霊喰い怪太郎

おしく

霊喰い怪太郎

 食べ物の味がほとんどわからないことが、きっと一番辛かった。

 何を食べてもほとんど無味無臭で、お肉はゴムみたいでレタスやキャベツなんてちり紙でもくわえているみたいだった。

 大好きだった白米も、つぶつぶした発泡スチロールみたい。

 それでも食べなくちゃいけなかったから、スポンジの浮いた水道水みたいなお味噌汁をいつも流し込んでいた。

 生まれつき身体が弱くて、小学校を卒業する直前で、私は起き上がれなくなった。

 それからどんどん身体が衰弱していって、毎日毎日布団の中で顎を動かすだけの食事を続けていた。

 ああ、このまま死んじゃうんだなって思って、最初の一年は悲しかった。だけどその一年間も生きている実感なんてなくて、すべて放り出すように諦めた。諦めるしかないくらい、私の身体は弱りきっていた。

 だけど倒れてから二年目のある日、おじいちゃんがおにぎりを握ってくれた。

 そんなのいらない。どうせ発泡スチロールの塊なんだ。

 そう思って拒もうとしたけど、何かを祈るようなおじいちゃんの目を見ると無碍には出来なかった。

 じゃあ、流し込んじゃおう。

 そう思ってお水を用意してもらって、おにぎりを口にした。

 その瞬間、身体が打ち震えるような衝撃を錯覚したのを今でもよく覚えている。

 柔らかいお米が口の中で潰れて、じんわりと甘みが広がっていく。ほんのりと塩の味がして、私は夢中でおにぎりを食べた。

 味付け海苔の醤油の匂いが香ばしい。梅干しの酸味がお米の甘みと手を取り合った。

 気がつけば私は大粒の涙を流しながら夢中でおにぎりを食べていた。

 おじいちゃんはどこかホッとしたような面持ちで、そんな私をジッと見ていた。

 それから毎日おじいちゃんはおにぎりを握ってくれた。

 最初の数日は、もしかすると今日は味がしなくなっちゃうんじゃないかって怖がっていたけど、おじいちゃんのおにぎりはいつだっておいしかった。

 他の食べ物は相変わらず味がしなかったけど、おじいちゃんのおにぎりだけは違った。

 それから一年経って、身体を起こせるようになる頃には、他の食べ物の味もわかるようになってきた。

 それでもおじいちゃんのおにぎりは毎日食べた。おじいちゃんのおにぎりよりおいしいものなんてないと思ってたし、今でもそう思う。

 私は今までのことが嘘のように回復していって、三年目には立ち上がれるようになった。

 だけど、それに反比例するようにおじいちゃんはやつれていって…………

 ある日突然、おじいちゃんは天寿を全うした。



***



 歩けば誰もが振り返る!

 この世の景色はすべて私のためにあつらえたかのようで、何をしたって様になる。

 なびく黒髪の後を追うように一人、また一人と私の後ろ姿に視線を投げかける。老若男女誰でもそうだ。古式ゆかしささえある学校指定の紺のセーラー服も、私が着れば今年の流行ファッションにさえなり得る。

 成長期の男子も見下ろすモデル並の身長に、わずか十六歳とは思えない大人顔負けのプロポーション。顔? 良いに決まってるでしょ。毎日鏡見て人形かと思ってるわ。

 今日は放課後までの間に五枚分のラブレターのお断りをしなければならない。差出人の名前がない二枚はどうしようもないから三枚分ね。

 正に人生の全盛期。少しでも都会を歩けば駅を出てすぐスカウトが集まることでしょう。私が再びタレントとして返り咲くのも決して夢ではない。半ば確定した未来だ。

「あの……姫香(ひめか)様……」

 学校の廊下を歩く私の前に、一人の女子生徒がおずおずと姿を現す。

 様付けと敬語は恥ずかしいからやめてほしい、とは一応言っているのだけど様付けをする生徒は女子を中心に多い。悪い気はしないけど最初の一ヶ月は呼ばれる度に通りがかった教師が何事かと振り返っていた。

「あら小柳さん。おはよう。何かしら?」

「お、おはようございます! その、私……今朝から調子が悪くて……その……”視”てもらえませんか?」

「何かあったの?」

 私が問うと、小柳さんは後ろめたそうに目をそむけた後、意を決したように口を開く。

「……昨夜、友達と心霊スポットにいって……動画撮影を……」

 私のところに来た時点で、大方そんなところだろうとは思っていた。少し集中して目を凝らすと、小柳さんの肩の周りには黒いモヤのようなものが覆うようにして乗っかっていた。

 これは、霊障だ。

 霊に関わったり、近づいたりすると時折起こる現象で、直接呪われているわけではない。しかしそれでも、放っておけばどんどん悪化する。霊障は次の霊障を引き寄せ、更に増えていく。

「なるべくはやくお祓いしてもらった方がいいわ。早坂神社なら間違いないから、出来れば今からでも行ってほしいわね。ちなみにどこに行ったの?」

「……真咲町の廃校です」

 よりにもよってあそこか。と、思わずため息をつきそうになったのを飲み込む。

「あそこは本物だから、今後絶対に近寄っては駄目よ。実際に事故だって起きた場所だから、今回はそれですんで運が良かったと思った方がいいわ」

「すみません……」

「お祓いには、一緒に行った友達も必ず連れて行ってね」

「そうします。ありがとうございます!」

 そこでくらりと。

 目眩がしたのをどうにかこらえて笑顔を作る。

 小柳さんが立ち去ったのを確認し、私はどうにか歩を進めて教室へ向かう。

 ドアを開けると、すぐに注目を集めてしまった。

 そう、私は誰もが見惚れる絶世の美女。

 生まれついての霊能者で、小学生の頃はその才能を買われてマルチタレントをやっていたことさえある。

 あれから数年、成長した私は当時を遥かに上回る程の美貌を手に入れた。

 動画配信でもテレビでも、女優だろうと声優だろうと歌手だろうとなんだって出来るハズ。

「おはよう姫香ちゃん」

 自分の席に座ると、友人の美沙が笑顔で声をかけてくる。

 それに答えようとして、私はついに限界を迎えた。

「おはっ……」

 再び襲いかかる目眩に惨敗し、机に突っ伏す私に、教室中がざわめいた。

「姫香ちゃん!?」

 そう、私は誰もが注目する美少女。将来を約束されているハズの元大人気マルチタレント。

 ただ……

 身体さえ……身体さえ弱くなければーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!



***



 私、大月姫香(おおつきひめか)は昔から身体が弱く病気がちだった。それでも普通に生活出来るくらいの体力はあったのだけど、小学校を卒業する直前、私はついに立っていられなくなるほどに衰弱した。

 そのせいで芸能界は当然引退、中学はほとんどまともに通っておらず、回復後に家庭教師をつけてもらってようやく追いついてこの朝宮高校に入学することが出来た。

 回復してからしばらくはそれなりに元気だったのだけど、最近は正直毎日通学するのがやっとで、家政婦の新庄さんに車で送ってもらわなければ学校にたどり着けない。その上、家に帰ると夕飯も食べられずに疲れ果てて眠ることも珍しくなかった。意識があっても、大抵は横になったまま時間が過ぎる。

 この辺りのことは、あまり人には話さないようにしている。詳しい話は担任と美沙にだけ。クラスメイトは、なんとなく私の身体が弱いのを知っているくらいだ。

「本当に大丈夫? 保健室で休んでおいた方がいいんじゃない?」

 隣の美沙に心配され、私はかぶりを振る。

「ちょっと霊視をしただけよ、今日の授業くらいは問題ないわ」

「無理しちゃ駄目だよ」

 美沙は、愛らしいくりっとした目で少し心配そうに私を見つめる。

 美しい私とは少し種類の違う、かわいい、に分類されるのが美沙だ。小柄で、身長も私より頭一つ分程小さい。紺のセーラーにおさげでメガネという野暮ったいコーディネートでも明るい輝きを放つのがこの飯島美沙(いいじまみさ)だ。

