第二章 石神

石神 第1話 【1/6 加筆】

 本当に、恋結び地蔵というものがあるのか。山田はこの目で確かめたことはない。ただ、この目で確かめておきたいという気持ちはあった。


 実際にどのようなものが分からずに、白の勢いに押し流されているのも癪だった。

 特段嫌いな訳でもないが、好きでもない。どちらかというと、何を考えているだろうと思うことはある。言動に引くことも多いし、興味深いことを言うことがある。


 一言で言えばつかみ所のない変人だ。


 これから先うまくやっていけるか分からないけれど、勘が鋭いようで、察してくれる部分はある。それに、山田にとって、白が提示した時給より魅力的なものはない。今のところ、ほぼ日参しているけれど、そのうち、自分の研究をする時間も必要になるだろうから、慣れるなら今だけだった。


 明日は何時になるか分からないけれど、宝多教授に話を聞きに行くようだ。


 ならば、あの不気味な一角に行く機会は今しか無かった。


 夜も更け、学生と言えば、論文の為に夜遅くまで研究棟に残っている院生だけだ。表を歩いている人影もない。


 研究室のある旧学部棟を出て、石像群のある一角を目指した。


 例の通りに出た。あの化け物も見当たらないし、生臭い風も吹いていない。


 スマホのライトを付けて、前方を照らす。学部棟の端、塀と壁に接して、たくさんの石仏や石や仏像が、闇の中に浮き彫りになった。影が塀に長く伸び、昼間でも不気味なのに、より一層恐ろしさが増す。


 山田はそろそろと近づいていき、一メートルほど離れた場所で足を止めた。


 一つ一つ、ライトで照らし、じっくりと見ていく。大小合わせると少なくとも百はあるだろう。手のひらサイズの仏像や石から、少し大きめのもの。一際大きい石柱が二、三基あった。と言ってもせいぜい五十センチくらいだ。その石柱で、やや前に並んでいるものがあった。


 山田は気になってその石柱を眺める。これが恋結び地蔵だろうか。


 だいたい、顔を削られたもの以外に地蔵尊など一つも見当たらないのだから、目の前の歪なでこぼことした石柱、正直に言うとただの縦長い石を、勝手に恋結び地蔵だと言い張ることは出来る。


 こうして眺める分には生臭い風は吹いてこない。辺りを見回しても、あの不気味な化け物もいないようだ。


 さすがに、得体の知れないものであることは変わらないので、山田は眺めるだけにしておいた。


 しばらく、石像群をライトで照らしていたが、一応確かめたのだからと、きびすを返した。


 あの石像群の中に祟る石があるという事実が怖いと思う。誤って触るか何かをしたら途端に祟られるのだとしたら、いくらあの中に恋結び地蔵があると言われても、関わろうとは思わない。間違って触ってしまったら後の祭だ。


 そう考えた途端、山田は背筋が冷えた。十一月半ばだ。夜気はより一層冷える。そそくさと石像群を後にした。





 誰もいない、マンションの部屋に入り、虚空に向かって、「ただいま」と山田は声を掛けた。こんなことをもう十年は繰り返している。


 すっかり慣れてしまった一人暮らしだが、今日一日のことですっかり疲れ果てていた。


 部屋着に着替えて、夕飯を済ませた後、リビングのテーブルに置いたままの卒業アルバムを開いた。


 今日聞いた、新城千花という少女が、このアルバムの中にいるか確かめてみようと考えていた。十年前、中学二年生の頃に亡くなったのなら、綿子と同じく、名前も写真もないかもしれない。それでも確認してみないことには分からない。


 ざっと眺めてページを繰っていったが、やはり、千花という少女は映っていなかった。巻末のページを開く。大昔なら、住所や名前、電話番号が記載してあったが、今は個人情報保護法で守られている。


