第22話 今度こそ一緒に 【クリス視点】

「ぴゃぁああああああ!!!」


 男が盛大な叫び声を上げながら、村の門に向かって全力疾走している。

 その声の主は──間違いなくフェイだ。


「……なにやってんのよ、あのバカ」


 フェイは確かにそんなに強い人間ではないけど、これはありえない。

 プレーリーハウンドなんか、小型の犬とそう変わる強さでもない。

 少なくとも、子供のフェイでも対応できるレベルだ。


 でも、なぜかその男は今にも死にそうな表情で逃げ惑っている。

 必要ないかとも思ったけど、彼の必死すぎる表情にあてられ、気づけば飛び出していた。


「伏せて!」

「おぉあああっ!?」


 彼に向かって大声を上げると、フェイは言われるがまま地面に飛び込んだ。

 その勢いが強すぎて、地面を滑りながら思い切り転ぶ。

 もう少しスマートにやりなさいよ……。


「燃え滾る力よ、我が前に集いて顕現せよ──『火球ファイアーボール』!」


 私が詠唱を終えると、手のひらから火球を放つ。

 熱を帯びた炎の塊はフェイの頭上を通り過ぎ、追いかけてきたプレーリーハウンドたちのすぐ前に着弾。

 地面とぶつかった拍子に飛び散った火が尻尾に着火して逃げ去っていく。


「ケガはない? フェイ」


 私は手を差し伸べると、フェイはそれを掴んで立ち上がる。

 手袋越しでも、彼の手が震えているのがわかる。

 どんだけ怖かったのよ……。


「あ、ありがとう。クリス……」

「…………!」


 ありがとうって……なんだそれ。

 でも、私は彼にそう言われた瞬間、心の奥がじんわりと温かくなる。 フェイが村に戻ってきてから、よそよそしい態度を取りあうことが多かった──「ありがとう」なんて、いつから言い合えてなかっただろう。


「まったく、何してんのよ。アンタは弱いんだから外に出ちゃダメじゃない。しかもプレーリーハウンドごときに……」


 思わず照れてしまったけど、私はついいつものようにツンとした態度をとってしまった。

 けれど──


「いやぁ、ちょっと考え事してて……助かったよ」

「しょーがないなぁ、もう……」


 昨日とは打って変わって、フェイは照れ臭そうに笑っていた。

 そんな表情を見るのは久しぶりな気がして、少し嬉しくなる。


「……いつまで握ってんの?」

「え? ……わ、悪い」

「そんなに怖かったの? たかがプレーリーハウンドに」

「うるせ」


 フェイは慌てて手を離し、照れたように笑った。


 ……なんだか、本当に昨日までのフェイとは違う人みたいだ。

 いや、確かに言動はフェイっぽいのだが、旅立った後の廃れたフェイらしさは消え失せたかのように"かつて"のフェイって感じだ。煽ったら不満そうに口を尖らせたり、ニヤニヤ笑ってたり。

 でも、その表情がなんだか懐かしくて、胸が少し暖かくなる。


「はぁ、フェイも釣りとか焚き火とかばっかしてないで、そろそろ働きなさいよ。いいトシしてんだから」

「わかってるよ……。これから考えるさ」

「…………!」


 考えてる!? あれだけ何もしなかったフェイが!? 急に!?


「……ふーん、考えてないと思ってた。 まぁアンタがどう生きようと私には関係ないけど」


 何もかも素直に返してくるようなフェイに、なぜだかこっちが恥ずかしくなって変な返しになる。

 でも、彼が「考える」と言ってくれたことに、ほんの少し安心したのも事実だった。


 なんか、心配して損した。

 昨日フェイが変なこと言うから、こっちは寝られないし必死に探したりで辛かったのに、もう。


 けど、何もないなら本当によかった。


 フェイと村まで戻ると、私は理由作りに用意したパンを手渡し、立ち去ろうとする。


「別に、心配だからとかじゃないから。単に作りすぎただけ」


 そう言い訳する私に、彼は微笑んでこう言った。


「心配してくれてありがとな」

「ッッ!! バーーーーーカ!!」


 顔が一気に熱くなるのを感じながら、私は全速力でその場を離れた。

 なんなのよ、あの笑顔。

 今まで何かあげても「おう……悪いな……」くらいだったくせに!

