第23話 豊穣の女神 【クリス視点】
体の感覚が、無い。
痛みすらも無い。
私の周囲には、憎悪に塗れたような、赤黒く燃え上がる炎しかなくて。
あぁ……そうだ。
確か、真紅の髪をした魔族が村に攻めてきたんだっけ。
……村は壊滅。
私もその圧倒的な力の前に、身体は焼き尽くされ、意識すら霧散していくような。
これから死ぬんだなぁってことが、明確に分かってしまう感覚──
…………あれからの時間は、本当にあっという間だったな……。
フェイ…………いや、フェイを助けてくれた、フェイと同じ"あなた"。
なんとなくだけど、私はそう思った。
あなたは何から何までフェイと同じで、でもやっぱり、どこか違う。
確証なんて、何も無いけど……。
あなたと一緒に暮らし始めてから、毎日が宝石のように輝いてて。
少年の頃に戻ったようなあなたは、本当に危なっかしくて。
でも、一度冒険者を諦めたはずなのに、熱心に魔術本や冒険者の本を読んでて。
魔術を覚えたいって言ってくれた時は、本当に嬉しかったな。
一緒に働いて、一緒にご飯を食べて、一緒に魔物退治なんかした時は、「フェイと冒険したら、こんな感じなのかな」って想像するのが幸せだった。
同じ部屋で、「おやすみ」って言い合って。
朝目覚めると、顔を合わせて「おはよう」って言うの。
教会にいた頃を思い出すね。
あ、でも、私のベッドに入ってきた時は、流石にびっくりしたな。
あなたってば、あんなに鼻息荒くして……もう、本当に怖かったんだから。
…………でも、そういう目で見られても、嫌悪感とかはなくて……。
そういえば、どうしてあの時、私は手袋を付けてなかったんだろう。
気がついたら、私は素手であなたの頬に触れていたのに、なんともないようだったし……。
いや、今更どうでもいいか。
私が疲労で倒れてからは、慣れてないくせに家事とかも頑張ってくれて。
どれだけマルタローに噛まれても、向き合おうとしてくれて。
私は同じ人に……2回目の恋に落ちた。
そして、またあなたは嘘をつき始めたよね。
フェイが村に帰ってきた時と同じような嘘。
わかっちゃうんだから、もう。
でも、私はもう同じ間違いはしないよ。
嘘を受け流すフリは、もう疲れたし、自分に嘘をつき続けるあなたを、もう放っておけなかった。
……すっごく勇気がいったんだから。
怖かったけど、でも、あなたは受け止めてくれた。
それからのことは──
村のいたる所に紅蓮の炎が落ちてきて、すぐに襲撃されてるって気づいた。
店も炎で炎上し、私は直後に来た浮遊魔術を、自分の魔術で相殺して、急いで火を消した。
怯えるマルタローを瓦礫に隠れさせて、私は走った。
あなたのところへ──
(……フェ……イ……)
彼は、無事なのだろうか。
あの魔族が私に気を取られている間に、なんとか逃げられてたらいいな……。
この命があなたの未来に繋がるのなら……それでいい。
……いや、違うか……。
本当は、まだ生きたかったなぁ……。
こんなところで終わりなんて、思ってなかった。
あなたと一緒に、冒険に出たかった。
もっと一緒に笑い合いたかった。
もっと、もっと──
---
…………。
どこだろう……ここは。
確かに私は、あの魔族によって焼き尽くされたはずだ。
その痛み、そして身体が消えていく感覚は、まぎれもない「終わり」の実感だった。
でも、気がつくと、どこまでも真っ白な光の世界が広がっていた。
上下の感覚もなく、地面がどこにあるのかさえわからない。
足元も、空も、全てが白一色に包まれ、境界線すら見えない。
「…………?」
周りを見渡しても、誰もいない。
ただ一つ、目に飛び込んでくるものがある。
それは、この異様な静寂の中で圧倒的な存在感を放っていた。
前方にぽつんと存在する、荘厳な雰囲気を持つ玉座。
黄金に輝く装飾があしらわれ、ただそこにあるだけなのに、神聖さと威厳を感じさせる"座"が、白い世界の中央に鎮座している。
だが、その玉座には誰も座っていない。
代わりに、それを中心にして、まばゆい光を放つ宝剣が突き立てられている。
剣の柄には綺麗な宝玉が埋め込まれ、神々しい輝きをまとっていた。
