光 5



 臨時に作った資料を呼んだ医師達に配って神代がいう。

「先天性の遺伝子疾患による筋肉が柔軟に作られにくくなる病気だ。コラーゲンの取り込み異常が関係する。自己免疫疾患を併発して、その炎症が血管を傷つけて動脈硬化の原因となり、心筋梗塞を引き起こした」

「そして、急性心筋梗塞後に、心筋が耐えられず破裂」

神代に続けて神原が云う。神代が神原のみている心エコー画像の――白黒が荒い濃淡をみせる扇形の画面―――中に、見逃していた箇所をみてにくにくしげにくちを曲げる。

「くっそう!何でこれを見逃してたんだ!」

「でも、手術前に必要なものはみていましたよ?だから、処置ができました」

「…だからってな!おまえが起きるまで三時間もおれはこれを前にしてたんだぞ?ったく、――――」

手術前にみたCT画像より先に、検査データとかをみていたから仕方ないと思いますが、とおもいながら苦笑して神原が神代をみる。

「とにかく!これらを元に、治療をお願いしたい。原先生、森川先生」

神代が振り向いていうのに、原が面白がっているように笑う。

「わかりました。これで方針が立てられると思います」

「よろしく頼む。患者の容態はどうだ?再手術の可能性は?」

ICUから来ていた術後管理チームの加藤医師がじっと手許の資料をみる。

 それから、目を瞑って天を仰いで。

「ですねえ、…。ゼロとはいいませんが、――――」

「加藤先生、はっきりしてくれ」

「ダメですよ、神代先生」

面白そうに笑んで、原が突然、神代の両頬をつまんでひっぱる。

「…――――は、はらせんせいっ!」

「きびしーい顔ばっかりしてると、患者さんにもうつりますからね?笑顔でないと」

にっこり、笑んでいう原の視線が、神代の頬をつまんだまま神原に向くのに、つい顔が引きつる。

「原先生、…―――結構過激ですね」

「そう?神原先生も、外科の先生は結構、体育会系だったりで、気短だったりするから、ね、森川先生」

「…――あ、はい?聞いてませんでした。あの、神代先生、質問があるんですが」

体格の良い美女の原に振られて、まったくそれに構わず森川が黒縁眼鏡を右手で掛け直しながらいう。

「これですね、…十三年前のデータは、原本はどこに?」

「そこにあると思う」

「どうも」

短くいうと、神代が示す資料を抱えて読み出す森川を、しばし沈黙して神代と神原が眺めて。

「…―――で、内科は割と変人が多いとかいうのか?」

神代がじっと原を見返していうのに、原がにっこりと笑う。

「いえいえ、外科さんには負けますとも」

「確かに体育会系が多いけど、あーいうタイプとか、」

 云い掛けた神代が、マッチ棒のような加藤の視線の先を思わず振り返ろうとして。

「よーう、忙しい病理医の辰野ちゃんが、いとしい神代くんの為にきてやったぞー恩にきろよー」

「誰も呼んでないっ!」

後ろからべったり抱きついて、神代の肩に頤を乗せてへらっと笑んでいる辰野に、原が。

「一応、止めておくけど。辰野さん呼んだのは私です。だめよ、辰野ちゃん、いくら神代先生で遊ぶのが面白くてもセクハラしちゃ」

「何でこいつを呼ぶんだ、…!それに、何で俺がセクハラされなくちゃいけないんだっ、…!」

「そりゃ、面白いから」

「そーいういじめが心の荒廃を招くんだぞっ…!」

「真面目な話、おれが呼ばれないと、外科医の神代ちゃんと神原ちゃんじゃ、病理医のおれがいないとおてあげでしょー?心臓内科の原ちゃんもそうだよねー」

「お、ま、えな!それを、おれの背中に引っついていう必要がどこにあるんだよ!」

怒って引き離そうと背中に手を廻そうとする神代を、笑って辰野が交わしている。

 思わずもその光景に神原が言葉をなくしてみていると。

「…―――ええと」

「患者さんもいないし、レクリエーションだと思って許してあげて。割とこの病院の男性陣、ヘンな人達が多いから」

困っている神原に、原が冷静なコメントを。

「…――それってさべつー!女性陣だってへんじゃんー看護師チームは真面目な人多いけどさ」

辰野が神代の背に隠れて遊びながらいうのに、原が首を傾げて。

「そう?…看護師チームも割とヘンな人が多いけど、…。うちの採用基準なのかしらね?」

首を傾げて、神原をみていう原に。

「あの、そこでぼくをみます?」

