バンギャリリス
くるるぎ
第1話
則夫は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の市長を退けなければならぬと決意した。
勿論それは半分嘘である。現在の則夫はというと、広大な羽田空港で上の表示を必死に見ながら彷徨っていた。
彷徨えども、荷物受取所には必ず辿り着かねばならない。
市長に支給された、何着かの服と少しばかりの日用品が詰まったキャリーケースが流れてくるからだ。
早歩きでやっと目的の場所に辿り着く。
この身体は移動に時間がかかるが、息切れはしない。
早速流れてきたキャリーに則夫が駆け寄った時、事件は起きた。
「おい!! それは俺の荷物だ!!」
「ひぇ……すみませ、っいや、ステッカー貼ってるんですけど、もしかして同じ……?」
「聞こえねぇよ!! ゴチャゴチャ何言ってんだよ!?」
後ろから肩を掴まれ、グッとキャリーケースから引き離される。
振り向くと、肥満体型の中年男性が則夫を見下ろしていた。
「これ! これです!」
「はあぁ!?」
ステッカーを指差してみても、一向に話が通じない。
一言一言いちいち大きな声を出してこちらを威圧してくる男に、則夫の心は折れそうになった。
もうそれはくれてやるから、俺のラブリーなお洋服を着るがいい……。着れるもんならな……!
諦めた則夫がキャリーから手を離した瞬間、『彼』は現れた。
「……あれじゃないですか。それより一回り小さいけど」
「あぁ!?」
則夫を庇うように男との間に立ち、レーンを手で示す青年。
背が高い彼にも怯まずに怒鳴る肥満中年であったが、その威勢のよさは長くは続かなかった。
「サイトウ……セイジさん?」
キャリーバックを片手で軽々と持ち上げた青年は、タグの名前を確認して読み上げる。
「あっ……あぁ……」
怒鳴りかけて、はっとした男はみるみるしょぼくれていく。
自分の荷物が見つかったのなら喜ばしいことの筈だが、しょうもないプライドがあるのだろう。
「……フンッ!! テメェが邪魔くせぇところに突っ立ってるからだろうが!! 女がでしゃばって前に出てくんじゃねぇ!!」
「な……」
男は最後まで憎たらしい態度で、則夫に捨て台詞を吐きながら青年からキャリーバックを引ったくって去っていく。
急いでいたにしても、なんという振る舞いだろうか。
「あ、あの……ありがとうございました」
それでも、嫌な男にばかり気をとられてはいられない。
青年は不快な思いをしながらも則夫の為に動いてくれたのだ。
大したことは出来なくとも、お礼はするべきだろう。
向き直った則夫の言葉に青年は俯き、照れた様子だった。
セットされていない前髪は長く、青年の目を覆い隠してしまう。
しかし鼻や口元の端正さから、この青年が整った顔の持ち主であると分かった。
「いや……これ、どうぞ」
青年は、男が倒したキャリーケースを立て直し、則夫に持たせてくれる。
イケメンだ。イケメン過ぎる。ただでさえ暴言男から庇ってくれてイケメンだというのに、どれだけイケメンになれば気が済むのだろうか。
「それじゃあ。気を付けて」
「えっあっ、お茶でもー……!?」
則夫の誘いが耳に入らないほど足早に、颯爽とイケメン青年は遠くへ行ってしまった。
去り際まで一貫してイケメンだった。やはりイケメンは生きざまが違う。
羽田空港で東京の男の頂点と底辺を一度に目にした則夫は、市長が用意した家に向かうべく、駅を目指した。
多少迷いながらも目的の電車に乗って乗り換えに成功して徒歩数分、駅近のマンションはすぐに見えてくる。
降りた駅は、新宿駅だった。
「ホストとでも子作りしろと……?」と冷ややかな視線を向ける則夫に、市長は悪びれずに「それが一番手っ取り早いでしょうね」と言い放った。
あのような邪悪な存在が権力を持っていていいわけがない。
……とはいえ、23区の駅近くの3LDKマンションに一人暮らしするというシチュエーション自体は非常に魅力的だ。
則夫の元々の身分から考えれば、一生かかっても手に入らない住環境である。
愛すべき新しい我が家にキャリーケースを運び込み、タグを剥がして中身をまさぐる。
床に転がったタグには、『Lilisu misono』と書かれている。
美園リリス。それが則夫の新しい名前だった。
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