「どうやらここが墓場らしい」


 魔力は尽きた。命撃を撃ったんだ、もう空っぽだ。魔力もまだ戻って来ていない。出来て障壁一度展開出来るか出来ないかが関の山。全く、厄介なモノだ。

 ノエルの時は魔法だったが、ユリアスになると剣を使うとは、その個人に応じて戦い方をきっちり合わせて来ている。個人の得意分野や、筋肉に合わせた戦い方を瞬時に判断し、その身体が持ち得るポテンシャルを最大まで引き出す。

 そしてそれは本人が自覚していないであろう才能さえも引き出すのだ。


 おぞましい。


 吹き飛ばされた身体は、剣を地面に突き刺し勢いを殺した。身体はまだ動くが、大した火力は出せない。いつきの時の様に高威力で殴って身体を気絶させるってやり方もダメだ。


 ユリアスはこっちの事情を知ってか知らずか、黒い手を伸ばす。魔力も不足し、腹の違和感の所為で調子も出ない。ワイバーン如きに苦戦した時点で、僕じゃこいつには勝てない。

 無理に身体を動かした所為でガタも来ている。いつきの件で黒い手に握られた時、結構なダメージだったんだ。簡易的な応急措置はしたが、こんな短期間で治るような傷でも無かった。ギルドカフェで診て貰うと、確実に休めと押さえつけられるから診て貰う訳にもいかなかった。

 ヒトに無理するなとか死にに行く気かとか言っておきながらこの様だ。ほんと、自分には反吐が出る。


 伸びて来た手は、今はそれほど脅威じゃない。だが、先ほどの様に切り落としては自立して厄介だ。

 だから黒い手は切らずに弾き飛ばし、木々を縫うように移動を続ける。敵は剣士、魔法は使って来ないはずだ。


 今の僕だけでは勝てないと解っている。だが、こいつからは逃げられる気がしない。

 僕はここで死ぬだろう。無論、これも運が無かった。だが、それだけが理由で死にたくないよな。


「……何より、はは様、とと様に顔向け出来ないよなぁ」


 グラーヌスを受け継いだ。遠い昔に王位は放棄した。だからって、実の肉親が死ぬ気で繋いでくれた命、そう簡単に手放す訳にはいかない。遠い過去から届けられた唯一の形見。それを引き抜いたんだ。覚悟は背負った。


 いつか死ぬ。だけどそれは今じゃない。


 ユリアスの剣が腕を掠める。身体を捻り、飛び上がって勢いを付け叩きつける様に剣を振り下ろし、ユリアスの身体を吹っ飛ばす。


 息が切れる。

 呼吸が苦しい。

 全身が傷んでいる。

 腹の違和感はずっと消えない。


 だけど、死ぬ訳にはいかない。約束もしてしまったんだ。だから、死ぬ訳にはいかないッ。


 だが、具体的にどうする? 僕ではアレを祓えない。魔力が元に戻ってもう一度命撃を放てれば、可能性はある。だけど、相手は剣士で、中身が空の器だというのなら、いなされる可能性もある。ヒトのポテンシャルを最大限引き出し戦う。そして、この感じだと、アレには疲労という概念も無い。

 どんなつわものでも、体力に限界はある。だが、あれは違う。あれには限界が無い。死も無い。


「はっ、上等」


 なんて嘯きながら、剣を構える。実際勝てるビジョンなんて浮かばないし、一歩間違えれば魔力欠乏に陥って即死だ。


 間に合わないと思ったんだ。僕は別に魂の事について詳しい訳じゃない。魔法についてはノエルに教える為にかなり勉強したけれど、魂なんて研究自体が禁忌としている国さえあるんだ。そう詳しい訳も無い。

