第2話



自宅アパートから速足25分。新宿歌舞伎町の一丁目と二丁目の間、ディープなんだかライトなんだか、曖昧な場所にあるBARが俺のバイト先。大体半年前から週末だけ働かせてもらっている。店主の男は優しいがやや頼りないアラフォー。職場環境としては都合が良い。


「お疲れ様でーす」


ロッカーで身支度を整えていると店長の尾木が顔を出した。相変わらず下がり眉が情けなく頼りない印象をしている。


亜樹あきく〜ん、ちょっとお願いがあるんですけど」


「シフト増やすのは無理ですけど、それ以外なら」


先手を打つとデフォルトで下がっている眉尻が更に下降した。


「月曜だけで良いから!バイト代上げるから!いやもういっそ正社員どう!?給料弾むし、インセンティブあるよ!」


「持病あるから、無理なんですってば」


「甲状腺?の病気だっけ?でも余裕ありそうじゃない?」


食い下がる店長を冷ややかな目で見ると、流石にちょっと気まずそうな表情になった。

眉毛が下がりすぎて目につきそうだったので可哀想になってニコリと笑顔を作る。


「無理ですね」


「ゥワ〜〜良い笑顔〜〜」


「開店準備始めますねー」


狼狽える店長を避けてロッカー室をあとにした。










客席に出ると既に先輩の新田にいだが果物のカットを始めていた。

髪型が頻繁に変わる人で、今はマットブラウンにパーマをあてている。口数は多くはないがすっきりした顔をしていて女性に人気がある。


「すみません、遅くなりました」


「......いいよ、店長に呼び止められたんでしょ」


「はは」


「店長、亜樹君のこと気に入ってるよね」


じわりと肌にまとわりつく感覚。湿ったそれを不快と感じるのは普通だと思う。


「気に入ってるというか、普通に人足らないだけですよ」




新宿歌舞伎の路地裏にあるBAR。店主の男は優しいがやや頼りないアラフォー。職場環境としては良い。

......一つの懸念点を除いては。







土曜の夜ということもあり、開店して間もなく客が入り始める。

客の割合は7:3で女性が多い。どちらかと言うとボーイズバー寄りのこの店は話を聞いて欲しい女性が集まる。


時給と店長の押しの弱い性格だけでバイト先を決めたので、ここのコンセプトを知らなかったが、あまり問題もない。


他人の話を聞くのは、得意分野なんだ。





『亜樹くん聞いてよ、彼氏がさーー』


『この間仕事でミスっちゃって......』


『親が結婚しろってうるさいんだ』


『職場に嫌な先輩がいてね』





「それはひどいね、女心分かってないね」


「大変だったね。大丈夫、今まで頑張ってきて積み上げてきたものがあるんだから。そのくらいじゃ評価は下がらないよ」


「それは少し煩わしいね、君が幸せなのが一番大事なのにね」


「ここで全部毒出してって。パーっと飲も!」




共感して欲しいのか

励まして欲しいのか

同調して欲しいのか

慰めて欲しいのか




求められている答えを、そのまま口に出し態度に現す。


『亜樹くんって言って欲しいこと言ってくれる』


おかげで俺目当ての客も少なくない。


少しづつ客もはけてきて、やっとひと息という時。来店を知らせるベルの音。


軽快に開けられた扉からは今日もどこかで飲んできたのだろう、常連のひとりであるアヤカさん。


「亜樹くーん、いるー?」


酔っ払いの声量バグった声で呼ばれる。

微笑みと呆れの混ざった表情を作りながら返事をした。


「いますよ、今日はどこで飲んできたんですか?」


ARアールってとこ」


「初めて聞きました、どこのお店ですか?」


「ちょっと戻ったとこにあるキャバ〜」


「......キャバクラですか?」


ホストかバーかな、とあたりをつけていたのでまさかの店で驚いた。黒服をしていた事もあるので女性客もたまにいることは知っている。が、アヤカさんからキャバの話が出たことは過去に無かった。


「いま狙ってる男がそこで黒服してるの」


「ああ、なるほど」


恋多き彼女の持ち込む話はいつも男の話だ。正直、見る目と男運があるとは言えないので大体いつも悲惨な目にあっている。


「今度はどんなクズ男ですか?」


「まだクズって決まってないんだけど!?」


「浮気不倫借金宗教マルチ......、役満ですよ?」


「今度の人は彼女いないって言ってたし結婚してないって言ってたし借金も宗教も、変なブレスレット売ろうともしてきてないしっ!」


「それは良かったです。ジンフィズでいいですか?」


信じてないでしょ!? と憤慨する彼女を置いてグラスを手に取る。他の客はここまで雑にしないが彼女がこのくらいで気分を害すことがないのはもう学んだ。


「......でも流石に、ここまでクズ男ばっかりだと自分の見る目に自信無くって......。」


グラスに氷を入れながら話を聞いていると、ガバと顔を上げたアヤカさんと目が合った。


「だから亜樹くんにお願いがあるの」


「はい?」


「今度ここ連れてきていい? 見極めて欲しいの!」


「え、俺がですか?」


「うん、だって亜樹くん相手のことよく見てるし、初対面でもすぐに打ち解けるじゃない。だから目利きというか、彼と少し会ってみて欲しいの」


咄嗟に面倒だなと思った。が、これも仕事の内か。

話を聞いてるうちにできあがったカクテルを差し出しながら笑みを作る。


「いいですよ。でも保証はできませんからね?」


「全然いいよ〜! 亜樹くんありがとう!」


「アヤカさんには幸せになって欲しいですしね」


面倒事はごめんだが、ここで働き始めた時から来てくれている人だ。顔馴染みだし、良いお客さんである。少し酒癖は悪いが。


幸せになって欲しいとは、本心で思っている。






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