とあるストーカー女の子の独白
「あー、いっそ……あのとき……んでおけば……」
今にも泣きだしそうな顔でそうつぶやいた彼を、私は抱きしめてしまった。優しく頭を撫でてしまった。
寝たふりを続けるつもりだったのに、我慢できなかった。あのまま眠ったら彼はまた嫌な夢を見てしまうかもしれない。それは駄目だと思った。
「あー……。どうしよう」
私は今、彼の住んでいるアパートの近くにある公園のベンチで頭を抱えている。
彼が眠ったことを確認してから静かに彼の部屋を出た。それからこの公園まで早足で歩いた。その間ずっと心臓がバクバクいっていた。そしてベンチに座った途端に腰が抜けたように動けなくなってしまった。
目が覚めたときは本当にびっくりした。いつもの自分の部屋ではなかった。しかも隣には彼がいた。もう訳が分からなかった。
昨日の昼はいつものように彼をストーキングして、彼のバイトの夜勤の時間になって。でも彼は部屋から出てこなくて、玄関の鍵が開いていたからつい入ってしまって。そしたら彼が寝てたからしばらく横で寝顔を眺めていて。そうして気が付いたら朝になっていて。それで……。
「完全に私のミスだよ、これ」
これまで私の存在に気づかれることなく完璧にストーキングできていたのに。彼の寝顔を前につい目が離せなくなってしまった。
それにしても彼も彼だ。朝起きて私がすぐ隣に居ても全然気にしないとは思わなかった。もとから変わった人だと思っていたけど、あれはもう異常だ。いや、ストーカーの私が言えたことじゃないんだけど。
でもまさか私が寝ているベッドにもう一度入ってきて隣で寝ようとするなんて! 私の顔とか髪とか触れてくれたし! すごい癒されてくれていた気もするし! ていうかあれ私が起きてたの気づいてたでしょ⁉
でも最後、眠る直前に彼が思い浮かべていたのは、きっと私じゃない。あんなに近くにいたのに、それでも私のことだけを考えてはくれないんだ。
私はずっと前から彼のことを知っている。
彼はまさか私が同じ大学で同じ学年で、しかも同じ学部の人間だなんて思いもしないだろうなぁ。
私が彼に出会ったのは大学に入学してすぐだった。入学式の次の週、私たちの学部では学外授業があった。市内の遺跡や神社、その他観光スポットなどをまわるというものだ。県外から来た学生も多いためこれから暮らす場所を知っておくのにはちょうどいいのかもしれない。
五、六人でグループを作ってまわりましょうか、と引率の先生が言った。私と彼のいたグループはいわゆる余りもののグループだった。最初の友達作りに失敗した残りもの。私はもしこの先もずっと一人だったらどうしようと焦っていたのに、彼は一人つまらなさそうにスマホを弄っていた。その時はまだ彼に興味はなかったと思う。彼もきっとその時のメンバーの顔なんて一人も覚えてないだろうなぁ。
フィールドワークの途中、信号が赤になったばかりの横断歩道を皆で走って渡っていた時のことだった。一番後ろにいた女の子が転んでしまった。私たちが気づいたときにはすでに車がたくさん走っていて、女の子は横断歩道の真ん中に取り残されたまま時折鳴らされるクラクションの音にビクビクと震えて動けなくなっていた。
周りにいた人は誰か助けに行くわけでもなく、ゆっくりとこっちまで来いとか叫んでいた。止まってくれる車もいたがクラクションだけ鳴らして通り過ぎていく車もいる。当然私も車道に出ていく勇気はなく様子を見守っていた。ただ、遅れて状況に気が付いた彼だけが、何の迷いもなく女の子の方に歩いて行った。その子の手を取り周囲の車に頭を下げながら、ゆっくりと歩道まで戻って来た。
同級生からは「お前度強あるなあ」とか「かっこいい」とか言われて、女の子からは泣きながらお礼を言われていた。引率の先生からは「あんまり危ないことをするな」とも言われていたけど。
そんな中、私は彼に対して恐怖と戸惑いを感じていた。
あの女の子を助けるために勇気を振り絞って飛び出していったのなら感動しただろう。でも彼は自ら喜々として、まるで散歩でもしているかのような足取りで車道へと進んでいった。
この人はヤバい人だ。関わらない方がいいと思った。でも同時に、いつの間にか居なくなってしまいそうで目を離してはいけない人だとも思った。
最初のうちは彼が視界に入った時に何となく眺めている程度だった。それが次第に教室内で彼の姿をずっと見つめるようになり、食堂やそれ以外の場所でも彼を探すようになった。たまに休んでいる日があって落ち込んだりもした。半年が経つ頃には自分が取っていない講義でも彼から少し離れた席に座り彼の後ろ姿を眺め、行き帰りも時間を合わせて彼の後ろを少し離れて歩くようになった。そして一年が経つ頃には家まで後をつけバイトの時間まで把握しているという、完全なるストーカーが誕生していた。そして一年半が経った今では家に勝手に入って同じベッドで寝てしまった。
ほんとどうしてこうなったのか。一体いつの間に彼のことをこんなに好きになってしまったのか。自分でも不思議だなぁ。
一度だけ彼がものすごく顔色が悪い日があって、その日の帰りは駅のホームで入って来る電車を遠くに眺めながらボーっとしてた。なんだかそのまま線路の方に飛び込んでしまうような気がして、気が付いたら彼のシャツの袖を掴んでいた。彼は振り向いてびっくりした顔をしてたけど、少しだけ困ったように笑って「ありがとう」って言った。その顔が私は忘れられないんだ。
彼とはっきりと顔を合わせたのはその時だけ。その日の私はマスクしてたし髪も長かったから、きっと私だってばれていないはず、だと思いたい。
何度か大学を休んだり顔色が良くない日があったけど、その原因は今日と同じ夢のせいなんだろう。
彼に何があったのか私は知らない。知りたいけど知る術もない。まさか彼に直接聞くわけにもいかないし。
こうして姿を見られてしまった今、大学で彼に接触することもできない。
でももっと彼のことが知りたい。彼の近くに居たい。あの寝顔をまた見ていたい。
あんな悲しそうな顔してほしくない。今にも死にそうな顔をもう見たくはない。
また頬に触れて頭を撫でてほしい。
抱きしめて頭を撫でて癒してあげたい。
あの様子ならもしかしてまた家に行っても何も言わず迎え入れてくれたりするんだろうか? いやそんなわけないか。わからない……。
「どうしたらいいのかなぁ……」
誰もいない公園で空を見上げて一人呟いてみる。
答えなんて出るはずもない。
今日はこれから大学だ。一度家に帰って準備しないと。
彼は今日来るのだろうか?
「今日はもう会えないかもしれないなぁ」
頭の中は彼のことばかり。
結局そのまましばらく、私は公園のベンチから動けなかった。
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