颯は咲に会いたい
♤
三日経ち、颯は苛立っていた。
咲と連絡がつかない。
電話をかけても電源が入っていないし、メッセージを送っても返信がない。
いったいいつまで臍を曲げているんだ。結婚を渋ったくらいで。
それともなんだ? 結婚が目的なのか? 結婚に至らないのなら俺といる意味はないのか? 俺はただ咲といられればそれでいいのに。
おそらく初めてだろう、颯は咲に本気で不満を感じていた。失望といっていいかもしれない。愛らしく思えた子供っぽさは未熟さに映り、苛立ちが一層募った。
だが、颯は気付いてしまう。その苛立ちは咲を嫌悪する気持ちから発したものではないことに。咲に対し不満を感じながらも変わらず求めてしまう自身の心に怒りに似たなにかを感じるためだった。
会ってゆっくり話をしよう。そうだ、なにかプレゼントもしよう。誕生日は過ぎてしまったけれど、まあいいだろう。なにをあげたら喜んでくれるだろうか。いや、きっとまずは驚くはずだ。なにか裏があるのではないかと疑うかもしれない。そんなまだ見ぬ光景が鮮やかに目に映る。咲の声の抑揚や表情を思い浮かべただけで、颯は頬を緩ませた。
改めて思う。咲に会いたい。
それから四日、五日と経ち、ついに次の週末が来ても咲と連絡はつかなかった。
既に不満も苛立ちも燃え尽きて、不安だけが燃えかすのようにくすぶっている。
無意識のうちに、手の中にあるラッピングされた箱のリボンを指先で弄んでいた。咲に渡すつもりの誕生日プレゼントだ。ほどけかけたリボンを丁寧に整えて、ローテーブルの上に置いた。
これだけ連絡がつかないと、さすがになにかあったのではないかと落ち着かない気分になってきた。しかし、颯は咲につながるものを電話番号とメッセージID以外に持たない。これまでそれで不便を感じたことはなかったし、二人がそれほど細い糸でしか繋がっていなかったことに気付きもしなかった。友達や家族の話はよく聞かせてくれたから、まるで颯も知人であるかのような錯覚に陥っていたが、実際は会ったこともなければ連絡手段さえないのだ。咲本人が電話にも出ず、メッセージも寄越さないとなると、一切の繋がりは断ち切られる。
俺たちはそんな繋がりしかもたなかったのか――。
手繰り寄せるべき赤い糸が見えたなら、どこまでも辿っていくのに。
そんな感傷にふけっていたら、電話が鳴った。ディスプレイに咲の名前が表示される。
「うおっ!」
腹の奥から声が出た。
咲だ。咲だ。
胸の高鳴りを通り越して心臓がねじれそうになる。焦りで震える手でどうにか通話ボタンをタップした。
「咲、おまえ、なにやってんだよ! 心配したんだぞ!」
安心感のあまりに責め立てる俺の声に、先方の喉を詰まらせたような小さな声が重なった。
『あの――』
答えたのは咲の声ではなかった。
もっと年配の女性の声。
スッと胸の奥の熱が冷めていく。
『咲の……咲と、お付き合いしてくださっていた方、でしょうか?』
「え? あ、はい、そうです、けど?」
ねじれかけていた心臓がキンと冷えた。
誰だ、この女? なぜ咲の電話番号でかけてきた? なぜ俺と咲のことを過去形で聞く? 咲と別れたつもりはない。
――だとするならば、だ。いや、そんなわけない。
颯は脳裏に浮かんだ不吉な予感を慌て振り払った。
『咲の母です。娘がお世話になりました』
「あ、いえ、こちらこそ。あっ、どうも初めまして。今までご挨拶もせずに――」
なんだこれは。なに呑気に挨拶なんかしているんだ、俺は。
『いえ、そんなことはもう』
だから、なんなんだ。過ぎたことみたいに言うな。
颯が無言になったことを気にする様子もなく、咲の母はメモでも読み上げるかのように平坦な声で続ける。
『咲は――』
おそらく、一拍ほどのわずかな間だったのだろう。けれども颯にはやけに長い沈黙に感じられた。言葉の先が気になりつつも、このまま聞かずに済ませたいと思った。
続くであろう言葉が頭に浮かぶ。慌てて追い払う。しかし、払っても払ってもその絶望に満ちた言葉は何度でも甦ってきて――そして、ついに告げられた。
『咲は、一週間前に亡くなりました』
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