水たまりの翼

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水たまりの翼

雨が奏でる規則的な音に包まれる街の外れ。錆びた鉄塔の影が水たまりに揺れ、灰色の空を映し出している。少女はその水たまりの縁にしゃがみ込み、じっとその揺らめきを見つめていた。指先でそっと水面を撫でると、小さな波紋が広がり、空の切れ端が一瞬歪んだ。


「見て。ドラゴンが隠れてるかもしれないよ。」

低い声が少女の背後から聞こえた。振り返ると、少年が傘を持たずに立っていた。彼の髪は雨で濡れ、額に張り付いている。


「ドラゴン?」

少女は問い返しながら立ち上がり、少年の指さす方向を見た。彼の視線の先には、雨にけぶる山々がぼんやりと浮かんでいる。


「そうだよ。あそこ、霧の向こうにいるはずだ。」

少年は笑みを浮かべて、歩き出す。少女も後を追った。足元の泥水が跳ね、二人のズボンを濡らしていく。


道なき道を進むうちに、雨は次第に強まってきた。雨粒が空から直線的に降り注ぎ、二人を透明な幕の中に閉じ込めているようだった。少女はふと立ち止まり、空を仰いだ。


「こんな雨の中で、ドラゴンが本当に見えるの?」

少女の問いに、少年は振り返らずに答える。


「見えるよ。でも、ただ見るだけじゃだめだ。」

「どういうこと?」

「ちゃんと信じなきゃ。信じないと、ただの雨で終わっちゃう。」


その言葉に、少女は少し考え込んだ。やがて、目を閉じ、雨が頬を滑る感触に意識を集中させた。耳を澄ますと、雨音の中にかすかな音が混じっているような気がした。それは羽ばたきの音なのか、それとも風が木々を揺らす音なのか、わからない。ただ、不思議な心地よさが胸の奥に広がっていく。


「聞こえる……気がする。」

少女がつぶやくと、少年は満足げに振り返った。


「でしょ?ほら、もう少しだ。」


やがて、霧が晴れるように雨が弱まり、雲の隙間から光が差し込む。地面の水たまりが虹色に輝き、あたりの空気が柔らかく変化した。


「ここだ。」

少年が指さす先には、小さな丘があった。そこには古びた木が一本だけ立ち、雨粒を受けて煌めいている。


少女は息を呑んだ。その木の影が、水たまりに映った空の中で、まるで翼を広げたドラゴンのように見えたのだ。


「ドラゴンだ……!」

彼女がつぶやくと、少年はにっこりと笑い、手を伸ばした。


「さあ、空に向かって飛ぼう。」


二人は笑いながら水たまりを駆け抜けた。雨は止む気配を見せなかったが、その瞬間、世界は彼らにとって無限に広がるキャンバスだった。

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