episode 4 馬鹿に馬鹿は馬鹿
数日後、わけあって遅くなった駅までの通学路、俺は独り重そうに歩く大柄な男の背中にはっとする。轟竜斗だ、間違いない。鳥海とはどうなっているのか、考えれば考えるほどいらぬ詮索に思えてくるものの、では言葉を交わしたことすらないから彼を無言で追い抜けるかというともったいない気がした。この動揺は気の迷いなのか赤信号でうっかり左に並んでしまい、ならばと横目で彼の表情をうかがってみる。
「――何?」
三秒も経たないうちに轟に見つかり、ひやっと悲鳴に似た声をもらす俺、負けてどうするんだ。
「いや、知った顔かなと思って」
本当は何でもないのだからと平静を装うと、彼は「そう……」と運動疲れの横顔でため息混じりに答えた。そしてとんでもないことを口にする。
「五野さんとできてんだろ?」
「はっ、何で?」
最後慌てて首を振る俺、あまりの間違い方に大声出しちゃったじゃないか。
「あ、あのな轟。それ女子が流した噂だって、いや違う」
「違うの?」
轟はすぐさま突きつけてくる。
「そうじゃなくていやそうなんだけど、違うんだって。噂自体が、伊津佳が俺を好きだっていう嘘なんだよ」
「下の名前で呼んでるけど」
はあ? 今時高校生なら普通だろそんなこと。どきんどくん心臓の鼓動が聞こえてきた、俺がこんな奴に屈するか。
「まあそれはいいや。俺をふった理由がそれかと思ってたけど、二人とも何とも思ってないのか」
「ったく――、思ってねえよ。当たり前だろ」
「どうして? 俺は告白するまで知らないこともあったけど、五野さんは女として魅力的だと思う」
うわあ、今別の女とつきあってる奴が口にする台詞かそれ。俺が思った通りのことを音にして返せば、轟は「それはそうだね」と笑うから意味が分からない。この話そのまま鳥海にしゃべろうか彼氏さんよ。信号はとっくに青だが俺は彼の前に立ち、背負ったリュックサックのずれを直して腕を組んだ。
「それよりさ、最近つきあってるはずの鳥海さんと一緒に帰ってないよな。そっちのほうはどうなんだ?」
轟は俺の問いに口の脇を引きつらせ、硬い鞄で俺を押しのけ一通道路を突っ切っていく。痛いじゃないか。だがつまりはそのことで苦しんでいる証拠、こいつは恋愛下手なくせに五野伊津佳も鳥海ゆきも好きなんだ。あーあ、野球馬鹿が生意気な二股かよ、いや伊津佳には好かれてないからただの思い込みだな。俺だって男女交際せずにここまで来て本当は偉そうなこと、いや小一の時の祥子はつきあったうちに入らないぜ――ぎゃっ。
余計な思考に脳を使わせたまま轟を追う俺は暗い角に消えた彼が急停止したためよけきれず、広い背中に女の子かおまえはという軽さで飛び込んでしまう。ぐあ、何だよこれ。俺の両腕の痛みでさえさっきの鞄の比ではないわけだが、殺すぞ!とかふざけんな!とか怒りの声をあげることもなく、背中の汗ばんだ彼は前に倒れ込んだだけで元凶の俺を振り返らない。自分の汗を痛い左手の甲で拭う俺を無視して沈黙のまま姿勢を戻した彼は、どうやら俺がぶつかることまで想定していたようだ、鞄は歩道に置いてある。ではこれはどうだろう。小さめの背中がちくちくしていた俺は彼から二歩離れて道の後方を確認。待てよ、この態度はもしや覚悟の上? 上等じゃないか。俺は前を向き直しそうになって再び後ろを見、左手の親指で陰に隠れた男を教えた――あの女に。
「いる、の?」
無関係な俺が間に入っていることを訝しんでいるのか、すぐそばまで追いついた少女は不満げで不安そうな顔をわずかに傾ける。何なんだかと俺は一つ重い息を吐き、彼女をそれなりの力を込めてにらんでやった。どんなに貧弱でも男にはそういう暴力的な部分が必要だろう? それにしても俺は誰の味方なんだ、幼なじみの祥子だろうか。
「――ねえ、竜斗?」
刹那を伸ばせるだけ待って掛けた声に肩でびくりとする轟、覚悟の上と思ったら気がついてなかったのか、自ら選んだナンバーツーが後ろにいることまでは。彼は怯えた顔をやっとこちらに向け、恋人の存在を認めてこの場の暗然以上に表情が沈んでいる。
「ゆきちゃん……」
そう呼んでいたのか。
「今日ずっと見てたんだよ、竜斗のこと。こんなあたしでもさ、ねえ、変えろって言われればあたし変われるよ? 髪戻すし、スカートだって長くする」
実際のセンスはともかく青文字系より赤文字系ってやつだな。鳥海の必死な訴えを聞いて思わず目を向けると、どうしたのかすでに普通のミニ程度のスカートになっている。まだ伊津佳より長いが、変身後の基準はあいつで間違いなかった。それを――鳥海が自分の心のうちを理解していることを、誰より鈍感なこの男は今やっと知ったのだろう。つながらない彼女は頬をこわばらせて不自然に近づき、度胸なしの震える右手をつかんで「馬鹿だ」と言った。
車の音で聞こえない俺にも口の動きで分かった。野球馬鹿に「馬鹿」はやめとけ、そう思うが早いか轟は空いた手で鳥海の落ちた鞄を拾い、逃げがちだった視線を恋人に合わせる。
「何も、こんな馬鹿のためにゆきちゃんが変えることない。ゆきちゃんはゆきちゃんで」
「違う。あたしは自分に『馬鹿だ』って言ったの!」
上目遣いの光を震わせ頭をくり返し振り回す鳥海、闇のせいかそのうるむ瞳がずいぶん澄んでいるように見えた。もしかして泣いてる? 轟は返す言葉を失い、図らずも見届ける形となった俺はまだここにいていいのか、自分から関わっておきながら盛大に気にしだしていた。二人は見つめ合っており、こういう時結果にかまわず第三者は邪魔。俺にできることは何もない。
ところが、事態は簡単には好転しなかった。緊張が耐えられる限界を超えたのだろう、鳥海が大柄な轟を突き飛ばして逃げたのだ。彼女は心の傷みをんえっともらし、自分の鞄を奪って驚く俺の「鳥海さん!」を切り裂いた。
孤独な逃避行、終点は地獄。決まってる。
うわあっ。恋する少女はぎりぎり鞄をぶつけて停まった乗用車のヘッドライトを浴びていた。しかしすぐに倒れていた身体を起こし、制服の汚れをはたきもせず駆けていく。野球少年はそのナンバーツーを
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