第26話 プレーリー跡

 俺はマルタローを抱きしめながら、抑えきれない感情が胸の奥から溢れ出していた。

 クリスの前では必死に堪えた。

 最後くらい、泣かずに笑顔で見送るんだと決めていたから。


 けれど、今は違う。

 もう誰も見ていない。

 誰に気を遣う必要もない。

 堰を切ったように涙がこぼれ落ちる。


「クリス……っ……」


 声にならない嗚咽が喉から漏れる。

 肩を震わせ、マルタローを抱きしめる力が自然と強くなった。

 ふかふかの毛並みが温かく、心のどこかで彼女の温もりを探している自分がいた。



 ---



 どれくらい泣いていただろうか。

 気がつけば、目の前にあるのは崩れた家々と血と灰にまみれた地面。

 煙が立ち上る村の廃墟だけが、現実を突きつけてくる。

 辺りを見渡しても、生きた人の気配は何一つ感じられない。


 肉が焦げたような嫌な匂いが鼻を突く。

 瓦礫の隙間から覗く手、もはや誰かのものだと断定するのも難しいそれに目を向けるたび、吐き気を覚えた。


 最早この村は死んだ。

 ゲームの時と同じように、廃村と化したのだ。


 だが、ただ座っているわけにはいかない。

 なんとか体を起こし、崩れた家々の中を一軒一軒声を上げながら歩き回ったが、返事はなかった。


 川へ向かい、水辺で顔を洗った。

 服についた血と灰をできる限り落とす。


 濡れた顔を手でぬぐい、近くで火を焚いた。

 燃え上がる炎を見つめながら体を丸める。


「……」


 村に生存者はいなかった。

 ならば何故、狩りの魔王ザミエラは俺を殺さなかった?

 俺はあの時、ベルギスの居場所を話し、ザミエラの機嫌を損ねた。

 クズ認定されて殺す価値もないってことか……?