 卒業アルバムを閉じると、山田は後ろ手に手をついてのけぞり、ため息を盛大に吐いた。そのまま仰向けに倒れる。


 目をつぶったままでいると、ぽたぽたっと頬に雫が垂れた。なんだろうと目を開け、山では息を飲んだ。


 綿子が上から覗き込んでいる。頭の脇に立ち、じっと山田を見下ろしていた。潰れた頭から、血とピンク色の脳みそが、山田の顔に落ちてくる。


「いっ」


 悲鳴にもならない声が、食いしばった歯の隙間から漏れた。


 綿子の目は肉に食い込んで見えなかったが、アルバムに関して何か伝えたいことがあるのだと察した。


 顔中に潰れた脳みそと血がこぼれ落ちてきて、唇の隙間から血が染みこんでくる。鉄臭いどろりとしたもの。それを舌が感じた途端、山田は嘔吐いて、口を押さえた。


「うげぇ」


 嗚咽と共に床に夕飯をぶちまける。ひとしきり吐くと、口の中は酸っぱい胃液の味だけが残った。


 もう一度見上げると、綿子はいなくなっていた。


 手掛かりが見つかったのだから、なんとしても探せと言いたいのだろうか。


 個人的には、弓美と接触するのは気が進まなかったが、綿子の血と脳みそを味わうのはこれで最後にしたい。


 仕方なく、弓美と接触できそうなタイミングを探すことにして、床の汚物を片づけた。





 案の定、十四時に白の研究室に行くと、早速、宝多教授の研究室へ引きずられるようにして連れていかれた。


 ドアをノックすると、中から宝多の返事が聞こえた。


「失礼します」


 白が中に入り、その後ろを山田は着いていく。


 山田を見た初老の男性が、ニコニコしながら言った。


「やぁ、その子が奇特な学生さんだね」

「奇特とか言わないでくださいよ。貴重なアルバイトなんですから」


 白が苦笑いを浮かべた。


「君が山田君かな? 白先生から話は聞いてるよ」

「よろしくお願いします」


 山田は頭を下げた。


「で、恋結び地蔵だっけ?」


 宝多が手元の紙束を整えて机に置くと、来客用の椅子を勧めてくれた。


 山田はチラリと研究室の中を見回す。整理されて綺麗な部屋だ。ファイリングもきちんとされており、キャビネットに収まっている。白の乱雑な部屋とは大いに違う。性格的なものだろうか。


「恋結び地蔵は、そうだね、だいたい二十年前に学生、主に女子学生の間で流行ったよ。今もやってる子がいるんだね」


 二十年前というと、弓美が言っていた年代と一致する。市子が聞いた時点が始まりなのだろうか。


「ただねぇ、不幸なこともあったんだよね。それも、大学内で噂になった」


 宝多の言葉に、白が身を乗り出す。


「不幸?」

「そう。恋に破れた女性が恋結び地蔵の前で死んでいた。浮かばれない魂となって大学構内を徘徊するって噂が立った」

「それは事実なんですか?」

「事実だよ」


 山田は慄然とした。実際に願掛けに失敗して亡くなった女性がいるのだ。


「白い服の女が大学構内を徘徊している、というのは知っている?」


 山田は白に目をやった。つい先日、白が大学の七不思議の一つとして教えてくれたものだ。それと同時に、自分の見た化け物と重なった。あれは死んだ女性なのか。


「幽霊には顔がない。死んだ女性は顔を潰されて死んでいた。でも凶器も見つかってないし、事件ではなく自殺とされたんだ。無念の思いから幽霊となって出ても不思議じゃないだろうね」


 宝多が椅子に座る。


「宝多先生は女性の死は自殺ではなくて事件だと?」


 白が訊ねると、宝多が答える。


「そうだね。自分で顔を潰せば、潰した道具が落ちているはずだろう? でもなかった。どこにもなかった。目撃者もいない。言わば未解決事件だ。警察は捜査を中断したけど、学生達は恋結び地蔵の願掛けの噂を耳にしていたらしい。だから、恋に破れて自殺したんだろうと言うことになったようだ」


 宝多が顎を撫でる。


「それだけだったら、単純に悲しい事故だ。都市伝説にもなっていない。ただ、二十年経って、まだ恋結び地蔵の願掛けの話は伝わっている。話せば成就しないのだから、願掛けしなかった学生達が広めたんだろうね。しかも願掛けには手順があって、割と面倒臭い。儀式めいている」


 山田は首をかしげながら、訊ねる。


「儀式めいていたらいけないんですか?」

「いけなくはないよ。約束事が必要な儀式、もしくは背景のある物語は、伝播しやすい。場所などによって伝聞が変化していくことはあるけど、多分、恋結び地蔵の願掛けはほぼ変わっていないんじゃないかな。背景にある物語もきちんと存在しているしね。原因があって約束事があって守らなければいけない。守らなければ何らかの出来事が起こる。恋結び地蔵の場合は、願掛けに失敗すると成就しない。成就しなかったことで死んだ。物語が悲劇であればあるほど伝播しやすい背景が出来上がる。。突然化け物が出ましただけではなかなか伝播しにくい。もしくは大勢の人間が目撃していなければならない」

「白い服の女性の幽霊が目撃されることで、その幽霊と死んだ女性が結びつき、恋結び地蔵の曰くがさも本当のように伝わっていく」


 山田が、自分なりに理解したことを口にした。


「そんな感じだね。ただ、この話が都市伝説にならないのは、多くの人が知らないという点だ。福北大学の七不思議にも加えられていない。ただ、白い服の女性の幽霊が、恋結び地蔵に関係していることは伝わっている。かなり有名になったからね」


 たしかに、山田も恋結び地蔵について全く知らなかった。


「その死んだ女性って、実在の人物なんですか?」


 山田の疑問に、宝多が頷く。


「そうだよ。亡くなったのは、当時、考古学専攻の佐﨑先生の秘書をしてた橋本君だからね」


 白がそれを聞いて唸る。


「佐﨑教授かぁ」


 山田も、ここでまたもや佐﨑の名前を聞くことになるとは思いも寄らなかった。

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