ、帰り道近い子たちと一緒に帰るし」とかぶせる。余計な誤解を生むのは避けたかった。
結局、玲奈はそのまま店を出る。同じ方向の女子数人と一緒に歩きながら駅のほうに向かうが、途中で別のバス路線に乗るために二手三手に分かれ、最後には玲奈一人になってしまった。夜の街は人通りもまばらで、先ほどの居酒屋の賑わいが嘘のように静かだ。
(ちょっと寂しいかも。けど……このくらいのほうが落ち着くかもね)
苦笑いしながら、スマホを取り出して次の電車の時刻を確認する。すると、別の通知アイコンが目に入る。仕事関係ではない――杉野翔平(すぎの しょうへい)からのメッセージだ。
『加賀美さん、今日はもう家に帰るところ? もしよかったら迎えに行こうか?』
正直、驚いた。いつも仕事終わりに少し声をかけてくるくらいの杉野が、こんな時間帯にわざわざ連絡をくれるとは。どうやら、どこかで玲奈が飲みに行くらしいことを察して、気にかけていたらしい。
(でも、さすがに申し訳ないよね……こんなに遅いし)
返事に困った玲奈は、“もうすぐ電車に乗るから大丈夫” とだけ伝えて断ることにした。そこへすぐさま返事が来る。
『そっか、わかった。じゃあ気をつけて帰ってね。……あんまり遅くならないうちに。』
律儀な人だ。だからといって、このまま家まで送ってもらうのも変な気がする。いや、むしろこの“過剰な気遣い”は、彼の好意の表れだと薄々わかっているだけに、玲奈としては応じづらい面がある。
「……ごめんね、杉野さん」
小さく呟いてスマホをしまう。この人もいい人だとは思うのだが、恋愛対象として考えたとき、自分がどう感じているのか確信が持てない。それよりも、幼なじみの存在が頭を支配している現状をどうにかしなければ――そう考えながら、玲奈は足早に駅へ向かった。
◇◇◇
結局家に着いたのは夜の10時前。シャワーを浴びて気分を切り替えようとしても、さっきの飲み会の光景が何度も頭を巡る。颯太の曖昧な表情、彼女がいると明言しながらもどこか思いつめていた様子、そして周囲の囃し立て――全部が渦を巻いて玲奈の思考を掻き乱す。
「今日はおとなしく寝よう……」
そう思いかけたが、やはり眠れそうにない。妙な落ち着かなさを抱えたまま横になっても、目が冴えてしまうのは目に見えている。思いついたのは、いつもの手段――オンラインゲームへのログインだ。現実のごたごたをしばし忘れられる、別世界。
パソコンを立ち上げ、「ユニゾン・オブ・ファンタジア」のアイコンをクリックする。ほんの少しプレイして、頭をクールダウンさせてから眠りにつきたい。
ログインすると、学園エリアは相変わらず賑やかだった。クエスト目的なのか、チャット目的なのか、プレイヤーたちがあちこちに集まっている。話題はさまざまだが、「王子がさっきまでここにいたよ」「B級祭りは今夜やらないのかな」など、ソウ・クレイサー(=颯太)の名前もちらほら聞こえてくる。
(王子、今日もログインしてるのかな……)
不意にそのことが気になり、学園の中央ホールへ向かってみる。ところが、そこに金髪アバターの姿は見当たらない。少し拍子抜けした気持ちで散策を続けていると、個人チャットの通知が来た。
画面を開くと、送信者はまさに**「ソウ・クレイサー」**だった。
『お、レナか? 今夜はちょっと人通りの少ないところで話さないか?』
何気ない呼びかけだが、玲奈にとっては久しぶりの“王子”との対話だ。そういえば、ここ数日は仕事の忙しさや幼なじみ会の準備でインできなかったのだ。少し迷いながらも、彼の指定した場所――学園の裏庭エリアへ向かう。
