第30話 正史ヒロイン登場

「セレナ?」

「──え?」


 少女がハッとしてこちらを振り向く。

 涙目だった瞳が、驚きと警戒で揺れる。


 金髪を三つ編みにした華奢な少女。

 濡れたような輝きを持つ青い瞳と、ほんのりと赤みを帯びた白い肌。

 身に纏う簡素なワンピースはところどころほつれているが、そんな姿をしていても、彼女の顔立ちにはどこか凛とした品格が感じられる。


 やはり目の前にいるのは、アルティア・クロニクル正史における正ヒロイン、『セレナ・グランチェスター』で間違いないようだ。


 未来のエミルの相棒であり、彼を支える芯の強い少女。

 彼女の存在は物語の核であり、ゲーム後半では彼女を中心にストーリーが展開していった。


 ……とは言ったのだが、実はエミルの嫁候補は三人いて、セレナは要するにその一人だ。

 ドラ○エ5で言うならビア○カだ。幼馴染枠だ。

 誰を選んでも三人とも特別な力を秘めており、結局将来勇者の右腕にもなる存在。

 その辺はセーブを駆使して全員試した。


 俺?

 もちろんセレナを選んださ。

 だって幼馴染は最高なんだぜ?


「なんだお前?」


 不良冒険者の一人が、こちらを睨みつける。

 俺は思わず足を止め、彼らの存在に意識を向けた。


 しまった……セレナに夢中で状況をあまり気にしていなかった。

 いや、断じて俺はロリコンというわけでは──


「おいおい、勇者気取りでも……って、どっかで見た顔だな?」

「あれ、待てよ……お前もしかして、フェイクラントか?」


 その言葉に俺はハッとする。

 彼らの視線が俺に集中し、先ほどまでセレナを弄んでいた空気が一変した。


「ああ、そんなのいたわね……荷物持ちとかさせてたっけ?」

「うわっ懐かしいな。いたな、こんな奴! えっと……"雑用フェイ"だっけ?」


 不良冒険者たちは顔を見合わせ、大笑いし始めた。

 途端に、俺の脳裏にフェイの記憶が流れ込んでくる。


 彼らはかつてのフェイクラントが、冒険者だった頃の「元仲間」だった。

 と言っても、実際にはまともにパーティの一員として扱われたわけではなく、雑用ばかりを押し付けられ、戦闘には一切加わらせてもらえなかった。

 挙句、彼らにとって邪魔になったフェイは、ある日を境にパーティから追放されたのだ。


「げっ……」


 記憶を通して感じるフェイの屈辱や惨めな感情が体に染み渡り、思わず体がすくみ上がる。

 俺自身は彼らに会ったことはないはずだが、この記憶が感情と結びつき、逃げたい衝動を引き起こす。


「おいおい懐かしいな!? 魔術もロクにできねぇ、戦士としてもカスだったお前がよぉ」


 手前の男、ハロルドがそう言う。

 パーティのリーダーを気取っていた男だ。

 軽装のレザーアーマーに短剣を腰に下げていて、小回りの効く戦闘が得意だ。


「なんだぁ? お前ついに故郷からも追い出されたのか?」


 ハロルドの隣にいるバッカス。

 でかい図体の戦士系だ。

 厚手の鎧に大斧を背負い、ゴツい体つきに似合う豪快な笑い声をあげる。


「ぷーくすくす、荷物持ちのくせにいっつも私の体ばっか見てキモかったのよねぇ」


 そして奥でほくそ笑むアビゲイル。

 魔術師で、三角帽子を目深にかぶった女。

 いつも俺に辛辣な言葉を浴びせることを楽しんでいた。

 しかしまぁ、そんな奴の体を見るフェイも悪い。


「おい、無視してんじゃねぇよ」


 ハロルドが一歩踏み出し、俺の胸ぐらを掴む。


(やばい……このままじゃ、俺だけじゃなくセレナまで巻き込まれる)


 横目でセレナを見ると、彼女は怯えた様子で身を縮めている。

 彼らの存在感に圧倒され、逃げるに逃げられないのだろう。


 ふっ、しかし今回は相手が悪かったな。

 お忘れだろうか、こっちには今、最強の魔物使いがいることを。


「サ、サイファー!」


 後ろを振り向き、頼みの綱であるサイファーの名前を叫んだ。

 ──だが、サイファーはそこにはいなかった!


 え?

 あれ?


 頼みのジジイは!?

 さっきまで隣にいたはずなのに、気づけば姿が消えている。

 ええと、ここに無我夢中で走り出してて、サイファーを最後に見たのは──


『ぬぁああっ! 食材がぁあああ!』


 あ……なんつーベタな……。


「んだぁ? 誰か呼ぼうってのかぁ?」

「ほんっと、弱いやつほど他人に頼るのよねぇ」

「どうせ今もソイツの雑用なんだろ?」


 ちょ、嘘だと言ってよド○えもぉん!