「心配しないで美沙。これは私の使命なのよ……止めないで」

 そう、これは視える私にしか出来ない使命なのだ。

 視える者として、視えない人達を導くのは私の使命。だから一日でも早く配信でもテレビでもいいから表舞台に戻らなければならない。世界が私を待っているのだから……。

「悦に入ってる……。あんまり寿命縮めちゃ駄目だよ。自分の身体を大事にして」

「ありがとう、気をつけるわ」

 そうは言いつつも、正直長生き出来るとは思っていない。

 今こうして高校に通っていること自体奇跡に近いのだ。突然死神が現れて、本来なら一年前に死んでいるハズだったと言われても、あまり驚かない。

 それなら出来る限り、見える範囲だけでも霊の被害は減らしたい。

 霊視で人を導くスピリチュアルな正義の大人気美少女。それが私の理想なのだ。

 撮影や編集は外注にしてどうにか配信を始めるべきなのかも知れない。そんな余計なお金は治療費やら何やらで消えているのだけど。

 そんなことを考えていると、チャイムが鳴り響く。

 担任の田島先生が入ってくるものだと思い込んでいたが、勢いよくドアを開けて入ってきたのは全然知らない男子だった。

「……?」

 制服はうちの指定と同じ学ランだけど、色が違う。うちは黒だが、彼が着ているのは濃い青の学ランだ。

 前のボタンを留めておらず、真っ赤なTシャツが丸出し。無造作で寝癖っぽい黒髪で、ちょっとやんちゃそうな顔立ちをしている。なんというか……古めかしいうちの高校にぴったりな骨董品みたいな田舎少年だ。

「こら、先に入るな!」

 慌てて、少年の後を追って田島先生が入ってくる。

「すまん!」

 朗らかに謝りつつ、少年はチョークで黒板に名前を書き始める。

 書かれた名前は”化野怪太郎”だった。

 怪太郎……?

 まだキラキラしている方が飲み込みやすい。しわしわ謎ネームに、クラス中が困惑する。

「俺は化野怪太郎(あだしのかいたろう)! 好きなことは食うこと! 嫌いなことはあんまりない! 主食は悪霊だ!」

「……はぁ?」

 思わず眉を潜めて声を上げてしまう。

 こいつ今なんて言った?

「いつも腹ペコで困ってンだ! 悪霊のいるとこ知ってたら、俺に教えてくれよな!」

 堂々とそんなことをのたまう化野君に、クラス中が引き気味のリアクションを見せる。隣では美沙がなんとも言えない顔で苦笑いしていた。

「……こほん。化野怪太郎君だ。今日からこのクラスに編入するから、仲良くするように」

 気まずそうな田島先生がなんとか取り持とうとしたが、そこには妙な間があった。

 普段、なるべくマイナスの感情は表に出さないように意識している私だが、今回ばかりは顔をしかめた。

 悪霊が主食だなんて趣味の悪いジョークは、霊能者としては聞き流せない。

 霊というのは危険で、本来私達とは交わるべきでない存在だ。迂闊に関われば、少し近づいただけでも小柳さんのように霊障をもらうことになる。

 深入りすれば死ぬことだって決して珍しいことではない。

 幼少期の頃、心霊特集で本物の心霊スポットがロケ地に選ばれた時、関係者が不可解な事故で死亡した。撮影は当然打ち切られ、ネットでもあることないこと書かれて今でも調べれば当時のSNSの投稿が残っている。

 当時、私にははっきりと感じ取れていた。それが霊からの警告であったことが。

 ロケ地が決まった時点で何度も私は止めたのに、結局事故が起こるまで誰も真に受けてくれなかった。

 そして事故が起こって人が死んだ時、私は自分の使命を理解した。

 視える者は、視えぬ者を危険から遠ざけなければならないと。

 化野君にはしっかりと言って聞かせなければならない。

 霊、それも悪霊とは素人が迂闊に関わるものではないと。

 まして主食だなどともってのほかだ。体力があれば今すぐ駆け寄って怒鳴りつけたいくらいである。

 結局化野君の悪質なジョーク(だと私は断言する)には誰も取り合わず、彼は予め用意されていた私の後ろの席へ座るよう促される。

「よろしくな!」

「……よろしくね」

 後ろから声をかける化野君に、美沙と一緒に答えつつも、私は険しいままの表情を崩せずにいた。

 あまりよろしくしたくはないけど、この位置に来てくれるのは助かる。

 ……だって私、教室の反対側まで歩くと思いの外疲れる時あるから……。あっち日差し強いし……。



***



 一限目の数学の授業は滞りなく終わり、休憩時間がやってくる。

 早速物申すために振り返ると、化野君の方から話しかけてきた。

「お前何か知らないか? 悪霊のいるところ」

 よく通る声で化野君がそう言った途端、教室がわずかにざわつく。

 目を丸くして驚く美沙を尻目に、私は小さく息をついて話し始める。

「仮に知っていたとしても、あなたに教えるわけにはいかないわ」

「なんだよお前~意地悪い奴か?」

 冗談っぽい口ぶりだったが、言葉には少しカチンと来る。それを軽い怒りを飲み下しつつ、私はなるべく諭すような口調を心がけた。

「そういうわけじゃないわ。いい? 霊は危ないのよ。迂闊に関わってはいけないのよ」

 憤りを見せぬようやんわりと、それでいて馬鹿にしているような調子にならぬように意識して話す。

「わかる。でも俺、喰わねえと死ぬんだよ」

 平然とのたまう化野君に、耐えきれずに私は顔をしかめる。

 なんなんだこいつは。

 ただの霊能者ごっこならまだしも、言うに事欠いて霊を食べるだなんてのたまうのは許しがたい。大体、こいつは霊を何だと思っているのだろう。

 ていうかいきなり”お前”呼ばわりって超失礼じゃない?

「よし、他の奴に聞いてみるよ。なんかごめんな」

 私の表情から苛立ちを察したのか、化野君は少し申し訳なさそうにそう言ってから席を立つ。

 呼び止めて改めて説得しようかと思ったけど、気持ちをすぐには落ち着けられそうにない。怒鳴ったり、語気を荒らげるようなことはしたくなかったので、ひとまずそのまま行かせた。



 化野君は、そのあとも休憩時間の度に情報収集? を行っていた。

 なんとか悪霊のいる場所を聞き出そうと手当たり次第に声をかけており、段々煙たがられるようになっているのが見ていてわかる。

 そんなこんなで四限目の授業が終わり、昼食の時間になる。

 クラスの子達は教室を離れて中庭で食べたり、食堂に行く子が多いけど、私は美沙と一緒に教室で弁当を食べている。

 二人の机をくっつけて、向かい合うようにして弁当を広げていると、そこにもう一つの机が元気に突っ込んできた。

「一緒に食おうぜーーーーーーーー!」

 化野怪太郎である。

 化野君のその行為に、私や美沙よりも先にクラスメイトがギョッとした。

 無遠慮だなとは思ったけど、改めて話をするべきだとは思う。

「いいわよ」

 私がそう答えると、周囲が今朝よりも派手にざわつく。

 既に化野君の女子からの評判はあまりよろしくなく、悲鳴じみた声まで聞こえてくる始末だ。

「いい? 美沙」

「いいけど……いいの? 姫香ちゃんは」

「ちゃんと話しておかないといけないことがあるのよ」

 そのまま、ニコニコしている化野君と、少し戸惑っている美沙と一緒に三つの机を囲んで昼食が始まった。

 そして次の瞬間、昼食時にそぐわない重い音がした。

 それはもう、どん! である。

 ごん! かも知れない。

 兎にも角にも、化野君の机の上に置かれた弁当箱は、そういう音がする類のものだった。

 それは三段分積み上げられた重箱だった。

 おせちでも食べる気かと思ったが一段目の中身はとんかつや唐揚げなどの揚げ物のおかずがぎっしりと詰まっており、二段目はポテトサラダやパスタ、ブロッコリー等が詰め込まれている。極めつけは三段目、所狭しと白米がみっちりと詰められている。こいつの重箱に隅はない。隅々までご馳走が詰まっているからだ。