つい構える神原に原が何かいいかけて。

「あ、辰野さん!良い所に!」

突然、森川が顔をあげて、辰野を発見して眼鏡を直しながら寄って来る。それに、辰野が笑んで。

「おー、ようやく森川ちゃんめざめたー?よばれてきたよーん」

「はい、あの、ここなんですけどね?」

森川に向き合って、ようやく背中から離れた辰野に、神代が首を振る。

何やら、細々と説明している辰野と森川をみながら、神原が訊くのに。

「あの、つまり?」

「なんだ、いや、…。どうした?神原」

振り向いて真面目な顔になって、神代が訊くのに質問しようとして固まる。

「――――――…っ!何してるっ!」

「命をかけた、―――…神代ちゃん遊び、かなあ、…。こないだもおれのこと、便利使いしたよね?ね?おれの休日――!花ちゃんがおこっちゃうじゃん」

「…―――花ちゃんというのは」

神代の背にまた取りついて遊んでいる辰野に、つい真面目に神原が聞いてしまうのに。

「ん?おれの奥さん!」

「辰野さん、…そういえば、既婚者でしたね、…」

しみじみとみてしまう神原に、にっこりと神代の背から腕を廻して遊んで、とても良い笑顔で辰野が応える。

「ん、そ!まあでもさ、」

不意に、真面目な顔になるのに、神代が眉を寄せて振り向く。

「どうした」

「いや、…。よく見つけたと思ってね。こっちも病理標本みて気になってたんだわ、…。ティシュー――組織がね、本当にティシューみたいに紙みたいに薄い。…炎症も多かったろうし、…こりゃ、治療難儀ですよ、原先生」

表情を消して、淡々と辰野がいうのに、原が無言で頷く。

「…――わかったから、辰野、…。それを、おれの肩に肘をつきながらいうな!」

少し小声になって、怒っていう神代に、瞬いて辰野が見返す。

「あ、ごめん、神代ちゃん」

「全然、謝ってないだろ、…。カタチだけでっ」

「かたちが大事なんだよー神代ちゃん!愛してるからゆるしてー」

「や、め、な、い、か、…!」

遊んでいる辰野に、原が一人頷いて。

「わかったわ。森川先生、これから、投薬をどうするか検討しましょう」

「そうですね、…」

「おれは、ICU戻ります」

加藤の声がして、神原がそちらを向いて。

「…――――加藤先生」

「神原先生もきちんと休んだ方がいいですよ。うーん、よくねたーっ」

「はい、ありがとうございます」

白いテーブルから身体を伸ばして起き上がった加藤が、すたすたと出て行くのをつい見送る。

 原先生も、森川先生も、――――。

 そして、まったく反応しない神代に辰野も。

 …見慣れてるんですね。

 思わずかれらをみて思う神原に。

「すまん、神原、先に何かいいかけていなかったかっ?」

ようやく辰野が遊ぶのにあきたのか離れて出て行くのに、慌てて神代が向き合っていうのに。

 ええと、…―――。

 真剣な顔で見詰めてくる神代に。

「…――――いえ、その、大丈夫です」

「本当に大丈夫かっ?」

 つい、見返して。

 ―――遊ぶ辰野さんの気持ちが少しわかるかもしれない、…。

 うっかりそう思って、―――――。

「おまえっ、なにかヘンなこと考えてるだろっ!」

鋭く指摘してくる神代に、つい笑みが零れてしまって。

「おいっ、おまえなっ?くそっ、…!メシ食いに行くぞっ!」

「え?」

そうして、資料を置いたまま部屋を出て行く神代に思わず見送ってしまったら。

「おい!」

しばらくして、ばたん、と扉が開いて。

顔を覗かせて睨む神代に、瞬いて見返すと。

「はやくしろ!おれは、この部屋施錠しなくちゃいけないんだよ!でないと、メシ食いにいけないだろっ!メシ!」

「はい、すみません、…メシ、ですか?」

部屋を出る神原に眉を寄せて睨んで、神代が施錠して歩き出す隣で。

「ごはんを?」

「メシ食わないと死ぬだろ!栄養分を摂取しないと人間は死ぬんだ。食事の目的は三大栄養素とビタミン、ミネラルを過不足無く摂ることにある!」

「…――はい」

「だからだ!めし、食いに行くぞ!」

「ええと、…その、」

僕も一緒にですか?と。つい茫然としながら隣をついていってしまって。

 ふと気付いて、思わず微笑みが零れていた。

 ――――この人は、…。

 つまり、僕を休ませようとしてくれてるんだろうか?