 だけど、あの時、アリシアとセニオリスが話してくれた内容を、鵜呑みにするのなら、きっといつきには時間が残されていないと思ったんだ。


 放置して、魔法を使わせ続ければ、きっとノエルは帰って来る。だけど、それは、僕の望むところではない。それでノエルを取り戻した所で、ノエルに軽蔑されてしまう。

 娘の信頼を失っては僕は生きていけない。それこそ自刃も辞さない。


 魔力障壁も無しに近接戦を挑むのはあまりに無謀だ。一撃喰らえばお陀仏なんて状況、まぁ、無い事も無いけれど、そう経験したくはない状況だ。


 当初は殺さずにユリアスを取り戻す予定だったが、それは不可能だ。腱を切って、動きを止める。だが今の僕にそれを可能にするだけの膂力は無い。上手く行ったとしても共倒れだろう。


 構えた剣を振り上げ、間合いを詰めてくるユリアスを牽制しながら、再び距離を取る。近づくな、その瞬間死ぬ。


 剣を地面に突き刺し、そのまま大きく振り上げる。土と枝が混じったモノがユリアスの顔面目掛け飛んでいく。彼にとって、不意の攻撃だったのかは解らないが、ユリアスは思わず目を瞑った。

 その隙に僕は、木々の間を縫って、ユリアスの視界の中から外れる。ユリアスが持ち得る性能以上は出せないはず。魔力感知が出来ない事を祈りながら、このまま姿を消せないかと暫く息を殺す。


 冒険者はその仕事柄、耳や鼻が良い。魔物を警戒しながら歩き、匂いを頼りに素材を集めたり、色々な依頼でその五感を覆いに活かす。


 僕は魔法が使えない。魔力はほんの少しだけ回復した。何とかユリアスの攻撃をいなしていたが、正直あれら全部奇跡に等しい。たまたま動きを読めていただけで、次は無いかもしれない。


 ユリアスは僕を探し続けている。


 違和感がずっと胸の中で犇めいている。この違和感はきっと消化しなきゃならない。


 どうして僕を弾き飛ばしてテレポートから外したのか。ノエルの身体を狙うのであれば僕ではなくいつきを弾き飛ばせば良い。どうして僕を狙う? 何が目的だ。


「……………………」


 ユリアスは剣を収め、僕を探し続けている。今の内に離れるべきだと判断し、音に気を付けながらその場を離れる。


 アレは僕には倒せない。最早ヒトの領域でも無い。ある意味ではアレを見るとヒトの可能性を感じるが、自分の性能を百パーセント引き出せる者は居ない。疲れさえも感じないとなると、もう打つ手無しだ。


 暫く歩いて、かなり距離を取った。ここならば幾ら領域外と言えど、ヒトの耳には届かないはずだ。

 深呼吸して、少しでも魔力を戻そうと努める。


「──────────っ」


 腹の痛みが激しくなる。刃物を突き刺されたかのような痛みに思わず蹲る。同時に、木々の影からぬっと出る影があった。


「……っ! 冗談じゃない。は僕を見放したのか?」


 アルゲンタイガー。巨体の虎が木々の隙間から顔を出している。大寒波による魔物の大移動に加え、環境変化による魔物の適地進化。ワイバーンもそうだったが、アルゲンタイガーも強力になっている。昨日のも、今目の前に居るのも特殊個体と呼称すべき個体だ。


 大寒波の影響とは言え、こうも連日鉢合わせるとは。


 剣を抜く。ガルルルゥと鳴くそれの顔がぱかりと開く。


「キシィャァァァァァァァァァァアアッ!」


 絶叫だった。あまり聞かないアルゲンタイガーの鳴き声が耳朶を打つ。これは、群れの個体が行う仲間呼びの行動だ。だがここ最近で報告されているアルゲンタイガーは群れではなく個々で活動しているはず。