「……あれは?」
見た瞬間に、自然と体が動いた。
そのまま導かれるように、その剣へ近づいていく。
「……おかえりなさい。……と言った方がいいのかしら? クリス」
「えっ?」
突然、剣が言葉を発したかと思うと、そこから一筋の光が放たれ、ゆっくりと形を成していく。
その姿は、私そっくりの女性だった。
いや、顔はそっくりだけど、私よりも少し年上に見える大人びた雰囲気と、背中に広がる黄金の翼が彼女を神々しく彩っていた。
そして、その柔らかな微笑みは、どこか懐かしさを感じさせるものだった。
「……誰?」
恐る恐る問いかける私に、彼女はふわりと微笑みを浮かべる。
「私は、この剣の中に封じられ、永い時を過ごしてきた……そして、あなたの源でもある、豊穣の女神・アルティア……」
「……アルティア……って、あの……神話の?」
私は耳を疑った。
アルティアと言えば、かつてこの世界を創造したとも言われている神だ。
プレーリーの教会でも崇められているのでよく知っている。
千年前に世界を恐怖に陥れた大魔王オルドジェセルを封じ込めたことでも知られる、物語の中の神話的存在。
そんな人が目の前に現れるなんて……。
「ええ、そしてあなたは……私の分体。かつての戦いで力を失った私……いや、私たちは、力を取り戻す必要があったの。私たちは数百年の時間をかけて分体を作り、人の子として転生させることに成功したの。記憶と神威だけが残った私をこの剣に留めて、残りの力は全て分体であるあなたへと……」
「……分体……?」
言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
でも、彼女の目を見ると、それが真実だということを直感的に理解してしまう。
「じゃあ、私も……女神アルティア……ってこと?」
「うふふ、驚いた?」
「……うーん、なんだか現実味がなくて、そうなんだ……って感じ……」
私は思わず肩をすくめる。
でも、彼女の飾らない話し方に、少しだけ親近感を覚えた。
「ふふ、あなたらしいわね。でもクリス、あなたはあの世界で少しずつ女神としての力を取り戻していたのよ」
「え……?」
「あなたの“呪い”と呼ばれた手。あれは私たちの失った魔力を取り戻すためのものだったの」
彼女はそう言って、優しく私の手を取る。
いつも手袋で覆われているはずのその手が、光の中では裸のままさらされていた。
「わ……!!」
反射的に手を退けてしまう。
手袋をしてない状態で「命あるもの」に触ることは、本当にいつも気をつけてきたから。
でも、彼女には何の変化も無い。
「大丈夫よ。私はあなたなんだから」
「びっくりさせないでよ……」
「ふふ……でもそう、あなたの手は、あなたを心から愛してくれる人以外の生気を吸う」
「愛してくれる人以外……?」
「これは私たち……アルティアの“渇望”が生んだ神威の力なの。私たちが生まれたのは、もう千年くらいも前だけど、その時もこの"手"はあったの。生まれつきね。クリスは覚えていないでしょうけど、あなたが赤ん坊の頃と同じように、かつてのアルティアも迫害されていた。愛を知らずに生きてきたからこそ、愛を渇望し、愛してくれる者だけには発動しない」
「………………?」
神威? 渇望?
……半分くらいしか理解できない。
いや、理解はできるけど、渇望したところでそんな力が発現するなんて。
まぁ、女神だからなんでもアリなのかなと言ってしまえばそれまでなんだけど……。
というか、この人はずっと私のことを見てきたように言うな。
ここで剣でありながらも、ずっと私のことが見えていたんだろうか。
……って、ちょっと待って……。
じゃあフェイから生気を吸えなかったのって。
「あら……」
私は「ボンっ」と、音でも立てるように顔が真っ赤になってしまった。
それを見てくすくすと笑う半透明の女神。
「ふふ、今更気づいたのね」
「う、うるさいわね!」
文句を言いながらも、胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じた。
フェイが……本当に私のことを……あ、愛…して?
