颯は永遠などないと知る
ひとしきり泣き喚き、気付けば暗い部屋でぼんやりと壁にもたれかかっていた。鼻の奥が熱く、爛れたような目元はひりひりと痛む。頭の芯が重い。
あの時、俺が追いかければよかったんだ。夜の磯なんて、足を滑らせたらひとたまりもないじゃないか。
きっと海風に当たって冷静になろうとしたのだろう。その光景は容易に想像できた。気持ちが落ち着いて、もう一度俺と話そうと思ったのだろう。コンビニで飲み物でも買って帰ろうか、そんなことを考えたかもしれない。
踵を返して、足を滑らせ……もしくは、踏み外し、海へ――。
その瞬間、咲はなにを思ったのだろう。俺のことを思い浮かべて落ちていったのだろうか。最後が喧嘩の記憶だなんて悲しすぎる。せめて楽しい思い出を思い浮かべたのであってほしい。
あの時、すぐに追いかけておけば……いや、こんなことになるなら、結婚くらいすればよかった。そうだね、結婚しようか、そう言えばよかったんだ。
恋人なんて所詮他人だ。相手がこんな目にあったというのに、なにも知らされない。伝えるべき人物として探し出されることもない。「あなたの方に咲から連絡あったら、必ず知らせてくださいね」との言葉は手当たりしだいにかけまくっているに違いない。友達や同僚やほとんど接点のない知人にまで。もしこれが、行方不明などではなく、もっとはっきりとした悪い知らせだったなら、俺がそれを知ることはなかったかもしれない。咲の家族はもちろん、彼女と共通の知人などいやしないのだから。
そうか。咲は気付いていたんだ。
まさかこうなることを予期していたわけではないだろうが、咲はこの危うい関係に気付いていたのかもしれない。だからあんなに向きになったのだろう。
今ならわかる気がする。俗物的ではあるけれど、やっぱり社会的にも結ばれたい。俗物的で何が悪い。だって俺たちはこの社会に生きているんだ。ここでの形に魅せられて当然じゃないか。
どうしてもっと早く気付かなかったのだろう。咲と同じ早さで同じことに気付きたかった。
結婚に深いこだわりはない。だからこそしなくていいと思う訳だが、こだわらないのなら、しても構わないはずではないか。したくないと固持することじたい、こだわっている証拠だ。つまり、それは、俺にとって結婚とは大事なものだということになる。
いや、そんなことはどうでもいい。
いきなりむせた。知らぬ間に泣いていた。床が濡れるほどに。鼻が詰まり呼吸が苦しかった。荒い動作でティッシュを数枚掴んで、強く鼻をかんだ。またむせた。咳に混じって嗚咽が漏れた。胸の奥の振動が、身体のあらゆる部分に伝わって揺さぶる。音が漏れ、水が零れ、想いが溢れた。
ずっと一緒だなんて、思っているだけではなんにもならなかった。永遠なんてものは、ありはしないと知っていたのに。
テーブルに置いてある箱を手に取ろうとして取り落とした。落ちた拍子に箱の角がつぶれ、十字にかけられていたリボンがずれた。渡せなかった誕生日プレゼントを抱くように握り締める。
祝おうとしたんだ。誕生日は過ぎてしまったけれど、それでも祝いたかったんだ。ずっと一緒にいたいと思っていると伝えたかったんだ。一緒に時を重ねていこうと言うつもりだったんだ。
「咲……」
大切な名を声に乗せると、失ったものの貴さに溺れそうになった。
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