 三人が次々と言葉を浴びせる中、俺は頭をフル回転させて状況を打破する手段を模索する。

 だが、俺一人でこの三人を相手にするのは無謀だ。


「なぁハロルド。どうするよ、せっかくの再会記念に……ちょっとお仕置きでもしてやるか?」

「おう、せっかくだからよぉ、俺の新しいナイフの試し切りってことで──」


 ハロルドが真新しいナイフに手をかけた瞬間、俺の体がビクリと硬直する。

 だが、それ以上に彼らの視線を奪ったものがあった。


「やめてください!」


 セレナが俺の前に飛び出し、彼らの前に立ちはだかった。

 その小さな体で、俺を守るように両手を広げる。


「この人は関係ないです! やめてください……!」


 その勇敢な姿に、一瞬だけ不良冒険者たちの動きが止まる。

 だが、その後すぐに彼らは意地の悪い笑みを浮かべた。


「やめてくだちゃい! だってよ」

「あぁでも、俺たちが怖くてブルってるねぇ? かわちいねぇ」


 不良冒険者たちの目線が、またしてもセレナに集中する。

 その視線に怯えながらも、セレナは必死に立ち向かおうとしているのがわかる。

 小さな肩が震え、涙がその青い瞳に溜まっている。

 それでも、彼女は逃げない。


 さすがは未来の勇者の嫁だ。

 肝が据わっている。


 ──って、そんなことを考えている場合じゃない。

 こんなところで引いたら、俺はクリスにも顔向けできない。


「……じゃあ、望み通りお前からお仕置きしてやるぜっ!」


 ハロルドが苛立たしげに吐き捨てると、その手が拳を作り、勢いよく振り上げられた。

 セレナが怯えて目を閉じる──その瞬間、俺の体が無意識に動いた。


 ドスッ


 と、鈍い音が響く。

 俺は瞬間的に拳を受け止め──否、正確には受けてしまった。


 顔面で。


「ぐぁっ!」


 悲痛な声が響く。

 だが、それは俺の声ではなかった。


「な、なんだ、いてぇ……!?」

「──は?」


 ハロルドが手を振りながら悶絶している。

 彼の拳が当たった場所──俺の顔面には、予想以上の衝撃が走った。

 俺の顔面も確かに痛いが、思ったほどではない。

 むしろ、受けた俺よりも殴ったハロルドの方がダメージを受けているようだった。


「うっはっは! なっさけねぇな! 俺にも殴らせろよ」

「チッ、うるせえよデブが……!」


 バッカスがゲラゲラ笑いながら介入し、今度は二人掛かりで殴りかかってくる。


 俺は何度も倒れかけ、顔面にも拳が炸裂するたびに血の味が広がる。

 だが、地面に沈むわけにはいかない。


 ──耐えろ……耐えるんだ……!


 俺が倒れたら、セレナが次の標的になる。

 それだけは絶対に避けなければならない。



 ---



 どれくらい殴られただろうか。

 視界がぼんやりし始めた頃、ようやくハロルドたちが手を止めた。


「はぁ……はぁ……クソッ……こいつ、どんな体してんだ……」

「手が痛ぇ……。石頭にも程があんだろ……」


 俺を見下ろしながら、二人が拳をさすりつつ吐き捨てる。

 効いてないわけでもないが、俺はまだ血まみれになりながらも立っている。


「おい、アビー」

「そうねぇ……私、ちょっと魔術で遊びたくなってきたわ」


 アビゲイルがニヤリと笑い、俺に向かって杖を構えた。

 おいおい待て。

 魔術をぶっ放す気か?


「ちょ……それは反則だろ……」

「でも私、魔術師だから。魔術使わない方が失礼じゃない?」


 彼女の口元が冷たく歪む。

 唱え始めた詠唱は、風の魔術か、それとも火か──どちらにせよ、俺がこれをまともに受けたら終わりだ。

 痛みと恐怖で体がすくむ中、咄嗟に身構えたその瞬間──


「あ゛っ──」


 アビゲイルが短い悲鳴を上げて、突然その場に崩れ落ちた。


「……は?」


 ハロルドとバッカスが驚き、俺も何が起きたのか理解できないまま硬直する。

 彼女の後ろに現れたのは──


「……やれやれ、ワシを放って駆け出したと思ったら、随分と無茶しとるのう」


 大量の買い物袋を持ったサイファーだった。

 その手は手刀を構えていて、目は飄々としつつも、どこか鋭い光を宿している。


「サ、サイファー!」

「コラ! フェイクラント! お前、あとで覚えとけよ!」


 ジジイ!

 ベタな出現、信じてたぜ。

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