2.僕が先に好きだったけど、もう遅い
正気を取り戻した時には、部屋は大惨事になっていた。
その惨状を家族に隠せるはずもなく、普段は温厚な母を怒らせてしまった。
「自分で片づけろ。いいな?」
「は、はい……」
鬼の形相となった母さんに逆らえるはずもなく。僕はこの後、上官の命令を忠実に実行する兵士の如く粛々と部屋を片付けた。
……まあ、僕のおかしな様子に気づいていながら理由を尋ねなかったことに関しては、息子のことをよくわかってくれていて感謝しかないんだけども。
「……」
今でも、信じられない。
美月が他の男と付き合っていること。それを事実として、どうしても呑み込めなかった。
だってあの美月だぞ。僕なんかの幼馴染を続けてくれるような、どこか抜けているあの美月が? 本当に?
いや、確かに美月は可愛い。
他の男子が秘密裏に作っている「可愛い女子ランキング」などというゲス企画にも、美月の名前がノミネートされるくらいには人気がある。
それでも、高二になっても抜けることのない子供っぽさが、美月が大人の階段を上るのはまだ先の話だろうと僕を油断させていた。
「子供だったのは、僕の方か……」
部屋を片付けながら考える。
こんな風に癇癪を起こして、自分の部屋を滅茶苦茶に荒らして。こんなの、ただの子供が嫌だ嫌だと駄々をこねているのと同じじゃないか。
恋愛はまだ先のことだと、美月がまだ子供だからと言い訳ばかりして、何も行動を起こさなかったのは僕だ。
「僕が、悪いんだよな……」
涙が零れる。
これが失恋の痛みか。
いや、僕は失恋したと胸を張れるだけのことをしてきたのか?
「何も、していなかった……」
僕の方が先に好きだった。それだけは、間違いないだろう。
まだ小さかった頃から美月のことが好きで、長い時間彼女とともに過ごしてきた。
美月と幼馴染であると。それだけのことで、僕は彼女の中で特別な存在だと思い上がっていたんじゃないか?
もし僕が美月と幼馴染じゃなくて、泉くんのような立場だったら。もっと積極的に自分をアピールしていたはずだ。
「いや、この考えは泉くんに失礼か……」
彼だって勇気を振り絞ったに違いない。
……そうであってほしい。もしチャラチャラした気分で美月と付き合いたいのだとのたまっていたのだとすれば、僕は自分を抑えられる自信がない。
鬱々とした思考に没頭しながら、部屋の片づけを続けるのであった。
「……比呂、大丈夫? ご飯できたけど、食べられそう?」
「うん、ありがとう母さん」
部屋の片づけが終わった頃に、母さんが晩御飯に呼んでくれた。よかった、もう鬼の形相じゃない。
親の前でも涙は見せない。それが男の意地だ。
晩御飯は好物のから揚げだったのに、上手く喉を通らなかった。
◇ ◇ ◇
僕の失恋という一大事件から、一夜明けて……。
いつも通りの朝がやってきた。本当にいつも通りすぎるほどの九月の朝。地球が回っていることすら憎たらしい。
「比呂、おはよっ」
「おはよう美月……」
通学路を歩いていると、背中を叩かれてあいさつされる。
振り返れば満面の笑みを浮かべている美月。そりゃそうだよな。昨日彼氏ができたばかりなんだし。朝でも上機嫌になろうというものだ。
そんな美月に会いたくなくて、早くに家を出たというのに……。
こんな時に限って美月も早い時間に登校していた。
あれか? 早く学校に行って、できたばかりの彼氏に会いたいとか。そういうことなのか?
「あれー? 元気なくなくない?」
なくなくないって、もうどっちかわからないだろ。
「ちょっと、夜更かししちゃって……」
「またゲーム? 睡眠時間はちゃんと確保しなきゃいけないんだよ。ほら、夜更かしはお肌の大敵っていうし」
「そういうことを気にするのは女子だけだって」
「最近は男子も美容に気を遣ってるって聞くよ? 比呂ったら友達とそういう話をしないの?」
友達はいないんだよ! くっ……なんで失恋以外の痛みも味わわされなきゃならないんだっ。
「とにかく、今日は眠いからあまり話しかけないでくれ」
「そっか。お大事にね」
お大事にって……。別に風邪とか引いたわけじゃないぞ。
美月は僕を追い越して学校へと向かった。
「……」
僕から離れていく後ろ姿に、思わず手を伸ばしてしまいそうになる。
だ、ダメだ! 情けないことだけはしないぞ! 男の意地にかけて!
きっと、泉くんはいい男だ。僕なんかよりも、確実に美月を幸せにできるだろう。
「幼馴染として、ちゃんと祝福しないとな」
まだ気持ちに整理をつけられない。
すぐに祝福するのは無理だ。だからって、いつまでも身勝手な苛立ちを態度に出しているわけにもいかないだろう。
「美月が幸せなら、僕は……」
僕は、どうなんだろう?
悲しみも、怒りも、絶望すら抑えられない。
自分の気持ちを口にできなかったくせに、こういう負の感情ばかりが表に出ようとしてくる。
こんな自分が、本当に嫌いだ。
「危ないですよ比呂くん」
「え?」
声をかけられて、はっとする。
気づけば目の前に電柱が迫っていた。思考に没頭して、前を見ずに歩いていたのだ。
それに気づいたところで、もう遅い。足を止められないまま、僕は電柱にぶつかって──
「ふぅ、ギリギリセーフでしたね」
「あれ?」
覚悟して目をつぶったのに、顔面に予想した衝撃はこなかった。
目を開けてみれば、あと数センチのところに電柱があった。
僕はなんで止まれたんだ? その疑問と同時に、肩を後ろから引っ張られている感触に気づく。
振り返ってみると、そこには絶世の美少女がいた。
「比呂くんがケガをしなかったのは私のおかげですね。感謝してくれてもいいんですよ?」
絶世の美少女がニコッと微笑みながら、僕の肩を引っ張って電柱への激突を止めてくれていた。
艶やかな長い黒髪がサラサラとなびいている。
雪のように白い肌が、朝の陽光で輝いていた。
くっきりとした二重まぶたを彩るかのようにまつ毛が長い。彼女の大きな瞳は吸い込まれそうなほどの魅力がある。
整いすぎた美貌がこっちを向いている。自然と全身に緊張が走った。
彼女は
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