第1話 狼になった私


 ある日、森の中で私は赤ずきんに出会った。


 遠い空に鳥たちが鳴き、木漏れ日が光の線を描く、木々が生い茂る深い森の中で、赤いフードのついたマントをかぶった彼女は大変な美少女でした。

 年は12歳か13歳くらい。肩に届く長さの金髪はすごくサラサラで、私を見上げて首を傾げると、肩からサラリと流れる。目深にかぶったフードを外す一連の仕草は映画のワンシーンを見てるみたいだった。肌も色白で、赤頭巾の赤がとても映える。


 かっわいい……ほんとかわいい。語彙力が死ぬくらい。


「 ――――」


 わあ、声まで美少女だ。クールビューティーですね。

 少し低めだが透き通るような声で彼女がなにか話かけてきたが、私にはよく聞き取れなかった。

 決してはしゃいでいたせいではないです。多分。耳慣れない言語。

 赤ずきんは、近くの木に張られたロープを片手で持つと、出したナイフでズバリと切り、そっと私をおろしてくれた。意外と力持ちですね。でも助かった。ありがとうありがとう。

 なにせ、私は森に仕掛けられた網状の罠にとらわれて、木の上からぶらぶらとつるされていたのである。

 手足に食い込み絡まっていた網は、地面におろされるとようやく束縛が緩んで、ほっとした。


「 ――――」


 赤ずきんがまた何か話しかけてくれた。大丈夫かとか、怪我はないかとかそういう感じなんだと思う。言葉はよくわからないけれど、気持ちが響くみたいに伝わってくる。言葉がわからないのにわかる。変な感じだった。


「くぅん(ありがとう)」


 あれ、おかしい。

 ありがとうって、言ったのに、今。


 お礼を言いたかったが、喉から出たのは、犬の鳴き声みたいな、鼻を鳴らした声だった。しょうがないから、しっぽをぶんぶんしてみる。

 赤ずきんは笑ってくれた。

 あ、瞳の色は深い青色をしているんだね。笑った顔もすごくかわいい。


 そういう私は、毛むくじゃらです。

 罠にかかった私を助けてくれたのが赤ずきんで、私はなんというか、狼だったのです。


 びっくりでしょう? 私も最初自分が狼だと知ったときは、ものすごく驚いた。

 だから、自分の口から犬みたいな声しか出てこなくても、いまさらで。狼も犬みたいに鳴くんだな、なんて感想しか出てこない。


 赤ずきんの彼女は、狼の私に向かって何か言うと森の奥に足を向けて歩き始める。

 好きなところへ行けと言われた気がした。追い払うのではなく、おうちへおかえり、みたいな優しい感じがした。


 お嬢さん、動物好きなんですね。それとも犬好き? 私は犬じゃないけどね。


 彼女は狼の私が怖くないのだろうか。人間って、狼のこと怖がるんじゃなかったっけ? どうだっけ。私が狼っぽくないから? こんな美少女相手に警戒心丸出しに吠えたりできないもん。罠にかかったところを助けてくれたぐらいだもの、まぬ……人懐こい犬に見えてるのかも。まあ、外見も犬に似てるしね。


 なんか、赤ずきんと狼の出てくるお話を知ってた気がする。詳しいことは思い出せないけど。

 うーん。助けてもらった狼としては、恩返しのひとつもしたいです。

 とりあえず、どこに行くのかわからないけど、狼としてボディガードをしてあげよう。


 自分が行きたいところも思いつかないし、私は彼女についていくことにした。

 きれいなところに案内してほしいなら、いくらでもしてあげられるけど、彼女には何か目的があるように思えた。


 私は彼女を追うように四つ足で飛び跳ねるように駆けた。あっという間に追い越しては、振り返って、彼女が追い付いてくるのを待つ。


 どこに行くのかな。

 この森はとても広いのを私は知っている。


 だって私は森で目覚めてから、ずっと森にいて、森の気配に怯えたり、安心したり、自分が森になっちゃったんじゃないかってくらい、森そのものだった。

 あ、今は狼になってるんだけど。


 本当に目覚めたときは、自分がなんだったのかわからなかった。

 ずっと前は確かに人間だった記憶はあるのに。赤ずきんと同じではないけど、ちゃんと女の子だった。黒髪で、もっと肌の色は薄い橙色って感じだったし、美少女でもなかったけど、少女だった。

