第21話 悲鳴を上げる男 【クリス視点】

「フェイ、そっちの棚の在庫も確認してきて!」

「はいはい……っと、これか?」


 あれから、フェイはあまり気の乗らない様子で、たまに道具屋の仕事を手伝ってくれている。

 私が「働きなさい、無職!」と何度も言い続けたおかげか、最近では文句を言いつつも観念したようだった。

 道具屋だけでなく、最近では村の手伝いや教会のボランティア活動まで始めていた。

 イザール神父からも「フェイが手伝ってくれると助かるよ」と感謝されるほどだった。


 でも、彼の表情にはどこか影があった。


「……なんでこんな村で燻ってんだろうな……」

「文句ばっかり言わないの。別にそれでもいいじゃない」


 思わず冷たい口調になってしまう。

 でも、彼の虚ろな表情を見ると、それ以上強く言えなかった。


 私自身も、呪いの手のことで悩んでいた頃は、フェイに辛く当たっていた。

 その記憶が胸を刺し、彼に厳しくすることを躊躇わせた。


「フェイ……もう少しちゃんとした生活したら? お酒ばっかり飲んでないで」

「……わかってるよ。でも、なんかな……」


 焚き火の前で、彼は曖昧に笑って、そのまま空を見上げる。

 私は何も言えなかった。

 何を言ったら彼を助けられるのか、それさえもわからなかった。


「なぁ、クリス……俺って、どうしようもない奴だよな」

「そんなこと……」

「いいんだ。俺が一番わかってる」


 彼の声は静かで、どこか諦めが滲んでいた。

 私はその横顔を見ながら、胸が痛むのを感じた。


 でも、彼を強く抱きしめて「そんなことない」と言えるほど、私は強くなかった。

 ただ隣に座り、火の揺らぎを見つめることしかできなかった。



 ---



 月日は流れ、私は相変わらず魔術の特訓を続けながら、村の道具屋を営んでいた。

 村の外で今日も人食い植物を相手にしていると、遠くで何かが光った。

 私は思わずそちらに目を向ける。


 そこには、ひと組の青年と少年がいた。

 青年が剣を抜くと、まるで光の軌跡のような一閃が走る。

 それだけで、目の前の人食い植物が細切れになって地面に崩れ落ちた。


「すごい……」


 思わず息を呑む。

 尋常じゃない剣技の速さと正確さは、私の目にも恐ろしく映る。


 呆然としてみていると、二人が私の存在に気づいたようだった。

 青年がこちらに振り返り、穏やかな笑みを浮かべる。


「あ、どうも。今日からこの村に引っ越すことになりまして……ベルギスと申します。こいつは、弟のエミルです」

「こ、こんにちは……!」


 エミルという少年が少し緊張した様子で挨拶をしてきた。

 その瞳は純粋で、どこか憂いを秘めているようにも見える。


「こんにちは。クリスよ。私も魔物退治に来てたところなんだけど……」

「あ、もしかして仕事取ってしまいましたかね。実は、到着するなり村長さんに魔物退治の依頼を受けまして。クリスさんの仕事とは知らず、すみません」


 ベルギスが柔らかい笑顔で話す。

 彼は鋭い剣技からは想像もつかないほど落ち着いた物腰だ。

 エミルも、兄を見上げながら安心した様子で微笑んでいる。


「いやいや、そんな! むしろ、最近は私くらいしか対処できてなかったから、村としてもとっても助かると思うわ!」

「それならよかった。俺は冒険者なので、よく家も開けると思いますが、よろしくお願いします」

「ええ。よろしくね。わからないことがあったらなんでも聞いて」


 冒険者……フェイの元同僚みたいな感じなのだろうか。

 いや、冒険者と言ってもその数は多いし、ベルギスほどの強さを持った人とパーティを組んでいたとは考えられない。

 って……フェイには悪いけど……。


 でも、二人の存在がこの村にとって頼もしいものになるのは間違いない。


「クリスねーちゃんも戦えるの? すごいや」

「えっ、そ、そんな……私は大したことないよ。魔術で遠くから撃ってるだけだし……」


 エミルくんの無垢な言葉に照れる私に、ベルギスがふと目を細めた。


「それでも、この村を守っているんでしょう? 素晴らしいことじゃないですか」

「う……」


 思わず真っ赤になってしまう。

 どうして私はこんなに褒められることに慣れないんだろう。

 思えば、子供の頃にフェイに魔術を褒められても、素直に喜ばなかったな。

 昔からの悪い癖だ。



 ---



 2人の兄弟はすぐに村に打ち解けた。

 特にベルギスはその強さもあって、村中の老若男女から依頼の引っ張りダコと化していた。


 対して、フェイは相変わらず村を出ることもなく、村人たちとの関係もぎくしゃくしていた。

 むしろベルギスが活躍すればするほど、彼は深いため息をつき、酒に逃げていた。


 ……きっと、比べてしまっているのだろう。

 でも、なんて言ってあげたらいいかは、相変わらずわからない。

 下手な励ましは彼を傷つけるだけだろうし……。


 道具屋も特段忙しいわけではないので、最初以外は彼が手伝いに来ることもほとんど無くなった。

