第3話
則夫であれば、こんな状況ではまた閉じ籠って外界と自分に壁をつくったのだろう。
しかしリリスはそうではない。
リリスの身体はとにかく何かを見つけたくて、じっとしてはいられなかった。
逸る気持ちを抑えられずに外出したリリスは、黒い服を着た人々から成る列に並んでいた。
今日の服装はグレーのワンピースだから、そこまで浮いてはいないだろう。
リリスが並んでいるのは、インディーズバンドのライブの入場列だった。
何を隠そう、則夫は若者時代はバンドを組んでそこそこ精力的に活動していたのだ。
辞めた経緯が経緯なだけに、意図的に地元の箱にも近寄らないくらいに音楽から離れてしまっていた。
だが東京に来てしまえば話は別だ。
最近の東京にはどんな凄いバンドが居るだろうという好奇心が勝ってしまう。
当日券だったから、入れたのは後ろの方で、ステージはあまりよく見えない。
雰囲気だけ味わえればいいと気を抜いていたリリスの視界に、『彼』はひどく鮮烈に飛び込んできた。
主宰バンドの演奏が終わり、そこから三組目だった。
『餓郎』というバンドのギタリストは、とにかく目を惹いた。
長身でガッチリとした体型だからギターを持っただけでも既に様になっていたが、激しい曲調でも演奏が安定していて淡々と弾きこなすテクニックまである。
テンションが低いのかと思えば驚くほど身軽に跳ねてみたりして、ついつい目で追ってしまった。
多くの女性客が熱心に名前を呼んでいたメンバーは、もしかしたら彼なのかもしれない。
餓郎の出番が終わるなり、前方に固まっていた客はごっそり捌けていった。
「主宰もよく呼んだなぁ……」と思いつつも、呼びたい気持ちがよく分かる。
あいつの弾くギターに乗せて歌えば、絶対に気持ちいい。
久々に則夫は、ヴォーカリストとしての視点で人を見た。
熱気冷めやらぬまま来た道を戻れば、餓郎の物販をやっている。
CDや何種類かのグッズと、ランダムチェキが売られていた。
「……金がねぇ!!!」
財布を開いたリリスは、落胆した。
KOUのチェキを出そうとしたら、1枚や2枚では絶対に済まないというのに。
欲を出して落書き入りを狙えば、現在の所持金では更に厳しい。
泣く泣くCDだけ買ったリリスは、とぼとぼと帰路についた。
少ない金はギャンブルに使うよりも確実に提供される飯代にした方がいいのだと、自分に言い聞かせていた。
「……いや、飯はイコカで買えばよかったじゃん」
「お帰りなさい、リリス」
「おわあ!! 市長!?」
マンションに着き家のドアを開けると、いきなり市長が立っていた。
リリスは持っていたビニール袋を落としそうになる。
「なんです、人を幽霊みたいに。これを届けに来たんです」
「カード?」
「限度額まで使って貰って構いません。現金も君の口座に振り込んでおきました」
帰った途端リッチになったリリス。喜ぶところなのだろうが、惜しまずにはいられない。
「もっと早く来てくれよ~……」
買えた筈のチェキを思い、リリスは少しだけ泣いた。
元バンドマン32歳則夫は、美少女リリスに変身し、見事にバンギャと化しつつあった。
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