episode 2 最初からナンバーツー
前回の顛末はともかく、轟は伊津佳から初めて門前払いされた――まあ指示された場所にあいつも行ったのだから〝門前払い〟ではないのか――男となり、それを知って以降授かった「名誉」を〝返上〟するために頑張っている。何を頑張ってるかって? それは自分をふった五野伊津佳ではない別の女とつきあおうとすることで、正直俺は彼がやけでおかしくなったと思った。
ところが轟が選んだ最初からナンバーツーの生徒は、漆黒の髪が似合うつんとした伊津佳とは正反対の軽くて茶髪超ミニの若干古い九組派手女子、そんな子が凡才野球少年のあか抜けない彼と何故かうまくいってしまった。大切な恋の部分に嘘をつかれているだろうとは祥子が「最高傑作だ!」と騒ぐ前から分かっていたが、気づかないあの女の子――名前は
今日も鳥海は轟に引き連れられて登校、さっそく我が二年七組前の廊下で伊津佳と出くわした。ひやり不穏な風を感じた俺は三人の様子を遠目で観察していたが、祥子に教科書で頭をたたかれて何すんだよと返しているうちに奴らは散会していた。
ああもったいない。普段通りの気高さで教室に入ってきた伊津佳を自席から目で追っていると、祥子に今度は背中をつつかれぎゃふんとなる――こいつは初回の席替えで俺の真後ろを自分から選びやがった。
「いってえな!」
痛みと怒りで振り返る俺。怪力女、と定規を手にした祥子に食いつきかけてやめたのは、怪力ではないなと思っただけでなく視界に伊津佳が侵入してきたから。いつの間に。彼女は幽霊よろしく俺たちの後ろをすべるように抜け掃き出し窓からベランダへ。凍りつかされた俺と一緒に祥子も固まっている、いやこいつのほうが「幽霊」に近かったっけ。相手が雪女なら本当に凍っていたところだが、先に呪縛から脱した俺は祥子の額をたたいて立ち上がり、消えた「雪女」を捜した。
あいつは掃き出し窓から離れ白いベランダ西側の八組寄りにおり、しかし轟がいる二年八組などではなく南東の空を見上げている。俺がベランダに出ると、あいつは俺の一番の仲良し
「――何の用?」
伊津佳はその刹那で再び外を向き、いかにも邪魔だ迷惑だここを支配するのは自分だという横顔。俺はのこのこ出てきて失敗したと恥じるも負けるわけにはいかない。
「いやほら、えっと祥子が」
ごめん祥子。
「証拠? 何それ」
くっ。わざと間違え首をかしげた伊津佳は俺に敵意を込めた流し目を投げ、飾り気ない十六歳の薄い胸を興味あるのと張ってみせる。
「あのさ――、君。私前から思ってるんだけど、その目の前にいる妖艶な娘が自分の欲情の餌食にならないのが不思議だとばかりに悔しがるの、いいかげんやめてくれない?」
はあ? あんまりな言い草に口を閉じられない俺の前からいなくなり、次に見た時には暗い教室に溶けゆく小さな背中。待てよ、はもう声にならない。てか別の意味で〝待てよ〟。それはいうならこっちの台詞だろう。ほぼ月一で告白と破局をくり返しながら本命は振り向かない俺だと祥子他数名の女子から度々言われてきた。実態は誰かのいたずらで本人の五野伊津佳嬢は関与していないのか、彼女が自分で嘘の痛い女情報を吹聴して回った? それともまさかおかしな恋心が真実で俺を忌み嫌う今の発言は嘘なのだろうか、そんな馬鹿な。指摘された蛮行に及んだことは断じてないが、俺は祥子たちの話を信じてもいない。どうせあの調子だと彼女自ら正答を発表してくれることはない、か。まったく、自分に「妖艶」なんて言葉を笑わずに口にする女がこの軟弱進学校にいるとは思わなかった。
でも――、予鈴に促され教室に戻りかけていた俺はあれ?と足を止める。伊津佳が今俺に強烈な嘘を見舞った理由は何だろう。
俺は不思議に感じても悔しがってもいないわけで、そもそも恋愛感情が皆無。あいつは祥子たちの下手な噂を知っただけでそれを逆の矢印にして俺に返したのだろうか。嫌だからというより面白がって? 直前に「祥子」をイントネーションの違う「証拠」と間違えたのも恋ではなく〝故意〟だから、あの真顔でおどけていた。つまり交際を迫られた時に限らずいつもいっつもふざけてるんだな、俺こそが餌食になっていたのかもしれない。だってあいつなんかの胸のふくらみを意識したんだから。あーあ、俺だって歳が上がれば上がるだけ下品と蔑まれていく哀れな男の一員だよ。
残念な気分で二年七組という一年間の箱に吸い込まれる俺を待っていたのは当然ながら伊津佳ではなく、よくつるんでいる浦田と祥子だった。ほら、今のあいつがお気入りの〝アンニュイ〟だったぜ? 若干十六歳だぜ? 彼にはそう言ってやりたかったが非常識な台詞は出ず、「おまえが心底思いつめた顔で朝っぱらからベランダ真っ逆さまって祥子が泣くから焦っちまったじゃねえか!」とその前から怒っている彼と笑う幼なじみの間を無言突破する。教室を出てもベランダがあるから真っ逆さまではないし彼女もこの通り、誰もかれも嘘つきじゃないか。俺はそれでも一度伊津佳の横顔に目をやってしまい、自分にも他人にも肩でため息をついた。
三時間目が終わった廊下で俺は鳥海を見掛け、思わず轟を探している自分に気がついて余計憂鬱になる。あの二人が一緒にいて何になるというのだ、伊津佳のためにも俺のぬか喜びすらにもならないただの――、ただの何? 俺は何がしたいんだ、分からなくなってきた。今朝の一言で頭がおかしくなったのだろうか。そうやってきっと身勝手な衝撃にうなだれているだけだろう俺も、聞き覚えのない「どいて!」という女声に顔を上げる。
うわっ。そこには自称「妖艶」な美少女がおり、俺が一瞬で飛びのいたのはいうまでもない。今の声、やけに高くてこいつではなかっただろ。本気で怖いのか変な汗まで出てきたじゃないか。
「ありえない」
消えるように後ろへと去った伊津佳を振り返り、俺は意味なく首を横に振った。次に現れたのは先ほど見た鳥海で、「何あの女」とつばでも吐きかねない魔女顏をするではないか。彼女とつきあい始めた轟は不器用なままであり、もしやそれを彼女は誰か自分以外の女のせいとでも思っているのか――いや彼が伊津佳にふられたばかりだと気づいたか――朝は見逃した態度にどきりとする。俺を含む多数の生徒たちから注目を集めているのにふん、と平気な笑みを浮かべ、彼女は伊津佳が七組に入ってから自分の九組もしくは彼氏の所属する八組へと向かっていく。ちなみに身長は百五十五センチ程度の伊津佳より高く、スカート下端の差は――て俺そんなに欲求不満か? 馬鹿馬鹿しくなった俺はロッカーに英和辞典を投げ込み、ばんと音をたてて教室に帰った。
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