恋人知らず

こむぎこ

第1話

 彰からの呼び出しがあったのは今日の昼休みのことだった。

 チャットツールで一言だけ「放課後、理科室に来てくれ」とのこと。事情を教えてほしいと返事をしたものの、放課後になっても返事はなかった。


 ため息を一つつき、いつものことだとあきらめる。

 下駄箱には少し遠回りになってしまうものの、理科室に向かうことにした。

 なんだかんだ、こんな呼び出しでもちょっとだけ期待交じりに向かってしまうものだから、私はちょろいな、と私ですら思う。


 彰とは、長い付き合いだ。小学校から高校までずっと一緒の学校に通ってきた。幼馴染を自称してもそこまで否定する人もいないだろう。けれど、びっくりするくらいに脈はなかった。


「それなりにアピールしたつもりなんだけどな……」


 中学のころに、告白だってした。好きだ、とシンプルに伝えたところ「おれもすきだぜ!! まい!! べすと!! ふれんど!!」と言われてしまい、微妙な微笑みしか返せなかった。


「あそこでもう一歩切り込むべきだったかなあ……でも多分あの時の彰さぁ、恋人とかいう概念もってなさそうだったしな……」


 あのアホ面に恋という文字はまだなさそうだった。

 ただ、今やもう高校生。いつまでもアホのままでもいられないだろうし、少しは意識をするようになったと思う。最近は色恋の話だってしているところだって見た。

 そして、もうすぐクリスマスのこの時期の呼び出し。もしかしたらもしかするかもしれない。


 そんな期待を胸に、また一歩理科室への足を進める。その道の途中には渡り廊下が待ち構えていた。


「さむっ」


 12月の寒さは、素肌に忍び寄り確実に体温を奪う。今日は雪すら降っていて、冬本番という雰囲気だった。


「きれー……クリスマスも雪降るかな。降ったら綺麗だろうな……一緒に見れたら……」


 言葉とともに白い息が漏れる。

 いつだか彰からもらったマフラーがなによりも頼りになった。


「まあ、幼馴染だとしか思ってないんだろうけどさ……いやでも……」


 なんて、きっと夢のまた夢。

 それでもあきらめきれないから、こうして呼ばれればどこへだって、足を運んでしまう。

 渡り廊下を抜け、理科室のドアをノックする。


「はーーい!! 茉由!! 待ってたよ!! 入って入って」


 その反応から、きっとこちらを見ることもなく、返事をしたのだとわかる。

 呼び出されたのは私だけ、ってことだろう。


「し、失礼します」


 なんだか自分だけが呼び出されていることに緊張してしまい、少しだけ声が上ずる。

 そして、目に飛び込んできたのは。


 アルコールランプでビーカーの中の雪を溶かしている彰の姿だった。


「……ごめん、なにしてるの?」


 先ほどまでの緊張はどこへやら。

 目の前の奇妙な光景に、すべてを押し流されてしまった。


「雪を、溶かしてるんだ!!」


 満面の笑みに「……そだね」と返しそうになって、踏みとどまる。


「それは、どうして?」


「ふふふふ、茉由。知ってるか。雪が解けると何になるか」


「え、そりゃ水じゃないの」


 その答えに、彰は大げさに首を振る。


「ちがうんだ、これが!! 違うんだってさ!!」


 熱っぽくそう語るものだから、少し気圧されてしまう。


「じゃあ、雪が溶けると春になります……ってやつ?」


「そう、それだよ!! 俺はその話を聞いてひどく感激したんだ。雪が溶けると春になる、とっても素敵なことだろ!!

 俺の今の冬もきっと何とかなるって朔が言ってた!!」


 朔の名前を聞いて、嫌な予感がした。何度か似たようなことがあったのだ。朔が彰のことをからかっては彰が真に受けて変な暴走をすることが。

 けれど、事実把握のためにも聞かなければなるまい。


「今の冬?」


「そう、俺に未だ青春が来ないのはっ!! 雪を溶かしてこなかったからだと!!」


 自信満々に言い切る姿に、どこから突っ込みを入れればいいのかと途方に暮れる。


「だから、一緒に溶かそうぜ、雪!!」


 そういうと、彼はもう一式分の雪の入ったビーカーをこちらに差し出す。


 場合によってはこれだって告白の台詞になるのかもしれないけれど、このアホ面にはなんかそこまでの深い考えはなく……ただ一緒に溶かす人がいた方が楽しいぐらいの考えしかないのだろうと見て取れた。

 ため息を一つこぼして、かえろうとすると


「やらないのか……?」

 

 彰がさみしい子犬のような顔をするものだから、つい、受け取ってしまった。

 けれど、なんだか癪で一言だけ言ってやることにした。


「……近くの春に気づかないくせに」


 彰はまだ、アホ面のままだった。

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