思考が真っ白になるのをブンブンと頭を振って冷静さを取り戻そうとする。
「でも、私はほとんど手袋をして生活してたし……そんなに魔力を取り戻せてるのかな」
「それなら心配いらないわ。その手は生命だけでなく、空気中に漂う魔力からも無尽蔵に吸い続けているから、あんな手袋程度じゃ大した障害にはならないの」
ふーん……そうなんだ。
それならもうちょっと応用の効く能力にしてほしいものだ。
女神の力といっても、そんなに制御できるものではないのか……。
「……じゃあ、私の……女神の力は、もう完全なものに……?」
「いいえ、まだ完全ではない。本来ならせめてあと3年──いえ、もっと時間が必要だった」
「ってことは、また分体を生み出して、私みたいな使命を持つ存在を?」
アルティアは静かに首を振る。
「もうそんな時間は残されていないの」
「……どういうこと?」
「いずれ、近い未来で大魔王オルドジェセルは必ず復活する。今からまた分体を作るのでは、あまりに時間が足りないのよ」
彼女の言葉が耳に響く。
封印された大魔王オルドジェセルが復活……?
聞いたことはあったようなくらいだけ、そんな話、夢物語だと思っていた。
「本当は、もっと時間をかけて、あなたが人の子として生き、その手で力を蓄えてほしかった。でも、時間はもう残されていない。あなたには私と共に、この剣として役目を果たしてほしい」
「剣として……?」
彼女は静かに頷く。
「ええ、力を失った私のように、あなたはかき集めた魔力と共にこの剣に宿るの。復活した大魔王を討つために……いずれ来たる、勇者と共にね……」
勇者……。
つまり、私の魔力は女神の力で人の世界から集められたもので、その力は大魔王を倒すために必要なもの。
で、いずれ来るであろう勇者とともに、私たちは剣として立ち向かう……ってこと?
……なんか、あまりにも話が現実離れしすぎてて、反応が追いつけない。
そんな物語のような話でも、「そうなのか」と素直に納得してしまうのは、私がアルティア本人だからだろうか。
それでも──
彼女の話を聞いても、私の心には、ただ一つの思いが渦巻いていた。
「……フェイは……無事なの?」
思わず問いかけた私に、アルティアは少し寂しそうな表情を浮かべる。
「……クリス……」
彼女は少し俯き、白い空間に手をかざすと、周囲の光が揺らぎ、プレーリーの状況が映し出された。
映像には、炎に包まれた村が広がっている。
家々が崩れ落ち、周囲の草や木も燃えている。
そしてその中心に立つのは──真紅の髪をなびかせた魔族の女。
「ふははははっ! 見えるぞ! 忌々しい女の魔力が空に消えていくのが!!」
彼女の声は冷たく響き、周囲には焼け焦げた地面とクレーターが広がっている。
「……!」
私は思わず歯を食いしばる。
あの村を襲い、私を焼き尽くした魔族。
彼女の存在が、村を……プレーリーを地獄に変えた元凶だ。
映像の端、クレーターの外側。
そこには、小さく転がるボロボロのフェイの姿があった。
服は泥と血にまみれ、意識があるのかどうかもわからない。
ただ、かすかに動く彼の胸が、まだ彼が生きていることを知らせている。
「フェイ……!!」
私は手を伸ばすが、その手は空を掴むだけだ。
魔族はうすら笑みを浮かべながら、フェイに向き直る。
「さぁ、随分あの女に惚れ込んでいたようだが……何か感想はあるか?」
それは、映像で見ている私でも惨たらしく思える質問だった。
フェイはただ地面に顔を埋め、その問いには答えない。
自分で殺しておいて感想だなんて、意地の悪さにも程がある。
許せない。
私はただ心臓が凍りつきそうになりながら、拳を握りしめることくらいしかできなかった。
その時──
「ワンッ!」
突然、マルタローが魔族に飛びかかり、彼女の腕に噛みついた。
すぐに振り払われたが、その小さな体で、必死でフェイを守るように立ちはだかる。
