第12話 変わりたい

 俺は道具屋の仕事をしながら特訓を続けていた。


 ……というのは嘘だ。

 特訓には精を出せず、適当にやっているフリをし続けている。


「────『火球ファイアーボール』」


 俺は最弱種であるフェアリーフラワーを燃やし、「やってやった感」を出しながら悦に浸る。

 逃げ帰った次の日、一度だけ山に入った。

 が、結局俺の全魔力を注いだ火球ではウッディ・ゴーレムを倒すには至らなかった。


 あれから2週間経つが、俺はもう一度山に入ろうという気にはならない。


 季節は初夏。

 プレーリーは田舎村なだけあって、この季節でも猛暑というほどでもない。

 だが、俺のやる気を削ぐには十分な暑さだった。


 習慣にしていたはずの筋トレは、「明日にしよう」とか「今日は体がダルい」とか、何かしらの理由をつけては結局やらないでいる。

 魔術も最初は新しいことを覚えるのが楽しかったが、俺の魔力量は少ないし、中級以上はできる気がしなくて、いつの間にか近所の魔物を魔術で倒すということをして練習した気でいた。


 別に初めてのことではない。

 この世界に来る前だって俺はいろんなことを投げ出してきた。

 だから今回のことも「仕方ない」と見切りをつけるのも早かったのかもしれない。


 クリスがいないことをいいことに、村周辺を歩いたり川でぼーっと時間を潰しては、日が暮れると適当に服を汚したりして、まるで壮絶な大冒険をしてきたかのような演出をして家に帰っていた。