 その過去があったという記憶だけがあって、他はよく覚えてない。


 広々とした床一面に描かれていた私の記憶の上から、森の色のインクがバシャーってぶちまけられ、すべてを塗り替えられているまっただなか。


 けど丁寧に端っこから塗りつぶすのではなく、バケツでもひっくり返したみたいに、乱暴に大雑把に大量のインクで塗り替えてるから、塗り残しがわりとあって、それが過去の記憶だ。つながらない絵の切れ端みたいな過去の記憶がポツポツと残っている。もう意味はわからない。かつてあったということだけはわかる。


 だから新しい森の記憶の方が鮮明だった。


 そういえば、この森にはとてもきれいな泉がある。あそこを目指してるのなら教えてあげたい。でもここからではとても遠くて深いから、赤ずきんのような少女が行くには難しいかも。


 森にはあまり人がいない。森の外に近い浅いところになら人も入ってこれるけど、奥には人は入ってこない。足を踏み入れたくても無理だろうな。もさもさしてるから。


 私が捕まった網の罠は、森の浅いところにあった。あのあたりは人が踏み入ったあとがちょこちょことある。

 赤ずきんは人が踏み歩いて作った道とも呼べない、狩人の足跡をたどっているみたいだった。

 切りひらかれ足で踏まれた植物の匂い、踏みしめられた土肌、ほんのりと人の匂いが残っている小径。


 なるほど、人間の赤ずきんには所々見えなくなってるこの道を案内してあげれば恩返しできるってこと?


 狼の鼻にはそれがどこにつながってるのかわかって、私は赤ずきんを案内できることに気が付き嬉しくなった。



「わんわん(道案内してあげるよ)」

「――――」


 なんか褒められた気がする。嬉しいと思うより先に、しっぽがブンブン振れた。正直者でお恥ずかしい。

 

 しばらくいくと、少し開けた場所にでた。高い木々の合間でそこだけ空が見える。夕暮れの色をしていた。

 途切れ途切れに円を描くように、倒木が数本ずつ組まれていて、その中央には古い火の始末の後があった。狩人の野営地だろうか。雨が降らなかったら、風よけになるし、倒木に寄りかかれていいのかもしれない。

 私の後からやってきた赤ずきんはちょっとほっとした顔をしていた。そして組まれた倒木を丁寧に見て回る。


 何探してるの? 何かあるの?

 ソワソワして回りをウロウロしていると、赤ずきんに頭を撫でられる。


「――――」


 わーい、嬉しい。

 しっぽが激しい。


 倒木の一本に彼女は何か見つけたようだった。ナイフで刻まれた記号のような文字のようなものが何を意味してるのか、私にはわからなかったけれど、彼女は安心したようにうなずいていた。持っていた荷物をどさりとおろした。

 今日はここで野宿をするつもりみたい。赤ずきんは薪を拾い始める。


 え? こんな美少女が外で大丈夫?

 季節的に今はいつだろう。寒くはないけど、暑いという感じでもない。夜は普通に冷えそう。

 私は毛皮がモフっとしてるから大丈夫だけど夜とか寒くない? 


 勝手に心配してる私をよそに、美少女は手慣れてるみたいで、集めてきた木々をまとめ、さくっと倒木で囲んだ中央に焚き火をおこしている。 

 枯れ葉を集めて荷物の中から布とか出して地面に敷いたり。本格的に野営の準備してるし。

 大判の布をぶわりとひろげ、横たわった倒木の高い枝にひっかけると、テントみたいになった。倒木と、高枝と、枯れ葉を敷き詰めた地面のテント。すごく狭そうだけど、子供が一人寝るだけならちょうどよさそうな隙間かな。

 赤ずきんは、小学生か中学生くらい? ……中学生、ってなんだっけ、まあいいや。まだ大人か子供か迷うような年頃ではなく、あきらかに子供寄りだから、このくらいのテントでも大丈夫そうだよね。


 てきぱきと野営の準備をすすめる赤ずきんは見た目通りの美少女じゃなさそう。それともここでは子供でもこういうことを知らないと生きていけないのかな。狼でよかった。


 でも衣食住整えても、外敵への備えは?

 そりゃあ、街中と違って人はいないけど、熊とかいるんですけど、この森。

 火を焚いているから動物はあまり寄ってこないとは思うけれど、心配だな。

 この近くにはいないと思うんだけれど……。


 気配を探るとずっと森の奥にいるようだった。本当にずっとずっと奥の方で、今夜中に襲われるような距離ではなかった。一安心。

 熊よりも小さな生き物たち、狼は寄ってこないから大丈夫として。鹿とか狐とかの森の生き物たちは、人間の気配にすごく敏感で、すでに赤ずきんから逃げるように離れている。


 あれ、待って?