 その代わり──というワケでもないが、私は「新しい家族」を迎えていた。


 道具屋の入り口では、ぽてぽてとした丸い犬──ではなく、プレーリーハウンドが寝ている。

 ある日、村の近くの森で見つけだのだ。


 仲間に迫害されたのか、虐められたのか、体にはいくつも傷があり、どこか怯えた様子で木陰に身を潜めていたので、「大丈夫?」と聞きながらも私は治癒魔術をかけてあげた。


 その日は彼を家まで連れ帰り、「マルタロー」と名付けた。

 最初は警戒心をむき出しにしていたけど、愛情を持って接しているうちに少しずつ心を開いてくれた。



 ---



 月日は流れる。

 その日は珍しく、久しぶりにフェイが道具屋に訪れた。

 入り口付近で寝ているマルタローに噛まれそうになりながら、しかし大したリアクションもせずに入ってくる。


「なんだこいつ? 食うのか?」

「食べるわけないでしょ! ばか!」

「ふーん……」


 彼の態度は相変わらず冷めていて、何を考えているのか分からないし、その顔はすっかり生気を失い、もはや廃人のようだった。

 見ているだけで、心が痛くなる。

 本当に彼に何も言わずに、ただ放置しておいてよかったのだろうかと思えるほどに。


 でも、今更何を言えばいいのだろう。

 それでも私は、何か会話のきっかけが欲しいと思い、わざとマルタローの話を続けた。


「この子、すごく賢いのよ。私が教えたら簡単な指示も聞いてくれるし──」

「クリス……」


 不意に彼が私の言葉を遮った。

 なぜだかフェイの顔は、いつになく真剣だったから、思わず息を飲んでしまった。


「な、なに?」


 私は戸惑いながら答えた。

 彼はしばらく黙ったまま、下を見つめていたけど、やがてぽつりと言った。


「……いままで、ありがとうな」

「……え?」


 私は彼の言葉の意味がすぐには理解できなかった。


「えっと……なに……?」


 何年も下を向いて、取り繕った程度の笑顔しかしてなかったフェイの顔が、その時だけは、仮面を脱ぎ捨てたような、素直な顔をしていた気がした。

 だからこそ、反応に困る。


「……はは、ちょっと言いたくなっただけだ。それだけだ……気にすんな……」

「え? ちょ、ちょっと?」


 そう言ってフェイは踵を返し、再びマルタローに噛まれそうになりながら立ち去った。

 何か言い返そうとしたけれど、私は何も言葉を発することができなかった。


 その夜、私はなぜだか眠れなかった。

 マルタローを膝に抱きしめながら、フェイの言葉の意味を考え続けた。

 ただの思いつきだったのか、それとも何か別の意味があったのか。


「いままでありがとう……?」


 繰り返し思い出しては、胸がざわざわして落ち着かない。

 何か嫌な予感がして、朝を待つのがもどかしかった。



 ---



 翌朝、私は早く目を覚まし、真っ先にフェイを探し始めた。

 昨日の彼の言葉がずっと胸に引っかかっている。

「いままでありがとう」だなんて、まるで別れを告げるみたいなあの言葉。


 彼がいなくなってしまうのではないかという不安が、私を突き動かした。

 何か会う理由をつけるために、昨日作りすぎたパンを袋に詰めて持っていく。


 村の中を片っ端から探す。

 教会、川辺、いつもの焚き火の場所──どこにも彼の姿はなかった。


「どこ行ったのよ……もう……」


 嫌な予感が胸を締め付ける。

 落ち着かない心を抱えながら、私は村の人たちに片っ端から声をかけた。


「フェイクラント? 昨日の夜見かけたけど……なんかフラフラ歩いてたわね」

「あぁ、俺も見たぞ。気持ち悪い笑い方してて、ついに狂っちまったかと思って近寄らなかったが」

「えっ……?」


 次々と返ってくるのは曖昧で、嫌な内容ばかりの答えだった。

 だんだんと胸のざわざわが大きくなる。


「そういや、さっきベルギスくんの家の前で薪をもらってたぞ」


 最後に話しかけた男が、何気なくそう言った。


「それから……あっちの方に歩いてったな」


 男が指差す方向──村の門の方。


「……!」


 礼を言う間もなく、私はそちらへ向かって走り出した。

 フェイがいなくなってしまいそうな気がして、いてもたってもいられなかった。

 早く彼を見つけて安心したかった。


(フェイ……)


 そして、村の入り口までたどり着くと、門兵のビルさんがいつものように気だるそうに門の淵に立っていた。


「よう、クリスちゃん」

「あの、フェイ──」


 ビルさんにフェイが通らなかったかと声をかけたその瞬間──


「ギャァアアアアアアアっ!!」


 村のすぐ外から叫び声が聞こえ、反射的に振り向く。

 そこには──


「ぴゃぁああああああ!!!」


 子供といい勝負するような、プレーリーハウンド3匹に追いかけ回されながら泣き叫ぶ──私が探していた男が、そこにはいた。

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