「おかえり!」

「……あぁ、ただいま」


 クリスは俺を笑顔で出迎えると、作ってあった夕食を並べ始める。

 彼女の体調はかなり回復したが、再発しては怖いのでまだ家で安静にしている。

 いや、特訓には何度もついて来たがったが、俺はその場しのぎでしかない言い訳をして家に居させるように嫌な努力をしている。


「今日はどうだった?」


 だから、クリスは毎日のように俺に特訓の話を聞いてくる。


「ん? あ、あぁ。順調だぜ──」


 一度クリスに嘘をついてからというもの、俺の嘘は日に日に増えていった。

 偽の武勇伝を聞くと、クリスは「ふーん」とか「へぇ」とか「すごいね」とかの相槌を打つと、最後に小さく笑った。

 胸が締め付けられる。


 本当のことを言ったらクリスはどう思うだろう。

 俺が魔術を始めると言った時は、あんなに喜んでくれたのに…。


 俺はいつしか、クリスの顔を直視できないでいた。



 ---



 道具屋にて。

 前はもっといきいきと作業してたはずなんだが、最近はため息をつきながらしていることが多い気がする。


「フェイのにいちゃん!」

「こんにちは。フェイクラントさん」


 カウンターで肘をついて手に顎を乗せていると、エミルが勢いよく扉を開け、ベルギスと入ってきた。

 そうか、もうそんな時期なのか。


「聞いて! フェイのにいちゃんの言う通り、湖で釣りをしたらね──」

「あぁ、そうだったろ……」

「すごいですね。俺も正直驚きましたよ。何か特別な力があるんじゃないかって」

「はは、そんなモンねぇよ」


 意気揚々と話すエミル、俺のことを褒めてくれるベルギスとは対照的に、俺はどこか気の抜けた返事をしていた。


「それで、次はヴァレリス王国なんだけど──」

「あーすまん、あそこには行ったことがなくて、何も知らないんだ」


 俺はエミルが質問し切る前に答えた。

 ベルギスも俺の態度に面食らったように、ぽかんとしている。


「え、そうなんだ。フェイにいちゃんでも知らないことがあるんだね」

「エミル、それは失礼だろう?」

「知らねーことの方が多いよ。で、今日は何か買っていくのか?」

「あ、うん。えっと……毒消し草が残り少ないからそれと──」


 結局俺は、彼らに何の情報も渡さなかった。

 正直、このまま彼らに情報を与え続けていいのだろうかと思ったからだ。

 歴史が変わって、もし大魔王が変なタイミングに復活なんかしてみろ。

 バッドエンドだ。全部俺のせいだ。


「じゃあ、行ってきます。ありがとうございます。フェイクラントさん……」

「行ってくるねー!」

「……おう」


 ベルギスは俺の機嫌が悪いと思ったのか、帰り際に申し訳なさそうな顔をしていた。

 ……態度まで悪くする必要はなかったな。

 まぁ、また会った時にでも──


「あ……」


 そういや、これでベルギスを見るのは最後なのか……。


 ベルギスはヴァレリス王国の周辺で魔族に見つかり、殺される。

 それがゲーム上のアルティア・クロニクルの正史だ。

 実際に全力で戦って負けるのではなく、エミルを利用されて負ける。

 悪役にはよくある戦法だ。

 俺がそのことを言ってやれば回避できるのかもしれないが、言えなかった。

 だって、別にベルギスが死のうが、勇者はエミルの方なのだ。

 エミルさえ生きてれば世界は救われる。


 ベルギスの死後、エミルは魔族に捕らえられ、大魔王の封印を解除できるその母、セシリアを脅すための道具として使われる。

 兄も母も魔族によって死に、エミルはその怒りと世界を守る想いで勇者に覚醒する。


 うん、それが正しい道なのだ。

 何も言わなくて良かった。

 俺が変に歴史を変えてみろ。

 ベルギスは強いが、最終的にはエミルに追い抜かれる。

 そのベルギスが死ななくて、エミルが勇者に覚醒もできなくて、大魔王だけは何らかの要因で復活とかしてみろ。

 世界は終わるかもしれないだろ?


「うん、これでいいんだ……」


 俺は、勇者じゃない。

 そもそも考えたら、ただの村人が勇者一行に助言なんて方がおかしい。

 だから……俺が罪悪感を感じる必要なんて、何もないんだ。



 ---



 数日後の夜。


 クリスに嘘を吐き続け、魔術も筋トレもサボる毎日。

 果てには、何も情報を与えなかったくせに、今更になって「ベルギスとエミルは大丈夫だろうか」という無責任な考えに、俺の心はいつしか行き場の無い孤独感と自分への嫌悪感に支配されていた。