 対する私は食が極細なので、幼児向けサイズの弁当箱である。美沙は普通の弁当箱だが、女子の普通サイズだ。私と美沙の弁当を合わせて比べても、化野君の弁当の量は五倍か六倍くらいはあるだろう。

 あまりジロジロ見るのも悪いので、私はすぐに自分の弁当に視線を落としたが、化野君はジッと私の方を見てきた。

「お前…………足りないだろ……それ……」

 なんでそんなカルチャーショックみたいな顔されなきゃなんないのよ。

「化野君は沢山食べるのね」

 あまり嫌味っぽくならないように言うと、化野君は自慢げにうなずいた。

「ああ! 食ってる時が一番生きてる感じするからな!」

 正直に言うと、そんな風に食べられるのが羨ましい。

 私だって別に、好きで極細食生活をしているわけじゃないのだ。

 最高にモデル体型なのはいいけど、自分の身体を見ていると内蔵が入っているのかどうか不安になる。本当は最初からいくつか足りなかったんじゃないかって。

「……よし! 俺のちょっとやるよ! とんかつの端っこやる。ここ一番うめェんだぞ~!」

「ご、ごめんなさい。脂身はちょっと……」

 惹かれるものはあったが、脂っこいものは食べられない。消化する力だって弱いのだから。

「じゃあうちの庭で採れたトマトならいいか? 甘ェぞ~~~!」

 欲しい。

 本当は欲しいけど……。

「ごめんね。姫香ちゃん、身体が弱いから家で全部管理されてるの」

 どう断ろうかと考えていると、横から美沙が助け舟を出す。

「えっ……そうなのか……? ごめんな……無理強いするつもりはなかったんだ……」

 細かいことは気にしなさそうに見えたが、化野君は思いの外申し訳無さそうに頭を下げた。

「……謝ることじゃないわ。善意でしょ。気を使ってくれてありがとう」

 素直にそう伝えると、化野君はパッと表情を明るくさせる。

「お前、良い奴だな。さっきは意地悪な奴とか言って悪かった」

 思いもよらない謝罪に、思わず私は目を丸くする。

「え? いや、私もちょっと言い方が冷たかったかも知れないわ。ごめんなさい」

 お互いに謝ると、なんだか胸がすっとした。

 変な奴なのは変わりないけど、全然悪い奴じゃないみたい。

 だからこそ、危ない目には遭ってほしくない。

 そう思って話を切り出そうとすると、化野君の方から切り出してきた。

「そういえばさっき他の奴から聞いたぞ。お前、霊が視えるんだな」

 そこに、責めるようなニュアンスはなかった。

 ただ純粋に、化野君は聞いてきたことをそのまま口にしているように感じる。

「……そうよ。そのことなんだけど、やっぱりダメよ。霊と関わったりしちゃ。どうして食べるなんて言うの?」

 悪趣味なジョークにしか思えないが、頭ごなしに否定だけしても埒が明かない。理由があるなら聞いておこうと思ってそう問うてみる。

「喰わねえと死ぬからな、俺」

「それってどういう……」

 言いかけて、くらり。視界が数度暗転する。

 力が抜けてふらりと椅子から倒れ落ちる身体を、自分で止められない。

「おい! 大丈夫か!?」

「姫香ちゃん!?」

 化野君と美沙ちゃんの声を最後に聞いて、私は意識を手放した。



***



 目眩で不意に意識を失ったのは、いつ以来だろうか。

 高校に入学してからは、目眩は頻繁にあっても意識を失う程酷かったことはなかった。

 目を覚ますとそこは保健室で、スマホで時間を確認すると既に放課後になっている。

 スマホには、学校から連絡を受けた家政婦が私を迎えに来るという旨の連絡と、目が覚めたら連絡してほしいという美沙からのメッセージが入っていた。

 小さくため息をついて、私は寝返りをうつ。

 いつまでこんな風に弱い身体で生きなければならないのだろう。

 ロクに弁当を食べてないせいで、胃がしめつけられるような感覚を伴って空腹を訴えている。

 ここから直帰出来るように、荷物はベッドのそばに運び込まれている。今のうちに食べてしまおうと思って身体を起こしたが、思ったよりも力が入らなくて苦労した。

 そんな自分に辟易していると、勢いよくドアの開く音がする。

 よく通る声が養護教諭となにやら話す声が聞こえる。程なくして、カーテンが開かれて化野怪太郎が現れた。

「化野君……」

 正直心細かった私は、彼を見て少し安堵した。

 やれ姫香様だのなんだのと言われていても、実際にこうしてお見舞いに来てくれる人はあまり多くない。

「大丈夫か? 飯食ってないだろ」

 言いつつ、化野君は重箱みたいな弁当を取り出してベッドの上に置いて見せる。

 意図がわからず私が首をかしげていると、彼は屈託のない笑みを浮かべながら重箱の蓋を開ける。

「一緒に残り食おうぜ。俺、ちょっと残しといた」

 見れば、重箱の中身はきれいに半分だけ残されていた。

「飯は一人で食べると気持ち的に損するだろ。一緒に食って一緒に得しよう」

 彼のそんな言葉を聞くと、思わずくすりと笑みがこぼれてしまう。

 少し参っていたくらいだったのに、化野君が来てから気持ちに光が差した。

「……ありがとう。一緒に食べましょう」

「おう!」

 化野君と一緒に食べる時間は、思ったよりも心地が良かった。

 彼は食べるスピード自体は早かったけれど、決して行儀は悪くない。丁寧に隅々まで食べるその姿には、ある種の美しささえ感じられる。

 お互いに黙ったまま、穏やかな時間が過ぎていく。

 そうして過ごす内に、化野君の言葉の意味が改めて胸に落ちてくる。なるほどこの時間のことを思えば、食事は誰かと一緒にする方が得だろう。

 分量には倍以上の差があったが、食べ終わるのはほとんど同時だった。

「……お前、病気なのか?」

 食べ終わってすぐ、化野君は神妙な面持ちで問うてくる。

 だけど私は、その問いに対するはっきりとした答えを持っていなかった。

「……わからないの」

 そう答えた私に、化野君は驚かなかった。ただ続きを促すように、私を見つめて黙っていた。

「生まれつき身体が弱くて……でも、小学生の時は元気だったのよ? 普通の美少女だったわ」

「今自分で美少女って言ったか?」

「だけど四年生くらいの時から病気がちになって……六年に上がる頃には半分も学校に行けなくなってた」

 六年生の時、みんなが行っていた修学旅行に参加出来なくて泣いたのを今でもよく覚えている。この頃にはもう、断りすぎて仕事もほとんど来なくなっていた。

「中学校には一度も行けなかったわ。その頃にはもう、起き上がれないくらい弱ってたから」

「医者はなんて言ってたんだ?」

「……わからない、って。医学的にはどこにも異常がなくて、身体が弱い理由もわからないって言われたわ」

 いつの間にか、私の言葉は自嘲めいていた。

 これだけ日常生活に不自由しているのに、医学的には問題がないだなんて言われたらどうしようもない。あまりの理不尽さに、今は怒る気力も湧いてこない。だって、気力なんてほとんどないんだから。 化野君は、しばらく黙り込んでいた。

