ユキ

あんどこいぢ

ユキ

 ユキは真っ白なスピッツだったが、その純粋な白を裏切り、実は雑種なのだった。

 学費を援助してくれるというので正夫がPETAの里親プロジェクトに応じ、彼女がこの部屋にやってきたのがかれこれ五年前……。そのときですでに十歳弱だった。

 歳の割りに綺麗な毛並みのイヌだったが、正夫の部屋を訪れる再教育大学の友人たちは、彼女の翻訳機の音声設定が若い女性の声だと知ると、意外そうな顔を見せた。混入している遺伝子が何かの猟犬のものらしく、吻の長い、精悍な顔つきの彼女をオスだと決めてかかっていたのだ。そしてその声がフニフニしたいわゆるアニメ声──。そうした点でも彼らを多少驚かれたりした。そのうちの口さがない一人がいった。

『こんなところにもアニヲタのキモい趣味がでるんだなっ。ユキちゃん本当にそんな声でいいの? これって動物虐待なんじゃない?』

 しかし、なんのことはない。それは彼女自身が選んだ声なのだ。

 ワンルームの学生用マンションなのだがこのところ学生の身分は優遇されているので、スマートルームのメインコンピューターは十分なスペックのものである。お迎えしたユキをグレーの絨毯のうえに置くと、正夫は音声入力ではなく窓際のコンソールデスクに向かった。

『待っててね、いま君用の記憶領域、アクティヴにするから……。電気代、ちょっとあがっちゃうけどね。でもその見返りといえるモンはバッチリPETAにもらってるから……』

 ペットの首にもヒトの首にも、延髄辺りにポートが埋まっているのが普通だった。正夫自身は両親がナチュラリストだったため、そうした手術を未だ受けていないのだが……。首のポートの無線ランが一般的になって以来、逆に音声入力のほうが廃れ、このところエラーが多くなっている。

『できたよ。首輪のランもちゃんと認識された。何かしゃべってみっ──』

 ユキと正夫との位置関係は部屋のメインコンピューターにしっかりプロットされていて、壁に埋め込まれた無数の小スピーカー群が、あたかも彼女が話しているかのようなサウンドを演出する。だが……。

『えっと私は──。って、何よこの声! シャンソン歌手の声かなんかっ? 私こんな声じゃないよ! もう少し可愛い声にして!』

 前の飼い主に虐待されあまり喋れなくなっていると聞いていたのだが、どうしてどうして、メインコンピューターの日本語機能にアクセスするなり、相当な我が儘振りを発揮してくれたのだった。

 ところが……。いまそんなユキに死期が迫っている。何しろ五年前すでに十歳弱だったのだ。イヌとしてはもう完全にお婆さんだ。 

 以前一度、ユキと肉体換装について話したことがあった。

『エッ? この身体がイカレちゃったあとも、飼ってくれんの? だって私、あなたにとって、PETAに無理矢理ネジ込まれた捨て犬なんでしょう?』

『いや、そんなことないよ。勿論、君さえよかったらって話しなんだけど……。嫌がる子たちも結構いるって聴いてるからね。どっちかっていうとネコたちのほうが、死後換装、受け入れるんだってね? ヒトの体に換装する子たちも多いみたいだよ』

『ヒトの体? 無理でしょう? そんな贅沢……』

『PETAが補助金だしてくれるっていうんだ。貯金と合わせりゃなんとかなるかな……』

 だがいまそのユキが死にかけているのだった。

 コンソールデスクの横の床に布団を敷き、正夫はその前で寝ずの看病だった。ここ一週間大学は休んでいて、部屋の空調などは、最近ますます当てにならない音声入力に頼りっ切りだ。