「仕事とかも任せっぱなしでごめんね」

「気にするなよ。お前はゆっくりしてたらいい」


 クリスは俺がいつものように特訓(笑)から戻ると、鍋にあったスープを温め直し、俺にいれてくれた。

 一口飲んでクリスは「ちょっと熱すぎたね」と言って笑った。

 もはや俺には味すらも感じられなくなっていたが、俺も笑顔でいないと。


 クリスの笑顔を見ていると、自分の情けなさがこみ上げてくる。


 だから俺は、

 その情けなさを出す代わりに、

 必死に笑顔という仮面を被りながら、

 椅子の後ろに片腕を回し、

 痛いほどの硬い握り拳を作る。


 目の前のクリスを欺くのに必死になりながら。


「そういや、最近は筋トレも増やしてまた強くなってさ──」


 最低だ。俺は。


「ほら、前に言ってたウッディ・ゴーレムも今度は3体同時に相手してさ──」


 馬鹿か。俺なんかが出来るハズがないだろ。


「これならいずれクリスと冒険に出ても、俺の方が強くなってるっつーか──」


 もういやだ。だれか俺を止めてくれ。


「それで──」

「もう、いいのよ。フェイ」

「……っ……?」


 言葉が途切れる。

 一瞬驚いて、そこで初めてクリスの顔を見た。

 スープから沸き立つ湯気に紛れて、彼女は含みのあるような小さな笑みを浮かべていた。

 息が詰まりそうになる。


「どうしたの?」


 その質問に、俺は思わず俯いてしまう。


「……知って、いたのか?」


 俺は恐る恐るクリスの顔色を窺うように確認する。


「何を? ……私はただフェイの自慢話は聞き飽きたから『もういい』って言ったんだけどなぁ〜?」

「う……」


 クリスは悪戯っぽく笑みを浮かべながら、仕返しのように、そう"嘘"をついた。


 思わず目を逸らす。

 ……やられた。

 元々俺の嘘なんて見透かされていたのだ。


「…………」


 言葉が出ない。

 きっとクリスは今頃失望しているのだろうか。

 感情が読めない。

 どういう顔をしたらいいのかもわからない。

 泣きそうだ。


 クリスは黙りこくる俺の姿に「ふぅ」とため息のようなものを吐きながら立ち上がり──


「しょーがないなぁ、もう……」


 そう言って俺の後ろに周り、椅子に座る俺を静かに抱きしめた。

 クリスの体温が背中を伝ってくるのがわかる。


「わかりやすいなぁ。フェイは……」


 そう言って、クリスはまるで子供でもあやすかのように俺の頭を撫でる。

 気づけば、俺の目からはボロボロと涙が溢れていた。

 情けない。

 情けない。


「なんで……わかったんだ?」

「顔を見ればわかるよ……」


 俺が涙を隠すように袖で顔を覆いながらそう聞くと、クリスは俺ではないフェイとの昔話をし始めた。


「前だってさ、『俺は冒険者になる。S級のパーティに入って最強の戦士になる』って言って村を飛び出したくせにさ、気がついたら帰って来てて、私も最初はただの里帰りかなって思ってたんだけど」


 ……その記憶はある。

 俺ではないが、確かにフェイは昔冒険者になると言って、結局大した成果も上げられず、村にのこのこ帰って来た。


「でも、それからもずっと村から出ることなんてなくて、私が『最近はどう?』って聞くと、あなたは『あぁ、順調だ。実はギルドの有名なパーティに誘われててよ、でも俺も修行で忙しくて暇が無い』とか言ってて」

「…………」

「もちろんその時も、何か変だなぁとは思ってた。でも、その状況がずっと続いて、ある日気づいた。あぁ、嘘をついてるんだなぁって」

「…………」

「だから今回もわかった。嘘をつく時のフェイは、あの時と同じように…自分に嘘をついている顔をしてたから」


 クリスの言葉が胸に突き刺さる。

 俺は拳をきつく握りしめた。

 俺は、知らない間にフェイクラント本人と全く同じことをしていたのか…


「じゃあ……どうして嘘だと分かってて怒らないんだ……」

「ん〜、確かに嘘をつかれて悲しい気持ちはあるよ。でも私だってフェイに迷惑かけてたし、強く言えなかった」

「ごめん……」

「ううん。別にフェイの生き方だし、フェイが決めればいい。そりゃあ、いつか一緒に冒険できたら楽しそうだなぁって思うけど、そこまで強制させたくはない。まぁ、フェイがここに来てくれるまでは働けって思ったけどね。あはは」

「…………」

「……でもね、フェイが嘘をつく度に、私よりもフェイの心が傷ついていくのがわかって、耐えられなくなった。自分に嘘をつくのって、辛いよね。しかも、最初の嘘を守るために次の嘘もつかなきゃいけないもんね……」


 図星だ。

 クリスの言う通りだ。

 俺は、その重圧に押しつぶされそうになっていた。

 そして、こんなどうしようもないフェイにも未だに優しくしてくれるクリスに罪悪感が消えない…


「…………」

「……怒って欲しそうだから言ってあげるわ」


 クリスは俺から離れると、俺を立ち上がらせ、正面に向き直る。

 芯の通った真剣な表情だった。


「今から言うことは、ただの同居人で幼なじみの戯言だと思ってもらっていい」


 黒い手袋が、俺の手を包み込む。


「フェイクラント……あなたがこの先ずっとこの村でのびのび生きようが、魔術の練習も、冒険者になるって夢も諦めてしまおうと、それは構わない」


 クリスの手から伝わる圧力が強くなる。


「でも、もしもあなたがそれでも、まだ諦めたくないものがあるなら……それを、貫き通して見せなさいっ!!」


 クリスは強く言い切ると、俺の胸にトン、と拳を突き出した。


「自分にだけは、嘘をつくな……!!」


 俺は打ち震えていた。

 普段、恥ずかしがることでしかあまり大声を出さなかったクリスが、ここまで俺に対して言ってくれていることに。

 クリスは俺にではなく、昔のフェイクラントに対して言った言葉かもしれない。

 だが、それは俺にも響いた。

 そしてその言葉は、確かに俺の中で何かを強く胸に打ち付けた。


「……頑張れ」


 クリスは俺の反応を見て何かを察したかのように、ただそれだけを言い、再び小さく笑った。


 俺は──

 俺は────

 俺は──────っ!!


「うぉおおおおおおおおおおおおおっっ!!!!!」


 俺は先ほどまで座っていた椅子を蹴り倒しながら走り出し、そのまま扉に体当たりするようにして外に飛び出していた。

 何か目的があったわけではない。

 ただ、俺の中にあるアツい何かが、俺の体を突き動かした。

 このままの情けない自分でいたくないと思ったから──

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