第10話
いくら無駄に歳を重ねていようが、前例のない事態を前にしたら、人はあまりにも無力だ。
とはいえオッサンが服を前から裂かれたまま歩いていたら職質確定であろうから、本来の姿でないのは良かったと捉えるべきだろうか。
「な、何考えてんだテメェ……」
菊馬が突飛な奴なのは間違いない。
しかし、女の子の服を破って放り出すような冷徹な奴ではなかった筈だ。
……リリスの中身はオッサンなのだが、腕力も体格も忠実に女として作り替えられてしまっている。
余分な布のないタイトな服を破られて外に出されたらひとたまりもないと、菊馬だって考えれば分かるだろうに。
「……俺がお前の言うことを聞かないで抜けたのが、そんなに恨めしいか?」
則夫が思い当たる自分の落ち度は、それだけだった。
本来、菊馬に則夫を害する理由はない。
友人として大切に思われている自覚は確かにあった。
だからこそ、何事もなかったように顔を出したのは、菊馬の好意にあぐらをかいた行為だったのかもしれない。
本当は誰よりも思慮深い菊馬が、その性質を損なってまでぶつけたい怒りを、則夫は生んでしまった。
「悪かったよ」
「…………則夫……」
勿論、謝って済むとは思っていない。
菊馬に見つからなかったのをいいことに音信不通を貫いたり、則夫は不義理を積み重ねに積み重ねている。
自分がいかに辛いかばかりを考えて、自分の為に動いてくれている人を無視していた。
それがどんなに身勝手で罪深いかを、今になって漸く理解した。
「正直どうすればお前にとっていいのかとか、分からねぇんだ。でも、」
「リリスちゃん!」
「えっあ、ハイ」
仲直りモードに突入……と思われたところに乱入してきたのは、リリスの現在の本命バンドマン・KOUだった。
外野の立場であれば、「男に襲われる女の子を助けるKOU、マジかっこいい……!」と沸いていたが、生憎リリスは当事者だ。
菊馬の手前、大っぴらには喜べない。
「おかしいなァ、誰も来ん筈やのに」
KOUの登場に、菊馬は首を傾げている。というか、こいつが紛らわしいのだ。
服は破り、壁に足をついてリリスに通せんぼする姿は不埒な輩にしか見えない。
もっとこう、旧友と久々に再会した状況に合った振る舞いをしてほしい。
「ち、違うの、KOUさん……!」
ブツブツ言っている菊馬のお陰で、リリスは一人での言い訳を強いられる。
ワンオペの牛丼屋店員くらい焦っているリリスに、KOUは自分の上着を脱いで着せてくれた。
その上着の、なんと献身的な温もりだろうか。
「これ、返さなくていいから。着ていって」
「ぁ、そんな……悪いですう」
カマトトぶりつつも、心の中では「推しの使用済み私物ゲット~☆」と小躍りしている。
脳内カーニバルなリリスをよそに、KOUは菊馬に向き直った。
「……菊馬さん。うちのバンドのことはもう呼ばないでください。こんなことする人とはやっていけない」
「あ、そぉ」
薄い反応をする菊馬を置いて、KOUはリリスの背中を押して歩くよう促す。
カッコよすぎる。KOUは、自分の信念に背いてまで強者に媚びを売ったりはしないのだ。
男の中の男。ありきたりではあるが、KOUを表すに相応しい言葉だとリリスは思った。
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