「…――――」

どうも、そういうことみたいだけど、と。

 つい、微苦笑が零れてしまって。

「何だ!おまえ」

振り向いて睨む神代に微笑む。

「いえ、…ありがとうございます」

「…―――――何の話だっ、…。いくぞ」

ポケットに手を突っ込んで、早足で歩く神代の隣に。

 ―――何だか、人に心配されるのは、…随分と。

 久し振りだな、と…。

 うっかり泣きそうになって、天井を仰ぐ。

「あ、神代先生、着替えないんですか?まさか白衣のままで?」

「…忘れてたっ、…戻るぞ!ロッカーあっちだ!」

慌てて踵を返す神代に、思わず笑って。

「おい、あのな?おまえももっとはやく気がついてたら云えよっ!」

「すみません、全然気づいてませんでした。…ロッカー、こっちでしたか?あちらでは?」

「…―――」

神原の指摘に、神代が完全に足を留める。

「神代先生?」

不思議そうにみる神原に。無言で立っているから、覗き込んでみると。

「…道案内してくれっ」

「――――神代先生、まさか、…」

驚いてみている神原を、真っ赤になって見返して。

「だからっ、…。ここは新しいんだよ!だからなっ?」

「つまり、道に迷ってるんですね?…方向音痴なんですか?神代先生」

「…――――悪いかっ!」

真直ぐ見返してくる黒瞳に。

思わずも、神原が破顔して。

「…―――おまえなっ?神原っ!」

「す、すみませ、…―――」

身体を二つに折って、笑うのを堪えている神原と。

その前で怒っている神代光。


 二人の旅路は、まだまだ続くようである。―――――






「神原君について何ですけど」

「…おじさん、あのねっ?」

睨む神代にまったく動じずに、まったりと橿原が机に両手を組んで見返す。

「僕が法医学者なのは御存じでしょう?」

「知ってます、…!だからっ、…また、そんな、そういうのはやめてくださいっ!おじさんだって守秘義務があるでしょ?そーいうものの持ち出しは、…―――――!」

さらり、と何かのついでのように橿原がデスクに取り出してみせた書類。――――その見慣れた形式は、神代自身には縁がないが、伯父の橿原の職業である法医学――法医としての仕事に伯父に巻き込まれて触れる機会が出来てしまって、知ることになってしまったものだ。