 今にも唸りだしそうなくらい険しい表情で私を見つめて、やがてこう言った。

「お前、このままだと死ぬぞ。最悪明日には死ぬ」

 彼がそう口にした瞬間、胸の奥が冷たくなった。

 そのまま凍りつくように、さっと頭は冷えていく。

 ああ、こいつが死神か。

「随分ハッキリと言うのね」

「ああ、知ってるからな。お前の症状」

「え……?」

 思いもよらない言葉に、私は間の抜けた声を漏らしてしまう。

「病気って言っていいのかわかんねーけど、お前みたいな状態の奴は、少なくとも俺ン家では魂魄こんぱく欠乏症って呼んでる」

「魂魄欠乏症……? 初めて聞いたわよそんなの」

 私だって、自分で調べなかったわけじゃない。

 医者の話を聞きながら何度も調べて、本だって何冊も読んだ。

 その中に、魂魄欠乏症だなんて病名は一度たりとも出てこなかった。

 出鱈目だ。

 そう思うのに、化野君の言葉には無視出来ない真剣味があった。

「人間は肉体の中に魂魄がある。俗に言う魂とか精神ってやつだ。心って言ってもいい。魂魄は、生きているとちょっとずつ減ってくんだ。そして尽きると死ぬ」

「じゃあ何? 私の魂魄は今まさに尽きようとしてるって言いたいの?」

 オカルトじみた言葉を聞いている内に、猜疑心が声音に貼り付く。

「ああ。人の魂魄の総量は、肉体の限界と同じくらいなんだ。だから寿命で死ぬってのは魂魄が尽きることなんだ」

 でも、と付け足して、化野君は語を継いだ。

「魂魄欠乏症の奴は、魂魄の消耗が極端に激しいんだ。だから、肉体より先に魂魄が尽きる……それも、すげえ早く尽きる。……この話は親父の受け売りだけどな」

 突飛な話だったが、腑に落ちなくはない。

 いや、どちらかというとそのまますがりたくなったのだ。

 生まれついての理不尽が、ただの理不尽ではない、と。

 なにか理由のある、名前のついたものだと、そう思ってしまいたかった。

 だけどこの手の手口で私を騙そうとした詐欺師もいなかったわけではない。

 化野君はそうは見えないけど、だからと言って鵜呑みにしてしまうわけにはいかない。

「正直、今まだ生きてるのが奇跡だと思うぞ」

 そう言いながら、化野君はバッグから小さな升を取り出した。

「それを両手で持ってみろ」

 言われるがままに差し出された升を手に取ると、升の中に数滴ほどの透明な水が升の底から湧き出てきた。

 驚いて升を取り落としてベッドにひっくり返してしまったけど、水滴がこぼれた様子はなかった。

 化野君は黙って升を拾い上げると、両手で持って私に中身を見せてくる。数滴程しかなかった先程とは違い、升の中には四分の一くらいの水が湧き出ていた。

「これは魂魄升。両手で持った奴の今の魂魄量がどのくらいなのか調べる道具だ」

 そう言って、化野君はその場で升をひっくり返して見せる。だけど中の水は一滴たりともこぼれたりしなかった。

「水に見えるけど、これは水じゃない。あくまで魂魄量を表してるだけなんだ。……もう一度持ってみろ」

 升をもう一度受け取ると、中の水は一気に減っていく。升の中の水は、私が持つとまた数滴程に戻ってしまった。

「……それが今のお前の魂魄量だ」

 こんな滅茶苦茶の余命宣告があるだろうか。

 信じるに値しない。

 こいつは証拠のつもりでこの升を持ち出したのだろうが、私からすれば胡散臭さが増しただけだ。

 私が

 明日には

 死ぬなんて

「あるわけ……ない……」

 升を持つ手が震える。

 自分が心の何処かで真に受けてしまっているのが悔しい。

「……魂魄升を見て確信した。お前は魂魄欠乏症だ。その様子じゃ、今夜だって迎えられるかわかんねえぞ」

「……帰って」

 気がつけば、私はもう化野君を見ていられなかった。

 感情に任せて汚い言葉を浴びせてしまいそうで。

 化野君は黙ったままだった。

「帰ってって言ってるでしょ。ごめんなさい、気分が悪いの」

「ごめん。俺、こういう風にしか言えなかった」

「……話したくないって、言ってるの」

 もう気持ちはぐちゃぐちゃだった。

 今の自分の気持ちがうまく表現出来ない。

 短い命だなんてこと、ずっと前からわかってた。

 だから多くは望まないで、”今”だけを生きようって、そう思ってた。

 だけどそれは自分の中だけで出した結論だ。

 担当医も美沙も、おじいちゃんだって、私が死ぬだなんて誰も言わなかった。

 お前は死ぬって、人に言われるの……こんなに辛かったんだ。

「もう放っておいて。あなたに言われなくたって、私短い命だから」

 魂魄欠乏症の真偽はもうどうでもいい。とにかく今は、これ以上この話を続けたくなかった。

 一人にしてほしい。

 そう思って拒絶しているのに、化野君はそこから動かなかった。そしてあろうことか、こう言い出した。

「駄目だ、放っておけない」

「どうして……? あなたには関係ないじゃない」

「あるぞ」

 短く即答された瞬間、少ない血が一気に頭に上ってきた。

「ないわよ! なんなのよアンタ! 仮に今の話が本当だったとして、だからどうしろって言うのよ! はやく何処かへ行って!」

 喉を切り刻むような、悲鳴のような怒声。

 じわりと口の中に滲む血の味が、こいつの言葉に現実味を持たせるみたいで嫌だった。

「……お前、俺と一緒に飯食っただろ。だから、俺にとってはもうダチだ。放っておけねえ」

「……っ!」

 決定的な拒絶の言葉を吐き出してしまいそうになる。

 だけどそれを遮るように、化野君は言葉を続けた。

「悪霊を喰え。そうすれば助かる」

 しかしその言葉は、火に油を注ぐようなものだった。

「なによそれ……! 本気で言ってるの? 霊をなんだと思ってるのよ!」

「霊は魂魄だ。喰えば自分の魂魄を補える」

 平然とそう答えるこの男に、私の身体は反射的に手を上げようとしていた。

 だけど、そんなことが出来るような身体の作りはしていない。

 平手打ちは不発に終わり、私は情けなくその場に突っ伏した。

 なんて惨めなんだろう。

 そんな気持ちを誤魔化すように、私は顔を上げて睨みつけた。

「馬鹿なこと言わないで! 霊は元々生きていた人間なのよ! それを食べるなんてどうかしてる!」

「普通の食い物とおんなじだ。終わった命を喰って、自分の明日に繋げる」

 その理屈はわかる。だけど、そんな風に割り切れない。

 私は何人も霊を見てきた。

 誰もが元々は人間で、生きていた頃の生活がある。

 同じ人間として感情移入出来てしまうものを、食べ物として割り切るだなんて簡単なことじゃない。

「でも、お前の感覚は正しいぞ」

 不意に出た肯定の言葉に、私は反論しようとしていた口を閉じる。

「黄泉戸喫(よもつへぐい)って知ってるか?」

「え……?」

 予想の斜め上から来るような言葉だった。

 戸惑いを隠せない私に、化野君は腕を組んで語り始める。

「いいか? 黄泉戸喫っていうのは……」

「し、知ってるわよ! 古事記の、イザナミとイザナギの話でしょ?」

 黄泉戸喫は、日本神話の中に出てくる言葉だ。

 死んだ妻、イザナミを呼び戻すために黄泉へ向かった夫のイザナギ。だけどイザナミは、既に黄泉の国のものを食べてしまって、黄泉の者になってしまっていた。だから戻ることは出来ない。そういう話だ。

