第8話

 そしてライブ当日。

 則夫が人生で買った服を全て合わせてもこれよりは安いだろうと言える服を着て、リリスは会場に来ていた。

 追加販売のチケットだというのに、整理番号がべらぼうに早かった。

 上手最前も夢ではない。奇跡を通り越して狂っている。


 今日の餓郎はcherry adamの前座として出演するから、始まったらすぐに演奏が聴ける。

 餓郎を本来の意味で前座扱い出来るのは、cherry adamがメジャーデビューしたバンドだからだ。

 cherry adamのファンからしたら、結成半年のインディーズバンドが前座に呼ばれたのは寧ろ意外だったかもしれない。

 件のギタリストのやり方はなんだかんだ手堅いというか、普段ならもっと慎重なのだ。


『KOUーーーーー!!』


 ざわめく周囲に、リリスははっとさせられる。開演の時間となり、既に幕が上がりかけていた。

 上手の最前を確保したリリスのすぐ目の前に、KOUの姿はあった。


「!」


 次の瞬間、リリスの気のせいかもしれないが、KOUと目が合う。

 すぐに視線を逸らされてしまい、その後は合うことはなかった。


 だがしかし、目は合わなくともKOUは格好いい。

 すっかりファンになった今では最高にアガる楽曲も、KOUが作曲を担当しているらしい。

 イケメンでギターが上手くて良い曲を書けるだなんて、神は彼に色々と与え過ぎではないだろうか。

 更にリリスは、KOUが優しくて度胸もあることを知っている。

 おまけにオジサンの付け焼き刃なハニートラップにもあの、毅然とした対応。

 ……これに関しては、リリスが下手だったのだろう。


 夢中になっていたら、先日よりも長かった餓郎の出番も一瞬だった。

 幕が降りたステージでは、cherry adamの為の準備が行われている。


「すいませーん、通りまーす」


 リリスは決めた。始まる前に帰ってしまおうと。

 餓郎の為なら奴らのチケットを取れるくらいには図太くなっても、トラウマはまだ消えていないのだ。


「リリスちゃァん……ようこそ、ボクらのライブへ」

「はっ……?」


 ふと後ろから聞き覚えのある声がして、肩を捕まれる。

 耳のすぐ横に人の気配が迫り、身体中に鳥肌が立った。


「それとも、こう呼んだ方が良かったァ? の・り・お♡」

「……っ!? 菊馬、お前っ!?」


 振り向くと、『菊馬』は人の悪そうなニタニタ笑いを浮かべていた。

 歳をとって最後に会った時よりは大人らしくなっているが、こいつは間違いなくcherry adamのベーシスト・『KIKU♡rin』だ。

 因みにふだけた名前で態度もふざけていながら、ベーシストとしての実力だけは本物である。


「ほんまにいけずやなァ……やっと来てくれたのにもう帰ってしまうん?」

「持つな! どこに連れてく気だ!?」

「特等席♡ 則夫の為に取っておいたんよぉ?」


 リリスを小脇に抱えながら、器用に人並みを潜り抜ける菊馬。

 客席に乱入してきて特定の客を連れ去ろうとする菊馬に、何故か誰も注目していない。

 それどころか菊馬は空気のように無視されている。

 自分のバンドのライブで奇行を働いているのに、客から気付かれていないとでもいうのか。


「はいお姫様、大人しくしとるんよぉ♡」


 置いてあった三角コーンをどけた菊馬は、その場所にリリスを座らせる。

 菊馬が手を離すと、リリスは金縛りに遭ったかのように動けなくなった。


「おいっ、菊馬!」

「終わったら楽屋入れたるよー。一緒帰ろ♡」

「誰がっ……!」


 下手の最前に置き去りにされ、暫く呆然とする。

 絶妙に腹が立つ「一緒帰ろ♡」の言い方は相変わらずだ。

 リリスは、菊馬におちょくられて失っていた冷静さを僅かに取り戻してきていた。


 メジャーバンド・cherry adamのライブ会場で、メンバーのKIKU♡rinが居ても話題にすらならない不自然さ。

 何より、菊馬はリリスの正体が則夫であると見抜いていた。


「まさか……」


 市長が言っていたのを思い出す。黒魔術師や魔法使いは、市長以外にも存在する。


 リリスはある仮説に辿り着いた。菊馬は黒魔術師なのではないか……と。

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