「辛い?」

「ううん……。外部記憶のほうに意識移して、もとの身体のほうの痛感、切っちゃってるから……」

「でももう、息がヒューヒュいっちゃってる……。以前話したあのこと、憶えてる?」

「本当にお金、大丈夫なの? もし大丈夫なら私、やっぱりヒトの体のほうがいいかな? ネェでも、無理しないでね……」

「今度の不況でPETAも思ってたより渋いんだけど、でも取り敢えず、なんとかなるよ。もとの身体が息してるうちに、早く新しい体、選んじゃって……」

「ウン、これ……」

 画像がコンソールのディスプレイのほうにでているのだろう。正夫はそちらに上体を伸ばす。

「あれれ? 随分若い体だね? JKかな? JCかな? まあヒトとして青春、やり直すってのもいいかもしれないねっ」

「でもこういう身体だと、エッチ、してくれないんだよね?」

「ウーン。ヒトも動物も自由に体、換装できるようになって、法律的には性交合意年齢、最初の発話から五年ってことになってるんだけど……。まあ無理してエッチなんかすることないんじゃない?」

「それって、あなたのほうの肉体的コンプレックスの問題だよね? ナチュラリストの御両親の影響で自然体のままなのに、その身体、嫌いなんでしょう?」

「嫌いってことはないんだけど、でも、親がナチュラリストだったから受精前のゲノム設計も受けてないし……。僕のほうも換装しちゃおっかな?」

「ううん……。でもエッチはしたい。嫌ならまたイヌの身体でいいかも……」

 結局ユキはJD辺り歳の体に換装した。PETAに加わっている俳優が使用制限をかけ公開しているたゲノムが基体だったから、美貌美身だ。その俳優は動物たちのその後の生のために、という条件のもと、自身のゲノムの利用を許可しているのだった。

 彼女は肉体的にJDになっただけでなく、正夫の学生仲間として、再教育大学にも通いだした。高校までの単元は外部記憶に頼っていたが、そうした外部記憶と大学での講義とのリンクのさせ方も、あっという間に掴んだようで、教員たちからの評判もいい。

 とにかく有名俳優に似たルックスなので、レトロ調のイチョウ並木のキャンパスでは、ちょっとその場の華になった。彼女の身体のゲノム利用制限を嘆きつつ、いいなァその体、という女子学生たちが多い。男子学生たちのなかにも、今度俺も、女体に換装してみよっかな? などといいだす奴がいる。そしてある友人は正夫に、

「なのにお前は生まれままのナチュラルボディ──。そんなんじゃいい加減ユキちゃんに失礼だぞっ」

 などといったりする。その彼に応じてユキは……。

「それはいいんだけどさ、私たち……。エッチ、まだなんだ。私とのエッチのために馴染みの体を換えることないけど、もう私のほうは、ヒトの体になって三ヶ月にもなるのに、いつまでも"待て"っていうのは、なんだか……。それにそもそも──」

 結婚はどうするのっ?

「──このひとにとって私、未だペットなのかなァ……」

 いわれた正夫は無論のこと、いったユキ当人にとっても、胸にグサッとくる言葉だった。

 それからしばらく、ユキは落ち込んでいた。そして正夫との会話も減った。

 そんな彼女の機嫌が少しだけよくなったのは、二人が互いにヒトの体になって暮らし始めて、半年……。

 この町に雪が降ったときだ。

 ワーッと喊声をあげ、コンソールデスク脇のサッシをあけ、彼女は庭に駆けだしていった。いや正確にはそこは単なる駐車スペースだったのだが……。

 しばらく舞う雪と戯れたあと、ユキは正夫が立つ部屋の窓辺を振り返って叫んだ。

「私ねっ、取っておいた前の身体の毛っ、解析してみたのっ! そしたら私ねっ、意外と北極犬に近い遺伝子してたんだっ──。北極圏だよっ? 橇だって引けるし猟だってできるよ!」

 そうするとイヌだった頃の彼女のあの顔つきは、どうやらその遺伝子が発現したものだったのだろう……。

「解る? 私って半分、猟犬だったんだよ! だったらさっ、もう私のほうからいっちゃうからねっ! それでいいっ? それであなた、恥かしくないっ? バウワウッ!」

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ユキ あんどこいぢ @6a9672

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