裏庭エリアは街灯が少なく、プレイヤーの数も多くない。ロマンチックな雰囲気が漂う湖があり、カップル風のアバターたちが座ってチャットしている光景も見える。そんな中、やたらと目立つ金髪の“学園王子”姿が、まるで待ち合わせをするように立っていた。
「よく来たな、レナ。……って言っても、もうオレのキャラもバレバレか。まだみんなB級呼ばわりしてくるけどな」
チャットで打ち込まれるメッセージは、いつもの調子より少し軽妙な感じがある。
「こんばんは、王子。今日は学園ホールにはいないんですね。いつも中心にいて盛り上げてるイメージだけど」
「少し静かに過ごそうと思ってな。……ちょっとリアルでも考え事があって、B級テンションを維持するのが大変なんだよ」
玲奈はその言葉に、意外なほど素の雰囲気を感じ取った。王子キャラはいつもハイテンションでB級映画のごとく振る舞っているが、こうして個人チャットで話すと、どこか落ち着いた人間味が見える気がする。
「レナ、お前は最近どうだ? ……ああ、ゲームの話じゃなくてリアルのほう。もし差し支えなければ、だけど」
「私? うーん……まあ、そんなに上手くはいってないですね。仕事も慣れないことばかりだし、プライベートも……いろいろ考えることが多くて」
もちろん“幼なじみとの再会で動揺している”なんて具体的には言えないが、適当にオブラートに包んで答える。すると、ソウは少し間を置いてから、短いメッセージを返してきた。
「そっか。ま、オレも同じようなもんだ。実はオレも最近、昔の友達と再会してさ……」
その言葉に、玲奈の心臓が少しだけ跳ねる。まさか、彼が“向坂颯太”だとは思っていないが、偶然にも同じような境遇――幼なじみとの再会――をしているとは。
「へえ、偶然ですね。久しぶりに会うと、いいこともあれば、ちょっと戸惑ったりもしますよね」
「そうなんだよ。こっちは嬉しい反面、相手にはもう別の大事な人がいるっぽくてさ。複雑なんだよな」
すかさず流れるメッセージを見て、玲奈はどきりとする。自分と同じ境遇だ。自分にとっては“相手(颯太)に恋人がいるかもしれない”という状況。向こうも似たような境遇――もちろん、その“昔の友達”とは誰なのかわからないし、王子の恋愛事情を掘り下げるのも変な話だが。
「まあ、ゲームの中だけは、B級王子キャラで無理やり気を紛らわせてるってわけさ。……お前はどうだ? ここに来るのは気分転換になってる?」
「はい。正直、リアルのほうで嫌なことがあった日は、ここに来て王子みたいな人がいるの見ると、ちょっと笑えるから」
やや失礼な物言いではあるが、相手も悪くは思っていないらしい。ソウは「それなら何よりだ。オレもB級を極め甲斐があるってもんだ」と返す。
気がつくと、玲奈はこうして誰かに悩みを少し話すだけで、心がいくらか軽くなるのを感じていた。相手がゲームの中の人物だからこそ、気負わずに言葉を出せるのかもしれない。名前も素性も知らないが、だからこそ変なプライドなく会話できるのだ。
(でも……もしこの人が、私の知ってる誰かだったら……)
ふと、そんなことが頭をかすめる。けれど、まさか颯太とは思いもよらない。声や文字のやり取りだけで真実に気づくほど、玲奈は勘が鋭いタイプではないし、颯太だってこんなB級キャラで振る舞うなんて想像できない。
「……なんかごめんね、変な話につき合わせちゃって」
「いや、気にするな。オレも助かってる。こういうときは誰かとバカ話をするのが一番だしな」
短いやり取りを交わし、二人はそのまま裏庭を散歩するように移動しながら、軽めのクエストを一緒にこなす。結局、1時間ほどゲームの世界で過ごしてから、玲奈は「明日も仕事なので、そろそろ寝ますね」と挨拶してログアウトした。
