第19話 優しさの理由 【クリス視点】
「いいかいクリス。その手袋は特別なものなんだ。だから、いつ、どこにいる時も外してはダメだからね」
「寝てる時も?」
「そうだね。寝ている時もつけたほうがいいね」
「お風呂の時も?」
「うっ……一人で入る時なら外して構わないよ」
「なんで外しちゃダメなの?」
小さな私は、不思議そうに彼の顔を見上げた。
物心ついた時から、私の手には無骨な黒い手袋がはめられてあった。
イザール神父……あぁ、あの頃は「神父様」と呼ぶように教えられたっけ。
いつも私の目線に合わせてしゃがんで話をしてくれる彼に、なんとなく親しみを感じていたのを覚えている。
「それはね……クリスがみんなと仲良く楽しく過ごせるようにするためなんだよ」
神父様は優しく微笑みながら、私の小さな手をそっと包み込んでくれた。
手袋の上からだけど、その手はとても温かく、私の胸の奥にまで届くようだった。
「この手袋が、クリスを大切に守ってくれるんだ。だから、これをつけていると安心だろう?」
私はうなずいて、小さな手をじっと見つめた。
黒い手袋は少し重くてごつごつしているようにも感じたけれど、なんだかとても大切なもののような気がして、素直に彼の言葉を信じた。
「……うん、わかった。ずっとつけてる」
そう答えると、神父様は大きく頷いて「それがいい」と言ってくれた。
みんなはつけてないけど、私だけ特別な気がして、その時は手袋をつけているのが好きだった。
---
しかし7歳の時、悲劇は起きた。
ある日、遊びの途中、同じ孤児の女の子にふざけて手袋を取られてしまった。
私は「返して!」と強く言いながら、必死に手を伸ばした。
そして、私の手が彼女の腕を掴んだ時、彼女は尋常じゃないほどの叫び声をあげながら倒れた。
神父様は彼女を優しく抱き上げ、深刻な表情で「大丈夫だ、しっかり息をするんだ」とささやきながら、肩をさすった。
私は何が起きたのかわからなかった。
「神父様……わたし……何も……さ、触っただけで……」
「クリス、大丈夫だ。ちょっとあっちでお話ししようか」
泣きそうになりながら別室に連れられると、神父様は私の手に潜む秘密を全て話してくれた。
生気を吸う手のこと、それを抑えるための手袋のこと。
彼の声色は優しいものだったが、対照的に私の心は今にも砕けそうだった。
「大丈夫だ。クリス。手袋さえつけていれば君もみんなと同じ普通の子だからね」
「うん……」
何度も「大丈夫」と言ってくれたけど、私の心は休まらなかった。
まだ信じたくなくて、教会の裏でこっそりと手袋を外し、草むらにある一つの葉に指を置いてみた。
「……ひっ……」
私は目を疑った。
指先で軽く触れただけなのに、その草はみるみるうちに色を変え、枯れていった。
「う……ぅうううぅぅぅ……」
もはや抑えきれない感情が涙として溢れた。
ボロボロと流れ続ける涙を止めることはできなかった。
私はそのとき、初めて「普通の子とは違う」という言葉の意味を考えた。
神父様の言った通り、私の手は触れるものを無意識に壊してしまう悪魔の手だったのだ。
その日の夜は夕食後すぐに布団にくるまり、濡れた枕の上で目を閉じた。
---
次の日から、私の周りには少しずつ冷たい空気が漂い始めた。
「クリスって、なんかおかしいよね。神父様はなんともないって言ってたけど」
「絶対なんか隠してるよね。だってあの子に触れられた子、すごく痛がってたもん」
そこには教会の孤児のほかにも、村の子供たちも混ざっていた。
神父様は注意してくれていたけど、あまり状況は変わらなかった。
いつの間にか、私の中で手袋とは『私を守ってくれるもの』ではなく『私を縛りつける鎖』に変わっていた。
私は1日の大半を教会にある書斎に籠ることが多くなっていた。
ある日、いつものように本を開き、何度も読み返した初級魔術のページをぼんやりと眺めていると――突然、ドアが勢いよく開いた。
「よう、クリス! 遊ぼうぜ!」
十二歳の同じ孤児の少年、名前はフェイクラント。
みんなからフェイって呼ばれてるお兄ちゃん的存在だ。
初めて彼に会った時は、まだ私は赤ちゃんの頃だった。
その時のことはよく覚えてないが、彼は昔から無鉄砲ですぐ調子に乗って失敗ばかりするくせに、いつも明るくて前向きな人だった。
私の悪い噂も、聞いてもいなければ興味もないのだろう。
バカみたいに毎日私のところに来ては遊びに誘ってくる。
「私と遊ぶと、みんなに嫌われるよ」
「え? そうなの? なんか誰かが言ってた気がするけど、聞いてねーや! 俺は遊びたいやつと遊ぶね!!」
「……いい。……外は怖いもん……」
私はいつものように小さく首を振った。
フェイが何度も誘ってくれるのはうれしいけど、また皆に冷たい視線を向けられると思うと、怖い。
「そっか! じゃあ俺も今日は勉強でもするかな! ンン! クリスは魔術の勉強をしてるのか!」
その日はなぜかフェイも本を読むといい、人の気も知らないで彼はどかっと私の隣に座り、読んでいる最中の本を覗き込んできた。
私は反射的に少し距離を取った。