「死んだ人間の魂魄は、もう黄泉のものなんだ。それを生きてる内に喰うってことは穢れとされる」

「つまり……どうなるの?」

「穢れた魂は、黄泉で完全に祓われる。他の魂のように、黄泉で生き続けることは出来ない」

 その言葉に、私は思わず息を呑む。

「なによそれ……だったら、霊を食べたって救われないじゃないの!」

「……最終的にはそうだ。だけど、知らないまま終わるのは駄目だと思った」

 化野君の話は、基本的に神道の考え方のようだった。神道には天国や地獄も、輪廻転生もない。死者の魂は黄泉へ行き、そこで永遠に行き続けたり、祖霊となって家を守り続けたり……。だけど霊を食べて穢れた魂は、黄泉へ行けば完全に祓われてしまうのだという。

 霊を食べれば今は助かるかも知れない。

 だけど霊を食べるということは、魂が穢れてしまうということだ。

 今を生きて穢れるか、或いは穢れないために今を捨てるか。

 結局のところ、私の運命はロクでもないらしかった。

「あくまで化野家や、霊能者の間にある伝承だ。だから完全に肯定する証拠も、否定出来る証拠もない……」

 私の考えを察したかのように、化野君はそう話す。

「俺は”今”のお前に死んでほしくないけど、お前が選んだ答えなら止めないぞ。黄泉戸喫のことを話したのは、きちんと知るべきことを知ってから選んでほしいからだ」

 化野君の言葉に、私はすぐには答えられなかった。

 そんなの、簡単には決められない。それ以前に、まだ私は化野君の話を完全に信用したわけではないのだ。

「……俺は、”今”死にたくない。だから喰うぞ、悪霊を」

 今までと同じ調子でポツリとつぶやいたその言葉。それは弱音のようで、決意のようで。樫の木のように固く見えた彼が、柳のように曲がりそうに見えてしまった。

 そこでようやく思い至る。

 彼はずっと、悪霊が食べたいと言っていた。

 食べなければ死ぬ、と。

 何故魂魄欠乏症とやらに詳しいのか、何故こんなにも私の問題に首を突っ込むのか。

 恥ずかしいことに今まで私は自分のことで頭がいっぱいで気づけなかった。

「もしかして……あなた自身が、魂魄欠乏症……?」

 化野君は、強くうなずいて見せた。

「そうだ。お前と同じだ。だから教えてくれ、悪霊のいる場所を」

 つまり彼の命もまた、私と同じように人より早く尽きてしまうのだ。

 延命のための唯一の方法が霊を食べることなのだとしたら、その居所を知っていて教えてあげないのは確かに”意地悪”なのかも知れない。

「真咲町の廃校よ。詳しい位置はスマホで送ってもいい?」

 言いながら、マップアプリで位置情報を共有しようとしていると、彼は信じられない言葉を口にした。

「…………スマホは、持ってない……」

「……嘘でしょ……?」

「ち、地図で教えてくれないか……?」

 ち、地図……?

 現代美少女の私はマップアプリ以外の地図がわからなかった。世界史や日本史で使う地図ならわかるけど、実際に使う地図は持っていないし見方もわからない。

 どうしたものかと困ってしまったが、私はある結論を出した。

「……わかった。案内してあげる」

 そう言うと、化野君は虚を突かれたような顔を見せる。

「俺は助かるけど……お前、危ないぞ。案内出来ないだろお前」

「少し寝たから大丈夫よ」

「そんなことないだろ。お前、さっきも辛そうだった」

 不器用そうに見えて、こちらのことはしっかりと見てくれている。

 だけどどうせ終わる命なら、何もせずに終わりたくなんてない。

「……私、このまま死にたくない」

「……」

「まだどうするべきか決められないけど……私も行く」

 霊を食べるなんてわけがわからないし抵抗もある。黄泉にいくのも嫌だ。

 だけどそれ以上に、まだ生きられるなら生きていたいという気持ちがあった。

 今夜も迎えられないかも知れない余命なのだとしたら、選択肢は捨てたくない。

 化野君は少し考え込むような表情を見せていたけど、やがて意を決したかのようにうなずいた。

「……わかった! お前後ろ乗れ!」

「……はい?」



***



 ヘルメットを手渡され、私は人生初の大型二輪二人乗りを経験することになった。

 切るように吹きすさぶ風が少し心地良い。化野君の背中は思ったよりも大きくて、より掛かるのに丁度良いような気がした。

 しかしこの男、スマホはないのに大型二輪の免許はあるというのがよくわからない。高校生は普通逆では……?