 いや、良い。考えずとも解る。


 上空から光るモノがあった。剣を構え、空を見上げる。


 ズッドンッ! とそれが僕へと向かって落下し、僕を弾き飛ばす。凄まじい破壊力。剣で受け、その衝撃で後方へと大きく弾かれた。


「──く、ゥ。ユリアスッ!」


 森の中を逃げたのが悪手だった。あまりに簡単に見つかってしまった。魔力はまだ全然戻っていない。もっと時間を稼げば、少しは希望はあっただろう。


 死ねないから逃げる。当たり前の選択だ。僕にはまだノエルという大事な娘を取り戻すって役目が残っている。

 ノエルの為に命は使うって決めたんだ。こんな所で死寝る程、僕の覚悟は甘くない。


 ユリアスは、にたりと笑っている。


 不思議なんだ。さっきから。僕は空の器には勝てない。それがユリアスという形を取っているのなら猶更、僕には厳しい。

 本来ならば、僕は瞬殺されていてもおかしくない。魔力切れの剣士なぞただの役立たずだ。結局、魔力が無ければ何も出来ない。だから僕の命撃はまさしく命を賭けた一撃なんだ。アレで仕留め切れないのならば、僕は死ぬだろう。一か八かのラストリゾート。それさえももう切っている。

 空の器からすれば、雑魚も雑魚。虫けらの様に捻り潰せるはずなんだ。なのにまだ僕は五体満足で生きている。


 僕がそれだけ強い訳じゃない。かと言って空の器が思っていたよりも弱いという訳でも無い。ただ粋に、手加減されている。あれは僕を殺す気が無い。


 ──────────何故?


 何故僕を殺そうとしない? 僕は何かを勘違いしているのか? ユリアスに攻撃を仕掛けられては毎回止まる思考で再度考え直す。

 あの時、ノエルの身体を一瞬でも乗っ取った時、どうしてすぐにテレポートを行わなかったのか。空の器ならば、ノエルの身体でもテレポートを行えるだろうし、マーキングなんて無くても問題無いだろう。なのに何故そうしなかった?

 僕が止めようとする前に逃げ出す事なんて容易だったはずだ。


「ノエルが目的じゃないのか?」


 だとしたら目的は一つしかないだろう。最初、どうしてノエルを狙ったかは解らないが、今の空の器の目的は決まっている。


 僕だ。


 僕を殺しノエルを奪うのではなく、僕を乗っ取るのが目的になっている……と思う。殺さないのはそういう事だろう。

 冗談じゃない。他人に身体奪われてたまるモノか。


 実態の無い影のような存在。空っぽの存在だから器を求め続ける。古い文献にはこいつの事であろう記述が幾つも残されている。

 ヴィレドレーナの希望の灯台シリウスブリングスに貯蔵された歴史書には、黒き呵責、ソラより舞い降り終わりを謳う。其は滅びの導。とある。黒き呵責はまさしく空の器の事だろう。その後の文言も言いたい事は解る。

 死の概念さえもない存在だ。相対すれば命の終わりを実感するだろう。というか僕は今してる。


 逃げる事は出来ない。ユリアスの剣戟をギリギリで受け流しながら、僕は一歩前と歩を進める。


「く、ゥゥゥォォオオッ!」


 力を振り絞り、ユリアスに斬りかかる。ガッゴンッ! と剣同士がぶつかり激しい金属音が鳴り響く。


 ユリアスは軽々と剣で受け止め、まるで赤子と遊ぶように僕の剣をひょいと弾き、回し蹴りの容量で僕を蹴り飛ばす。


「ぅ、がっ」


 乙女の腹は色々詰まってるんだぞ……ッ。元々ダメージ入ってるけど。


 そもそも今の僕は空の器ではなく、乗り移られていないユリアスにさえ勝てる状態に無い。


 アルゲンタイガーは、蹴り飛ばされた僕へと開いた顔の先を向ける。


「──────ふ、ラァアッ!」


 思っていたよりも蹴りの威力が高い。手を地面に突いて進行方向を変え、アルゲンタイガーの攻撃を避ける。着地して顔を上げると、丁度アルゲンタイガーを挟む形で対峙する形となる。


「ぜっ、はぁ……っ、だぁ、クソ!」


 立ち上がって、剣を構えた瞬間、ユリアスが地を駆る。その勢いはアルゲンタイガーなぞ目に入らぬ勢いで、そのままアルゲンタイガーを真っ二つに切り裂きながら僕へと突進を続ける。

 いくらなんでもフィジカルに全振りしすぎだ……ッ!


