第3話 静寂を破る記憶の欠片

パク・ジウンは、ベッドの上で目を覚ました。病院特有の消毒液の匂いが鼻をつき、ぼんやりとした意識が現実の重さを引き戻してきた。薄暗い個室の天井を見上げながら、彼女は自分がどこにいるのか、そしてどうしてここにいるのかを思い出そうとした。


「私は……助かったの?」

彼女の声はかすれていた。震える指で額を触ると、包帯が巻かれていることに気づく。右腕には点滴が刺さり、左腕には鈍い痛みが広がっていた。体を起こそうとすると、胸や腹部のあちこちが筋肉痛のように悲鳴を上げた。


部屋のドアが静かに開き、一人の看護師が入ってきた。若い女性で、ジウンの目を見て優しく微笑む。


「気が付きましたか?大丈夫ですか?」

「……ここはどこですか?」

「ソウル峨山(アサン)病院です。あなたはチェジュ航空の事故で救助されました。」

事故――その言葉がジウンの記憶を揺り動かした。朧げな記憶の中で、エンジンの轟音、鋭い金属音、炎、そして濃霧の中での冷たい風が蘇る。


「私は……他の人たちはどうなったんですか?」

ジウンの問いに、看護師の表情が一瞬曇った。


「詳しいことは、後で担当の方が説明します。今は、休んでください。」

そう言い残して看護師は部屋を出て行った。ジウンはベッドに沈み込み、頭を抱えた。自分が生きていることへの実感と、何か大切なものを失ったような感覚が胸を締め付ける。


その夜、ジウンは眠りにつけなかった。目を閉じるたびに、事故の瞬間の断片的な記憶が頭をよぎる。機体の激しい揺れ、ヘリの怯えた表情、そして自分の身体が宙に投げ出される瞬間……。


「ヘリ……」

彼女の名前を口にすると、胸が締め付けられるような痛みを感じた。後輩のイ・ヘリはどうなったのか。記憶は曖昧で、彼女の最後の姿だけがぼんやりと脳裏に残っている。


ジウンは体を動かしてみる。痛む体を押して、ベッドから降りようとしたそのとき、部屋のドアが開いた。


「起きていたのか。」

低い声が響く。入ってきたのは、中年の男性だった。スーツを着ており、表情は硬い。彼の後ろにはもう一人、白衣を着た男性が立っている。


「パク・ジウンさんですね。航空事故調査委員会のチェ・ギヨンと申します。」

そう名乗った男は、厳しい目でジウンを見つめた。


「まずは、助かったことを喜ぶべきだと思います。」

チェ・ギヨンは、硬い表情のまま言葉を続けた。


「あなたは、事故機の最後尾にいて、生存者のうちの一人です。奇跡的な生還です。しかし、事故の詳細については、あなたの証言が重要な鍵になると考えています。」


ジウンは唇を噛んだ。自分が最後尾にいたこと、そして胴体着陸時に後部が破壊された記憶はあるが、それ以上のことは曖昧だった。チェ・ギヨンの鋭い視線が、彼女を観察しているのがわかる。


「何が起きたのか……正直、私はあまり覚えていません。ただ……」

彼女は思い出そうとする。断片的な記憶の中で、特に鮮明に残っているのは、機体が傾き、激しい衝撃を受けた直後のことだった。


「何か音がしたんです。ものすごく大きな金属音。それから……エンジンの音が一瞬止まったような気がします。」

チェは頷いた。その後ろに立っていた白衣の男――医師が口を挟む。


「彼女は大きな外傷を負っていますが、幸い頭部へのダメージは軽度です。ただ、記憶に混乱があるのはトラウマによるものかもしれません。」


「わかりました。ですが、彼女の記憶が事故調査の鍵になる可能性があります。」

チェは冷静に答えると、ジウンに再び向き直った。


「燃料がどうなっていたのか、エンジンに何が起きたのか、そして機内でどんな状況だったのか。あなたの記憶は断片的でも、少しずつ思い出していくことが重要です。何か思い出したら、私たちに連絡してください。」

そう言い残し、彼は部屋を出て行った。


部屋が再び静かになると、ジウンは深く息を吐いた。何も覚えていないわけではない。だが、あの音――衝撃の直前に聞いた金属音がどうしても気になる。


「本当に事故だったの?」

頭の中に浮かんだ疑問を、自分でも否定できなかった。何かがおかしい。自分が助かった理由すら不自然に感じる。燃料を捨てる時間もなかったという説明を受け入れるには、記憶の断片が足りない。


次の瞬間、スマートフォンの着信音が鳴り響いた。画面には見覚えのない番号が表示されている。ジウンは迷いながらも電話に出た。


「……もしもし?」

電話の向こうから、かすれた男性の声が聞こえた。


「あなたが最後に見たものを思い出せ。命が狙われるかもしれない……。」

そして、通話は切れた。


次回予告


謎の電話、そしてジウンの曖昧な記憶に隠された事故の真相。航空事故は本当に単なる偶然だったのか?次回、ジウンは事故の現場を再訪し、真実に一歩近づく。だが、その先に待っているのはさらなる危険だった――。

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