第9話 イバーラと魔力注入

「……ああっ!」


 私は叫んでいた。私に与えられた、薄暗く悪趣味なドクロだらけの部屋にて。

 部屋の片づけを手伝ってくれているイバーラに対して、とんでもない事実に気付きながら。

 叫ぶ私を見て、イバーラはテキパキとベッドメイクをしながら大きく舌打ちをする。


「なんなんですか、騒々しい。アリシア嬢、叫んでいる暇があったら手を動かしてください。この私が忙しい合間をぬって手伝ってあげているんですからね。……チッ、なぜ私がこんな手伝いなんかを」


 私が「お試し」としてこの城に住むと知ったイバーラは、とたんに私を「アリシア嬢」と呼ぶようになった。客でも魔王の妻でもない私に「様」をつける必要はないらしい。妥当な選択だ。

 で、私が叫ぶに至ったのは、このイバーラのせいである。だって……。


「ねえ、イバーラって人間なんだよね?」

「…………チッ」


 返事は舌打ちだけだった。イバーラはやっぱり人間と言われるのが大嫌いらしい。彼は私と目を合わせないように手際よくシーツを広げている。私は気にせず続けた。


「でも人間って、瘴気や邪気にやられちゃうんだよね? ってことは、イバーラも、その、魔力の注入をされてるの? あの、魔王に」


 その行為をはっきり表現するのははばかられた。だって、だって、男同士だし……!


「ああ、その事ですか」


 イバーラはツンとすました顔で、私がこれから使うベッドにシーツをかけた。イバーラはずいぶん平然としている。対象的に、私は枕を抱えてドキドキしながら返事を待った。


「ええ。私も魔王様より魔力を頂いております」

「や、やっぱり!」


 しているのだ! イバーラも! 彼の返事に私の心臓はズキュンと飛び跳ねた。

 魔王は美しい。けど、イバーラもよく見れば案外悪くないのだ。眼鏡の下の目はツンと凛々しく釣り上がり、薄く血色の良くない唇は悲壮感があって、それはそれで独特の色気を感じる。

 そんな2人が毎日キスで魔力を……いや、もっと凄い事をしているのかもしれない。


「っひゃあぁぁあ!」


 とんでもないことだ! 動揺が口からあふれてしまう。新たな扉を開いてしまうぅぅ!

 そんな私を一瞥し、イバーラはシーツをととのえるフリをしてベッドをバシンと殴った。


「なんなんですか一体! 騒いでいるだけなら手伝いませんよ! クソが」

「だって! だって、その、してるんでしょ、毎日!」

「何をです?!」

「何って、ほら! ……魔王とキスとか、色々!」

「……は?」


 イバーラの顔がみるみる青ざめていく。


「キス? なぜですか?」

「なぜって、キスで魔力を注入してもらってるんでしょ?」

「…………はあ?」


 イバーラはジトッとした目を私に向けて黙ってしまった。やばい。はしゃぎすぎたか。


「あ、あの、イバーラ? ごめんなさい。そんなプライベートなこと、触れられたくないよね、ごめ」

「アリシア嬢――」


 気づけばイバーラの手が震えている。わなわなと、怒りを押し殺しているみたい。


「アリシア嬢はそうなのですね。ははっ、そうですか。そのような方法で、大魔王陛下から魔力を注入されたと。……ええ、なるほど。理解しました。ええ、ええ。なるほど、なるほど」

「えっと、イバーラは違う方法なの? 違う方法があるの?」


 素朴な疑問に、イバーラが私をきつく睨みつける。

 

「言いたくありません」


 イバーラはササッと布団をととのえ、私に背を向けて部屋から出ていこうとした。


「待って、イバーラ! 他の方法があるなら私にも教えて! 私も他の方法に変えてもらいたいの。毎日キスなんて絶対無理!」


 訴えかけると、ドアの前で立ち止まったイバーラが「キスなんて?」と呟きながら、私を睨むように振り返る。


「アリシア嬢。それは私への当てつけですか?」

「え?」

「私だって……私だって大魔王陛下の寵愛を頂きたかった。そのような魔力の注入をされたかった! それなのに、それなのに……!」


 イバーラはまるで泣きそうになりながら、抑えきれなくなった感情を私にぶつけてくる。

 

「イバーラ、あの」

「黙れ、この人間風情が! 人間の分際でオレに同情するな! クソ! クソが!」


 そう吐き捨ててイバーラは部屋から飛び出していってしまった。

 ……って、いや、あなたも人間だよね?


「なんか色んな意味で大変そうだなあ。ね、ルールー」

「ぴきゃ?」


 ルールーは一人掛けのソファーの上でぴょんぴょん飛び跳ねている。

 そうだ。イバーラの事はともかく、スライム酔いしていた馬や獣たちの様子も見に行かなくちゃ。私には一緒に行動してきた仲間がいるのだ。

 部屋を出ようとして、隅に置いてあった鏡に目を留めた。妙に血色の良い自分の唇が気になってしまう。


「キス……毎日かあ……」


 二度目のキスは最初から最後までしっかり意識があった。

 柔らかくて、優しくて、甘くて苦い。そして、あったかい。ゆっくりと時間をかけて触れ合う唇が気持ちいい。

 そんなキス。


「うぅぅ、あの顔であのキスはずるい」


 大事にしてもらえそうな予感のするキスだった。ここに永住するデメリットなんて何も無いような気さえする。

 あんなキスをする人なら、夜の生活だってきっと優しい。それならきっと、迷う事なんて何もない。


「……って何を考えてるんだ私は!」

 

 でも、折角時間をもらえたのだ。どうせならこの土地のこと、魔王のこと、きちんと知ってから答えを出そう。


「よし! まずは生活に慣れなきゃ! ルールー、行くよ!」


 すっかりやる気になった私は部屋を出た。

 みんなの居る玄関へ向かいながら、魔王は策士だな、と思う。

 最初に嫁だの何だの無理難題をふっかけておいて、あとから条件を緩められたら、うっかり「それなら良いか」と受け入れてしまう。

 私はもう、すでに心が動いているのだ。

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