第2話
改めて、則夫ことリリスは下着姿で洗面台の前に立った。
胸には二つの膨らみと、気持ち悪いほどにぴったりなブラジャーがついている。
「でけぇ……」
リリスの胸は大きかった。体格こそ平均的だが、胸と尻にはしっかりと肉が付いている。
大方男を誘惑する為に市長が作ったもので、則夫のポテンシャルとは無関係なのだろう。
32のオッサンだった則夫は、オッサンでも男でもなくなり、若々しい女の肉体を得て『リリス』となった。
どうしてこうなったのか……それを語るには、時を三日前へと遡る必要がある。
三日前。祖母を亡くして三ヶ月が経った則夫は、腐っていた。
葬儀が済んだ後はろくに外出せず、やがて仕事にも行く気が失せてしまい、無断欠勤でクビになった。
ピザチェーンか近所の中華屋しか出前の選択肢がない田舎だから、たまに買い物には出た。
腹だけは減るのだ。しかし身なりに気を遣わなくなり、さぞかし小汚ないオッサンだったことだろう。
金無し職無し家族無し、そんな中年が家に一人。
焦燥感と虚無感に蝕まれるだけだと分かっていても、一歩も動きたくはなかった。
ある日、久々に則夫の家の呼び鈴が鳴った。それも、とてつもなくしつこく。
けたたましいピンポン連打に、二度寝する気も失せた則夫は、乱暴に引き戸を開け放った。
「なんなんだ……!」
「契約履行の時間です、則夫くん」
「……はぁ?」
唐突に顔の前に突きつけられた紙は、近すぎて見えない。
離れて見ると、見慣れない文字列が並んでいた。
「●●市……少子化対策、臨時職員……志願届?」
「あなたのおばあ様があなたのお名前で提出した届です」
「はああ!? あのババア、ジャニーズじゃねえんだから……」
祖母の死後三ヶ月で、則夫は謎の職員に志願させられていたことを初めて知った。
死んでからなんとなく祖母を美化していた感じもあるが、それもこの日までだ。
「いやぁ、でも……無効でしょ? 本人が出したんじゃないんだし……」
「前金をお支払いする前であれば、ご対応できたんですけど」
「前金……? ……ババア! あれ俺の金だったのかよ!」
祖母が死ぬ一週間前、通帳を渡されて暗証番号も教えられた。
『あたしの葬式代と、当面の生活費の足しにしな』
そう言った祖母の儚げな笑みを、今でも覚えている。
「よくもまあ、人の金であんな顔できたな……!」
「あの、回想はもういいですか? とにかくやってもらいますんで」
祖母の面の皮の厚さに戦慄する則夫に、七三分けの男は迷う隙を与えようとはしなかった。
「いやあの、俺騙されて……」
「前金五百万円、今すぐ返せます?」
「えええ……」
言葉に詰まり、則夫は七三男の顔をじっと見る。
どこかで見た顔だと思ったら、今度就任したばかりの新しい市長ではないか。
髪型といいかっちりとした服装といい、過剰なまでにノーブルで、逆に胡散臭い。
爽やか青年キャラでやってはいるが、歳は則夫の三つ上で35だ。
「いいですか則夫くん。あなたはこれから18歳の女の子になります」
「無理じゃないですか?」
「いいえ、なります。私は黒魔術師なんです」
こいつ、頭がおかしい。そう気付く頃には黒い靄に身体が包まれ、先ほどまでの則夫の姿はなかった。
代わりに、可憐な少女がブカブカな服を着て佇んでいたのだ。
真新しい服に袖を通し、適当な帽子も被る。
鏡の中では、見過ぎてもう良いのか悪いのかも分からない自分の顔が小ぢんまりとしていて、少女然ともしていた。
「可愛いのか、これ……?」
市長によれば、黒魔術師や魔法使いは市長以外にも居るらしい。
もしもそのうちの誰かに会えて、いい人だったならこの忌々しい魔法を解いてもらえるだろうか。
……などと夢想しても仕方がない。魔法は現状市長に解かせる他なかった。
市長が出した、則夫を男に戻すにあたっての最低条件。
それは、『優秀な男の子供を産むこと』だ。
わざわざ男を女にしてまですることかと問いただしたくなるが、則夫にはやる理由がある。
金を返せないのだから、やるしかない。
ほんの数日で、則夫は女という生き物の過酷さを嫌というほど思い知ったのだった。
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