第4話 出発

 翌朝。

 私は静かに城から追放された。この世界での両親が私を見送る事はなかった。孤独ってこんな感じなんだ、なんて淡々と思う。


 馬車に揺られること数日。

 私とルールーを乗せた馬車はガーネット帝国領を北へ北へと進んでいる。馬車を運転している御者によると、追放先のザハードまではあと2週間ほどかかるらしい。


「ぴっきゃあ!」

「あ、ルールー! 身を乗り出したら危ないよ!」


 すっかり退屈していたルール―は、暇さえあれば御者の横から身を乗り出し、前を歩く2頭の馬のおしりがぷりぷり動くのを眺めていた。


「お馬さん、大きいねえ」

「ぴきゃきゃあ!」


 追放という名称に似合わず、馬車の中はのほほんとした空気が流れている。寂しかったはずなのにな、と思う。数日たって、すでにこの状況に何も感じていない自分が、心底不思議だった。


「ねえルールー、小腹空かない?」

「ぴきゃ?」


 お腹が空いてきた私は、荷台に積まれた沢山の荷物からクッキーの缶を取り出した。皇宮のシェフが「長い旅路で食べるように」と用意してくれたものだ。


「このクッキーでおやつタイムにしよう!」

「ぴっきゃあ!」


 胸元に飛び込んできたルールーにクッキーを1枚渡す。ルールーは両手でクッキーを大事そうに持ち、小さな口でカリカリと食べはじめた。噛むたびに小刻みに動く頭が愛らしい。

 私もクッキーを口に放り込む。


「うぅん! 美味しい!」

「ぴきゃっきゃあ!」


 荷台に積まれた荷物はすべて使用人たちからの餞別である。メイドたちはハンドクリームや薬を、庭師は植物の種を、シェフは保存のきく食べ物を沢山持たせてくれた。

 このクッキーも保存がきくようにと、バターと砂糖がたっぷり使われている。口に広がる濃厚なバターの香りとサクサク感は、今まで食べたクッキーの中で一番だ。


「ああ、食べたら減ってしまう! 貴重なクッキーなのに!」


 ポケットに入れて叩いたら2枚に増えないかしら。そんな童謡、あったよね。


「ぴっきゃあ!」


 私が胸ポケットにクッキーを入れたのを見て、ルールーがもふもふの体で体当たりしてくる。


「わっ、ごめんごめん。独り占めするつもりはないよぉ。ルールーにもあげるってば」


 クッキーを手渡すと、ルールーは誰にも取られまいとそのまま頬袋に詰め込んでしまった。顔がパンッパン。変顔すぎるのもまた可愛い。


「うわっ!」


 ガタンと馬車が大きく揺れる。外を見ると、車輪が木の根に引っかかったようだった。飛び上がったルールーを大事に抱きかかえる。

 気付けばすっかり山道に入っている。この険しい山を越えたらザハード。その後はもう、エリザベス帝国には戻れない。


「って、どうでも良っか。私にはなんの思い出もないし。それより問題はザハードよ」


 メイドに借りた本によれば、ザハードは人間の手が入っていない未開の地だそうだ。魔物が住み、社会的な発展はしていないという。村や町があるかどうかさえ怪しい。


「どうやって生きていこうかな……」


 キャンプの経験ならあるけど、永住となったらどうだろう。一生寝袋生活? 無理無理! 生きていくためには家具を作ったり、農業や家畜を育てる必要もあるかもしれない。

 ……もはや別のゲームだな?


「ま、なるようになるか」

「ぴきゃ!」


 考える事を諦めた私に、ルールーが体をすり寄せてくる。


「あはっ! なぐさめてくれるの?」

「ぴきゃきゃっ!」

「もふもふがくすぐったいよぉ」


 ルールーと触れ合っていると、なんとかなりそうな気持ちになってくる。独りじゃなくて良かったと、心の底から思う。


 ◇


「さ、寒っ……」


 何日も馬車に揺られ、山頂に近づいていた。標高が高くなるにつれ、外気がぐんぐん冷える。

 私とルールーは寄り添いながら、ルールーが買ってきてくれた寝袋に下半身を突っ込み、上半身は適当な衣類でぐるぐる巻きにして暖をとっている。

 馬車の外にはちらちらと雪が舞っていた。


「馬って強いのね。この寒さでもどんどん進んでる」


 心の中で感謝していると、馬が急に足を止めた。


「わあ!」

「ヒヒィン!」


 御者と馬が叫ぶ。


「ガウ! ガウガウッ!」


 同時に、別の生き物の声もした。


「な、何!?」


 馬車の前方に目を向ける。御者が慌てて立ち上がるところだった。


「わ、わあぁあ、ま、魔物だ!」

「えっ」


 御者は叫びながら、パンパンパンッと銃を撃った。撃ちながら、また叫ぶ。


「銃がきかない!」

 

 パニックになった御者がデタラメに何発も銃を撃ち、運転席から逃げ出していく。


「……え、ちょ、待っ……」


 馬車に取り残された私は上手く声を出せなかった。

 馬は何かを見つめながらじっとしている。御者の足音が遠ざかっていく。

 何が起きているのかわからない。わからなくて、ただただ怖い。

 そうこうしているうちに、森の中へ走っていく御者の後ろを一頭の獣が追いかけていくのが見えた。御者の悲鳴と共に嫌な音が響く。


「えっ、……え」


 ガブリガブリと噛みつく音。液体が辺りに飛び散る音。断末魔の叫び。

 私はギュッと目を閉じた。

 御者の声はもう、聞こえない。


 静寂の中、獣たちの鼻息だけが響いている。馬車の周りには、魔物と呼ばれた獣が何体かいるのだと思う。

 身動きが取れないまま、私はルールーを抱えて息をひそめている。


「ガウ……」


 一頭の獣が鼻をクンクンさせながら馬車に乗り込んできた。

 続いて二頭、三頭と獣たちが乗ってきて、私の使っている寝袋や荷物の臭いを嗅ぎまわっている。


 どうしよう。こわい。

 動いたら殺される? いや、じっとしていても殺されるかもしれない。

 どうしよう。

 ルールーをぎゅっと抱きしめる事しか出来ない。


 獣が私の足先から順に臭いをかぎながら、私の顔に鼻を近づけてくる。うっすらと目を開ける。魔物だと言っていたけれど、見た目は白銀のオオカミみたいだ。一頭が私の顔の臭いを嗅いでいる間に、他の獣が荷物に顔を突っ込み始めた。


「がう……クンクン、がうぅ……」

「…………ん?」


 獣たちの鳴き声が妙に優しくなって、私は獣たちの様子をしっかりと見た。不思議な事に、彼らから敵意は感じない。

 しかも、よくよく見れば、獣たちは食料の入った袋を引っ張り出そうとしている。


「もしかして、あなたたちお腹が空いてるの?」


 獣はちらっとこっちを見て、また荷物に顔を突っ込んだ。間違いない。なにか食べたいんだ。

 私は恐る恐る荷物に手をかけ、中身を出してあげた。


「果物に野菜。こっちは干し肉よ。これは生の塩漬け肉。どれが食べられそう?」


 獣たちが並べた食材に鼻を近づける。クンクンと臭いをかいで、ふいっと顔をそらした。どれもお気に召さないらしい。

 獣たちはまた私の体の臭いを嗅ぎはじめる。じゅるり、と獣の口からよだれが垂れた。


「……え。まさか、私を食べるの?」


 獣の目がキラリと光る。同時に、一頭の獣が私の胸元に嚙みついた。

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