15.間違いじゃないと言いたい

「もう一度聞く。あなたは矢沢先輩に何をしようとしていたの?」

「い、いや俺は別に……」


 銀髪長身美少女の青い瞳に射抜かれて、泉くんはとくにやましいことがないはずなのにうろたえてしまっている。

 城戸さんからは明らかな怒気が放たれていた。僕も泉くんと同じ状況に立たされれば、意味もなく目を泳がせながら声にならない音を漏らしているだけの男子になってしまうだろう。


「あ、あのね城戸さん」

「大丈夫。矢沢先輩はもう何もしなくてもいいから」


 僕……ものすっごく庇護対象として見られてる?

 おそらく泉くんに壁際に追い詰められている僕を見て、いじめられていると思って助けに来てくれたのだろう。

 実際は幼馴染である僕に、美月のことで何かしらのアドバイスを求められただけだった。僕にとっては最悪の地雷ではあったのだけども。

 正直なことを言えば、城戸さんが助けに来てくれてすごく嬉しい。

 勘違いではあるんだけど、僕のために助けに来てくれたこと自体が嬉しかったのだ。城戸さんとはまだ数回お昼をともにしただけの仲だというのに、僕を庇ってくれるほど思ってくれているのだと感じられる。


「あのっ!」


 だからこそ、こんなことで城戸さんを悪者にしたくなかった。

 僕を守っている手を押しのけて、城戸さんの前に立つ。


「泉くんは僕をいじめていたわけじゃ──」


 誤解を解こうと口を開いたら、強制的に言葉を止められてしまう。

 どうやって? 答えは城戸さんの手によってだ。


「先輩。前に出たら危ない」

「んぶっ!? んん~~っ!?」


 より厳密に答えるのなら、城戸さんの胸によってである。

 城戸さんは何を思ったか、僕の顔を抱き寄せて自らの胸に押し当てたのだ。

 一瞬硬さを感じたのはブラジャーか? しかしすぐに柔らかさに埋もれていく。

 それはどこまでも深かった。それはイコールで彼女のおっぱいの大きさを証明していた。

 ああ……なんという安心感……。深みに堕ちていく僕は、まどろみの中で気持ち良くなっていく。

 うん……僕、もうゴールしちゃってもいいよね?


「さあ、早く答えて。あなたは矢沢先輩に何をしようとしていたの?」

「君はこの状況で話を続けようとするのかっ!?」


 頭の上で何やら言葉が交わされている気がする。

 うん、でも……もうどうでもいいや。大きなおっぱいに包まれていられるのなら、すべてが些細なことだ。


「朝から人の目がある廊下で、風紀を乱すのはさすがにどうかと思いますよ?」

「うわあぁっ!?」


 さっきまで周りの声が遠くに聞こえていたのに、急に呆れた言葉がクリアに耳に入ってきた驚きから飛びのいた。


「おはようございます比呂くん。良いところをお邪魔してしまって申し訳ありませんね」

「ままままま松雪さん?」


 ニコッと微笑む松雪さんが、かなり近い距離にいた。

 そこでようやく僕は、自分が何をしていたかに気づく。

 城戸さんの胸に顔を埋めるとか何やってたんだ僕は!? いや、やったのは城戸さんからなんだけども! だからって言い訳できないっ!