 首筋をゾゾゾと騒がす気配を感じて、私は森の奥に向けていた気を、もっと自分たちの後方へと向けた。

 森の浅いところ、赤ずきんと出会ったあたりで、人間の気配がしている。なんで。一人、二人、三人もいる。

 まだ少し遠いけれど狩人の小径をたどってきたら、夜が更けてこの焚き火は目印になってしまうかもしれない。人間の視力ではどうだろうか。私だったら、火の匂いと明るさが気になって見に来てしまう距離だけど。

 もう日も暮れてきてるし危ないよね。

 彼らが無関係な狩人とかであれば、暗い夜の森を彷徨ったりせず、あっちはあっちで野営するはずだ。常識的に考えたら、そうなる。

 でも確証もないのに嫌な感じがしている。

 あまり人の入らない森へ、とても近い距離に2組も人が集まっているとか、ちょっと不自然な気もする。

 なにせ、ここにいるのが不自然な美少女だしね。訳ありだよね。


 もしかして、赤ずきんの知り合いとか、待ち合わせとかの可能性もあるのかな。


「くぅん(ねぇねぇ)」

 

 あ、不便。人の言葉は喋れないんだった。

 思わず鼻が鳴るが、一ミリも意思は伝わらず。当たり前。


 私の鳴き声に、赤ずきんは持っていた保存食をナイフでこそいでくれた。わお、干し肉だ。

 おねだりしたと思われちゃった。

 でも、久しぶりの人間メシををありがたくいただく。保存食だけあってちょっとしょっぱかったけど、干してあるせいか旨味が凝縮されていて美味しかった。


 私はこの森で目覚めてから今まで、泉の水を飲み、草木になった木の実しか食べてなかった。どれも美味しかったしお腹いっぱい食べられたけど、食事という感じじゃなかったからすごく新鮮な気分。文明の味を堪能してしまった。


 赤ずきんは焚き火に携帯用の鍋を置いて、少しの湯を沸かしている。それにもこそいだ肉を入れて、スープの具と出汁にしていた。彼女はあまり大きな鞄は持っていないみたいだけど、水筒がわりの瓶とか干した野菜とかナイフとかいろいろ出てくる。魔法の鞄かな。みてるとパンも出てきて、やっぱりナイフで切って、一つを木製のカップの上に置くと、もうひとかけらを私に向かって投げてくれた。


 口でくわえてキャッチするとそのままガフガフと咀嚼する。乙女の前でお行儀悪いかもだけど、今は狼の流儀で失礼します。少し固めのパンは小麦の香りがして、お肉につづき人間の文化を堪能した。

 すごいな。ソロキャンにも慣れてるし、そもそも一人旅に慣れてるってこと? 外見は華奢な美少女なのに中身は存外たくましい。


 あっとそれよりも。あの3人はどうしよう放っておいて大丈夫かなぁ。けど今は赤ずきんに知らせる方法もないし、どうしようもなくない?

 焚き火を消したら、それはそれで動物たちが寄ってくるから危ないと思うし。まだ遠いからもっと近くになってから、判断しよう。


 赤ずきんは大きめの薪を何本か選んで火にくべると、早々にテントに潜り込んだ。どうやら就寝するつもりらしい。一人で旅をしてる以上、なんらかの対策とかとってるんだろうと思うんだけど、豪胆すぎない? 火の番とか、いろいろと心配になるけど、今の私は狼。


 私はすっとテントの中へ入り込むと赤ずきんの横に体をすり寄せて寝そべる。動物の方が体温高いから暖房のかわりになると思うんだ。一食のお礼に一晩の湯たんぽになってしんぜよう。

 驚いた顔をしていた赤ずきんだったが、柔らかな瞳を向けて何か言った。私の鼻ずらを赤ずきんが優しく撫でてくる。おもわずグルルと喉が鳴った。

 くっついて寝るとあったかいね。

 野生の狼として、もし近づいてくるものがあったら、私が先に起きて知らせてあげよう。


 人よりも気配に鋭敏になっているし、きっと嫌でも目覚めると思っていた。本当に。嘘じゃなくて。

 でも私も疲れていたのだ。

 しょうがない。


 気が付けば朝日が上り、鳥の声が気持ち良い目覚まし代わりとなって、私は赤ずきんの隣で目を覚ました。


 目がさめたら真っ裸だった。

 なんで!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る