ただのバニラでよかったのに。
みしまりま
ただのバニラでよかったのに。
「アイスって、ただのバニラでいいよね」
「そう?」
「うん、冬にこたつで食べるシンプルなバニラアイスとかさ」
開店したばかりの今どきの流行りを集めたようなロールアイスショップの店内で、三回唱えないと覚えられなさそうな呪文のような商品名のチョコレートアイスを食べながら、バニラでいい、なんて失礼な発言だなと思った。
店内は誰も周りのことなんて気にしちゃいないけど。すっかり秋らしい陽気でアイスショップの人はまばらだった。この店は開店時期を間違えたのではと思った。もちろん店内でそんなこと言わないけど。
「わかる。でもうちこたつないしなぁ」
心のない答えを返す。
ゴテゴテとしたピンクのトッピングがちりばめられているアイスを食べながら、わかる、ってなんだよ。自分にそっとツッコミを入れる。自分で自分がおかしくなって、多分良い笑顔を浮かべていた。
「そっか、なぁ、こたつ置かないの? 俺一緒に入りたいなぁ」
「こたつ? どうせお高いんでしょ?」
「最近結構安いんだって」
「そうなの? ……家のこたつはいくらくらいだった?」
「……あー、大分前に買ったからな、最近は一人用の安いこたつあるんだって」
返事に間が空いたのはアイスを口に運んでいたのが理由じゃないことはしっかり見ていた。
家の話をするといつもそうだ。微妙に間が空いて、つけいる隙を見せる。そのこたつ、誰が買ったの? どこに住んでいるの? 家には誰がいるの? 一人じゃないんでしょう? ねぇ、私みたいな女は他に何人抱えているの?
そんな質問を挟んだら、最近うまくいってなくて、とかありふれた言葉が返ってくるのだろうか。
でも、そんなことを話していたらアイスは溶けてしまうから。
言葉は口にせず、アイスを口にする。店を出る頃には忘れているだろう。
最近では彼はどこまで言わないつもりでいるのか面白がっていた。それでまた良い笑顔を浮かべてしまう。つくづく自分は性格が悪いと思う。
「ん? どうした? ニコニコして」
「このアイス美味しいなぁって思って」
「そうなの? 一口ちょうだい」
そうして人のアイスを奪っておきながら、やっぱこたつでバニラ食べたいなぁとか無神経なことをほざいている目の前の男に、また笑顔を浮かべた。『一口食べる?』と言われて応じた自分にも笑えた。
面倒だなぁ。わかっていて何も言わない駆け引きみたいなやりとりも。言えないだけなのに言わないなんて気取っているのも。やめれば良いのにやめない自分も何もかもめんどくさい。本当に面倒だなぁ。感情がオンオフできるならこんな感情、常時オフにしているのに。そんなこと願った時点でオンになってるのはわかっている。もうだめなのだ。注文したアイスもこたつも、注文した責任がある。望んだ責がある。
うちにこたつが来たのは短い秋の終わりだった。毎年毎年短くなる秋をよく捕まえたものだ。
『秋って人恋しくなるよね』短い秋を利用して上がり込むこの男は、どうせ冬になれば『冬って人恋しくなるよね』とか言うのだろう。
人恋しくなるとか言ってないで、恋しい人と温めあえよ。踏みにじるなよ。踏み荒らすなよ。それもまた言えない、言わないままだ。
一人暮らしにぴったりサイズのこたつに二人、近い距離で入って、アイスを一緒に食べる。
食事までは一緒にする気がないのだ。私は彼の前だと食事が喉を通らないし、彼はどうせ、帰ったら食事があるのだろう。アイスくらいの関係なのだ。なくても困らない、あれば嬉しい嗜好品。
遠回りしてわざと通りかかったロールアイスショップには人の姿は見えなくて、いろんな意味で寒々しかった。
スーパーだったりコンビニだったりで二百円程度のバニラアイスと、バニラ以外のアイスを購入して、うちにあがりこんで、こたつで食べる。どうしようもない、よくないルーティン。
私はストロベリーだったり、クッキーアンドクリームだったり夏でもないのにチョコミントだったり。バニラ以外をいつも選んでいた。
『バニラ嫌いなの?』といわれても、今日は気分じゃないと選ばなかった。好きなものを共有したくなかった。受け入れたくなかった。一緒にシンプルなバニラアイスを食べたら、もう一緒にすることがなくなる気がした。失くせばいいのに、失くさなかった。
本格的な冬になって、十二月中頃からは当たり前に会わなかった。クリスマスや年末年始のイベントシーズン。一人で過ごす以外の選択肢なんてなかった。平日クリスマスで仕事に没頭できるのが救いだった。
どう過ごすのか聞かれなかったし聞きもしなかった。『これから忙しいんだよね、あまりこれないかも』と言われたときも、うちの部署も忙しいなぁ、としか言わなかった。大体年末なんてそんなもんだろ。
わかった、とも、こなくていい、とも言わなかった。このまま会わない心づもりだけはうっすらしていた。このまま来なければいいのに。また来てくれればいいのに。どっちつかずの気持ちが、アイスを二つ買って帰る習慣をそのまま許した。
年始を過ぎて当たり前のようにこたつに入ってアイスを食べるためにやってきて、うっすらとした覚悟はどこかに行って、当たり前のように受け入れた。せめてもの抵抗でバニラアイスを買ってあることは言わなかった。
年が暮れても開けても何も変わらない自分にがっかりした。毎年こんなもんだ。新年は変わる、今年は違う。そんなこと言って、思うだけ思って、結局何も変わらないんだ。変われないんだ。
「アイス買ってきたよ、バニラ」