「ありがとな、お前本当にいいやつだ」

 後ろから廃校までの道を案内していると、不意に化野君がそんなことを言い始める。

 赤信号でピタリと止まり、化野君は私の方を振り返った。

「アンタの命がかかってるんでしょ……これくらいするわよ」

 最初に悪霊を食べるだなんて言い出した時は嫌悪すら感じていたけど、事情がわかった今はなるべく協力したいと思ってる。

 だけど少し照れくさくて、私は化野君から顔をそむけた。

「……それで、お前はどうする?」

 化野君の問いに、私は答えられなかった。

 実際、どうすれば良いのかまだよくわからない。

 悪霊を食べるなんて言われてもどういうことなのかわからないし、それに食べたら穢れると言われればなんとなく躊躇するのが当たり前だ。

 私の迷いをわかってくれているのか、化野君はそれ以上そのことについで問いただそうとはしなかった。

「そういえば、お前どうやって今日まで生き延びてたんだ?」

「え?」

 質問の意味がわからず、私は首をかしげる。

「普通、魂魄を喰わなかったら十三くらいで死ぬぞ。長くてもそっから半年もつかどうかって言われる。でもお前、十五か十六だろ?」

 化野君の言う通り、私は今年で十六歳になる。化野君の話が本当なら、確かに三年くらい長生きしていることになるけど、心当たりはない。

「そう言われてもわかんないわよ。だけど……確かに十三歳くらいの時が一番辛かったわ」

 十三歳の頃、丁度私が死を覚悟していた時期だ。

 食べ物の味がまったくしなくて、まともに布団から起き上がれなくなっていた頃。あの時の布団や畳の匂いは、何故か今でも思い出せる。

「去年はかなり回復してたんだけど、高校に通うようになってからまた崩れちゃって……ねえ、私やっぱりその……魂魄欠乏症って言うのとは違うんじゃないの?」

 これは、希望的観測も含めた言葉だった。

 だけど化野君は難しそうにかぶりを振る。

「それが一番いいんだけど、魂魄升は親父よりずっと前の代から使ってる道具なんだ。俺の家は全員魂魄欠乏症で、みんなあの升で自分の魂魄量を確認しながら生活してた」

 化野君の言葉に、私は思わず息を呑む。

 魂魄欠乏症は遺伝するのだろうか。私以外にも、寿命が異様に短い人間がそんなにいただなんて言われると驚きを隠せなかった。

「だからお前の魂魄量は、あの時見た状態で間違ってないハズだ。身体が原因の病気なら、あの状態にはならないぞ」

「そう……。じゃあ、やっぱり私は、あなたと同じ魂魄欠乏症なのね……」

 なら、現代医学で治せる病ではないのだろう。

 私が生き延びる方法は、彼の言う通り他の魂魄を食べるしかないのかも知れない。

「一度回復したって言ってたよな……。もしかしお前、魂魄喰ったのか?」

 その問いと同時に、長かった信号が赤から青に変わる。

 化野君は、返事も待たずにバイクを再び走らせた。

「そんなハズはないんだけど……」

 風とエンジンの音にかき消されたのか、化野君から返事はなかった。

 そのまましばらく考えて見たけど、やっぱり魂魄を食べた記憶なんてない。そもそも魂魄を食べる、なんてトンチキな話は今日初めて聞いたのだから。

 バイクはしばらくそのまま走っていたが、やがて化野君はバイクを路肩に止める。

「何か回復のきっかけとかないか?」

 どうやら私の話がどうしても気になったらしい。

「うーん……」

 言われてもう一度思い返して、私はおじいちゃんのことを思い出す。

「おじいちゃんの、おにぎり……」

「おにぎり?」

 問い返す化野君に、私は頷く。

「うん、私あの頃何食べても味がしなくて、本当に辛かったんだけど……」

「アレは辛いな、俺も一回だけ同じくらいやばかった時期がある」

「え? そうなの?」

「ああ、とんかつ喰ってるのに味も食感もなくて気持ち悪かった」

「そうそう、そんな感じ」

 まさかこの感覚を共有出来る日が来るとは夢にも思っていなかった。

 なんとなくうれしくて、言葉が僅かに上気する。

「だけど、おじいちゃんが握ってくれるおにぎりだけは、おいしかった」

 私がそう言った途端、化野君はヘルメットの向こうで大きく目を見開いて驚いた。

「おじいちゃん、私が倒れてしばらくしてから、毎日おにぎりを握ってくれたの」

 黙って頷いて、化野君は私の話を促す。

「……そのおにぎりだけは味がしてね、おいしかったの。食べ続けて一年くらい経った頃かな、身体が起こせるようになったのは」

 今でも、あのおにぎりよりおいしいものなんてないと思っている。

 数ヶ月ぶりにする味のする食事は何よりもおいしくて、隣で目を細めて笑うおじいちゃんが大好きだった。

「……いいじいちゃんだな」

「うん、大好きだった……。だけど、私が十五歳になって、立って歩けるようになった頃に……亡くなったわ」

 おじいちゃんの葬儀は、つい昨日のことのように思い出せる。

 わんわん泣いて、冷たくなったおじいちゃんにしがみついたのを今でも覚えている。

 あんなに暖かく抱きしめてくれて、毎日温かいおにぎりを作ってくれていたおじいちゃんが、あんなに冷たいだなんて信じられなかった。

 思い出して少し悲しくなっているのを察したのか、化野君は申し訳なさそうに頭を下げる。

「……悲しいことを思い出させて悪かった」

「ううん、気にしないで。ちゃんと割り切ってるから」

「でもそのじいちゃん、すげえ人だな」

「え?」

 思わぬ言葉に、私は短く問い返す。

「もしかしたらだけど、そのじいちゃん、本当に魂込めておにぎり作ってくれてたのかも知れないぞ」

「魂って……比喩表現じゃなくて?」

「ああ。あるんだよ、料理にはそういうことが。じいちゃんはきっと、お前に生きてほしいってすげえ願いながら、おにぎりを作ってたんだろうな」

 確かに、おじいちゃんは何度も言っていた。

 生きてほしい、って。

「それが知らず知らずの内に、自分の魂を、魂魄を込めることになってたのかも知れない」

「……もしかして私――――」

 そこまで聞いて、私は一つの事実にたどり着く。

 化野君は強く頷いて、更に言葉を続けた。

「料理は命だ。食材と、喰う奴と、そして作った奴のだ。だからお前は……そのじいちゃんから命をもらったんだ」

「おじいちゃん、から……?」

 ああ、だからあんなに温かくて、おいしかったんだ。

 そう思った瞬間、こみ上げてくる思いが止められなくなった。

 見られたくなくて俯いていると、化野君は私に背を向ける。

「おじいちゃんっ……!」

 私に死んでほしくなくて、生きていてほしくて、おじいちゃんは魂を込めておにぎりを握った。

 それが自分の残り少ない寿命を削っているだなんて思いもしないで。

 だけどこみ上げてきたのは、申し訳なさよりも強い感謝だった。

「ありがとう……おじいちゃん……」

 涙と一緒に想いをこぼした私を乗せて、化野君はバイクを走らせた。



***



 真咲町にある廃校、真咲市立真咲中等学校は、明治時代に建てられた木造建築の古い学校だ。

 四十年前に廃校となり、取り壊される予定だったけど当時原因不明の事故が多発して、無期延期となったまま放置されている。

 郊外に建てられた真咲中の周囲は草木が鬱蒼と生い茂り、不気味な雰囲気を醸し出している。移動中に日は落ちており、周囲はかなり薄暗い。

 家には帰りが遅れると連絡しておいたけど、めちゃくちゃ心配されているのか一定周期で安否を確認するメッセージがスマホに届いている。

「ここがその廃校か……」

 学校の前には、立入禁止と書かれた看板が立っており、周囲には黄色いテープが貼ってある。化野君は看板の前でバイクを止めると、ヘルメットを外して校舎を見渡した。

 今朝相談にきた小柳さんが霊障を受けたのは、この場所で間違いない。

 私も小学生の頃、一度頼まれてここを視に来たことがある。近づいただけで悪寒がしたので、慌てて全員で引き返したのを今でも覚えている。

 そしてその悪寒は、今も変わらずしていた。

「言っておくけど、ここは本当に危険よ」

 釘を差すように化野君にそう言うと、彼は小さく頷く。

「わかってる。ここは本物だな……。お前、俺から離れちゃダメだぞ」

 化野君はむしろ私の方を心配して、そんなことを言いながら手を差し出す。

「歩けるか? キツかったらおぶるぞ」

 そしてそんなことを平然とのたまうので、なんだか恥ずかしくなって顔が赤くなるのを自分で感じた。

「そこまでしなくていいわよ! 歩けるから!」

 こいつ、何でこんなことしれっと言えるのかしらね……。

「そうか。いつでも言えよ」