 速い、今から左右に避けた所で掠ってしまう。ダメージは受けたくはない。ならば弾くしかあるまい。剣を低く構え、ユリアスを迎え撃つ。ユリアスとの衝突の寸前に剣を振り上げ、ユリアスの剣を弾き飛ばす。そのまま先ほどのお返しと言わんばかりに回し蹴りをお見舞いし、ユリアスを吹っ飛ばし、距離を取る。

 出来る限り距離を取りたいのに、あまりに早すぎて一瞬で距離を詰められてしまう。


 剣を弾き飛ばされた彼は、少し驚いたかのように剣を持っていた手を閉じたり開いたりしている。弾き飛ばした剣の位置とユリアスの現在位置はかなり離れている。これならばチャンスはある、と黒い渦が大人しい間に攻撃を仕掛ける為、地を駆ける。

 その瞬間、ユリアスが纏う黒い渦が形状を変化させた。


「剣……ッ!?」


 思えば槍の様な形状を取っていた事もあった。剣士なのだから剣を弾き飛ばせば何とかなるなんて甘い考えだったのかもしれない。

 駆け出した足は止められない。ここで止まるより、寧ろ加速して、間合いを詰める。黒い渦が剣となっているのであれば、今は黒い手の攻撃も無いはずだ。


「ォォォォオオオッ!!」


 雄叫びを上げながら、ユリアスへと剣を振り下ろす。ズドンッ! と短い打撃音が轟く。

 ユリアスは僕の剣を持つ手を受け止めている。


「な、──っ!」


 間合いを測り損ねた? そんなはずはない。ただユリアスが一歩こちらへと歩を進めただけの事。だがその素振りは無かった。一歩でも動いたような素振りは無かったのに、どうしてこんなにも近い……ッ!


 黒い剣が振り上げられる。このままではまずい。剣から手を放し、身を逸らす。鼻筋を掠る程の距離を黒い剣が通っていく。ユリアスは僕から取り上げた剣をその場に落とし、距離を取ろうとした僕へ跳ぶように間合いを詰める。

 魔力はほんの少しだけ戻っている。こうなっては一か八かだ。命撃は撃てない。絶技も使えない。

 ならばやれる事は一つしかない! なけなしの魔力を放出しユリアスの黒い剣の柄の部分に障壁を作り出す。刃で切られれば一たまりも無いが、この位置ならば力は入りにくいはずだ。

 ガコンッ! と剣が魔力障壁によって受け止められる。その隙をついて、ユリアスの隣を滑るように駆け抜けて剣の元へ走る。剣を拾うと同時に転がるようにして態勢を立て直し、ユリアスへと向き合う。

 が、既にそこに居ない。そこにあるのは、アルゲンタイガーの死体だけだ。


「………………上かッ!」


 上から勢いよく切りかかって来るユリアスに対し剣を盾にし身を護る。


「おっ、もいなぁッ!」


 全体重を乗せ、更に魔力によって推進力も得ている。これは流石に弾けない。そのまま身体を逸らし、ユリアスの剣を僕の後方へと滑らせ、僕は前方へと転がり、再びユリアスへと対峙する。


 剣を構え直す。アレは僕を殺せない。僕の身体を乗っ取るのが目的であるというのなら、極力僕に傷も与えたくないはずだ。乗り移れたとしても、身体がボロボロでは意味がない。だから必ず致命傷は避けられる。


「く、ぅ。はぁ……っぅ、はぁっ」


 体力が尽き掛けている。魔力障壁を作った事によって魔力もまた無くなってしまった。

 最初から詰んでいる。生きているのは、僕の身体を乗っ取るため。運も実力も尽きた。


「…………っ、はぁ、ぅぁ」


 腹の痛みが蹴られた所為か増している。ダメージを押さえるつもりだったが、一番貰いたくない攻撃を受けてしまったかもしれない。


 死にたくない。


 死んだら、何になるというんだ。


 僕とノエルは魂が繋がっている。僕の魂の一部でノエルの魂を補っているんだ。だとしたら、僕が死ねばノエルはどうなる……ッ。ノエルの為ならば死ねるが、ノエルの為を思うならば生きなければならない。僕は死ねない。絶対に死ねない……ッ!


