第2章 「B級学園ファンタジー始動」

 翌朝。加賀美玲奈(かがみ れな)は目覚ましの音を止めると、昨日の夜にログインしたオンラインゲームのことをぼんやりと思い出していた。ファンタジー世界に学園が加わるという妙な設定。しかも学園の“王子”を名乗るプレイヤーキャラクターがいて、そいつがいかにもB級映画に出てきそうなキザな台詞を連発している――そんなシーンに遭遇したのだ。

 思わず吹き出してしまう一方で、なぜかその“王子”の振る舞いから目が離せなかったことも事実である。そのプレイヤーが誰なのか、正体まではわからない。でも、どこかで聞き覚えのある口調のような気がしてならない。

 玲奈はベッドから起き上がり、軽く身支度を整える。通勤時間が1時間近くあるので、朝の行動はいつもバタバタだ。とはいえ、昨夜のちょっと不思議な体験――高校時代の幼なじみ・向坂颯太(さきさか そうた)との再会、そしてゲームの“王子”との出会い(まだ気づいてはいないが同一人物)――が頭の中で混ざり合い、少し胸の奥が落ち着かない。

 「よし、今日もがんばろう……」

 何気なくそう呟いて、玲奈は家を出た。いつも同じ電車に揺られ、会社へ向かう。駅のホームで颯太に再び会うかもしれない――そんな期待がほんの少しあるものの、さすがにそううまくはいかないらしい。混雑するホームを見回しても、彼の姿はない。


 会社に着くと、同僚の杉野翔平(すぎの しょうへい)が「おはよう」と声をかけてきた。杉野は穏やかな好青年で、よく玲奈のことを気遣ってくれる。だが、その優しさが時々やや過剰で、玲奈の心を微妙にざわつかせることもある。

 「おはようございます、杉野さん」

 「昨日は遅くまで残業してたんだって? あんまり無理しないほうがいいよ。休憩はちゃんと取らないと」

 「ええ、ありがとうございます。昨日はちょっと整理したい資料があって……」

 実際、仕事に没頭していたのは事実だが、その合間にも玲奈の頭には「颯太と再会したこと」が何度もよぎった。結局、考えがまとまるわけでもなく、答えは先延ばしのまま。

 「そういえばさ、加賀美さん。今度、部署のみんなで飲みに行くって話があるけど、予定空けられそう?」

 杉野がさらっと誘ってくる。

 「うーん、行けると思うけど、まだ日によりますかね……。近々、ちょっと幼なじみの集まりがあるんです」

 「へえ、幼なじみ……? 地元の友達?」

 「はい。久しぶりに顔を合わせる人もいて、まだ日にちは決まってないんですけど……」

 そう答えながら、玲奈はちらりと彼の反応をうかがう。杉野は「ふーん」と何気ない顔をしながら、少しだけ眉を下げた。

 「……じゃあ、また詳細わかったら教えてよ。無理しない程度にね」

 どうやら誘いたかったのだろうが、幼なじみ会の話を聞いて遠慮したようだ。悪い人ではないのだが、少し執着されると戸惑うのも事実。


 そんなやりとりを終え、資料整理とメール処理に精を出していると、LINEのグループ通知が鳴った。地元の同級生たちが作ったグループで、「久しぶりに集まろう」という話が持ち上がっているらしい。見ると、すでに何人かが「ぜひ参加したい」「〇日なら行ける」などと書き込んでいる。

 その中に“颯太”の名前があるのが目に留まる。彼も参加予定のようだ。ここ数年は顔を合わせないまま年月が過ぎてしまっていたが、まさか地元に戻ってくるなんて。

 (……そういえば、颯太には彼女がいるって噂を聞いたことがあるけど、どうなんだろう?)

 “工藤千尋”という名前をどこかで耳にした気がする。大学時代に颯太と付き合っていた女性だとか……。まだ関係が続いているのか、もう別れたのか。噂だけが先行して実態はわからないが、気にならないと言えば嘘になる。

 (ま、考えても仕方ないか。あのとき結局、告白できなかったのは私だもん。いまさら何を……)

 玲奈は小さくため息をつき、仕事に意識を向け直す。そんな彼女の横顔を、杉野は少し物言いたげに見つめていたが、何も言わず机に向き直った。


◇◇◇


 その日の業務を終えて帰宅したのは夜の九時過ぎだった。夕食を簡単に済ませ、部屋に戻った玲奈は、ベッドに横になりながらスマホをいじっている。SNSやニュースサイトを一通り見渡すものの、仕事の疲れもあって頭に入ってこない。

 (ちょっとだけ、ゲームをやってリフレッシュしようかな……)

 そう思い立ち、パソコンの前に移動して電源を入れる。いつもなら、あまり遅い時間に長時間プレイすることはないのだが、今日は一日仕事で気を張っていたし、幼なじみ会の連絡もあって心がざわついている。せめて少しだけでも、別世界に浸って気を紛らわせたい。

 モニターに映し出されるのは、おなじみのタイトル画面「ユニゾン・オブ・ファンタジア」。ログインIDとパスワードを入力すると、キャラクター選択画面に切り替わる。地味めな制服スキンをつけた女の子アバター**「レナ・クライン」**がそこにいる。

 「さあ、学園イベントに本腰入れて参加してみよ……」

 昨夜は少し見学しただけだったが、今夜はクエストをきちんと進めてみようという気になっていた。ゲーム内で新しいシナリオが始まると、各地でサブクエストも登場するので、やり込み甲斐がある。


 学園エリアに入ると、やたらと派手な装飾の門があり、「この学園に入る者よ、己の青春を燃やす覚悟を示せ!」というB級全開のポップアップメッセージが表示される。大仰な演出に思わず苦笑しつつも、こういうノリが嫌いではない自分に気づく。

 門をくぐると、制服を着たNPCやプレイヤーが行き交い、チャット欄には「学園の王子、まだ来ないの?」「王子イベ待機中!」などの書き込みが流れていた。

 (ああ、あの王子か……)

 昨日見たキザな台詞の青年アバターが脳裏に浮かぶ。名前は確か**「ソウ・クレイサー」**と言ったか。彼の登場を待ちわびる人が多いところを見ると、既に人気かつネタ枠のようなポジションになっているようだ。

 とりあえず、玲奈は学園の掲示板でクエストをチェックする。すると、最初の大きなミッションは「学園案内ツアーをクリアせよ」というものらしい。各施設を回ってNPCと会話し、最後に“学園の王子”と顔合わせするとストーリーが進むと書かれていた。

 「あれ、強制的にあの王子に会わなきゃいけないの……? まあ、いいか」

 レナ・クラインを操作し、何人かのNPCと会話を重ねる。図書館へ行って学園の歴史を教わり、グラウンドで練習に励む生徒たちを見学し、調理実習室でお菓子を作るクエストをこなす――細かいイベントが豊富に仕込まれており、やり込み要素は十分だ。


 そしていよいよ、最後のステップとして“王子に謁見”する場面。学園の中央ホールに赴くと、そこには見慣れた金髪アバターが仁王立ちしていた。

 「ハッハッハ、よく来たな、新入生! 我が名はソウ・クレイサー。この学園の王子にして……そう、貴様の運命を狂わせる男だ!」

 周囲のプレイヤーからは、「はいはい、出た出た」「今日も暑苦しいな王子……」といったチャットが飛び交う。それを受けてもソウ・クレイサーはまったく臆することなく、さらに高らかな声で続ける。

 「この学園では、王子たるオレを中心にストーリーが動く! 従えぬ者は退学を申し渡すぞ! ……なんちゃってな!」

 最後につけ加えた「なんちゃって」が、なぜか妙に憎めない。壮大な台詞を吐いておきながら、ちょっとしたおふざけを混ぜる絶妙な空気感がある。玲奈は思わずふっと笑ってしまった。

 (ほんとにB級映画みたい。だけど、ちょっと面白いかも……)


 シナリオ上、プレイヤーはこの“王子”に挨拶をする形でクエストが進む。挨拶用のボタンを押すと、ソウ・クレイサーがこちらに向き直った。

 「おお、新入生ではないか。名を名乗れ!」

 チャット入力画面が出てくる。普段はあまりロールプレイ的なチャットをしない玲奈だが、ここはノリに乗ってみることにした。

 「初めまして……レナ・クラインと申します。平凡な新入生ですけど、よろしくお願いします」

 しばらくすると、王子が派手なエモーションを交えながら返答を打ち始める。

 「平凡? いや、その名には何か秘めた力を感じるぞ……。あえてB級を装って油断させようという魂胆か? フッ、いいだろう。オレのそばで思う存分、力を見せてみせろ!」

 周囲のプレイヤーから「また始まった」「何言ってんだか」「わろた」と囁きが飛ぶ。玲奈も「あ、どう返せばいいんだ……」と面食らうが、これはこれで楽しめそうだと感じる。


 ――その夜、向坂颯太は自室でヘッドセットをしながら笑みを浮かべていた。そう、彼こそがソウ・クレイサーの中の人だ。颯太はリアルでは見せないような大仰な態度で振る舞えるのが、このゲームの魅力だと感じている。

 さっきから新しくクエストを受注したプレイヤーが次々と挨拶にやって来るが、その中に「レナ・クライン」という女性アバターがいた。テキストチャットからは控えめながらも、どこか芯の強さを感じる雰囲気が伝わってくる。

 「(お、けっこう丁寧だな。この人、初心者か? それとも……)」

 颯太はそう考えながらも、王子キャラに徹して華々しい返答をする。ときおりチャット欄にバカにするような書き込みもあるが、笑いを誘うのも一興だと思っている。今のところは“B級”を逆手に取って、盛り上げ役に徹するつもりでいた。


◇◇◇


 「なんかすごい人だったな……」

 クエストを終えて、学園内を散策しながら玲奈はレナ・クラインの姿で独り言を言う。ゲーム内のチャットでは、“王子”を中心にパーティを組むと進めやすいサブクエストがあるという情報が流れていた。

 実際、王子と行動を共にすると、ボーナスが付与されるイベントがあるらしい。どうせなら一度パーティを組んでみたい気もするが、あの濃いキャラクターを相手にするのは骨が折れそうだ。

 (でも、一度くらい組んでみようかな。どうせならイベントを楽に進めたいし。強いらしいし……)

 考えあぐねていると、ちょうど「学園前庭のモンスターを討伐せよ」というクエストが目に留まった。そこには“王子と一緒にクリアすると追加報酬あり”と記載されている。

 少し悩んだ末、玲奈は王子(ソウ・クレイサー)に個人チャットを送ってみることにした。

 「すみません王子、学園前庭のクエストをご一緒させてもらえませんか?」

 すぐさま返事が来る。

 「ほう、そなたか。クライン……いや、レナと呼べばいいか。いいだろう、一緒に参ろうじゃないか!」

 あまりにも即答だったので、玲奈は少し驚く。だが、やはりゲームを楽しんでいる人にとっては、パーティを組むのは普通のことだろう。


 こうして“平凡女子”レナと“学園王子”ソウの初めての共闘が始まった。クエスト用の前庭マップへ移動すると、そこには雑魚モンスターが多数徘徊している。レベルもそこまで高くないので、ソロでも倒せる相手だが、二人でやれば簡単にクリアできそうだ。

 「おっと、危ない! そこの敵は範囲攻撃があるぞ!」

 ソウは華やかな剣を振りかざし、派手なエフェクトを伴って敵を一掃する。B級台詞を連発するかと思いきや、戦闘中は意外と的確なアドバイスをくれる。声のトーンも落ち着いていて、さっきの大仰な態度とは少しギャップがある。

 「はい、ありがとうございます……おかげで助かりました」

 レナがペコリとお辞儀のエモーションをすると、ソウは「フッ、当然だ。姫を守るのが王子の役目だからな」などと返してくる。

 「姫って……平凡女子ですよ、私」

 「平凡に見えて、その中身は未知数……そんな展開がB級映画の定番というものだろう?」

 (ああ、やっぱりB級全開だ……)と思いつつも、どこか微笑ましい。


 敵を倒すたびに得られる学園ポイントの蓄積で、イベントアイテムやコスチュームが手に入るらしく、ソウとレナは息を合わせてクエストを周回する。合間のチャットでも、ソウが「そこ! 回復アイテムを使うのだ!」と指示してくれるため、思いのほか効率がいい。どうやら彼はゲーム慣れしているらしい。

 1時間ほどプレイしてクエストを連続クリアしているうちに、玲奈は少しだけ疲れてきた。仕事終わりの夜更かしプレイは体力勝負でもある。

 「そろそろ休憩しますね。お付き合いありがとうございました」

 そうチャットに打ち込むと、ソウも「では、またな。いつでもオレを頼るがいい!」と締めくくる。派手な別れのエモートを残してログアウトしていった。

 (なんだかんだ言って楽しかったかも……)

 現実での疲れやモヤモヤが、少しだけ和らいだ気がした。玲奈はそう思いながらログアウトの操作をする。


◇◇◇


 翌日の昼休み、オフィスの休憩室で、玲奈は同僚が置いていった雑誌をめくっていた。すると、そばにいた杉野が「加賀美さん、午後から少し時間ある? 今度のプロジェクトのことで相談したいことがあるんだけど……」と話しかけてくる。

 「はい、なんですか?」

 「部長が検討してる新しいシステムの件なんだけど、加賀美さんにも資料作成を手伝ってもらいたくて。パワーポイントでプレゼン資料をまとめるんだよね」

 「わかりました、資料作りですね。午後イチでデザインの方向性相談しましょうか?」

 「うん、助かる。実はまだ細かい要望が決まってなくて、先方とのやり取りが必要になるかもしれないんだ」

 そう説明する杉野の顔は真剣だ。仕事上の会話ではどこか頼れる雰囲気を醸し出す彼に、玲奈は素直に「がんばろう」と思える。ところが、ふとした瞬間にプライベート感満載の口調になることがあり、それが少し困る――と感じるのは、玲奈のわがままだろうか。


 午後、デスクで資料をまとめ始めるころ、スマホがバイブレーションで震えた。さりげなく画面を確認すると、地元の友人から「幼なじみ会の日程が決定した!」という連絡だ。日程は数日後の土曜夜に集まることになったらしい。颯太も来るというメッセージが添えられている。

 (そっか、あのあと連絡は取ってないけど、ちゃんと来るんだ……)

 朝の電車で偶然会ったきり、まともに会話したのはファミレスの晩だけ。直接何か言いたいことがあるわけではないが、やはりどこか意識してしまう。彼に恋人がいるかもしれない――そんなことを思うたび、胸がざわめくのも否定できない。

 「……なんだろう、私、どうしたいのかな」

 玲奈は心の中で小さく自問する。やがて視線を資料へ戻し、「今は仕事を終わらせなきゃ」と気持ちを切り替えた。


◇◇◇


 数日が過ぎ、週末の夜。幼なじみ会の当日がやってきた。地元の居酒屋で、同級生たちが集まる。十人近く集まった中には、当然ながら向坂颯太の姿もあった。

 「うわあ、玲奈、久しぶり! 変わらないね!」

 いろいろな友人から次々と声をかけられ、玲奈は嬉しさ半分、照れくささ半分だ。仕事の都合でしばらく離れていた地元に戻ってきたのだから、こうして再会するのは当然といえば当然かもしれないが、高校卒業以来会っていなかった友達も多い。

 「で、颯太とは再会したんだって? なんか、駅でバッタリ会ったって聞いたよ」

 同級生の一人が茶化すように言い、その隣で別の友人が「まさかそのまま付き合うとかじゃないよね?」などと冷やかしめいたコメントを投げてくる。玲奈は「やめてよ、ただの幼なじみなんだから」と否定するが、心の奥では少し動揺を覚える。

 一方の颯太は笑顔で「いやいや、オレもびっくりしたんだよ」と合わせつつ、特に否定も肯定もしない。周囲の友人は「おお、怪しい」「いや、この二人はずっと前から……」と勝手な想像を膨らませて盛り上がっている。


 そんなくだけた空気の中、ある友人が「そういえば颯太、まだ彼女いるの?」とストレートに聞いてきた。玲奈は思わず息をのむ。

 「いや……まあ、いろいろあって、遠距離みたいになってるんだ。お互い忙しくてさ」

 颯太は苦笑いをしながら、曖昧に答える。周囲が「そうなんだ」「大学のときに付き合ってた人?」などと訊ねても、あまり詳しいことは言わないまま話題をそらしてしまった。

 (やっぱり、まだ続いているのかな。工藤千尋さん……だっけ)

 そう思うと、玲奈の胸にまたもや得体の知れないもやもや感が押し寄せる。どうにかして聞きたい気もするけれど、踏み込む権利はないような気もして、口をつぐむしかない。


 ほどなくして二次会へ流れるが、玲奈は明日も朝から用事があると嘘をついて早めに帰ることにした。颯太ともほとんど話せないまま、居酒屋を出る。一緒に帰ろうかと彼が気を遣って声をかけてくれたが、周囲に囃し立てられるのを避けたい思いもあり、「大丈夫、女子だけで帰るから」とごまかした。

 家へ帰り着いた頃には、すっかり疲れきっていた。慣れない大勢での飲み会に加え、颯太の微妙な発言を聞いて動揺したせいだろう。シャワーを浴びても心は晴れず、ベッドに転がってスマホを眺める。

 仕事ばかりの日々と、幼なじみとの再会。彼には恋人がいるかもしれない。そして、なんとなく求めてしまう自分。どうにもやるせない。そのまま眠るのはなんだか悔しいような気がして、玲奈は今夜もゲームに逃げることにした。

 (たぶん、ネトゲで気晴らしするしかないよね……。あのB級王子、今日もいるのかな)


◇◇◇


 ログインをすると、ちょうど学園ホールでプレイヤーイベントが開かれているらしく、大勢が集まってチャットで盛り上がっていた。玲奈の姿を見つけた誰かが「お、レナだ。昨日は王子と組んでたよね?」と話しかけてくる。どうやら、“ソウ・クレイサーと一緒にクエストをした子”ということで、多少注目されているらしい。

 「う、うん……あれはちょっとした縁で……」

 チャットで答えると、「王子をガイドに使うとクエスト楽だからさ、また誘ってみるといいよ」などと助言される。もちろん、あのB級台詞に耐える根性も必要だろうが、クリアのしやすさは魅力的だ。

 (そっか、まだ行っていないエリアもあるし、また頼んでみようかな……)


 一方、向坂颯太はまだ帰宅していなかった。幼なじみ会の二次会に少しだけ顔を出し、適当なところで切り上げるつもりだ。もともと飲み会がそこまで得意でもないが、久々の友人たちとの再会を適当にあしらうわけにもいかない。

 心の中で引っかかっているのは、さきほどの玲奈の表情だ。周囲にからかわれる形で会話が終わってしまい、ろくに話せないまま彼女は先に帰ってしまった。もし千尋の話が原因で落ち込んでいるのなら、ちゃんと釈明すべきなのか……と考えてしまう。

 (けど、あれこれ言い訳がましく説明するのも変だしな……)

 颯太はビルの壁にもたれかかり、冷たい夜風を浴びながらため息をつく。自分だってちゃんと気持ちを整理できているわけではない。千尋のことで悩んでいるのは事実だが、最近は連絡すらまともに取れていない。もうすぐ決断しなければならない時期に来ているのかもしれない――そんな思いが頭をよぎる。

 ほどなくしてタクシーで帰宅し、自室に戻った頃には夜も更けていた。シャワーを浴び終わってから、いつもの習慣でパソコンを開く。王子キャラを操作してB級ノリに浸っていれば、少しは気が紛れるはず。

 「さてと、ソウ・クレイサー、出撃といくか……」

 そう呟き、ログイン。学園ホールに転送されると、ちょうど周囲に集まるプレイヤーたちがソウの登場に「おお、王子来た」「今宵もB級か?」などと一斉にどよめきを見せる。颯太はヘッドセットを装着し、にやりと笑いながら打ち込む。

 「フッ、姫君たち、待たせたな。今宵も華麗なる王子の舞台に酔いしれるがいい!」

 チャット欄には「来たww」「テンション変わらねえな」といった声が躍る。そんな中、颯太はふと、先日一緒にクエストを回った「レナ・クライン」の名を思い出す。もし今夜もインしているなら、また声をかけてみようか――そう考えながら、学園の中央を闊歩する。


◇◇◇


 玲奈はレナ・クラインとして学園の廊下を歩いていた。少し前に知り合ったプレイヤーから、「今夜はミニイベントがあるよ」と聞き、どんなものかと見物していたのだ。すると、ちょうど真ん中のホールあたりで、“王子”ソウ・クレイサーが姿を現す。相変わらずのハイテンションで周囲を盛り上げているらしい。

 (あ、あの人だ……)

 今日は声をかけるか迷ったが、せっかく同じ学園にいるのだから、挨拶くらいはしてみよう。玲奈は思い切って近づき、個人チャットを送る。

 「こんばんは、ソウさん。先日はクエスト一緒にしてくださって、ありがとうございました」

 数秒後、ソウから返事が来る。

 「おお、レナよ。また会えたな。昨晩は貴様もなかなかやるではないか。ふはは、まさかこんなに早く再会できるとは思わなかったぞ」

 まるで演技がかった口調だが、どこか嬉しそうな雰囲気が伝わる。周囲の人だかりから少し離れて個別にパーティを組むことができるエリアへ移動し、二人はさっそく今夜のクエストを相談する。

 「実はイベントの“学園の納涼祭”ってのが気になってて。まだ受注してないんですけど、どんな内容か知ってます?」

 「うむ、学園の中庭で行われる祭りのことだな。限定NPCの屋台が出ていて、そこでしか手に入らないアイテムがあるらしい。B級テイスト満載だが、攻略すれば面白そうだぞ」

 「B級テイスト満載……どんな感じなんでしょうね」

 「そりゃあ、夏祭りなのに急にモンスターが出てきて、盆踊りを邪魔しに来る、とかそういうベタな展開じゃないか?」

 思い切りネタばらしのような発言に、玲奈はまたもや吹き出してしまう。それがあってもやはり気楽に遊べるのがこのゲームのいいところかもしれない。


 パーティを組み、学園の中庭マップに移動すると、そこは祭りの雰囲気が漂う夜のステージになっていた。提灯のような灯りが並び、プレイヤーたちが浴衣スキンで踊ったりしている。

 「おお、これはなかなか……いいじゃないか。姫君、ここで踊っていくか?」

 ソウが調子よく誘うので、玲奈は「いや、私は戦闘がメインで来たんです」とやんわり断る。

 NPCに話しかけると、やはりB級まるだしのシナリオが始まる。**「この祭りを乱す影が近づいている……勇者たちよ、備えをせよ!」**などという警告が流れ、周囲からも「やっぱり来るか!」というチャットが飛び交う。

 数分後、空から降ってくる大きなモンスターが登場。まるで怪獣映画のような演出とともに、プレイヤーたちは総力を挙げて迎撃する。祭り会場が一気に戦場と化し、攻撃魔法やら剣撃やらが乱舞し始めた。

 「ほら、そこの雑魚敵は任せろ! お前はあっちの中ボスを牽制しろ!」

 ソウはチャットやボイスを使い分けながら指示を出してくる。玲奈も言われた通りに動き、回復アイテムを適切に使いながら戦う。彼はB級ノリとは裏腹に、相当ゲーム慣れしたプレイヤーのようだ。

 祭りの雰囲気とは裏腹に、かなり白熱するバトルが数十分続いたあと、ついにメインモンスターが轟音とともに消滅。イベントクリアの表示が画面に出て、周囲のプレイヤーから歓喜の声が上がる。

 「やった、討伐成功! ……あ、限定浴衣スキンが手に入った!」

 チャット欄には「おめでとー」という祝福が溢れている。ソウも「フッ、こんな敵に遅れは取らんさ」と余裕の姿勢を崩さない。

 「さすが王子さま、強いんですね」

 玲奈が素直に感心すると、ソウは「当然だろう。お前もなかなかやるな。平凡女子とは名ばかりだな?」などと茶化してくる。


 その後、モンスターが去り、再び平和になった祭り会場で、二人は立ち話的に雑談を始める。ソウが「そういえば、レナはリアルでも……」と何か言いかけたところで、通信エラーのように画面が乱れた。直後、エラーメッセージが表示され、玲奈はログアウトせざるを得なくなる。

 「えっ……なにこれ、急にサーバー落ち?」

 どうやらメンテナンスか不具合が発生したらしく、再ログインしようとしてもサーバーにつながらない。突然の中断に落胆するが、このままではどうしようもない。仕方なくパソコンをシャットダウンし、玲奈は布団へもぐり込んだ。

 祭りの喧騒から一転、部屋の中はしんと静まり返っている。今日の出来事――幼なじみ会での微妙な空気、そしてネトゲでのB級イベント――が頭の中をぐるぐる巡った。

 (王子、リアルで何を言おうとしていたんだろう……? まさかプライベートの話をするのかな。まあ、ゲーム内の相手にそこまで踏み込まれても困るんだけど……)

 心配事が多い現実と違い、ネトゲの中はある意味で分かりやすい。B級ノリに乗って笑っていれば、そこでは不安を忘れられる。ただ、それを逃げだと感じる自分もいるし、B級の裏にある“素顔”を知ってみたいという気持ちもどこかにある。

 そんな葛藤を胸に抱きながら、玲奈は瞼を閉じた。ささやかな安らぎと、言いようのない期待が、入り混じる夜だった。


◇◇◇


 翌朝、向坂颯太はいつもより少し早めに目を覚ました。昨夜のサーバートラブルで中途半端にゲームが終わってしまったのが気になっているが、仕事がある以上、ログインできるのは夜までお預けになるだろう。

 「レナ・クライン、あの人ともうちょっと話してみたかったけどな……」

 リアルで会ったこともないゲームの相手に、ここまで興味を持つのは自分でも珍しい。普段なら、複数人でレイドをする程度の付き合いが多く、個別に雑談することはあまりないのだが、レナは不思議と話しやすかった。B級台詞を受け止めつつも、微妙に乗ってくれている感じがある。

 (ま、今夜またログインしてみるか……)

 そう呟きつつ、颯太は支度をして家を出る。駅に向かいながら、もし偶然玲奈(幼なじみのほう)に会ったらどうしようと思うが、今日も彼女の姿は見当たらない。飲み会のあと、ろくに話せなかったことが小さなわだかまりのように残っているが、いずれ直接話す機会がくるかもしれない。


 一方、玲奈もまた朝の電車に乗り込み、仕事へ向かっていた。頭の片隅では「昨日のB級祭り、大変だったな……」とネトゲの記憶が蘇る。ソウが何を言いかけたのかも気になるが、今日は現実の業務をまずこなさなければならない。

 会社に着くと、杉野が爽やかな笑顔で待ち構えていた。

 「おはよう、加賀美さん。いろいろ調整あったけど、午前中の会議で例のプレゼン方針を決めるみたいだよ」

 「そうなんですか? じゃあ急いで資料を最終確認しておきますね」

 「うん、助かるよ。昨日はどうだった? 幼なじみ会、楽しかった?」

 不意に私的な話題を出され、玲奈は一瞬たじろぐ。

 「あ、まあ……そこそこ。みんな変わってなくて懐かしかったですよ」

 「へえ……」

 杉野はさらに何か言いかけたが、ちょうど他の社員が会話に割り込んできたので、それ以上深くは追及されずに済んだ。どこかほっとする自分と、なぜか少し罪悪感を覚える自分がいて、玲奈は複雑な思いを抱えながらパソコンへ向かう。


 仕事をしている間は、さすがにゲームや颯太のことを忘れて集中するしかない。しかし、休憩時間になるとふと雑念が湧いてくる。颯太の恋人は今どうしているのか、あのB級王子の中の人はどんな人なのか――そんなことを考えてしまうのだ。

 (まったく、私ってば何をやってるんだろう。現実でもゲームでも、結局落ち着かないままじゃん)

 そう思いつつ、どこかワクワクしている自分を止められない。これが“久しぶりの恋”に向かう予感なのか、それともただの気の迷いなのか。まだ自分でも判断できない。


◇◇◇


 夜。玲奈が帰宅し、夕飯を済ませて落ち着いた頃にログインしようとパソコンを立ち上げると、すでに学園エリアのサーバーは復旧しているらしい。ゲームの公式サイトには「昨夜の不具合についてお詫びとメンテナンスのお知らせ」が掲載されていた。

 画面に映る「レナ・クライン」のアバターを見ていると、自然に昨夜のことが思い出される。もしソウ・クレイサーがインしていれば、続きを一緒に楽しめるかもしれない――そんな期待を抱きながら、玲奈は「プレイ開始」ボタンを押した。

 (王子、またB級ノリで来るんだろうな。でも……不思議と慣れてきたかも)

 笑みを浮かべながら、学園ホールへキャラクターを移動させる。果たしてそこには、すでに数人が集まり、あの派手な金髪アバターが「来たか、諸君!」と声高に挨拶をしている姿があった。

 “B級学園ファンタジー”は、こうしてますます本格的に動き始めようとしている。現実でのもやもやを胸に秘めつつ、玲奈は再び“平凡女子”レナ・クラインとして、王子とともに学園を駆け抜ける日々へ踏み出すのだった。

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