 いや──


『村は、もう大丈夫だから』


 夢の中で、クリスは確かにそう言った。

 ならば、きっと彼女が守ってくれたのだ。

 どうやったのかはわからないが、間違いないと思える。


 ……この世界に来てからずっと、彼女は俺を助けてくれた。

 そして最後の瞬間まで、自分の命をかけて俺を生かそうとしてくれた。


「……情けない」


 呟いた言葉に、自分でも驚くほどの冷たさを感じた。

 情けなくて、惨めで、どうしようもなくまた涙が溢れてくる。

 胸が苦しくて、息が詰まりそうで、それでも涙を止めることはできなかった。



 ---



 少し休んだ後、俺は村人たちの埋葬を始めた。

 瓦礫と焼けた地面の中から、崩れた家々に埋もれていた人々の遺体を掘り起こす。

 火で焦げ、元の面影をほとんど留めていないものもあったが、どれも愛する人たちだった。


 一生分掘ったかと思えるほど、穴を掘った。

 身体中が痛み、手の皮が剥け、汗と血が入り混じっている。

 だが、これ以上休むわけにはいかなかった。


 燃え残った家屋の木材を集め、十字架を組んで墓標とした。

 力が抜けて手が震える。

 涙が零れそうになるたびに、歯を食いしばった。


 クリスの墓には、彼女の遺体の代わりに、あの黒い手袋を置いた。

 彼女がずっと大切にしていたものだ。

 墓標の前に置かれた手袋が、彼女の存在を象徴するように見えた。


 クリスの死体がもしあったら、俺はもう正気を保てなかっただろう。

 不幸中の幸い……なんて思いたくもないが、彼女が炎の中で消えたことだけは、唯一救いだったのかもしれない。


 最後の一人を埋葬し終えた時、俺の体は限界だった。

 力尽きて地面に膝をつき、クリスの墓をただ無言で見つめた。


「……終わったかの?」


 背後から声がする。

 そこに立っているのはレイアさんだ。

 以前、道具屋にも訪れたことがある、幼女のような容姿に、真っ白な髪。


 深夜の騒音と、村から煙が上がるのを山の上から見て、降りてきたらしい。

 その姿は、まるで場違いな子供のように見えるが、彼女は一人で墓穴を掘る俺を見て、無言で手伝ってくれた。

 土魔術を使ってくれたおかげで、なんとか今日中に全員分の墓を作ることができた。


 俺が再びクリスの墓に目を向けていると、レイアさんが近づいてきて、そっと俺の背中に手を置く。


「……飯くらいならある。食べよう……」


 その声には、気遣いがにじんでいた。

 慰めるようにポンと背中を叩くその手の温かさに、胸が少しだけ軽くなった気がする。


 ちなみにマルタローはというと、起きるなり俺の腕から飛び降り、再び低く唸っていた。

 レイアさんが近づくと、何故か尻尾を落とし、彼女の腕に文句も言わず収まった。


「……そうだな。何か食べないと、倒れるよな……」


 俺はかすれた声で答えると、ゆっくりと歩き出す。

 身体中が痛むが、何とか歩ける。

 彼女に助けられた命を無駄にするわけにはいかない。


「でも、最後に道具屋に戻ってもいいか……?」

「もちろん……しっかり別れを済ませて来い」


 レイアさんは相変わらず無表情だが、コクリと頷いてくれた。


 俺は道具屋へと足を運ぶ。

 昨日までクリスと一緒に過ごしていた場所。


 店の入り口は崩れ、扉は大きく歪んで外れている。

 店内を覗くと、壁には大きな穴が空いていた。


「……っ……」


 彼女との思い出が汚されたようで、思わず唇を噛む。

 一面に広がる焼け焦げた跡の中で、その穴周辺だけが、不自然に焦げ目が消えているのが目に入った。

 おそらく、クリスが水魔術か何かで必死に鎮火したのだろう。

 全焼していないのはそのお陰だ。


 壊れた階段を慎重に登り、2階にあるクリスの部屋へと足を踏み入れる。

 そこには、彼女が使っていた家具がそのまま残されていた。


 小さな木製のベッドには、まだ彼女のほのかな香りが残っている。

 本棚には彼女が読み込んでいた魔術書や、日常の雑誌が乱雑に置かれていた。

 そしてデスクには、彼女が過労で倒れてから書き始めていた羊皮紙の束があった。


 秘密と言われていたので見れなかったが、何を書いていたのだろう。

 俺は心の中で悪いと謝りながら、羊皮紙の束を捲ってみる。


「日記か……?」


 そこには、彼女が過労で倒れてからの日々の日記が綴られていた。

 彼女の綺麗な字が、時折力なく、震えているのが見て取れた。


『フェイが私を心配してくれて、教会まで迎えに来て、しかもご飯まで作ってくれた。慣れてないくせに……でも、そんな不器用な優しさが嬉しい』


 彼女の文字に、あの不格好な料理を思い出して苦笑が漏れる。

 焦げたパンに、味のしないスープ。

 それでも喜んでくれたことが、嬉しかった。


 日記はほぼ全てのページにフェイという文字が入っていた。

 時々マルタローのことや、村のみんなとの交流もあるが、明らかに俺の名前の文字が多い。

 だが、ある日をもって空気が変わる。


『フェイはまた嘘をつき始めた。でも、私も彼の世話になっているから言い出しにくい。でも、なんとかしてあげたい』

『フェイの嘘は日に日に大きくなっていく。あの頃と同じだ。自分の嘘に耐え切れなくなって、また潰れていきそうな……』


 その言葉に、胸が詰まる。

 俺が彼女を守りたかったはずなのに、ずっと彼女にばかり頼り、甘え、心配させていた。


『言ってしまった。すごく怖かったけど、伝わって本当によかった。帰ってきたら、フェイの好きなものを作ってあげよう』


 最後の文章を読んだ時、目の前が滲んだ。

 涙が一粒、羊皮紙の上に落ちて、小さなシミを作る。

 その後の羊皮紙は、ただの白紙だった。


「……ん?」


 最後のページには、不自然に黒く塗りつぶされた文字が見える。

 何かを隠すために焦って塗りつぶしたような、筆跡が荒れた跡がはっきりと残っている。


 指でそっと塗りつぶしの跡をなぞりながら、じっとそれを見つめた。

 かすかに浮き出た跡から、何と書いてあったのかが想像できてしまう。


『大好き』


 思わず息を飲む。

 すぐに消してしまったのは、きっと書いた後で恥ずかしくなったからに違いない。


 テーブルに向かいながら、頬を少し赤らめてペンを握る彼女。

 勢いで書いてしまった言葉を見て、一瞬黙り込み、慌てて塗りつぶす姿。

 それでも、塗りつぶしの跡がそのまま残ってしまい、また軽く落ち込む──


 そんな彼女の姿が容易に目に浮かぶ。


「……ドジだな、ほんと」


 自然と笑みがこぼれる。

 その笑顔は、涙で滲んでしまった。

 彼女の不器用な優しさと、俺への真っ直ぐな思いが、痛いほど伝わってくる。


 俺はそっと羊皮紙の束を元に戻し、再び一階に戻る。

 ここにいると、嫌でもクリスとの思い出が鮮明に蘇り、辛くなる。


 俺は道具屋に残った在庫……魔道具やスクロール、剣やポーションなどをありったけカバンに詰め──


「ありがとう。クリス」


 最後に店の前で深く頭を下げ、道具屋を後にした。



 ---



 道具屋を後にすると、俺は重い足取りでレイアさんの元へと戻った。

 彼女は村の外れに腰を下ろし、マルタローを優しく撫でている。

 マルタローは初めて見るほど大人しく、警戒心を見せるどころか、自ら彼女の手に頭を擦り寄せていた。


「……別れは済ませたかの?」

「……ああ。ありがとう、時間をくれて」


 レイアさんは無言で頷くと、再びマルタローに視線を向け、立ち上がった。


「では、行こう」


 彼女の言葉に、俺は重い足取りで再び歩き出した。

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