第2話
イオリとこんな……奇妙ともいうべき関係になったのは、つい数週間前のことである。
彼女との接点は、最初はごく普通のものだった。
同じクラスで、席が近くて、授業中にちょっとした雑談をしたり、授業のグループ分けで一緒になることが多かったり――そんな程度だった。
イオリは誰にでも明るくて、俺みたいな比較的おとなしい部類の人間にも気さくに接してくれるタイプだ。
初めはそれが少し意外だったけど、次第に「そういう奴なんだな」と納得するようになった。
……ただ、それが積み重なるにつれて、俺たちはいつの間にか「ただのクラスメイト」以上の間柄になっていた。
昼休みに一緒に話すようになり、帰り道が同じ方向だと知ってからは、一緒に帰ることも増えた。
イオリが友達と話している途中で俺を見つけると、「リョーマ、こっちこっち!」なんて呼びつけてくることもあった。
……そうして気づけば、俺は彼女に惹かれていた。
まぶしいほどの笑顔。気取らない態度。意外とガサツだったり、甘えん坊だったりすること。
何もかもが目を離せない存在になっていた。
そんな中、ある日突然、イオリから「話があるんだけど」と呼び出された。
正直、胸が高鳴らなかったと言えばウソになる。
自惚れではないが、普通の同級生程度の仲ではないという自負があったのだ。
約束の場所へとやってくると、イオリは周囲を何度か見回して、それから深呼吸を一つ。
普段の快活な雰囲気とは違う、どこかただならぬ表情をしていた。
「今からする話、あんまり驚かないで聞いてね?」
彼女は最初にそう前置いた。
俺はあまりに緊張して「内容によるけども」などと返すのが精一杯だった。
すると、イオリはふっと息をついて、それから少し恥ずかしそうに目をそらす。
「私……リョーマに頼みたいことがあるの。それも、すっごく個人的なこと」
ほんのり赤らんだ頬、潤んだ瞳、そして小さく震える唇。
「……そのお願いって?」
固唾を飲み込んで少し身を乗り出すようにして尋ねると、イオリは目をぎゅっと閉じて、拳を握りしめた。
俺も思わず身構える。
だがその瞬間の先に待ち受けていたのは、告白される……などという甘い展開ではなく、予想だにしないイオリからの言葉なのであった。
「リョーマ、私のこと……雑に扱ってほしいの!」
一瞬、理解できなかった。
その意味を把握するのに数秒を要したし、理解してからも頭が混乱した。
「……は? どういう意味だよ、それ」
戸惑いを隠せない俺に、イオリは困ったような、それでいて覚悟を決めたような顔で続けた。
「私ね……実は、Mなの。しかも結構……ドが付くくらいに」
その言葉が信じられなかった。
いや、信じたくなかったと言うべきかもしれない。
普段、明るくて誰からも好かれているあの桜庭イオリが、そんなことを言うなんて。
俺が何も言えずにいると、イオリはさらに続けた。
彼女の話によると、小さい頃から自分がこういう性癖を持っていることに気づいていたらしい。しかし、それを周囲に知られるのが怖くて、ずっと隠してきたのだとか。
「でも最近、もう我慢できなくて……誰かに、この本当の私を受け入れてほしいって思ったの」
一通り話を聞いても、俺はまだ呆然としていた。
言葉を出そうにも、口の中が渇いて声にならなかった。
「リョーマはさ、私のことを普通に接してくれるよね。他の人みたいに気を遣いすぎたり、妙に崇めたりしないでさ。だから、お願い。私を……その……雑に扱って!」
イオリは顔を真っ赤にしながら必死に言葉を絞り出す。
俺もまた生唾を飲んで、慎重に言葉を紡いだ。
「そんな簡単に言うなよ……俺だって戸惑ってんだから、さぁ」
「でも、お願い……! 私の秘密を知っても、受け入れてくれる人……リョーマしかいないと思うの!」
懇願するようにそう言うイオリ。
その目には、羞恥なのか、はたまた今まで抱え込んでいた反動なのか、涙が滲んでいる。
「……わかった。イオリの願い、聞くよ」
そんな風に見られては、俺はもうそう答えるしかなかった。
気迫に負けた部分もあるだろう。
だがここで断れば、彼女は道を誤るのではないかという危機感が、俺を大きく突き動かしたのだ。
……まぁ、かくして、俺とイオリの「奇妙な関係」が始まった。
彼女の望み通り、時には雑に扱い、時には冷たく接する。
そんな役割を俺が演じることになったのだ。
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