「…――――――」

無言で、目に入ってしまった、―――わざわざ動かしながら――人の眼が動くものを無意識に追うのを応用している――――書類をこちらに向けて出してデスクに置くのに。

 無言で、神代が立ち尽くす。

「そういうことです」

淡々と橿原がいって、書類を仕舞う。

夕暮れの時刻、その書類に印刷された文字は記憶に焼き付いてしまった。一度みれば、忘れることなど出来ない。

「―――――…おじさん」

言葉をうまく選べずに神代が橿原をみる。

「はい」

穏やかに感情のみえない黒瞳が見返すのに、横を向いて大きく息を吐く。

 やりきれなかった。

 噂には聞いていた。

 同じ業界にいるのだから、聞えてくることもある。

 だが、…―――――。


 検死報告書。

 そこにあった名前は。

 ――――――――神原、…―――

 目を閉じて、ぐっと拳を握って。

 くちびるを咬んで橿原を睨みつけると、神代は踵を返して院長室を出ていた。

 その怒っている背を橿原が感情を覗かせない瞳で見送る。

 哀しむのか、嘆くのか。柔らかに淡い微笑みを乗せて、橿原は夕暮れに染まる院長室に一人窓外を眺めていた。





「やっほーう、神代ちゃん、神原ちゃん、何してるの?」

「おまえこそ、何してるんだよ。先に帰ったんじゃなかったのか?」

どうにか着替えて建物の外を歩き始めていたとき。

辰野が後ろから肩を叩くのに神代が眉を寄せて睨み返す。それに、にっ、と笑顔になって。

「もちろーん。待ち合わせしてたんだよん。と、あ!花ちゃん!」

夜空を背景に、しばらく先に待っていた人影をみつけて、辰野がうれしそうに伸びをして手を大きく振って。

 走って行って抱きついている辰野の背に、神原が少しばかり圧倒されながら神代に訊ねる。

「…花ちゃん、…奥さんですか?」

「―――そうだ」

難しい顔をして、あきれてみていう神代の隣で。

「じゃあなー!」

辰野が肩に手を廻して、にこにこして手を振って去っていくのに思わず神原が少し笑む。

「…いいですね」

「まあな、暑苦しいけどな、あいつのは」

「いいじゃないですか、――――…どうしたんです?」

難しい顔で手元に持った画面をみてにらんでいるのに。

「―――――いや、」

「もしかして、…道がわからないんですか?」

神原が覗き込んできくのに、神代がくちを結んで顔をあげる。

 ―――ええと、その。

「そうなんですね?」

つい、微笑んでしまっていう神原に神代がにらむ。

「…―――そうだっ!…連れていってくれ」

向こうをむいて、地図を出した画面をみせていうのに、ついやはり笑ってしまって。

「あ、と、…。すみません。いえ、でも、ご存知のお店ではないんですか?」

「連中がうまいっていってた店なんだが、…―――」

「そうなんですね?ええと、わかりました。こっちですね」

「そうなのか?」

振り向いていう神代に笑む。

「はい。多分、ですが。勧めてくれたのは辰野さん達ですか?」

「―――そうだ。その、ちゃんとうまいらしい」

困った顔でいっている神代をみて笑んで。

「近いですよ、このお店」

「…そうなのか?」

「はい」

歩きながら、ゆっくりと。

神代が迷わないように、案内しながら。

 ―――懐かしいな、…こんな風に。

「ほら、ここみたいですよ?」

「そうだな。…店の名前が一緒だ。入ろう」

「…はい」

真剣にいう神代に思わず笑んで。それから、――――…。







 食後のコーヒーか、…。

 人と向き合って食事をして。

 こんな風に、会話をして食事をして、――――…。

 どれくらい振りだろう。

 ふと、手許にきたカップに入ったコーヒーに。

「…神原、―――おい、聴いてるか?」

「あ、はい、…。どうしました?」

夜景を窓の隣に、神代の呼び掛けに気付いて神原が聞き返す。

「いや、その、つまりあのな?」

云い難そうにいって、それから。

 無言で、地図をうつした画面を示す。

「これ、どっちになる?」

「―――近いですね。…ここから五分もかからないと思いますよ?いまいる処からより、病院に近いですね」

「…そうか」

真剣に画面を睨む神代に。

「…この場所が、何か?」

「―――つまり、どっちに行けばいいのか教えてくれ」

「はい、それは構いませんけど、…?」

コーヒーを飲み終えて。二人で店の外に出て、真剣に神原をみている神代に。

「こちらの方になりますね、…あの、案内しましょうか?ついでですから。近いですしね」

微笑んでいう神原を、葛藤する表情で神代が見返す。

「…タクシーは、…」

「だめでしょう。この距離だと。近すぎますよ」

「…――――」

真剣に悩む顔をして、神代が俯いて靴先をじっとみる。

「神代先生?」

「わかった、…―――案内してくれっ」

決意して、ぐっとくちを結んでいう神代に、思わずあきれて。

「随分と力が入ってますけど、…―――あの?こちらは何があるんですか?」

先に歩き出している神代の背に問い掛けると。

「いや、…だからっ」

「まってください、そっちは逆方向ですよ」

慌てて肩に手をおいて留める神原に振り向いてみあげて。

「―――――…自宅だっ」

「え?」

思わずも驚いて見返す神原に。






 夜空に聳える高層マンションに辿り着いて、エレベータを上階へといきながら、神代がいう。

「つまり、…――最近買うことになったんだよ。…」

難しい顔でいいながら、神代がいうのに、付き合って一緒に乗っている神原が不思議そうな顔になる。

「それは?」

エレベータが最上階に着いて、外に出て。真面目に悩んで足を留めている神代に、手に持っているカードキーをみて神原がいう。

「何号室ですか?」

小ホールの案内板をみて、悩んでいる神代に神原が示す。

「ほら、こっちだと思います」

「…――すまん」

辿り着いた先で、専用の廊下に入る前のドアに、神代がほっとして暗証番号を打ち込むのを傍らで眺めて。

「神原、…―――ありがとう」

中に入って、がっくりと肩を落としている神代に。つい、神代の様子が面白くて微笑んでしまいながら、部屋を見廻す。

「凄いですね、…――。でも何か、モデルルームみたいですが」

落ち着いた色調で整えられたインテリアだが、まるでモデルルームをそのまま持ってきたようにみえる室内に神原が云うと。

 鞄を椅子に置き、神代が息を吐きながらいう。

「その通り、そのまんまだ」

「…――それは?」

「神原、提案があるんだが」

極真剣に背を向けて、広がる夜景をにらみながら神代がいうのに、神原が不思議そうにみる。

「はい、何でしょう?僕はこれで、…」

「それなんだが」

くるり、と振り返って、神代が真剣にみる。

「…―――はい、あの?」

「泊っていってくれないか?正確にいうと、…――――頼むから、一緒に出勤してくれ」

「…―――はい、…え?」

驚いて見返す神原に。

切羽詰まった顔で見返す神代。






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