第24話 決着 【三人称視点】
燃え盛る村は、地獄そのものだった。
紅蓮の炎が建物を貪り、煙が空を黒く染めている。
真紅の髪の魔族──ザミエラが、その惨状を支配するように立ち、冷笑を浮かべながら地に伏す金髪の男と、無様に吠え続ける犬の魔物を見下ろしていた。
「随分手間がかかったな……まさかあれほど魔力を使うことになるとは思っていなかったぞ」
ザミエラの手には黒い炎が宿り、それは次第に膨れ上がり、極大の破壊を予感させる熱を帯びる。
"全てを焼き尽くす運命"に抗う術はないと断じるように、魔族は手を振り上げた。
「だが……もう終わりにしよう。……貴様らごとき、そう魔力も必要ない」
もはや彼女には、目の前の雑魚になど何の興味もないと言わんばかりに彼らを見つめる。
彼女も消耗こそしていたが、慌てる必要は無い。
この戦いのピークは過ぎたのだ。
あとの仕事は、生き残りのゴミを焼き払うだけ。
「……まぁ、それなりに楽しめたがな」
それは、彼女なりの敬意だったのかもしれない。
無慈悲な表情を浮かべながら、黒炎が放たれる。
巨大な炎が地を裂き、空気を震わせ、直撃を避ける術などありはしない。
金髪の男は地に伏したまま動けず、犬の魔物は低く唸りながら、迫り来る炎から、その小さな体で主を守ろうとするが、その姿はあまりにも儚い。
だが、その瞬間──
空から一筋の光が落ちた。
光は黒炎を引き裂き、瞬く間にそれを無に帰す。
空気が変わる。
ザミエラの冷笑は固まり、やがてその瞳には、初めての感情が宿る。
戦慄──理解を超えた恐怖に似た何か。
「馬鹿な……」
彼女が混乱するのも無理はない。
何故なら、そこには確かに殺したはずの亜麻髪の少女が立っていたのだから。
少女は無表情で、瞳にはもはや光は宿っていない。
無限の魔力のみで構築された体は、生者の温もりではなく、幽玄な何かがその姿を保っているだけだった。
「貴様……! 何故生きて──」
ザミエラの言葉を聞くこともなく、少女はただ地に伏す男の元へと歩み寄っていく。
犬の魔物はその姿を見上げ、不思議そうに首を傾げる。
威嚇の唸りはもう消えていた。
男は全身惨たらしい火傷を負い、震える声で下を向いたまま一つの言葉を繰り返している。
「……ごろ……じ……で……」
感情が無いように思えた少女の顔が、初めて口角をわずかに上げた。
あどけない少女が、笑うかのように──
「しょーがないなぁ、もう……」
その言葉には、今までの彼女のすべてが詰まっているようだった。
女神を彷彿とさせるその少女は、そのまま膝を突き、彼の顔に手を当てた。
「『
少女の手から放たれる柔らかな光は、男の全身を包み込む。
瞬時に火傷の痕が薄れていき、男はそのまま静かに意識を失う。
穏やかに、眠るように。
「ん?」
それを見守っていた犬が擦り寄ると、少女に頭を預ける。
少女はこの魔物に手袋は必要ないと分かっていた。
だから、彼女はその頭を優しく撫でた。
「ありがとう。フェイを守ってくれて……」
「クン……」
「ふふ、じゃあ一緒に戦ってくれる?」
「わん!」
まるで犬の言葉でも理解するかのように少女は微笑みかけると、犬もまた肯定するかのように軽く吠える。
「ありがとう。……なんかこの体だと、今にもバラバラになりそうだったから」
「わふ!」
「そう……じゃあちょっとだけ、身体を貸してね。マルタロー……」
少女は微笑み、犬の魔物を抱き寄せた。
その瞬間、光が二つの体を包み込む。
やがて肉体が溶け合うように、魔力が新たな形を作り始めた。
「ふざけるなぁぁあああッ!」
ザミエラの怒号が天を貫く。
狩りの魔王と恐れられた自分が、まるで彼女たちにとっては"居ないもの"かのように扱われている惨めさ。
しかし、彼女には理解できない。
紛れもなく、今、彼女の目の前で起きている現象は、"奇跡"と呼ぶべきものなのだから。
「『
ザミエラは怒りに任せて叫び、再度特大の火球を放つ。
高速で飛びかかる火球は"光"に直撃すると、轟音と共に大爆発を起こした。
炎系上級魔術。
その力は並居る魔物程度であれば、灼熱の業火によって完全に消滅させ切るほどの火力を持つ。
レベルの低い人間1人を殺すなど、わけはない。
だが、炎の中からは、先程の少女だけがただ無表情なまま、無傷のまま現れる。
魔物の姿は、もう無い。
ただその背には、玉虫色に輝く不定形な魔力の翼を纏いながら。
背後で眠る男を守るかのように──
「……つ……ぁ……」
ザミエラは思わず後退りする。
恐怖──それもまた、彼女にとって理解し難い初めての経験だった。
「……うん、一緒に終わらせよう」
少女は目を閉じ、自分の胸に手を当ててそう呟く。
無表情ではあるが、先ほどの魔力体よりも幾分生気を帯びているように見える。
彼女の行動は決して想定していたことではなかったが、溢れ出る女神の魔力を留る必要があった。