パソコンを落とし、暗い部屋で布団に入り込むと、居酒屋での嫌な思い出が少しだけ和らいだ気がした。ゲーム内の王子と交わした言葉――「オレも最近、友達に再会してさ……」――が頭に残る。立場は違えど、同じような悩みを抱えている人がいるんだと思うと、不思議と孤独感が薄れる。
(あんまり長く引きずいても仕方ないし……明日からまた仕事がんばろう)
少し気持ちを持ち直した玲奈は、意外にもすぐに眠りに落ちた。
◇◇◇
その頃、向坂颯太もまた自宅のデスクでゆったりと椅子に座り、ヘッドセットを外して大きく息をついていた。
「……レナ・クライン、か。変わった縁だよな、こんなふうに話すの」
先ほど、裏庭エリアでの雑談を思い出している。自分の境遇をほんの少しだけ打ち明けると、相手もあまり驚きもせずに受け止めてくれた。リアルでの悩みをゲームの仲間に吐露することは滅多にないが、相手が“平凡女子”を名乗るレナだったからこそ、気負わず言えたのかもしれない。
しかし、その“平凡女子”と名前こそ知らないが、どこか不思議な親しみを感じるのはなぜなのか――もしかすると、自分と同じく“再会”による揺れ動きの最中にいると察したからだろうか。
「千尋(ちひろ)……このままズルズルしてても仕方ないのはわかってるんだけど」
彼はスマホを手に取り、着信履歴を見つめる。千尋とは数週間ろくに連絡を取れていない。SNS上でたまに投稿を見かけるものの、直接やりとりができず、電話をかけても折り返しが来ない日が続く。
そこへ、ちょうど彼女からメッセージが届いた。**「もう一度話し合いたい。明日、電話してもいい?」**
(今さら、話し合ってどうするんだろう……。でも、ちゃんとした答えを出さなきゃいけないのは確かか)
颯太は少し躊躇いながらも、「わかった。明日の夜、大丈夫だよ」と返事を打つ。
ゲームの中ではB級王子として「迷いなく突き進む」といった態度を取っているが、現実ではそんなふうにはいかない。自分と千尋、これからどうすべきなのか――そして、このままでは玲奈のことも中途半端なままだ。自分の気持ちをはっきりさせるためにも、避けては通れない問題だろう。
「もし……玲奈がいなかったら、悩まなかったのかな。でも、玲奈に再会した今だからこそ、いろいろ揺れてる気もするし……」
独り言の声が虚空に消える。その答えが見つからないまま、彼は静かにパソコンをシャットダウンした。
◇◇◇
翌日から、玲奈はまた平日の仕事モードへと切り替わる。会社に着くと、杉野翔平が真っ先に「おはよう」と声をかけてきた。
「昨日は大丈夫だった? あの後、ちゃんと電車乗れたのかなって気になってたんだけど……」
「ありがとうございます、なんとか無事帰れました。杉野さんのほうこそ、あまり夜遅くまで起きてたら体に悪いですよ」
軽い冗談混じりで返すと、杉野は少し安堵したように笑う。
「そうか、よかった。……あ、そうだ、今度また資料作りで手伝ってほしいことがあって。今週中にまとめたいんだけど、時間ある?」
「はい、大丈夫です。今日の夕方あたりからスケジュール空いてます」
「助かる。じゃあ後で声かけるね」
杉野が立ち去りかけたところで、ふと戻ってきて「そういえば……」と小さく言いかける。
「もし、何かプライベートで困ったことがあったら、遠慮なく言ってよ。オレ、こう見えて頼れる先輩だから」
「え……ありがとうございます。うん、大丈夫ですよ」
玲奈が苦笑いしながら答えると、杉野は満足気に頷いて席へ戻った。その背中を見送りつつ、彼が言外に伝えたいのは「恋愛相談でも何でも受け付けるから」ということだろうと察する。だが、あまり踏み込みすぎてほしくないというのが、玲奈の正直な気持ちだった。
