白雪姫は死んでない

ハスノ アカツキ

白雪姫は死んでない

「雪ちゃんが、どうして起きているの?」


 公務を終えて自室に戻ってきた王子は、絞り出すようにそう言った。呆然とした様子で目の前にいる二人の女性を見つめている。


 一人は絶世の美女である。

 肌は雪のように白く、頬は血のように赤く、髪は黒檀のように黒い。


 状況が呑み込めていないのか、きょとんとした顔で王子を見つめている。


 もう一人は薄汚れた女性である。

 肌は荒れ果て、頬には生気がなく、髪はパサパサで伸びっ放しだ。


 明らかに動揺していて、エプロンの前掛けでしきりに手の汗を拭っている。


 王子は薄汚れた方に顔を向けた。


「えーと、君、ん? 誰だっけ? えーと」

「白雪様のお世話係です。王子が不在の間、白雪様のお世話をしておりました」

「そうだ。勿論覚えているとも。僕の愛しの雪ちゃんの世話役を忘れるわけないもんね。で、どうして雪ちゃんが起きているの?」


 王子は白雪と呼ばれた女性に視線を戻した。

 白雪は相も変わらずきょとんと王子を見つめるばかりだ。


「目覚めたのです」

「いや、雪ちゃん死んでたよ?」

「死んだように眠っていただけです」

「小人たちは棺に納めてたんだよ? 息もしてなかったし、毒リンゴを食べたって聞いてるよ? 不死身じゃあるまいし」


 そこで王子は何かに気付き、床に目をやった。


 白雪の傍にリンゴのかけらが落ちている。


「雪ちゃん、リンゴ吐き出したの?」

「突然、息をする必要を思い出して咳き込み始めまして」

「死んでたのに? っていうか息をする必要を思い出すって何?」


 王子は召使いへと詰め寄っていく。


「まさか、雪ちゃんに乱暴をはたらいたの?」


 王子は召使いの肩を両手で掴んだ。

 驚いた召使いは、小さく叫び視線を王子からそらす。


「着替えを運ぶ際にスカートの裾を踏んでしまい、その拍子に白雪様へ、どさっと」

「本当に? 雪ちゃん、死んでたんだよ? それだけで人って生き返らないと思うんだよなあ」


 王子は召使いを壁際まで追い詰める。

 召使いはもう声も出せないようだ。


「転んだら生き返ったなんて、嘘だよね?」


 王子の問いかけに、ようやく召使いは観念したように深呼吸をした。すぐさま王子を睨みつける。


「そうだよ、蹴ったんだよ! 死んだ姫の世話なんてやってられるか! 王子はずっと雪ちゃん雪ちゃんって気持ち悪いし、お世話って何のお世話するんだよ、バカじゃねーの?」


 あまりの変貌ぶりに、今度は王子の言葉が出てこない。


「大体よー、死んでるんだから放っときゃいいんだよ。いちいち『雪ちゃんの髪を綺麗にとかしてね』だの『雪ちゃんの服、洗っておいてね』だの、意味分かんねーんだよ。マジキモっ」


「で、でも雪ちゃんは生きてるんだから、服とか洗わないと気持ち悪いと思うんだよねえ。そのままだと、雪ちゃん可哀想じゃない」


「てめー、さっき自分でも『雪ちゃん死んでたのに』って何回も言ってただろうが! てめーだって死んでるって思ってたんだろ?」


「揚げ足取りだ! 僕は死んでるように眠ってるって意味で言ったワケで」


「だったら真っ先に食事の世話だろ! 生きてるって思ってたんなら、食事をとらせなきゃ死んじゃうぜ? なんだ、殺すつもりだったってことか? 姫を餓死させようとしてたのか?」


 召使いの逆ギレに対して、王子も徐々に苛立ってきたようだ。そんな中でも当の白雪は、きょとんと二人を見つめている。


「分かった、認めるよ。雪ちゃんがあまりに可愛かったから、死んでるって思ってもひどい扱いできなかった。でも、雪ちゃんを蹴るのはどうかと思うな! よくそんなひどいことできたよね! 謝ってよ、雪ちゃんに謝ってよ!」