アイスに罪はなかった。それでもそのままバニラを食べたくはなくて、エスプレッソでもない濃いめに入れただけのインスタントコーヒーをかけた。彼はコーヒーはいらないと、シンプルなバニラアイスを食べていた。
久しぶりに会うとたばこの本数がより一層増えていることに気づいた。短い時間で矢継ぎ早に吸い続ける。普段たばこを吸えないのだろうとわかるくらいにあからさまに増えていた。
バニラアイスとアフォガート風アイスをそれぞれに食べ終わって、何本目かわからないたばこを吸いながら、煙と共につぶやくように彼は言葉を吐き出した。
「しばらくこれないかも」
知ったことか。勝手に来るだけで、私は望んでいないんだ。
「奥さん予定日いつ?」
一瞬だけ目を開いた。知らないとでも思っていたのだろうか。知ってても言わないとでも思っていたのだろうか。何も言わない、都合が良いままでいてくれると思ったのだろうか。いて欲しかったのだろうか。
お前の期待にこたえられるか。自分の期待にだってこたえられないのに。
「……五月」
私に妊娠出産の経験がなくとも、逆算くらいはできる。うちに来る頻度が増えたのは、はけ口がほしかっただけじゃないか。ウケる。こんなときでも笑えてくる。
「いつもニコニコしてくれてて良いよな」
「ん? そうかな」
「家だといつもぴりぴりしててさ」
知るか。私が笑ってるのは滑稽だからだよ。自分も含めて全部が滑稽だからだよ。
聞くつもりのない会話を遮って、自分に言い聞かせるように決まってもいない話をした。
「あのさ、ここ三月に更新だからそれまでに引っ越そうと思ってるんだ。だから置いてあるものとか引き払ってね。ライターとか私いらないし」
「あー、うん。まぁ、なんかあったら捨てて良いよ」
ようやく自発的に何か言えた気がしたし、一矢報いた気がしたが、気のせいだろう。だってこの男にはぜんぜん何も響いてない。
なんかあったら捨てるよ。お前のこともな。だから何か残せよ。私にお前を捨てさせろよ。
たいしたこだわりもなかったのもあって、引っ越し先はすぐに決まり、予定より少し早めの二月の終わりに引っ越すことを決めた。アイスショップからは遠ざかる。もうこないだろうと最後に一人でアイスを食べた。何の思い入れもないキャラメルとナッツのアイスは純粋に美味しかった。
家に何かあったなら捨ててやると息巻いた気持ちも振り上げた手もそっと沈めるしかなかった。悔しかった。うちには何も残ってなかった。捨てるの自分の感情と感傷だけだ。
厄介なのは冷凍庫にあるバニラアイス五個くらいだった。
「なんで五個もあるんだよ……集めるなら願いが叶う七つだろ」
来るかも知れないと思って毎週買っていた自分の浅ましさが可視化されて気持ち悪かった。買うのをやめるのに、見切りをつけるのに一ヶ月もかかっていたのか。銘柄違いで毎週毎週わざわざ違うものを買って、ご苦労なことだ、私。ただただ持て余す感情を増やすだけなのに。七つ集めたって何にもならないのに。
それでもアイスに罪はない。
買った私に責任がある。自分がやったことだ。自分で食べるしかない。今から一日一つ食べれば引っ越し前になくせる。一気にどうにかしたい。でも、一気に食べて体調を崩したくもない。
ケーキやクッキーにリメイクすれば量は増えるし、味わう時間は増えそうだった。お菓子作りを楽しむのは嫌だ。バニラアイスを楽しみたいわけじゃない。バニラアイスで楽しい気持ちは味わいたくない。楽しいものにしたくない。
捨てたい。それは罪のない食べものに対してひどすぎる。憎しみをぶつけたってバニラアイスは受け止めてくれない。恨みたい気持ちはあっても八つ当たりだとわかっている。
滑稽だと思った。こんな、ただのバニラアイスに、溶けてもドロドロになるだけで、いつまでもベタベタして、勝手になくなってはくれない代物に振り回されて。
小手先の抵抗でバニラアイスをごまかしながら食べた。
エスプレッソでもないインスタントコーヒーをかけるのは、何かを思い出すからやめた。
牛乳と混ぜてシェイクっぽくしたり、チョコやクッキーを砕いて混ぜたり。醤油をかけて気分を変えたり。このアレンジは美味しいと思っても、これは失敗と思っても、伝える相手はいない。こたつは一人で広々と入れて、隙間のある空間が寒さを感じさせた。
引っ越し前夜、最後のバニラアイスは、シンプルに何もせずそのまま食べることにした。
アレンジもネタ切れ。四百円程度のお高めのやつだから。そんな理由で。
本当は逃げている自分にイラついているだけなことはわかっていた。それを認めようが認めまいが誰にも何の関係もないのに。バニラアイスもそんなこと知らないのに。
明日処分予定のこたつの中に一人で悠々と入り、シンプルなバニラアイスを口に運んだ。
美味しい。
美味しい。悔しいくらいに。
ホッとして、安定していて、安心して、食べ飽きないし、いつだって食べたくなる。他に目移りしても、何を食べても、最終的にはここに戻ってくる。
そんなただのバニラアイスだった。
「アイスって、ただのバニラでいいよね」
ただのバニラでいいとか、冒涜だろ。
ただのバニラアイス「が」いいんだろ。結局、結局。
ただのバニラでいい。
ただのバニラがいい。
私だって、ただ単に、バニラアイスになりたかったのに。
トッピングなしのシンプルなバニラアイス、最後の一口は少ししょっぱくて、後味を早く忘れたくて、冷えた体を温めたくて、コーヒーを流し込んだ。
コーヒーは温かくも冷たくもなくて、苦味だけが残っていた。
ただのバニラでよかったのに。 みしまりま @msm-remind
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