仕事の合間に、幼なじみのグループLINEを確認すると、昨夜の二次会の様子を撮った写真が何枚もあがっていた。そこには颯太が友人たちと肩を組んでピースしている姿もある。みんなでわいわいと盛り上がったようだ。
(私だけ途中で帰っちゃったけど、まあ、いいよね……)
心のどこかで羨ましい気持ちが湧くが、あの場に居続けると余計に傷つきそうな予感もあったから仕方ない。
(もし、颯太と千尋さんのことをもっと突っ込まれたりしたら、私はどうしてたんだろう……)
頭を振り、余計な思考を追い払うようにして業務に集中する。こうした雑念は仕事をきっちり片付ければ一時的にでも紛れるからだ。
◇◇◇
その夜、向坂颯太は約束通り、元恋人――いや、一応まだ恋人関係のままの工藤千尋と電話をする。久しぶりに聞く千尋の声は、どこか疲れ切っているようだった。
「ごめん、急に連絡もらって。仕事が忙しくて……って言い訳にしか聞こえないかもしれないけど」
「いや、いいよ。俺も似たようなもんだから」
表面的には落ち着いた会話だが、互いに気まずさが漂っているのは否定できない。颯太が地元へ戻ったころから、二人の距離はどんどん開いていった。
「……正直、千尋はどうしたいんだ? このまま続けるのか、もうはっきり終わりにするのか」
思い切って核心に触れる言葉をぶつけると、電話越しの沈黙が息苦しく続く。しばらくして、千尋は小さく息を吐いた。
「わからない。私も、昔は颯太と一緒にいるのが当たり前だったけど、今はそれぞれ違う道を歩んでるし……。もう何を話せばいいのか、わからない」
「そっか……。でも、わからないまま放っておいても仕方ないよな」
「そうだね」
どちらからも決定的な言葉は出てこないまま、通話は終盤に差し掛かる。千尋が「また連絡する」と言い残して通話を切ると、颯太はため息をついてスマホをテーブルに放り出した。
どうしようもない虚無感が胸を満たす。うまく別れ話が進むのかもわからないし、かといって戻るのも難しい――そんな状況に苛立ちを覚えながら、颯太はいつものようにパソコンを立ち上げた。自分が逃げているのは承知の上だ。だが、ひとまず現実の迷いを断ち切るために、王子キャラとしてログインする。
学園ホールには今夜も多くのプレイヤーが集まり、B級ノリのクエストが行われているようだ。颯太はソウ・クレイサーとして挨拶代わりに派手な台詞を打ち込むが、心が晴れるわけではない。しばらく雑談してクエストに誘われても乗り気になれず、結局ログアウトしてしまった。
(レナ・クラインがいたら、少し話を聞いてもらえたかもしれないけど……)
そんな淡い期待が頭をかすめる。ゲームの中でしか知らない相手に相談したところで何か変わるわけでもない――そうは思うものの、彼女と交わす言葉には確かに救われる部分があった。
◇◇◇
そして翌日、玲奈はいつものように会社で仕事をこなす傍ら、休憩中にスマホでLINEをチェックしていた。すると、颯太からの個別メッセージが届いているのを見つけて思わず胸が高鳴る。
『この前の幼なじみ会、あんまり話せなかったな。忙しいと思うけど、また時間あるときにでもご飯行かない?』
何気ない誘いに見えるが、玲奈にとってはビックリするほど心揺さぶられる内容だ。あの夜はみんなに囃し立てられたこともあり、まともに会話できずに終わってしまったし、別れ際も気まずい感じだった。それを気にしてくれていたのか――そう思うと、どこか嬉しくなる。
(でも……彼女がいるんだよね、確か)
そう頭をよぎると、どう返事をしたらいいのか戸惑ってしまう。しかし、断る理由もないし、自分としては会いたい気持ちがあるのも事実。行ってしまえば期待が膨らむのはわかりきっているけれど、だからといって避けてばかりでも先に進まない。