 そう言って少し微笑んだ後、化野君はすぐに険しい表情になる。

 彼も、この校舎から”ナニカ”を感じ取っているのだろう。

 化野君は堂々と、私は恐る恐る、黄色いテープに近づいていく。

 そして次の瞬間、私の背中を凄まじい勢いで怖気が走った。

「――――っ!?」

 何か、踏み入れてはいけない場所に足を踏み入れた感触だった。

 まるで何かに飲み込まれたような感じがして、全身に鳥肌が立ったような感触さえある。

「なにこれ……!?」

 気がつけば、景色は一変していた。

 黄色いテーブも看板もいつの間にか消えており、雑草だらけだった地面はいつの間にか草一本生えない腐ったようなぐじゅぐじゅとした地面に変わっていた。

 赤黒い月が煌々と夜を照らし、周囲は紫色の霧が立ち込めている。

 地面からは腐臭が放たれており、足元には蛆が這っている。

「い、いやっ!」

 驚いて蛆から離れようとすると、化野君に強く手を握りしめられた。

「離れるな。危ないぞ」

「こ、これ……なんなの……!? 何が起こってるの!?」

 今まで私達は真咲中の傍にいたハズだ。

 なのに今は、不気味な霧が立ち込める異界のような場所にいる。

 あまりのことに気が触れてしまいそうだったが、化野君の手が私の意識を引き止めていた。

「ここは……”境界”だ」

 私の手を引いて、化野君が一歩ずつ踏み出す。

 一歩歩く旅に足元で彼岸花が咲き誇り、そして急速に散っていく。

「今ここは、黄泉の世界と半分繋がってる」

「そんな現象、今まで見たことなかったわよ……!」

 これでも私は、今まで数々の心霊スポットに足を踏み入れた経験者だ。こんな現象が起こるなら、一度くらいは出くわしていてもおかしくない。

 しかし化野君は、首を左右に振った。

「ここに閉じ込められて、生きて帰れる奴はいない。お前は今まで運良く境界には入らずにすんでたんだな」

「生きて帰れる奴はいないって……じゃあ、どうするのよ!」

「安心しろ。俺がいるぞ」

 そう言って振り向いて、化野君は二カッと笑って見せる。

 根拠も何もなかったけれど、妙に安心出来る言葉だった。

 何故かホッと胸をなでおろすような気持ちになって、私は化野君の手を握りしめたまま進んでいく。

 紫色の霧は、景色がわからない程立ち込めていたけど、進んでいくと少しずつ晴れていく。

 やがて、私達は真咲中の校庭まで辿り着いていた。もしかすると、最初からずっと校庭の中を歩いていたのかも知れない。

 一瞬元の世界に戻ったのかと思ったけど、月は相変わらず毒々しい程に真っ赤で、腐臭も消えてはいない。ここはまだ、”境界”だ。

「……いるぞ」

 化野君にそう言われ、彼と同じ方向に目を向ける。

 そこは、校舎の上だった。屋上に、人影が見えている。

 この高さと距離ではまずしっかりと視認出来ないハズなのに、何故かその姿形ははっきりと視認出来た。

 お下げの、中学生くらいに見える、紺色のセーラー服に赤いスカーフの少女だ。奇しくも、古めかしいうちの制服とよく似ている。

「っ……!」

 その少女の眼窩には、何もなかった。

 底のない漆黒だけが広がっていて、まるで深淵のようだ。灰色の肌からは生気が一切感じられない。

 霊だ。

「下がれ」

 化野君がそう言って私を後ろに押しやった瞬間、少女が屋上からこちらへ飛び込むようにして飛び降りる。

 そして彼女は、化野君の数メートル先で顔面から落下した。

 ぐちゃりと音がして首が曲がり、割れた頭蓋から脳漿が飛び散って、ソレに蛆虫が群がった。

 千切れた右腕が無造作に転がっているのが見える。

「ひっ……」

 怯えて目をそらす私とは裏腹に、化野君はまっすぐにソレを見据えているようだった。

 それから数秒して、恐る恐る私が視線を戻すと、少女はゆっくりと起き上がり始めていた。

 漆黒の眼窩から血涙が流れており、顔面は原型をあまりとどめていない。砕けた顎からは長い舌が垂れ下がっている。

 少女が立ち上がったところで、私はようやく彼女が化野君や私より二回り程も大きいことに気づく。遠目でもはっきり見えたのは、その大きさのせいだったのかも知れない。

「……黄泉醜女ヨモツシコメだ」

「黄泉……醜女?」

「ああ。死んで黄泉の者になり、それでも現世にとどまって生者を黄泉へいざなう存在……それが黄泉醜女だ」

 黄泉醜女は漆黒の眼窩で私達を見下ろす。

 どこからか聞こえてくるようだった。

 お前らもはやく死ね、と。

「心配するな」

 竦み上がる私の方に振り向かず、化野君は自身の胸元……心臓の部分に触れる。

「俺がいるぞ」

 次の瞬間、化野君は心臓から何かを引き抜くような動きを見せた。

「嘘……!?」

 その手に握られていたのは、一本の日本刀だった。

 何が起こったのか、私にはまるでわからなかった。一体どこからその刀を取り出したのか、全く見えなかった。

 その刀は、どこか神々しい光を纏っている。真っ赤な鍔に、焼け焦げたような赤黒い刀身。少し変わった見た目の刀だ。

 しかし化野君が刀を構えた瞬間、黄泉醜女が長い舌を伸ばしてくる。

「危ないっ!」

 私が叫んだ頃には既に、化野君は刀を振り抜いていた。

 長い舌が切り裂かれ、ピクピクと痙攣しながら足元に落ちる。

 それで安堵したのも束の間、突如背後から何かが飛来する。

「――――ッ!?」

 ソレは、黄泉醜女の右腕だった。

 飛び降りた時に千切れた右腕が、意志を持って化野君目掛けて飛来したのだ。

 その不意打ちに対応出来ず、右腕が化野君の首を掴んでしまう。

「化野君っ!」

 地響きがして、苦しそうな化野君の元に黄泉醜女が飛びかかる。

 首を締められたままだったけど、化野君は刀を強引に振り上げた。

神刀しんとう――――」

 黄泉醜女が、化野君に接近する。

 私がもうダメかと思った瞬間、化野君は刀を地面に突き刺した。

火産霊命ホムスビッ!」

 その瞬間、化野君の全身が神々しい炎に包まれた。

 赤と黄色の入り乱れる豪炎を見た瞬間、黄泉醜女は身体をくねらせて化野君を避け、背中から地面に落下する。

 しばらくして炎が消えて、無傷の化野君が刀を構えて黄泉醜女を見据えるのが見えた。

 化野君の首を掴んでいた右腕は、黒い灰となって散っていく。

 黄泉醜女は、化野君が出した炎にひどく怯えている様子だった。

 ブルブルと震えながら、少しずつ化野君から距離を取っている。

「炎を……怖がってる……?」

 私がそう呟くと、化野君は振り向かずに頷いた。

「死人の魂に干渉してこいつらを生み出しているのは……黄泉にいるイザナミなんだ」

「イザナミって……神様の?」

「ああ。一日千人殺して、黄泉に誘うためにな」

 イザナミから逃げ出したイザナギは、千人で引くほどの重くて大きな岩手黄泉平坂を塞いだと言う。イザナミは言った。

 あなたがこんなことをするなら、あなたの国の人を一日千人殺してやるわ。と。

「そしてイザナミが最も恐れるもの……それが炎なんだ」

 イザナミは火の神であるカグツチを産み落とした時、カグツチの火によって出来た火傷で命を落としたとされている。

「イザナミに生み出された黄泉醜女は、本能的に炎を恐れるんだ」

 そう言って、化野君は黄泉醜女に歩み寄っていく。

 黄泉醜女は怯えるばかりで、もう化野君に害意はないように見えた。

「……怖がらせるのはあんまり好きじゃない。ごめんな」

 悲しげな化野君を見て、黄泉醜女は動きを止める。しかし、まるで怒りを思い出したかのように飛びかかってくる。

 化野君は一瞬だけ目を伏せた後、黄泉醜女目掛けて刀を一閃した。

「アアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 絶叫と共に黄泉醜女の身体が燃え上がり、みるみる内に灰のようになって消えていく。

 そして最後には、宙に浮く光の球体が残った。

 化野君は球体に歩み寄ると、私へ視線を向ける。

「この球体が魂魄だ。もうこっちに来て大丈夫だぞ」

 化野君に促され、私は彼の元へ駆け寄っていく。

 魂魄と呼ばれる球体は、温かな光を放っていた。今までの怪物じみた姿は嘘のようで、そこにあるのはただの命の残骸だった。

「どうするか、決まったか?」

 これが、最後の選択肢だ。

 今を選んで死後を捨てるのか、死後のために今を捨てるのか。

 それはどちらにしたって、不幸なことのように思えた。

 どうすれば良いのかわからなくて、私はその場で俯いてしまう。

 おじいちゃん、私、どうしたらいいんだろう……?

