第17話 しょーがないなぁ、もう……

「……燃えたぎる力よ……すべてのけがれとすべての不浄をはらい清めん──」


 ザミエラは低い声で詠唱を呟きながら手を仰ぎ、闇のような魔力を収束させる。

 彼女の足元から湧き上がる闇の波動は、まるで生き物のようにうねりながらクリスを締め上げている。


「んんっ……んんんんっ!」


 クリスは影に全身を拘束され、地上から高々と持ち上げられていた。

 首元まで影が覆い尽くし、彼女は呼吸もままならないようだ。

 その小さな身体が苦痛で震えている。


「何をする気だ……おいっ!!」


 俺は思わず叫びながら、木剣の代わりに何もない空の手を握りしめた。

 だが、ザミエラは冷笑を浮かべたまま、俺の方を一瞥するだけだった。


「……私をここまで傷つけた報いだ。まずはこの女を殺す」


 そう言い放つと、ザミエラの手がゆっくりと天を指差す。


はらいをおよぼしけがれを熔かし、解放せよ。とうときものへ──」


 詠唱が続けられると、彼女の頭上に黒い炎が渦を巻き始めた。

 次第にその炎は形を成し、巨大な剣となって姿を現す。


「なん……だよ、これ……」


 俺の目の前に浮かぶのは、空を裂くほどの巨大な黒炎の剣だった。

 その剣から溢れ出す熱気だけで、雨の降る空気さえも歪み、地面が干上がり始める。


「これが、我が力の真髄……。魔術を極めた者のみ許される深淵の力」


 ザミエラの声には、狂気が込められていた。

 深淵の力……?

