第2話「訪問客」②

「お客さん?」



 ザグフェーは頷き、ウェンデルに手を放すよう合図して、黒いマントを着た背の高い男の方に彼をくるりと向き合わせた。その男を見た瞬間、ウェンデルは唖然とした。



 長い間苦労してきたのか、男は疲れ切った顔で、無精ひげが顎にびっしり生えていた。漆黒の髪と瞳はマントとよく似合っていたが、死神からの使者のようにも見える。



 だが重要なのは、ウェンデルがこの男を瞬時に認識したということだ。まさにその男が、少し前に見た夢の中で巨人と戦っていたやつだったのだ。



 男は笑顔でウェンデルを見つめ、その眼差しはどこかおかしかった。ウェンデルは思わず身を縮こまらせて言った。



「あんた誰?」



 男の笑顔が少しこわばったような気がしたが、それもウェンデルの勘違いだったのかもしれない。彼はすぐに身を屈め、更に気さくな笑顔で答えたのだから。



「俺はホーン。君の父さんの友人だ。数日の間ここに泊まらせてほしいのだが、構わないか?」



 ウェンデルは後退りして、ザグフェーの足に寄り掛かりながら小さな声で呟く。



「父さんが良いって言うなら。」



 ホーンは少し寂しそうな表情で頷き、真っ直ぐ立ち上がってザグフェーに向き直った。



「お前の息子はこう言っているが、ザグ。構わないか?」


「何をいまさら。ウェンデル、お茶を二杯頼む。喉が渇いて死にそうなんだ。」



 ウェンデルはすぐさまキッチンへ向かい、もうこの見知らぬ人の相手をする必要がなくなったことを密かに喜んだ。お茶を持って行くと、ちょうどホーンが濡れタオルで体を拭いているところだった。そのたくましい身体と背中に刻まれた幾つもの傷跡を見て、ウェンデルは思わず聞いた。



「それ、痛い?」



 ウェンデルが話しかけてくれたことに、ホーンは嬉しさを隠せず、軽く笑いながら答えた。



「いや、もうずいぶん昔の傷だからな。」


「どうしてそんな傷跡があるの?」



 ホーンは、どう答えるべきか思い巡らすかのようにしばらくためらった後で、言った。



「守らないといけない人たちがいたから。」


「誰?」


「そうだなぁ、女房に息子に部下に……うむ、一度じゃ言い尽くせないな。」


「そんなんで、しんどくないの?」



 ホーンは首を横に振り、優しく答えた。



「いや、ちっとも。」



 ザグフェーは二人のやりとりを見て、少し複雑な表情を浮かべたが、しばらくして言った。



「ウェンデル、このあとホーンおじさんとちょっと出かけてくるからな。」



 ウェンデルは驚いて父を見た。まるで心の中に大きな石が沈んでいくような感覚だった。



「さっき帰ってきたばかりなのに、また行っちゃうの?」


「ちょっと出かけてくるだけだ。暗くなる前には帰るから。」


「じゃあいつ森の冒険に連れて行ってくれるの?前に約束しただろ。」



 ザグフェーは仕方なさそうに言った。



「何日かしたらな。冬至の前にホーンおじさんとやらなきゃいけないことがあるんだ。」



 ウェンデルの誕生日は冬至の前日だった。せっかく父さんが帰ってきたのに、自分のために少しも時間を空けてくれない様子に、突然強い憤りが胸に込み上げてきて、口走ってしまった。



「いっつも忙しいって言って!いっつも家にいない!いっそのことぼくの名字をフレイに変えたらどうだ?」



 ウェンデルはそう喚きながら、悔し涙が止まらなかった。その場の空気が凍りつく。ウェンデルは怒りに満ちた目で父を睨むが、ザグフェーは目を逸らし、気まずそうにホーンの顔色を窺っている。



 こんな時まで世間体を気にするのか?



 ウェンデルは腹を立てて寝室に駆け戻り、バタンと乱暴にドアを閉めた。膝を抱えてベッドの隅に座り込み、父さんはこのままホーンと出かけるのだろうと思っていたが、予想に反して、しばらくするとドアをノックする音がした。



「ウェンデル?ちょっと良いか?」



 ホーンの声だ。



「うん。」



 ホーンはドアを開けると、ゆっくりベッドの脇に来て座り、ウェンデルをちらりと見て、優しく語りかけた。



「君の父さんは君のそばに居たくないわけじゃない。本当に、やらないといけないことが多いんだ。彼だってもっとこの家にいたいはずだ。でも、それが許されない状況なんだよ。」


「どんな状況なの?」



 ホーンは苦笑いしながら言った。



「ちょっと複雑でね。今の君には理解できないかもしれない。」



 ウェンデルは鼻声で呟いた。



「大人はいつもそうやって言い訳するんだから。」



 ホーンはくすっと笑ったが、ウェンデルにはその笑い声が苦渋に満ちていることが感じ取れた。



「そうだな、大人ってズルいよな。ところで、さっきザグとも話し合ったんだが、今日俺たちが行くところはそんなに危なくないから、もし行きたければ連れていってあげても良い。それに、ちょうど森の中にあるんだ。どうする?」



 ウェンデルは半信半疑でホーンを見つめる。



「嘘じゃないよね?」


「男に二言はない。」


「分かった、行く。そうだ、ホーンおじさん。」


「うん?」


「おじさんってもしかして……巨人と戦ったことある?」



 ホーンは困惑した表情を浮かべた。



「巨人?おとぎ話に出てくるような巨人のことか?」


「……何でもない、気にしないで。」



 ホーンは怪訝そうにウェンデルを見つめたが、結局子どもの戯言と思うことにした。二人が一緒にリビングへ行くと、ちょうど手際の良いザグフェーが冬の登山に必要な道具をリュックに詰め込んでいるところだった。



 部屋から出てきた二人を見て、申し訳なさそうな顔のザグフェーは物言いたげだったが、ウェンデルが目を合わせてくれない様子を見ると、悲しそうに肩を落とし、言いたいことを飲み込んだ。ザグフェーが立ち上がり、リュックを背負おうとすると、ホーンはひょいとそれを取り上げた。



「俺が背負うよ。お前はウェンデルの世話をしてくれ。場合によってはおぶることになるかもしれないしな。」


「お前がおぶっても同じだろう?」


 ホーンは首を振った。


「これは上司の命令だ。」



 上司?ウェンデルは頭の中でこの言葉の意味を検索し、次の瞬間、何かに気付いたように言った。



「あんたが父さんの言っていた将軍なのか?」



 リュックを背負ったホーンの笑顔が、少しこわばった。



「ザグが俺のことを話していたのか?」


「うん、よく話しているよ。」



 ホーンはなじるようにザグフェーを睨みつけ、ザグフェーは申し訳なさそうに俯いた。ウェンデルは二人のやりとりを眺めながら、漠然と何か不吉な予感を覚えた。

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