 崩れそうな膝に鞭を打ち、剣を構える。


 ここが墓場なんて、自分で言っておいて今更になって腹立って来た。何が墓場だ。こんな所で死ねる訳無いじゃないか。


 剣を構える。ノエルの一件を考えると気絶する事は許されない。全力振り絞ってユリアスを撃退出来たとして、その後に気を失えば意味がない。


「僕が、出来ることっは……」


 ノエルの為にも死ねないし、いつきの為にも生き残らなければならない。逃げようにも森の中腹だ。空の器の手が掛かった魔物が大量に潜んでいるだろう。


 ……どうしてユリアスが乗り移られたのだろう。空の器本体が出て来れば僕なんて一瞬で乗っ取れるはずだ。恐らくいつきには姿を見せたはずだが、それから頑なに姿を現さないのは一体どうしてだ。

 十六年前、僕も本体を観測している。だから出て来れないって訳でも無いはずだ。


 いいや、今はそんな事考えたって仕方ない。


 木々を縫い、隙を見てはユリアスへ迎撃を行う。黒い剣が、その刃の長さを自在に変化させる。木々を雑草を刈る様に簡単に切り払いながら体力が残っていない僕を着実に追い詰めようとしている。


 死ねない。死んでたまるか。僕はまだやり残した事が沢山ある。グラーヌスを抜くだけ抜いて、それで終わりなんてそんなのは嫌だ。受け継いだのなら、責任を果たせ……ッ!


「お前を撃ち払い、僕はノエルを取り戻す……ッ! その為ならば、僕は全てを星に捧げようッ!」


 大きく息を吐く。魔力は尽きた。僕に残されているのは、魂という名のエーテルのみ。

 あの黒い魔法使い、確かアリシアだったか。あのヒトの言う事をそのまま鵜呑みにするのなら、記憶を犠牲に魔力を無理やり生成出来るはずだ。

 その覚悟が僕にあるか? ノエルとの日々を、思い出を失くす覚悟が。忘れてしまえば僕は戦う意義を失う。果たしてそれが正しい選択なのか。


 失くす記憶を取捨選択出来ないのであれば、余りにもリスキーだ。果たしてそれで生き残ったとして、ノエルは喜んでくれるだろうか。悲しむんじゃないのか?


 何してもノエルを悲しませる。だけど、僕が死んで魂が薄くなるよりはマシだ。どちらも結局悲しませてしまうのなら、生きてノエルの役に立つ。その為なら他の全てを捨ててでも、僕は……ッ!


 やり方は、多分解る。


「…………やるか」


 覚悟は出来ていない。思い出は失ったとしても魂が繋がっているのなら必ず見つけ出すし、また新しい思い出も作れるだろう。記憶なんて安いものだ。


 心臓に手を当てる。炉心の熱が、僕の身体を芯から温めている。炉心の稼働率は自動的に設定される。どれだけ魔力を消費したとしても、意識しない限り魔力を急いで作る事は無い。逆に言えば、コツさえ分かれば、炉心の稼働を無理やり早くする事は可能だ。

 だけどそれをやると炉心が傷み、激痛が走る。だから誰もしない。その痛みがブレーキの役割を担っているんだろう。


 僕はその痛みを耐え抜き魂を魔力に変換する。たった一瞬だが空の器をユリアスから引き剥がすには十分のはずだ。


「僕は、お前の事を殆ど知らない……だけど、ノエルから話は何度も聞いた。頼りがいのある兄貴みたいなそういうヒトだって。だから、お前にこれ以上罪は重ねさせない。例えノエルに恨まれたとしても……ッ!」