 魔術本にあったオリジナル魔術ってやつかもしれない。


 俺はその光景に目を奪われ、立ちすくむことしかできなかった。

 直感でわかる。

 ダメだ……これは。

 受け切れるとか避け切れるとか、そういった次元の攻撃ではない。

 しかも、クリスは拘束されていて動くことすらできないでいる。

 どうしようもない。


 何も解決策が浮かばない。


「やめろ……頼む、やめてくれ……! 俺はいい! せめてクリスは助けてくれ! なんだったらお前の知りたがっている情報も渡す!!」


 気づけば俺は、ザミエラに向かって叫び、懇願していた。

 俺の言葉に、ザミエラは興味深げに俺を見下ろす。


「ほう、私をここまで傷つけておいて、それを許せるほどの情報が貴様にはあるとでも?」

「ベ、ベルギス。いや、ベルギオス・ル・エルド・アステリアの居場所についてだ!!」


 自分でも信じられないほど大声で叫んでいた。

 ベルギスの居場所を吐いて、クリスを助ける。

 それがどんなに情けない行為かなんてわかってる。


 でも、他にどうしようもない。

 ただ、クリスだけは助けたかった。


「んんん! んんんんーーっ!!」


 俺がベルギスのことを言おうとすると、クリスは拘束されながらも抵抗を増す。

 きっと反対しているんだろう。


「耳障りだ」

「んヴッ!!」


 ザミエラが少し力を入れると、魔力の影がキュッと圧力を増し、クリスを黙らせる。

 クリスは激痛のせいか、もはや身体が痙攣していた。


 俺の全身に鳥肌が立つ。

 いつでも殺せるんだ。

 あんな炎でなくとも、影で圧殺することもできるのだろう。


「ベルギオスはヴァレリス王国だ!! 恐らくまだ向かっている最中だが──」


 注意を逸らすために全力で叫ぶと、ザミエラの動きが止まる。

 その赤い瞳が俺をじっと見据え、冷酷な笑みを浮かべる。


「ほう……で……?」


 俺は唇を噛み締めながら、震える声で答えた。


「アイツは今、ヴァレリスの王様に呼び出され、近くの洞窟の調査に向かうように言い渡されるんだ! 」


 気づけば俺は、涙を流しながら叫んでいた。

 エミルのことを助けるとかほざきながら、今こうしてクリスというゲームのメインキャラでもない女のために情報を魔王に差し出している。


 ──心が壊れそうだ。


「お前はベルギスを狙ってるんだろう!? もちろんエミルだって一緒だ! そうだ! 洞窟で待ち伏せしたらいいんじゃないか!? 余計な邪魔も入らない!」


 ──最低だ。

 クリスを助ける為とはいえ、ベルギスを餌にしている。

 ザミエラは俺の叫びを聞き終えると、一瞬だけ表情を緩め、冷酷な笑みを浮かべた。


「……なるほど。で、その情報の代わりに助けてくれと」


 俺は全身を震わせながら、声を振り絞る。


「そ、そうだ……。だから、クリスを……助けてくれ……」


 彼女の赤い瞳が俺をじっと見つめる。

 その瞳の奥にある底知れぬ暗闇に、全身が飲み込まれそうになる。


「……ふふ、ふはははははっ!」


 ザミエラが突然笑い声をあげた。

 嘲笑と歓喜が混じり合ったその声は、雷鳴にも似た不気味さで耳に響く。


「貴様……その程度の情報でこの私を買収できるとでも思ったか? 実に滑稽だ。貴様は今この女の代わりに貴様らの救世主となるやもしれん男の情報を売ったのだ!」


 彼女はゆっくりと俺の方に向き直る。

 その目には冷たい怒りと哀れみが込められている。


「貴様のような奴を見ると反吐が出る。それに何を聞かされたところでコイツは殺す。そこで大人しくこの女が死ぬのを見ているがいい」


 その言葉が俺の耳に届いた瞬間、絶望の感情が胸を覆い尽くした。


「や、やめろ!!」

「さぁ、この不浄ふじょうなる大地を業火で輝かせよう…我はこの荘厳そうごんなるアルティアを燃やし尽くす者となる──」


 再び先程の詠唱が続けられる。

 上空に存在する黒炎の剣がさらに激しく燃え上がった。


 俺は必死に立ち上がり、ザミエラの方へ走り出そうとしたが、足が震えて前に進むことができない。

 目の前の光景が現実とは思えなかった。


「んん…」


 影に締め付けられたままのクリスが、声も出せずに俺の方を見つめる。


「お願いだ! 悪かった! なんでもする! 人間を滅ぼす手伝いだってする!! なぁ、無視すんなよ。 頼むよ!!」


 俺の叫びを無視して、ザミエラは漆黒の剣を高く掲げ、そこにさらに闇の魔力を集中させる。


「やめてくれぇぇええ!!」


 俺は絶叫しながら無我夢中で走り出した。

 その時、クリスの顔が俺に向く。


 ──そして最後に、いつものように小さく笑った。


「…………」


 その微笑みは、まるで全てを悟ったかのような、諦めの中に温かさを含んだものだった。


「やめろぉおおおおおおおおおっ!!!」


「──『深淵獄界グラヴフェルト焦熱の剣レーヴァテイン』!!」


 その瞬間──

 ザミエラの黒炎の剣がクリスに向けて振り下ろされた。


 ──ゴォォォォォオオオオオオッ!!!


 燃え盛る黒炎はクリスごと地面に到達すると、天にまで伸びる火柱が立ち上がる。

 クリスはその中心で劫火に覆い尽くされ、彼女の小さな身体が完全に飲み込まれていく。

 炎の勢いは村全体を焼き尽くすかのように広がり、俺の目の前で愛しい人が、ただの塵と化していく。


「ぁああっ!! ああぁあぁぁあぁああああああああっ!!!」


 叫び声が喉の奥から絞り出される。

 目の前の光景を受け入れることができなかった。


 俺の喉から絞り出された叫び声が、燃え盛る黒炎の轟音にかき消される。

  目の前で広がるのは、黒炎に包まれ、跡形もなく消えていくクリスの姿。


 信じられなかった。

 嘘だと言ってほしかった。


 だが、現実は無情に進む。


「……ッ!!」


 反射的に腕で顔を覆ったが、衝撃は容赦なく俺の身体を吹き飛ばした。


「ぐ……あぁぁああッ!!」


 俺の身体は数メートルも空中を舞い、地面に叩きつけられる。

 全身が激痛に包まれ、目の前が白くチカチカと明滅する。

 吐き気とめまいに襲われ、まともに動くことすらできない。


「……ぁ……」


 身体が焼けたように熱く、皮膚に刺すような痛みが広がっている。

 生きているはずなのに、何もかも無くなっていく感覚。


 涙と熱気でぼんやりとした視界の中で、上空から何かがひらひらと舞い落ち、倒れ伏す俺の目の前にそれは落ちる。


「…………あ……」


 それは、クリスがいつもしていた黒い手袋だった。

 寝る時も肌身離さず身につけていた手袋。


 それが単体で地面に落ちていることが、彼女の死というものを明確に表すかのようだった。


 ……嘘だ。

 嘘だ嘘だ嘘だ。


 涙が抑えきれない。

 頭の中に、彼女との記憶が次々と浮かび上がる。


『フェイ、焚き火ばっかしてないで、さっさと働きなさいよ』

『魔術覚えるの? 私、教えられるわよ!』

『フェイは、私のこと、好き?』

『自分だけには、嘘をつくな!』


 彼女の笑顔、叱る声、ふと見せる優しさ。

 全てが頭の中を駆け巡り、同時に胸を締め付けるような痛みが押し寄せてくる。


「……っ、クリス……」


 声にならない声が漏れた。

 伝えたいことがあった。

 これからも、ずっと一緒にいるのだと思っていた。

 まだ何も、恩返しすら、できていない。


 俺が守りたかった人は、俺が命を懸けてでも救いたかった人は──もういない。

 全ては俺の無力さのせいだ。

 朦朧とする意識の中で、足音が俺の方に近づいてくるのがわかる。


「……もう、いい……」


 俺はその方向を見上げることもなく、ただ静かに涙を流していた。

 俺の心は完全に折れていた。


 目を閉じ、焼けるような痛みを受け入れる。

 地面に倒れ伏し、雨によってずぶ濡れで、もはや涙なのか雨なのかもわからない。

 ただ、 ザミエラに殺されるのを待つだけだ。


 クリス……。

 思えば、あいつはどうしてずっと俺なんかのためにここまでしてくれたのだろう。

 ずっと笑顔で、優しくて。

 その笑顔の裏には、どんな過去があったのだろうか。


 ……いや、よそう。

 考えても、彼女はもう戻らない。

 生きる意味すら、もう何も無い。


 思えば、何がゲーム世界を改変だ……。

 村人Aができることなんて限られてる。

 どだい無理な話だったんだ。


 ──終わりだ。


 俺は目を閉じたまま、覚悟を決める。

 足音がさらに近づき、その気配がすぐ目の前にまで迫る。


(……早く、殺してくれ……)


 消えゆく意識の中で、俺はただそう願い続けた。






 ………………






 …………






 ……








「しょーがないなぁ、もう……」






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