第3話
飛行演習から戻った足で、フェルディナントはヴェネツィア市街にある空き家へと足を運んだ。
「トロイ」
捜査を指揮していたトロイ・クエンティンが振り返り、びしりと敬礼した。
「駐屯地に戻る前に寄った。何か出たか?」
「二階の捜索をしました」
「よく登れたな」
二階は階段から、ほぼ崩れていたのだ。危険すぎて一度目の捜索では登れなかった。
「部隊で一番小さいディアロが役に立ってくれました」
捜索を続けていた小柄な兵を、トロイが呼ぶ。彼はまだ竜騎兵ではなく、従者だ。正式な騎士になる為に、従者として竜騎兵につき、日々勉強を続けている。
「そうか。よくやってくれた」
ディアロは十五歳だ。しかしフェルディナントもまだ十八歳の若い将軍だったので、竜騎兵の将来を夢見る彼にとっては、若くして皇帝に認められ、直属の竜騎兵団を任されたフェルディナントは、まさに見本とすべき憧れの人物であった。今回もあまりに若い者はフェルディナントは連れて来ないつもりだったのだが、彼は志願し、ヴェネトにもついて来た。こういう環境で、よくやっていると、フェルディナントも思っている。
言葉に出して労ってやると、ディアロは少年らしい、嬉しそうな表情をしたが、はしゃぐようなことはせず、まだ初々しい敬礼をし、すぐに任務に戻った。
「こちらに、二階の捜索で出たものが」
庭先に一度出て、簡易テーブルに置かれた物をトロイが見せた。
側に見張りもいる。トロイはこういう時は細心だ。
「二階はほとんど家具もない部屋と、もう一つは女性用の寝室だったそうです。こちらはその寝室の家具の中に残されていたもの、こちらは家具がない部屋を捜索し、床の木の板の間や、置かれたままの木箱などから出たものです」
古いハンカチ、生活用の小さな短剣、小さな髪留め、薬の小瓶がいくつか。
古い聖書。
小さな鍵が一つあった。
フェルディナントは取り上げる。
「床板の間にあったそうです。この家にある引き出しなどの鍵は全部試しましたが、合いませんでした」
「そうか……。普通の家具の鍵とも少し違うようだが。これだけ預かっておく」
「トロイ隊長、こちらへ!」
家の中から騎士が出てきて呼んだ。フェルディナントも共に向かう。
一階の家具を全て出して、ようやく分かったのだ。
「地下の扉が」
「上には木製の貯蔵庫が置かれていました」
「貯蔵庫の中には何が?」
「今は何も入っていません。ただ、銅で補強をしてあるので、かなり重いです」
「ではいちいち動かして地下に入るのは手間だな?」
「四人ほどいたら、すぐ動かせると思いますが、一人二人では無理だと思います」
扉を開ける。
騎士が明かりを持って来る。フェルディナントはしゃがみ込んだ。
「見ろ、トロイ」
指を指す。
彼はすぐに理解した。
「梯子が真新しい……」
「頻繁にではないが、誰かが最近でも降りていたんですね」
「降りてみる。トロイと、あと二人来い」
フェルディナントは梯子を使い地下に降りていく。
地下水路に出た。
「地下水路か……」
縦長に通っている。
「向こうがどこに繋がっているか、見て来い」
「はい」
「トロイはこっちだ」
辿り着いた扉を開くと、中は一間の部屋になっていた。
「これは……」
部屋にびっしりと棚があり、おびただしい数の薬瓶が置いてある。
「確か、ここで殺されたのが薬品を卸す商人だったな?」
「はい。ヴェネツィアに店も持っていて、怪しい所はありませんでしたが……もう一度家族に事情を聞きに行きますか?」
「そうした方が良さそうだ」
フェルディナントは頷く。
二人が戻って来た。
「市街の水路に繋がっていました」
「外に出れそうか?」
「人目にはつきますが、出入りは可能です。鉄柵がありましたが、一部外れるようになっていましたので」
「そうか。上にいる者を呼んで、ここにある薬品を全て押収して駐屯地に持ち帰れ」
「全てですか?」
薬の多さに驚いている騎士が思わず聞き返す。
「一つも残さずな」
フェルディナントがそう言うと、騎士は表情を引き締め、敬礼した。
「ハッ! ただちに!」
「トロイはついて来い。水路から地上に出よう」
部屋を出て、歩いて行く。
「……一体ここで何が行われていたのでしょうか?」
「非合法な薬の調合や密売や……そんな所だとは思うが。そもそも知りたいのは、警邏隊を狙う『仮面の男』の素性なんだ。警邏隊は娼婦を虐待し、街の者に平然と暴力をふるう。
仮面の男は平然と警邏隊を殺し――時に、娼婦を助けるために炎の中にも入る」
鉄柵の場所まで来た。
確かに一番端の鉄柵が緩み、外せるようになっている。
外して、外に出た。
フェルディナントより身体の大きなトロイは少し出るのに苦戦したが、大人の男でも通れないことはない。
水路に入り、光の入って来る方に目を向ける。
「反対側は?」
「調べさせましょう。ヴェネトの地下水路は入り組んでるようですから」
「そうだな」
光の方に歩いて行く。
外へと出た。
地上に上がる階段がある。
通りに面していて、そこから出て来るだけでフェルディナント達も行き交う人の目を引いた。
「日中はここから入るのは無理だな」
「かなりの大通りです。配達車も通るルートですし、必ず人目につきます」
「そうだな……ここは周囲に高い建物も多い。意図してもしなくても、目撃される可能性は高い」
教会の尖塔が見えた。
その窓だ。
「……神は見ている、か」
ふと、自然と視線を下に下ろした時、通りの角に、黒い馬車が一台止まっている。
そこに視線を向けると、馬車は動き出した。カラカラと音を立てて、通りを走って来る。
フェルディナントの前を通り過ぎた時、馬車の中からこちらを見る人物と目が合った。
女性だ。若くも無いが、老年でもない、三十代か四十代の女性だが、年齢はよく分からなかった。しかし身分は高そうな身なりをしていて、貴族であろうことは分かった。
すれ違う一瞬、目が合った。
フェルディナントと目が合っても、特に驚く様子もなく、ちら、とこちらに視線をやって去って行った。微かな笑みが扇の陰に見えた。
「トロイ。――今の馬車を追えるか? どこの貴族が知りたい」
濡れた上着の裾を気にしていたトロイが、すぐに顔を上げ馬車を確認して、敬礼し、駆け出していく。
今の馬車をどこかで見たことがある、と思って、以前ネーリに、肖像画を描かせる画家を探していると声を掛けていた馬車に似ていたと思った。夜会の招待状を受け取ったというが、ネーリは行く気は無いと言っていたので、そのまま紹介状はフェルディナントが預かり、駐屯地にあるはずだ。トロイが馬車を突き止めれば、照らし合わせることが出来る。
警邏隊と仮面の男が敵対してるのはまず間違いないが、警邏隊の背後には上級貴族が噛んでいるとフェルディナントは思っている。
ネーリは【青のスクオーラ】に気を付けるよう言っていた。
青のスクオーラ、すなわちヴェネトの上級貴族である。
(
……少し調べてみるか。
とにかく早くあの仮面の男を捕まえて、ネーリが安心してヴェネツィアを歩きながら絵を描けるようにしてやりたかった。
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