 それがノエルの為になるのなら、僕はそれで良い。


 帰るためとは言え、いつきだって頑張ってくれている。それに応えなければ、一応王女なんだ、メンツ丸潰れだ。アレを撃退し、少しでも情報を集める。それが僕がいつきの為に出来る唯一の事。


 正直、いつきの事は嫌いだった。単純に他人が自分の娘の身体を操っているっていう生理的嫌悪感。たったそれだけで、彼女に対する印象は最悪だった。でも彼女と過ごす内に、ノエルと似ていると思ったんだ。

 魂が混じっているからかは解らないけれど、でも言動は凄く似ていた。いつだって泣きそうな顔をしながら、それでもやらなくちゃって一歩ずつ前に進んでいく。だから、助けたいって思ったんだ。

 だって僕、最初普通に見捨てる気で居たし。


 でも、だからこそ、記憶を犠牲にしてでもって思っている。


 心臓に当てた手を鷲掴みにするようにしながら、炉心に意識を向ける。


 炉心が廻る。


 ユリアスが剣を構え、警戒している。僕の行動の意味に気付いたのだろう。


「覚悟しろ、ここまで来たら僕は止まらないぞ……ッ!」


 廻る。


 廻る。


 炉心が加速して更に熱を帯びる。


 熱い。その熱が全身に回り、やがて燃える様な痛みが襲う。


「が、──ァ、ァァァァァァァァァァッァアァァアッ!」


 痛みに耐えきれず叫びながら、それでも炉心は止めない。意識を失わない様に、炉心を廻し、痛みに耐え、そして生み出した魔力を剣へと向ける。たった一撃に賭ける。全力とは行かずとも、いつきの時と同じように身体は衝撃に耐えられまいッ!


 順調に魔力が生成されて、剣へと集中していく。

 行ける。これなら行ける……ッ!


 そう思った瞬間、ガコンッ! と炉心が急停止した。


「────────────え?」


 熱が急激に下がって行く。一気に汗が噴き出す。体温が下がり、身体が震えてしまう。


 何が起きた?


 炉心が通常の回転数に落ち着いていく。炉心が限界を迎えた訳じゃない。記憶は残っている。だから失敗したのか成功したのかさえ分からない。


 ユリアスが向かってくる。


しまった、なんて思う余裕さえない。思考が混乱している。どうして炉心の回転が元に戻ったのか。剣に溜まった魔力はほんのちょっとだけで、何の足しにもならない。


 剣を持ちあげる事も出来なくなった。先ほどの痛みで全身の機能が若干麻痺している。体力ももう尽きているし、最早指一本動かす事も難しい。


 このままでは気を失ってしまう。ユリアスの攻撃を受けてしまっては意識なんて簡単に飛ぶだろう。


 後悔が渦巻く。僕は結局ノエルに何かしてあげられただろうか。ノエルの看病だって結局治してやれる事なんて無く、赤の他人に助けてもらっただけにすぎない。

 僕は無力だ。無力の癖に出来るといさんだ。


 ユリアスの剣が僕の首へと向かう。それに抵抗する事も出来ず、僕の視界は確かにそれを捉えているのにどうしても身体が動かない。


 ごめん、ノエル。僕はやっぱり母親としては失格だったと思う。


 目を瞑る。最早どうにもならない事は解っている。後は静寂に身を任せてしまおう。例え乗っ取られたとしても、誰かが僕を殺してくれるだろう。


「────────────」


 ユリアスは剣を振り下ろす。


 ごめん、いつき。約束を守れなかった。恨んでくれ、僕はキミを──────


「フレンッ!!」


 静寂を割るような声が僕の耳に届いて目を開けた。


 メグリサネだって魔力が尽きていたんだ。あり得ない。あり得るはずがない。だってその声は、


「いつき……?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る