「マルタロー!? 隠れててって言ったのに……!」
突然の出来事に、私の声はうわずる。
叫んだが、その声は届かない。
マルタローは威嚇するように低く唸りながら、フェイの前に立ち続けている。
その姿が、あまりにも勇敢で、涙が溢れそうになる。
でも、敵う相手じゃない……。
一方で、フェイは地面に顔を半分埋めたまま、ぼそぼそと呟いていた。
「……グ……リス……クリス……」
彼の声はかすれ、前髪で表情は見えないが、涙を流しながら狂ったように同じ言葉を繰り返していた。
その姿を見るたびに、胸が張り裂けそうな痛みが襲いかかる。
「フェイクラントは……残念だけど……もう……」
アルティアが静かに呟く。
その言葉が、私の心に突き刺さる。
彼女が何を言いたいのか、嫌でもわかってしまうから。
「でも、いずれ世界は救われるわ……クリス、私と一緒に……」
私に同情してくれているのか、彼女は再び穏やかな声で私を説得しようとする。
でも、その言葉に耳を傾ける余裕なんて、今の私にはなかった。
「ごめん、私、行かなくちゃ……」
私はアルティアの言葉を遮り、映し出された光景に向かって歩き出す。
"座"から背を向け、宝剣から離れていく。
「え……ダ、ダメよ! クリス、あなたには使命が──」
「わかってる。大事な使命なんだろうなって思う。でも、勇者とか大魔王とか、考えてみたけど……やっぱりよくわからないや」
彼女は眉をひそめる。
現実味が無さすぎてわからないってのもあるにはあるけど、でも、私は──
「それに、彼に、伝えたい言葉もあるの……」
私は手を握りしめて、前方の光景を見据えた。
炎に包まれた村、ボロボロになったフェイ。 その姿を目に焼き付ける。
彼女は背中ごしに私をじっと見つめながら、静かに話した。
「……行って、どうするつもりなの? 今のあなたは肉体も無い、現世で集めた大量の魔力だけで存在しているようなもの。魔力だけで行っても、何も……」
「……そう、行けるんだ」
私はその言葉に答えることもなく、ただ歩みを進める。
行けるのであれば、もう迷うこともない。
「クリス!」
アルティアの声が鋭く響いた。
その顔には、困惑と怒り、そして哀しみが入り混じっているように聞こえた。
「そんなことをして無理やり現世に戻れば、空気中に魔力は四散して、今度こそ本当に消えてしまうのよ! 今のあなたが意識を保てているのは膨大な魔力が肉体の代わりとして繋ぎ止めてくれているだけ! それすらも消えたらもう何も残らない! 彼との思い出だけじゃなく、その気持ちすらも全部消えるのよ!?」
私は立ち止まり、彼女の方を振り返らずに静かに言った。
「……それは、ちょっと嫌だな。でも、このまま彼を見捨てるくらいなら、それでもいい」
「……どうして……? あなたがいなければ、この世界に希望はないのよ! 大魔王は止められない!」
「……ごめん」
沈黙が流れる。
彼女が必死に言葉を探しているのがわかった。
でも、私はその沈黙の中で決意を固めていく。
「豊穣の女神アルティアはね。愛の女神でもあるんでしょ?」
彼女は少し驚いたような顔をしていたけど、気にせず続ける。
「そんな私が、愛してる人のところに行くの。あなたも私と同じなら、わかるでしょ?」
「……っ……」
彼女の顔が苦しげに歪むような気がした。
でも、私は振り返らなかった。
「だから……最初で最後のお願い。もう一度だけ、私をあの場所に戻して」
「………………」
彼女は何か言いかけたようだけど、それ以上の言葉を紡がなかった。
しばらくの沈黙の後、彼女の体が光となって崩れ、剣の中に戻っていく。
「……あなたの選択が、いつか後悔に変わらないことを祈るわ……」
その声を最後に、白い空間がゆっくりと崩れ始めた。
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