「謝んねーよおおお! むしろ私に感謝するべきなんじゃねーのか? 私が背中をどかどか蹴ったおかげで生き返ったんだろ? 人助けじゃねーのか、謝礼金くらい出せよ。一生遊んで暮らせる金くれよ」


「どれだけ図々しいんだ。雪ちゃんに暴行を加えた上でお金を請求するなんて、極悪人過ぎる」


「私が一声かければ王子は人殺しだってことにもなるんだぜ? もう少し丁重に扱った方が良いんじゃねーのか?」


 召使いの目は、既に一種イカレた光を宿している。王子は負けを悟ったのか、膝から崩れ落ちた。白雪は心配そうな視線を王子へ向けている。


「分かった。君のことはそれなりに扱おうじゃないか。もう今日は二人にさせてくれ。せっかく雪ちゃんが生き返ったんだから」


「その件だが。どうです、白雪様はこんなキモい王子と一緒にお過ごしになりたいですか?」


 召使いは白雪に視線をやる。白雪はやはりきょとんとした様子で少し考える素振りを見せた。


「急に殿方と二人きりなんて、恥ずかしいです」


 白雪は頬をほんのりと赤らめ、恥ずかしそうに身をよじる。


「なんて魅力的なんだ。さ、おいで、雪ちゃん」


 二人の間にまさかの良い雰囲気が漂う。


「と、そんな二人に残念なお知らせです。今までの王子のキモい行動を全て記録しておきました」


 召使いはポケットから一枚の紙を取り出した。


「僭越ながら発表させていただきます。王子のなでなで回数、5982回。無駄に手を握った回数、4076回。勝手にしたディープなチューの回数、2936回。危うく服を脱がしそうになって召使いから止められた回数、1458回。その他、ここで言えない諸々は割愛します。とにかくキモい。激しくキモい」


「きっちり数えたお前もどうなんだ! やっぱり許せない! 処刑してやる!」


 だが王子の即決空しく、白雪は王子に対してドン引きしていた。王子に蔑む視線を送りつつ、助けを求めるように召使いへと寄り添っている。


「白雪様、これでも王子と一緒にいたいですか?」

「さっきとは違う理由で明白に嫌です」

「雪ちゃん!」


 王子は咄嗟に白雪の手を取ろうとするも、召使いの足蹴によって阻まれた。


「ところで白雪様、この城を去ったとして行く場所もないでしょう。どうです、我が主のもとへ行くというのは」


「あなたの、主?」


 王子は足蹴にされた手の甲をさすりながら、召使いを睨みつける。


「何を言っている? どういうことだ、貴様」


 召使いがニヤリと笑う。


 指をパチンと鳴らすと、扉から屈強な男たちがずかずかと乗り込んでくる。王子は抵抗の甲斐なく、取り押さえられた。


「何なんだ。この僕にこんなことをしてタダで済むと思っているのか! 僕はこの国の王子だぞ!」


「生憎、我が主も隣国の王子ですので」


 召使いは慇懃無礼に礼をする。


「王子が白雪様を大切にしないなら我が物にしてしまおう、と我が主はお考えだ。白雪様の気持ちも離れているし、観念するんだな」


「国際問題に発展するぞ!」


「発展するだろうな。我が主の姫君に触れたという重罪でね。連れていけ」


 喚く王子は結局どうすることもできずに扉の外へと消えていく。部屋から連れ去られてもなお、王子の喚き声が遠くから聞こえている。


「さて、白雪様はどうされますか。白雪様が選ぶ道を邪魔する権利は、我々にありません」


 召使いは白雪に対して恭しく頭を垂れる。白雪は扉の向こうをぼーっと見つめていたが、やがてきょとんとした顔で召使いの方を向いた。


「私を心配してくださった殿方に会わないというのは失礼ですよね。案内をお願いします」

「ありがとうございます。お前たち、丁重にご案内を」


 白雪はこれまた屈強な男たちに護衛されながら去っていく。


 一人残された召使いは、静寂が戻って安心したのか深くため息をつく。


「毒リンゴを食べても死なないとは、本当に不思議なお方だ」


 召使いは毒リンゴのカケラを拾うと、ニヤリと笑みを浮かべた。


「姫の体さえあれば、不死の研究も捗るというものだ」



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