 久しぶりに見ると、なんだか反則みたいじゃない。


 でも、そんな彼がちょっとだけ前向きに見えたのが、私は嬉しかった。



 ---



 仕事を終え、家のドアを開けると、いつもの場所でマルタローがぽてっと丸くなっていた。


「ただいま、マルタロー!」


 私が声をかけると、マルタローは突然私に飛びついてきた。

「わふっ!」と短い鳴き声をあげながら、全身で体当たりしてくる。

 何度も何度も押し返してくるその力強さに、私はたまらず笑ってしまった。


「ちょ、ちょっと! くすぐったいってば!」


 マルタローはまるで私の中のむず痒さを察したかのように、じゃれつくのを止めない。

 その純粋さが、なんだか今日の私の心にちょうどいい具合に響いた。


「……ねぇ、聞いてよ、マルタロー」


 ソファに腰を下ろし、マルタローを膝に抱き上げる。

 小さな体にそっと顔を埋めると、今日あったことが胸の奥から溢れ出してきた。


「フェイったらさ、なんだか今日は元気だったのよ」


 彼は黙って私の話を聞いている。

 ぽてっとした耳がぴくりと動くのを見ていると、なんだか安心した。


「まだ……立ち直れたってわけじゃないかもしれないけどね」


 自分で言っていて、少しだけ切なくなる。

 フェイがずっと抱えている何かは、きっと簡単には消えない。

 それでも──


「でも、ありがとう、って……2回も言ってもらえたんだよ」


 言葉を思い返すたびに、胸がじんわりと温かくなる。

 昨日の別れのような「いままでありがとう」ではなく、言われて嬉しい方の。


「……ほんと、フェイらしくないんだから」


 ぽつりと呟くと、マルタローが私の頬をぺろっと舐めてきた。


「もう……何それ、慰めてくれてるの?」


 その優しい仕草がたまらなく愛おしくて、私はマルタローをぎゅっと抱きしめる。

 彼の暖かさが、不思議と私の心を落ち着かせてくれる。


「フェイも、ちょっとずつ前に進もうとしてるんだよね……」


 あのふざけた笑顔と軽口が戻ってくる日が、きっと来ると信じたい。

 それまで私は、こうして彼を見守り続けたい。



 ---



 それからのフェイは、まるで生まれ変わったかのように元気になった。


 エミルくんが行方不明になって、村中で慌ててたのに、フェイは相変わらず焚き火の前にいた時は流石に怒ったけど、しぶしぶ手伝ってくれた。

 …………その後、なぜかアンナさんの家のタンスから服を盗んでたけど。

 ビルさんにこっぴどく叱られた時も素直に謝っちゃって、アンナさんも拍子抜けしちゃってたな。


 でも、まさかエミル君が四大精霊オンディーヌと会ってたからって言い訳をしてたのに味方してあげてたのは意外だったな。

 エミル君が勇者? なんて変なことも言ってたし、でもその言葉に、あの嘘もつけなさそうなエミル君がブンブン肯定してたし。まるで本当にエミル君の経験してきたことを知ってるみたいだったし。

 いっつも自分のことしか考えてない気ままなくせに、ちょっと見直したな。


 それに──


「じゃあ俺もそろそろ働くかな。って言ったら、雇ってくれるか?」

「えっ!?」


 思わず、声が裏返ってしまった。

 驚きすぎて、私は反射的にフェイの顔を見た。


 フェイが働く……? 本当にあのフェイがそんなことを言うなんて。

 村に戻ってきたあの日からずっと、どこか曖昧で、どこか塞ぎ込んでいるように見えた彼が、まるで別人みたいにあっさりと口にした言葉。


 時が止まったような感覚だった。


「なんだ? ダメか? もう手遅れだったのか? せっかく働こうと思ったのにな」


 フェイがからかうように肩をすくめる。

 その仕草に、私はハッとした。

 気づいた時には、胸の奥から何かが湧き上がり、私の口を突いて出ていた。


「しょ、しょーがないなぁもう!! 私一人でもなんとかなるけど、フェイがど~してもって言うなら雇ってあげなくなくもないわ!」


 素直に喜べばいいのに、相変わらず私はそっけない態度をとってしまう。

 でも、なんだか頭が真っ白で、言葉がどんどん勝手に出てくる。


 目の前のフェイは昔のような笑みを浮かべていた。

 まるで少年の頃のフェイみたいに、無邪気で素直な顔をしているような気がした。


「ど~してもだ。クリス様、俺を雇ってくれ」


 そう言って、彼は正面に立ち、手を合わせて頭を下げる。

 あまりにも真剣な仕草に、私は一瞬言葉を失ってしまった。

 彼が、私の店で働きたいと言ってくれた。


「……途中で辞めたりしない?」


 震えるような声で、私は絞り出すように聞いた。

 どうせまた投げ出すんじゃないかと、心のどこかで疑ってしまう。


 でも──


「うっ……し、しないさ」

「ホントに……?」

「クリスがあまりにも口うるさくなかったらな」

「な、なによそれ!」


 微妙な回答だったけど、前のようなフェイの軽口に、私はほっとしてしまう。

 今の彼の目は、嘘をついているようには見えなかった。


 あのフェイが、前を向いて歩こうとしている。

 そう思うと、胸の奥が温かくなって、何かが込み上げてくる。

 本当に別人みたい。

 ううん、なんならもう別人でもいい。


「言っとくけど、真面目に働かなかったら追い出すからね! あと、ウチせまいし、まだまだお給料とかもそんなに払えないけど……」


 私は照れ隠しのつもりで早口にそうまくし立てる。

 でも、心の中では、もう涙が溢れそうだった。

 フェイがまた昔みたいに笑ってくれるだけで、それだけで十分だった。


「じゃあ、一緒にもっとでかい店にしようぜ」


 フェイが真剣な声でそう言った瞬間、私は顔を上げた。


「……! うん!」


 大きな声で、精一杯答える。

 気づけば、私は泣き笑いのような顔をしていた。

 目じりには溢れた涙。

 泣くなんて、恥ずかしいはずだったけど、そんなの今はどうでもよかった。


 フェイ……。


 彼が帰ってきてから、もう6年か。

 長かったけど、うん、まだ大丈夫。

 今度こそ、彼とこれから先を一緒に見ていきたい。

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