迷った末、玲奈は「うん、今週末なら少し時間とれるかも」と返事を打ち込む。すると割とすぐに既読がつき、颯太から「じゃあ土曜の夜にでもどう? お店はオレが探しておくよ」と返ってきた。小さく頷きながら、玲奈は「オッケー、よろしくね」と送り返す。
それだけのやり取りで、仕事中の気分はずいぶん上向いた。杉野から「今日も元気そうだね」と声をかけられ、「あ、はい……気のせいですよ」と笑う余裕があるくらいには。もちろん、目の前の業務をしっかり片付けるのは大前提だが、心に一点の光が差したような感覚は否定できない。
◇◇◇
その夜、玲奈は帰宅後にやはりパソコンを起動し、ゲームの世界へ足を踏み入れた。現実での約束に心が踊る一方で、きっとまた眠れなくなるかもしれないと思うと、少しだけゲームに没頭したい気分になる。
ログインすると、学園ホールは今日も賑やかだ。しかし、ソウ・クレイサーの姿が見えない。周囲のプレイヤーが「王子、最近あんまりいなくない?」などと噂をしているのが聞こえ、どうやらあまり顔を出さなくなっているらしいことを知る。
(王子さん、どうしたんだろう……リアルが忙しいのかな。それとも何かあったのか)
誰に聞くわけでもなく、自分で考えながらホールを一通り回る。クエストを受けて学園の別マップへ行こうかと考えていると、ふと個人チャットの通知が表示された。送り主はソウではなく、別のフレンド「パプリカ」だった。以前から時々遊んでいるゲーム仲間だ。
『レナちゃん、こんばんは! 今度ギルドイベントあるから一緒に出ない?』
そのお誘いに乗る形で、今夜はギルド仲間数人とパーティを組んでクエストをこなすことにした。ゲームとしては十分に楽しいし、気の合う仲間もいるので、B級王子がいなくても退屈するわけではない。
だが、心のどこかで「王子ともまた話したいのにな……」という思いが残るのも確かだ。彼が「最近、昔の友達に再会した」と言っていたことも気になる。自分と同じ状況なら、もう少しお互いの愚痴を共有できるかもしれない――そんな淡い期待がある。
(でも……リアルのほうで、颯太と会う約束できたし、それでいいよね)
ゲーム内での会話では救われる部分も多いが、やはり本当に自分が求めているのは、向坂颯太との関係をどうにかすること。そう思い直しながら、玲奈は深夜までギルドの仲間と共闘し、十分に遊んだあとでログアウトした。
◇◇◇
朝になって目が覚めると、玲奈はいつになく早く出社準備を済ませた。今日の仕事を終えれば、明日は土曜日――颯太と食事をする約束の日だ。こじつけかもしれないが、やはり多少は気分が浮き立つ。
電車に乗って会社の最寄り駅まで揺られる間、彼との会話をシミュレーションしてしまう。もし彼が彼女との状態をどうするつもりなのか踏み込んだ話をしてきたら……自分はどう答えればいいだろう?
(少なくとも、彼の気持ちを知りたい。もし別れるにしても続けるにしても、はっきりしてほしい……)
そう思う一方で、万が一彼女と上手くいっていて、自分はただの昔の友達として食事に誘われたのだとしたら――その可能性を考えると胸が痛む。
「ああ、もう、考えてもわからないよね……」
小声で呟いてスマホをポケットにしまう。毎日のように訪れる現実と、逃避先のネトゲの狭間を行き来していた玲奈だが、本当に大事なのはどちらの世界でもない“自分の気持ち”なのだろう。誰かに頼ってばかりでは答えは出ない。そろそろ覚悟を決めなければならないのかもしれない。
。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます