「B級保証のカレシ ~ネトゲ・ヒミツの関係~」
まとめなな
第1章 「再会の朝、B級の予感」
朝の通勤電車は、いつもぎゅうぎゅう詰めだ。加賀美玲奈(かがみ れな)は車内の広告をぼんやりと眺めながら、今日も始まる一日を思って小さく息をついた。地元に戻り、新しい職場に就いてから約一か月。まだ慣れない環境のせいもあり、気持ちがどこか落ち着かない。
大学を卒業してからは都会のほうへ就職したが、家庭の事情で実家から通える会社へ転職した。今は少しずつ、新しい同僚たちとの距離を測りながら仕事を覚えている真っ最中だ。とはいえ、人見知りとまではいかないものの、玲奈は積極的に踏み込みすぎるのが苦手で、周囲からは少し控えめな女性と見られているようである。
電車を降りて、いつものように乗り換え口へ足早に向かう。実家から会社まで、ちょうど一時間ほど。都会で働いていたときに比べれば、通勤時間はむしろ短い。けれどやはり、人混みにはまだ慣れない。一刻も早く会社のデスクに腰を落ち着けたいと思いつつ、人波をかき分けていく。
――そのとき、ふと耳に飛び込んできた聞き覚えのある声。「あれ……玲奈……か?」と、小さく呼ばわる。足を止め、後ろを振り向くと、そこには懐かしい顔があった。
向坂颯太(さきさか そうた)。高校時代の幼なじみ。
「……颯太、……久しぶり」
人波の中でも、はっきりとわかる。彼の瞳はいつもと変わらず、柔らかさとまっすぐさを兼ね備えていた。
「ほんとに玲奈だ! どうしてここに?」
「いや、こっちこそ……」
玲奈はあわてて口元を手で覆い、言葉を探す。まさかここで再会するとは夢にも思わなかった。
「実家に戻ってきて、近くで働いてるの。颯太は……?」
「オレも地元に配属になってさ、最近ここから通ってるんだ」
人波に流されないよう、二人は少し端へ寄る。朝の通勤時刻、限られたスペースのなかで、ぎこちない再会にどこか戸惑っているのがわかる。玲奈は高鳴る胸を抑えながらも、懐かしさが込み上げてきた。
高校を卒業して以来、それぞれの道を歩んでいた。玲奈は大学を経て就職、颯太も県外の大学へ進学したと聞いていた。昔はクラスも同じで、帰り道も一緒になれば他愛ない話で盛り上がっていた仲だ。しかし、高校三年の終わり頃からはどこか気まずく、告白寸前のような雰囲気があったのに、結局何もないまま別々の進路へ進んでしまった。
「そっか……。あっ、もう会社行かなきゃ。遅刻しちゃう」
スマホの時刻を見て、玲奈が慌てる。颯太も「あ、やべえ」とほぼ同時に声を上げた。
「じゃあ、またゆっくり話そう。LINEとか……その……まだ連絡先、残ってたりする?」
「うん、多分あるはず。後で改めて連絡送るね」
そんなやりとりを短く交わすだけで、玲奈の心はドキドキしていた。なんとなく、再会の一言では片づけられない気配を感じる。あのとき言えなかった感情が、わずかに疼き始めているような――そんな朝だった。
会社に着くと、ちょうど始業のチャイムが鳴るところだった。玲奈は慌てて自分のデスクへ着席し、同僚の杉野翔平(すぎの しょうへい)に軽く会釈をする。杉野は二つ隣の席で、どちらかというとコミュニケーション能力が高い明るいタイプの男性だ。入社して間もない玲奈をいろいろと気遣ってくれるのは嬉しいが、少し距離感が近い気もする。
「おはよう、加賀美さん。今日も早いね」
「おはようございます。まあ、通勤慣れなくて……つい早く出ちゃうんですよ」
「そうなんだ。今度、朝が早いなら駅前のカフェでも一緒に行こうか? モーニングセットがおいしいらしいよ」
「え……あ、ありがとうございます。あんまり余裕ないかもですけど、機会があれば」
控えめに返事すると、杉野は「じゃあまた誘わせてもらうよ」と、にこやかな笑顔で答える。別に嫌な人ではないのだが、こういう風にさらっと誘えるのはコミュ力の違いだろう。玲奈としては、まだ転職先に馴染むだけでも手一杯で、あまりプライベートまで踏み込まれたくない気持ちが強い。
それでも仕事は待ってくれない。今日もデスクワークから書類整理、電話応対に来客対応など、雑務が絶えない。前の職場での経験が少しは役に立つが、会社が変わるとシステムやフローも違う。ミスをしないように細心の注意を払いながら、なんとか定時まで乗り切る。
夕方、何とか今日の仕事を終え、ほっと息をついた頃。杉野が「お疲れさん、加賀美さん」と声をかけてきた。
「今日はもう上がる?」
「そうですね、もう少しファイリングが残ってるので、それだけ済ませたら帰ります」
「そっか。じゃあ、先に失礼するね」
杉野はまだ何か言いたげだったが、結局「また明日」とだけ言い残してオフィスを出ていった。
さて、机の上を片づけて退勤していると、スマホが震えた。画面を見ると、見覚えのある名前――向坂颯太。
『急にごめん。仕事終わった? 久しぶりにちょっとお茶でもどうかな。』
思わずどきっとする。朝の再会で交わしたLINEが、本当にすぐやってきたのだ。
(どうしよう……今日は結構疲れてるけど……)
とはいえ、久々に話したい気持ちも強い。颯太との再会で心が揺れたまま、一日中ずっとそのことを考えていたくらいだ。躊躇いながらも、“いいよ。あと30分くらいで駅前に行ける” と返信する。すると、ほどなくして「じゃあ、駅前のファミレスで待ってる」と返事が来た。
指定されたファミレスに向かうと、すでに颯太が席を取って待っていた。スーツ姿が板についていて、いつの間にこんな大人っぽくなったのだろうと、玲奈は心の中で密かに驚く。
「お疲れ。いきなり呼び出して悪かったな」
「ううん、私も久しぶりに話したかったし、ちょうどよかったかも」
二人でメニューを開き、飲み物と軽食を頼む。仕事帰りのファミレスは思ったより空いていて、落ち着いた雰囲気だ。
「朝はホントびっくりしたよ。こんなところで会うなんて」
「私も。颯太は大学卒業して、こっちに戻ってきたんだね」
「配属希望を地元にしてたら、運よく通ることになって。オレ、あんまり都会が得意じゃなくてさ」
そう言って笑う彼の顔は、昔からの面影そのままだが、なんとなく大人びている。髪型も高校時代とは違い、ビジネス向けにきちんとセットされているし、話し方も以前より落ち着いているように感じる。
「あ、玲奈はどういう感じで今の会社?」
「私は……最初は別の会社にいたんだけど、家の事情で戻ってきて。それで今の会社に転職したの。まだバタバタだけどね」
近況を報告し合いながらも、玲奈の胸には高校時代の淡い思いがわずかに疼いていた。当時、颯太はクラスの中心的存在で、男女問わず人気があった。玲奈は学級委員をしていたため、よく颯太と話す機会が多く、何度も告白しようか迷った挙句、何も言えないまま卒業してしまった。
そうこうしているうちに、颯太のスマホが着信音を鳴らした。彼は画面を見て、ほんの一瞬だが微妙な表情を浮かべた。それから玲奈に「ちょっと出ていい?」と断りを入れて、席を立つ。
短い通話で戻ってきたとき、颯太は「ごめん、会社関係で」と言い訳めいた言葉を残し、少し話のテンションを落としたように見えた。玲奈は問いただすのも悪いと思い、あえて何も聞かない。
そんなぎこちなさを抱えつつも、ともかく今夜は数年ぶりの再会と会話だけで十分だ。名残惜しさを感じながらも、「明日も仕事だから」という理由で二人は夜9時には解散した。
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帰宅後、家族にただいまと声をかけ、夕飯の残りを少しつまむ。今日の出来事を頭の中で整理しようとしても、なかなかまとまらない。颯太と再会した驚きと懐かしさ、それから少しの戸惑い。
気を紛らわすために部屋へ戻り、パソコンを開く。そこにはお気に入りサイトのアイコンがずらりと並んでいる。その中のひとつ、**「ユニゾン・オブ・ファンタジア」**――通称「ユニファン」のロゴが玲奈を誘っていた。
高校時代はあまりゲームに興味はなかったのだが、大学生の頃に友人の勧めで始めて以来、ちょっとした息抜きとしてプレイしているタイトルだ。ファンタジー世界を舞台に、仲間と協力してクエストをこなすMMORPGの一種だが、イベントごとにユニークなコンテンツが用意されていることで人気が高い。
玲奈はログイン画面でIDとパスワードを入力し、少し久しぶりにゲームに入る。
『アップデートがあります。学園ファンタジーイベント開催中!』
そう画面に表示され、更新データのダウンロードが始まる。どうやら期間限定で“学園編”と呼ばれるシナリオが配信されているらしい。
「へえ、学園ものか……。なんかB級っぽいけど、ちょっと楽しそう」
暇つぶしのつもりでインストールを待ちながら、玲奈は大きく伸びをする。現実がバタついているときだからこそ、非現実的なゲームの世界にしばし浸かるのも悪くない。
インストールが終わり、キャラクター選択画面へ移る。そこには、玲奈が使い続けているアバターの姿があった。**「レナ・クライン」**――地味めの少女風の外見をしているが、その実、そこそこのレベルと装備を持っている。
学園編の特設マップに移動すると、そこはファンタジーというより、魔法学園風の校舎が並んだステージだった。ローブを着たNPCが行き交い、魔法陣やほうきが飛び交う光景が広がっている。
イベント案内の案内人NPCに話しかけると、**「あなたは新入生として、この学園を盛り上げるのです」**などと説明が始まる。やはりどこかB級テイストだが、それがむしろ楽しそうだと感じられるのが、このゲームの魅力かもしれない。
一通り説明を受け、クエストを確認すると、何やら“学園の王子”というキャラクターが重要なキーパーソンとして登場しているらしい。掲示板の書き込みをちらりと見ると、
**「学園王子、セリフがいちいちB級でクサいw」「でもなんか妙にクセになるんだよな~」**
などという意見が投稿されている。どうやら既に参加しているプレイヤーたちの間で、ある種の話題を呼んでいるようだ。
(へえ、そんなにみんな盛り上がってるんだ。ちょっと見てみたいな)
玲奈はそう思い、学園のホールへキャラクターを移動させる。すると、ひときわ人だかりができている中央で、一人の華やかな装備をまとった男性アバターがキザな台詞を放っていた。
**「ああ、可憐なる乙女たちよ……我が名はソウ・クレイサー。王子の称号にふさわしい器を持つ男だ。さあ、俺を楽しませてくれ!」**
それを見た周囲のプレイヤーが一斉に「出たー!」「また王子様降臨ww」とチャットで騒ぎ始める。
(……すごい、何これ。ほんとB級映画の王子キャラみたい)
だが、見ているうちに不思議と目が離せなくなる。絶妙な演技っぷりが笑えるのだが、どこか憎めない雰囲気がある。
玲奈は遠巻きにその様子を見物したあと、自分のクエストを進めるために、校舎の奥へと移動を始めた。とはいえ、「あの王子キャラ、誰がやってるんだろう……?」という好奇心が頭に残る。なぜか少しだけ、あの自信満々なアバターの声色や話し方に既視感があるような気がしてならなかった。
(まあ、きっと違うよね。世の中には似た口調の人もいるし……。颯太はゲームやるタイプに見えないし……)
そう心の中で打ち消してから、画面を見つめ直す。
――だが、同じ夜。別の場所では、向坂颯太が自室のPCに向かい、ヘッドセットを装着していた。
「さて、と……王子タイムといくか」
彼の画面には、先ほど学園ホールでB級全開の台詞を放っていたキャラクター、**「ソウ・クレイサー」**のログイン画面が映し出されている。
ちょうどさきほどの通話で微妙な気分になったまま、自分でも気を紛らわすようにゲームへと没頭しようとしているのだ。
「現実じゃあんなに堂々とできねえけど、ゲームなら気兼ねなく盛り上がれるよな……」
そう呟き、笑みを浮かべる颯太。彼にはまだ、偶然再会した幼なじみが同じゲーム世界にいるとは、知る由もなかった。
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ファミレスでの再会、そして家に帰ってからの偶然の“すれ違い”ログイン。翌朝になっても、玲奈は昨日のことを思い返していた。颯太との再会は嬉しかったけれど、彼がどんな生活をしているのか、どんな気持ちで地元へ戻ってきたのか、まだ何もわからない。自分だって同じように、不安や期待を抱えながら日々を過ごしているのに、あの頃のままの笑顔で話せるわけではない。
(昔、もう少しで告白できそうだったんだっけ……? でも言えなかった。あのときはタイミングを逃しただけ……なのかな)
軽く顔を洗って鏡を覗くと、自分の頬が少し赤い。こんなふうに考えるのは、高校を卒業して以来かもしれない。むしろ一度は忘れかけていた感情が、思わぬ形でよみがえってくる。
そしてまた夜になれば、玲奈はパソコンを立ち上げて「ユニゾン・オブ・ファンタジア」を起動するだろう。現実ではどうにもならない心のもやを、少しでも晴らすかのように。
一方の颯太も、仕事の気まずい電話やプライベートの煩わしさを一時的に忘れ、ゲームの中で堂々たる“王子”として振る舞う時間を求めている。もしお互いが、その正体に気づいたなら――以前言えなかった想いは、どんな形で再び燃え上がるのだろうか。
まだそれぞれの胸のうちで、言葉にならない淡い期待と不安が交錯している。
だが、そんな二人を待ち受けるのは、B級テイスト満載の学園ファンタジーイベントと、現実世界での恋のすれ違い。再会を果たしたその朝に、既に二人の運命は少しずつ動き始めていた――。
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