「ほぉお〜……なんて書いてあるか全くわからんな!」
「なにそれ、だったら本なんて読めないじゃない」
「むむむ……じゃあ読んでくれ。クリス」
「…………しょーがないなぁ、もう」
あまり人と関わるのも嫌だったが、断るのもなんだか怖くて、一緒に本を読んだ。
フェイのテンションは無駄に高いけど、嫌な気分にはならなかった。
「すげぇなクリスは。もしかして魔術とかも使えるのか!?」
「……清らなる力よ、我が手に集いて顕現せよ──『
その時の私は楽しくて、つい覚えたての魔術を使うことにした。
私が手のひらを上にして、初級水魔術を唱えると、手のひらの上にふよふよと水でできた玉が形成される。
「しゅ、す、すぎょぃいいいいい!!」
フェイはまさに『びっくり仰天』といった顔で驚いてくれた。
「そ、そんなに……ただの初級魔術だよ」
「だってお前、まだ子供なのに魔術なんて、すっげぇええ! もっと見せてくれ」
「……ぷっ、変な顔……」
私は久しぶりに笑顔になった。
だってフェイったら、本当に目が飛び出しそうなくらい驚いてたんだもん。
魔術に相当感動したのか、彼はとく私のところに訪れて本を読むようになった。
実際には私が読んであげてるだけだけど。
新しい魔術を見せるたびに、彼はいつも想像以上に驚いてくれて、次はどんな魔術を見せてあげようかと、魔術を覚えるのが楽しかった。
思えば、この頃から私は彼のことを目で追うようになっていた。
---
その日は「毎日本を読むのは飽きた」と言って、フェイに半ば無理やり外に連れ出された。
私が抵抗しても、構うことなくフェイは私を引っ張っていく。
案の定、他の子供たちは冷たい視線を私に向けた。
苦しくて、悔しくて、どうにかなりそうだった。
フェイも気付いているはずなのに、彼はまるで他のことなんて見えてないように私を連れて走って行った。
「みてみろよクリス!」
連れて行かれた先は村の中で一番高い丘の上だった。
村の外まで一望できて、草原や森、山などの景色がどこまでも広がっていた。
「……綺麗……」
「だろ? 俺はいつか教会を出て冒険者になるんだ」
「冒険者?」
「あぁ、ここから見える草原より、もっと広い世界を見るんだ! 冒険者になって、いろんなとこを旅して……ワクワクしないか!?」
「本も読めないのに?」
「うっ……そ、それは、これからだよこれから……」
大草原を背景にして冒険者になりたいと語る彼の顔に、私はこの頃から少し惹かれていた。
「じゃあ私も! 文字すら読めないフェイなんかすぐ追い越してやるんだから!」
思わず口をついて出た言葉に、自分でも驚いていた。
でも、村で居場所のない私には、冒険者はいい職業なのかもと思えた。
「ふっ、お前が出てくる頃には俺はもうベテラン冒険者だぜ? 初心者なんか入れてやるかよ」
「もっと魔術のお勉強がんばるもん! 逆にフェイが頼んだって入れてあげないんだから! 」
意地を張るように私はフェイと睨みあう。
やがて、彼はぽんぽんと手で私の頭を叩いて、にこりと笑った。
「じゃあ決まりだな。二人で一緒に冒険者になって、世界を見に行くか!」
「うん!」
フェイの言葉は、なぜだか胸がドキドキして、心の奥で何かが少しずつほどけていくような気がした。
---
フェイに連れ出されてから、私は外でも遊ぶようになった。
最初は冷たい目線を送ってきた村の子供達も、みんなの兄的存在であるフェイが私と楽しそうに遊ぶのをみて、「やっぱり噂だったんだ」と一緒に遊んでくれるようになった。
私に触られた子は最後まで不満そうだったけれど、フェイが「気にするな! 俺が守ってやる!」の一言で笑い、仲直りできた。
あんなに痛い思いをさせたのに、彼女は「気のせい」と言って許してくれた。
私が魔術が使えるようになったこともあってか、いつの間にか噂は「あの手袋は強すぎる魔力を抑制するためのもの」みたいな変な噂に上書きされていた。
そして、私はあれから人に触れることなく、6年の時が経った。
「じゃあクリス、俺は一足先に旅立つとするぜ!」
「待ってくれないの……?」
「あぁ、悪いが待ちきれねぇ! 今日は冒険の風が吹いてるんだ! わかるだろ?」
「ぷっ、なにそれ、へんなの」
「じゃあなみんな! イザール神父も世話になったな!」
フェイは宣言通り、教会から旅立って行った。
「やれやれ、本当に勢いだけで行ってしまうとは」
「私も、フェイに追いつけるように努力しなきゃ」
「クリスはもうフェイより強いと思うんだが……まぁ、その時は彼を支えてやってくれ」
「うん! まかせなさい! ほんと、フェイはしょーがないんだからなぁ」
えっへんと胸を張り、私は遠ざかっていくフェイを見送った。
フェイが外に連れ出してくれたから、私はまた笑うことができた。
「普通の子」としてもう一度歩けるようになった。
全部フェイのおかげだ。
だから、もし彼が辛い時があったら、今度は私が支えてあげたい。
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