「それで、これは一体どういう状況ですか?」


 慌てる僕の内心に構わず、松雪さんが城戸さんと泉くんを交互に見やる。

 ここで僕も周囲の注目を浴びている状況に気づいた。


「……」

「い、いや、大したことじゃないんだけど……」


 不機嫌そうな城戸さんと、しどろもどろになっている泉くん。

 学園一の美少女、松雪さんが間に入ったことで異様な雰囲気が幾分か緩和された。


「私には、比呂くんを取り合っている男女が喧嘩しているように見えたのですけれど」

「違うよ! それは本当に誤解だからね!」


 ただでさえ誤解が解けていないのに、新たな誤解を生まないでほしい。

 そうだ、誤解を解けるのは僕しかいないのだ。早く事態を収拾しなければっ。


「あのね城戸さん」

「うん」


 今度はいきなり抱きしめられることはなかった。べ、別に残念だとは思っていないぞっ。


「泉くんは僕に相談しに来ただけなんだ。別にいじめられているとか、そういうのじゃなくて……だから、僕は大丈夫!」


 城戸さんを見上げて、ハッキリと言った。

 城戸さんはパチパチと瞬きをする。


「もしかして、あたしの勘違い?」

「そ、そう。勘違いっ」


 城戸さんは無言で僕を見つめる。そして、泉くんに目を向けた。


「矢沢くんの言った通りだ。俺はただ彼に相談しに来ただけであって……敵対する意思はない」


 見れば泉くんは両手を挙げて、自分は無害だとアピールしていた。


「どうやら、本当に誤解があったようですね」


 松雪さんもそう結論づける。さっき現れたばかりなのに、彼女に言われると説得力が生まれるな。これが学校一可愛いと評される女子のカリスマか。


「わわわわ……ご、ごめんなさいっ!」


 城戸さんが頭を下げて謝った。相変わらず身長があるからか勢いがすごいな。


「いいのですよ。勘違いは誰にでもあることです。ね、清十郎くん?」

「え、あ、そ、そうだな……松雪さん俺の名前覚えてくれてたんだ……」


 途中から現れたはずの松雪さんが、なぜか上手いこと締めくくってくれる。ていうか彼女持ちの男子のくせに、他の女子に名前呼びされたからって喜ぶな!

 周囲の人たちも、さっきまでの険悪な雰囲気が誤解だとわかったのだろう。注目されなくなっていった。


「ほらほら、そろそろ始業の時間ですよ。みんな早く教室に向かいましょう」


 松雪さんの言葉で解散の流れとなった。

 やれやれ、これでようやく解放されそうだ。


「先輩も、あたしが誤解して……ごめんなさい」


 城戸さんはぽしょぽしょとした声で謝って、自分の教室に向かって行った。

 ものすごく申し訳なさそうな顔をさせてしまった……。

 彼女は悪くない。誤解だったかもしれないけれど、僕を助けようとしてくれた気持ちは本物だった。


「……」


 今までの僕は、そういうことがわかっていながらも自分で行動してこなかった。

 誰かがなんとかしてくれるのを願うだけ……そうやって、後悔した。美月のことだって、未来の僕がどうにかしてくれるだなんて、無責任な願いをしていただけだったんだ。

 間違った行動はいけないことなのかもしれないけれど、何もしないというのはそれ以上の罪と後悔を背負っていかなければならない可能性があるのだと、僕は知っている。


「比呂くん?」


 重たい足を、前に出した。

 一歩を踏み出しさえすれば、駆け出すことができた。

 とぼとぼと歩く先輩思いな後輩に追いつき、彼女の制服の袖をちょんと摘まむ。


「矢沢先輩?」

「あのっ」


 振り返った青の瞳は、少し潤んでいた。

 僕よりも大きな後輩に、素直に伝える。


「ありがとう。助けに来てくれて……本当に嬉しかった」


 真っ直ぐに目を見つめて、感謝を伝える。

 城戸さんがしてくれたこと自体は間違いじゃない。それは助けられた僕自身の口から言わなきゃならないことだった。


「うんっ……」


 後悔に染まっていた彼女の表情が、少しだけ緩んだ。

 よかった。悪いことしていないのに、悪いことをした気分になるのは嫌だからな。


「比呂くん……ふふっ」


 用事も済んだので教室に向かおうとすると、なぜか松雪さんが満面の笑みで僕たちを見ていた。え、今笑うところあった?



  ◇ ◇ ◇



 今朝の件は無事に収められた……かに思われたのだが。


「城戸って自分の父親を半殺しにした、やべえ女なんだよ」


 あろうことか、次は城戸さんの悪い噂が流れてしまったのである。


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