 そういて思い返したおじいちゃんは、おにぎりを差し出して笑っていた。

 喜んで食べる私をなでてくれる、しわくちゃで温かい手。

 温かいおにぎりの味が、鮮明に思い出せる。

 ――――じいちゃんはきっと、お前に生きてほしいってすげえ願いながら、おにぎりを作ってたんだろうな。

 化野君の言葉が脳裏を過る。

 ただ、生きてほしい。

 きっとそれが、おじいちゃんの願いだった。

 私に、命をくれた、おじいちゃんの……。

「私…………生きたい……」

 口をついて出た言葉は、生を願っていた。

「私に、生きてほしいって、それが、おじいちゃんの……」

 言いかけて、私はかぶりを振る。

 確かにそれはおじいちゃんの願いだけど、今化野君に伝えないといけないのは、それじゃない。

「ううん、そうじゃない。そうじゃなくて……私、もっと生きたいの!」

 私の、願いだ。

 私自身の、生きたいって願いを、口にするべきなんだ。

 死にたくない。

 まだ生きていたい。

 私は、”今”を捨てたくない。

「アンタみたいにいっぱい食べて、いっぱい笑って……しわくちゃになるまで生きたい!」

 おじいちゃんがくれた命を繋いで、精一杯足掻いて生きたい。

 それが、私自身の願いだ。

 気がつけば泣き叫んでいて、顔は涙でぐちゃぐちゃに汚れていた。

 そんな私を見て、化野君は屈託のない笑みを見せる。

「よし! 食え!!!」

 化野君は勢いよくそう言うと、魂魄を手に取り、私に差し出した。

「俺はまだちょっと余裕があるんだ。だからまず死にそうなお前が食え!」

 そう言って、化野君は魂魄をグイとこちらに押し出す。

「はんぶんこはしねえぞ。もう斬った奴をもう一度斬るのは嫌だからな」

 そもそも化野君が食べるためにここまで来たのに、私が食べてしまうのは申し訳ない。だけど化野君の言う通り、私には余裕がない。

 恐る恐る、両手で包み込むように魂魄を受け取る。

 ぼんやりとした、早朝の太陽みたいな温かさだった。

「……はやく喰ってやれ、消えちまうぞ」

 そのまま化野君は言葉を続ける。

「消えたら本当に終わりだぞ。だけど、喰ったら喰った奴の一部になる。そして喰った奴が死んだ時、一緒に黄泉に行く……そう言われてる」

「……普通の食べ物と、同じなのね」

「そうだ。黄泉醜女になった魂魄は、永遠に人を呪い続けるか、祓われた時にそのまま消えるしかない」

 つまり、魂魄を食べることは、ある種の救いになり得るのだ。

 呪い続けるか、消えるしかなかった魂を、せめて黄泉へは送り届けてやれるのだ。

「……」

 ゴクリと。私は生唾を飲み込む。

 躊躇はもうないんだけど、単純に食べ方がわからなかった。

「どうした? 早く喰え。ガブっといけ」

「アンタねぇ……私みたいな美少女が人前でガブッといくわけないでしょうが!」

「お前今自分で美少女って言ったか?」

「……まあ、おにぎりの要領でいけばいいのよね」

 そっと、私は魂魄を口にする。

 味はなかったけど、口の中にじわりと温かさが広がるのがわかる。

 そして次の瞬間、フラッシュバックのように無数の映像が私の脳裏をよぎる。

 その映像の中にいたのは、さっきの黄泉醜女の……生前の姿だった。

 クラスでいじめを受けて、親にも教師にも助けてもらえず、屋上から飛び降りて死んだ一人の少女の短い人生を、私は一瞬で追体験しているかのようだった。

 死後、黄泉醜女になって、全てを呪いながら、仲間を求めるように人を殺し続けた悲しい少女。

 思わず私は、その場に泣き崩れていた。

「……黄泉醜女になってしまう奴は、一人で死んでることが多い」

「こんなの……悲しすぎる……! この子は、元々何も悪くないじゃない……!」

「……喰った奴は、それを今のお前みたいにわかってやれる。魂魄は、そいつの生きてきた証でもあるんだ」

 あのまま黄泉醜女として現世に残り続けて、呪いのままでいるのはひどく辛い。

 生前同様、誰にもわかってもらえないまま消えてしまうのはあまりにも悲し過ぎる。

 だけど、食べればわかってあげられる。

「飲み込んで、連れてってやってくれよ……明日に」

「うん……!」

 命をいただく。そして自分の命を繋いで、いただいた命も一緒に連れて行く……明日へ。

 いただきます。その言葉の意味を、私は噛み締めた。



***



 翌日、私の体調は嘘みたいに回復した。

 あり得ないくらい身体が軽い。

 ベッドから起き上がるのにも苦労していたのに、すっきりと目覚めて飛び上がるようにして起き上がれる。こんなの、小さい時以来だった。

 自分で着替えて、朝ご飯を食べて、学校へ行こうとする私を、家政婦の新庄さんは目を丸くして見ていた。

「それじゃ、行ってきます」

「姫香ちゃん、車で送らなくて大丈夫なの……?」

 不安げな新庄さんに、私は満面の笑みでこう答える。

「大丈夫! 自分で学校まで歩けるわ!」

 スキップするような足取りで、私は学校へ向かった。



 学校について廊下を歩いていると、昨日相談にきた小柳さんが私の元に駆け寄ってくる。

 しかし、途中で足をもつれさせて私の方へ倒れ込んできた。

 廊下にいた誰もが息を呑む中、私は小柳さんの身体を受け止めてその場に立たせた。

 その光景に、周りの生徒も小柳さんも驚いて目を見開いていた。

「走ると危ないわ」

 言いつつ、私は小柳さんをジッと視る。霊障はもうない。どうやらきちんとお祓いに行ってきてくれたようだ。

「ちゃんとお祓いに行ってきたのね」

「ひ、姫香様……あの、大丈夫ですか……!?」

「心配しないで。大丈夫だから」

 微笑んで小柳さんの肩を叩き、私はそのままその場を後にする。

 背中を指す驚愕の視線が、なんだか心地よかった。



 その日は、一度も目眩を起こすことなく授業を受けることが出来た。

 先生の話もよく聞けて、ノートも一人でしっかり取れる。当たり前に授業を受けられることが、こんなに気持ちが良いだなんて思わなかった。

 そして迎えた昼休憩、私は後ろの席にいる化野君に迷わず声を掛ける。

「一緒に食べましょう、化野君!」

「よしきた! みんなで喰うと賑やかですっげえお得だぞ!」

 私と美沙と、そして化野君。三人で机をくっつけてお弁当を食べる。今の私は小さいお弁当なんてぺろりとたいらげてしまって、かなり物足りなかった。

 それを見透かしてか、化野君はいたずらっぽく笑いながらこちらを見る。

「お前、足んねえだろ?」

「美少女はアンタみたいにたくさん食べたりしないのよ」

 照れ隠しでそう言いながらも、化野君の次の言葉はなんとなくわかっていた。

「俺のとんかつ、喰うか? 端っこの一番うめえとこやるよ」

 化野君はそう言って、とんかつの端っこを箸でこちらに差し出す。

「あのね化野君、姫香は……」

 言いかける美沙だったが、私はそれを遮るようにして弁当の蓋を差し出す。すると、化野君は満足げにとんかつの端っこを蓋の上に乗せた。

 その光景に、美沙は目を丸くする。

 私は躊躇なくもらったとんかつを口にして、満面の笑みを浮かべる。

 サクサクの衣と、口の中に広がる肉汁がたまらない。

 程々にかけられたソースがとんかつの味を引き立てていて、ご飯が欲しくなってくる。

 脂身がこんなにおいしかったなんて、今まで知らなかった。

「どうだ?」

「……とっても、おいしい! ありがとう!」

 久しぶりに、私は心の底から思いっきり笑った。

 美沙はまだ驚いていたけど、やがて楽しそうに笑い始めた。

 化野君はそんな私達を見て、安堵したように微笑む。

「よーーし! もっと喰え! 野菜も肉もうめェぞォ~!」

 私と美沙は化野君にいくつもおかずを分けてもらいながら、今までで一番楽しい昼休憩を過ごした。


 私の魂は、穢れている。

 だけど、こうして”今”を生きていられる。

 おじいちゃん、私もっと生きてみるよ。

 おじいちゃんにもらったこの命で……精一杯生きて、しわくちゃになってから死ぬよ。

 だから、ありがとう。

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霊喰い怪太郎 おしく @ohsick444

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