奇しくも、魔物の肉体はその膨大な魔力を抑え込む"外殻"として機能した。
それでも尚、溢れる魔力は翼として形成され、今にも崩れてしまいそうな危うさと、同時に目を背けたくなるほどの神々しさを放っている。
その翼はやがて収束し、少女の右手に集う。
それは光を帯びた一振りの剣となり、彼女の手の中で輝きを放った。
少女──いや、もはやその姿を「少女」と呼ぶのは相応しくないかもしれない。
亜麻色と、一部だけ白い髪が微かに揺れ、玉虫色の剣が揺らぎながら輝きを増していく。
彼女の一挙手一投足に、空気が震え、世界がその存在を畏怖しているようだった。
ザミエラの顔には、もはや冷笑の影は微塵も残っていなかった。
その真紅の髪が炎の中で揺れながら、恐怖のために微かに震える。
「く、来るな……来るなぁあああああっ!!」
その叫びは、勝利を確信していたはずの魔族の威厳を微塵も感じさせない。
背後に距離を取るように飛び退きながら、彼女の手が闇をかき集める。
<瘴気をまとった無数の影が、変幻自在の槍となって彼女に襲い掛かかる>
黒い影の槍は空間を引き裂き、全方位から彼女を捕えようと迫る。
だが、少女は一切の表情を崩さない。
身体を低く構えると、その場から音もなく飛び上がった。
闇と光が交錯する舞台。
まるで精巧に計算された
だが、その瞬間。
鋭い衝撃音が響く。
彼女の右肩に一本の影の槍が突き刺さり、背中へと貫通する。
「……っ!」
玉虫色の剣を握る手が一瞬だけ力を失い、だらりと腕が垂れ下がる。
ザミエラの表情に、安堵の色が広がる。
「ふ、ふはは……やはり貴様程度──」
その言葉は、音になりきる前に遮られる。
<少女の左手が、自らを貫く影の槍を握る>
その瞬間、影の槍はまるで砂のように崩れ落ち、粉々になって闇の中に溶けていく。
同時に、身体からまばゆい光が漏れ、彼女の傷を内側から癒していくのが見て取れた。
「……ッ!? う……ぁああああああああ」
ザミエラの声が震える。
それは、過去のどんな戦場でも決して見せたことのない敗北の兆候だった。
恐怖が喉を締め付け、膝の力を奪っていく。
だが、それでも彼女は先ほどよりも大量の影を展開する。
クリス──否、その名を語るには、彼女の姿はもはや神話に語り継がれる存在そのものだった。
彼女は玉虫色の剣を構え直すと、再び足を前に進める。
東の空から顔を覗かせる太陽が、血と灰で穢れた大地を淡い光で覆っていった。
ザミエラから次々と生まれる影の槍が、空を裂き、少女を貫こうと襲いかかる。
狂気に染まったその姿は、もはや魔族の威厳など微塵も残さない。
少女は玉虫色の剣を振るい、その槍を一つ、また一つと粉砕する。
踊るように舞いながら……。
彼との時間を思い出しながら──
『クリス! 遊ぼうぜ!』
──忘れもしない、初めてフェイが手を引いてくれた日のこと。
孤独だった私を外に連れ出してくれた。
その手は温かく、外の世界はこんなにも眩しいんだと教えてくれた。
<影の槍が襲いかかるも、少女が剣を一閃し、一瞬で無に帰した>
『一緒に冒険者になって、世界を見に行くか!』
──丘の上で見たあの景色は、今でも胸に焼き付いている。
広がる草原、どこまでも続く青い空。
一緒にいれる未来を約束してくれたことが、嬉しかった。
<玉虫色の剣が光をまとい、槍を切り払うたびに、闇が霧散していく>
『俺も働くかなって言ったら、雇ってくれるか?』
──そう言ってくれた時、信じられないくらい胸が跳ねた。
また同じ場所で過ごせるんだって思うだけで、幸せだった。
<捌き切れない槍が、剣を吹き飛ばすと同時に、何本もの影の槍がその小さな身体を貫く>
『俺は……クリスのこと……す、好きだけど』
──あはは、これは私が言わせたんだよね。
それでも、好きって言ってもらえることで、心が満たされた。
<槍に貫かれたまま、空中で停止する少女の背中から、再び玉虫色の翼が広がる>
「ぐ……貴様ぁあああああッッ!!」
その翼は、次第に周囲の影を巻き込みながら肥大化し、輝きを増していく。
ザミエラが後ずさる中、少女は宙で囁くように呟いた。
(だからね……伝えたいことがあるんだ……)
ザミエラは再び影を生み出そうとするが、それを待たずに光が膨張した。
不定形な魔力の翼は、全ての影を呑み込み、ザミエラをも包み込む。
その光は村に蔓延る炎すらもかき消し、幻想的な輝きを放った。
(フェイ……)
太陽が昇り、光がその中で混ざり合う。
その中で、最後の想いが漏れるように響いた。
(愛してる──)
村を包み込むほど膨張した光は無音の爆発と化し、やがて消えていく。
穏やかな朝日が差し込み、その光に当てられた無数の魔力の粒が、キラキラと輝いていた──
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