恋結び地蔵 第6話
ドアを開けて、出入り口のある方向へきびすを返したとき、背後から名前を呼ばれた。
「山田さん」
可愛らしい女性の声だ。
振り返ると、弓美がそこに立っていた。
「あの、これ」
手にしたハンカチを差し出すと、弓美がそれを受け取ってバッグに入れる。バッグからハンカチではない茶色のパスケースを取り出した。
「これ、山田さんの、ですよね?」
無言でパスケースを受け取ろうとした山田の手から、弓美はパスケースを遠ざけた。
「この写真、ガールフレンドさんですか?」
山田は一瞬なんのことか分からなかった。黙っていると、弓美が続ける。
「山田さん、二十四歳くらいですよね? 中学生のガールフレンドってヤバくないですか?」
弓美が可愛らしく微笑んだ。言葉と表情が一致しない。
弓美は綿子のことを言っているのだと、やっと合点がいった。それにしてもガールフレンドとは、一体何のことだと思う。
「いいんですかぁ? 未成年で、しかも中学生と恋愛だなんて、私、ドン引きです」
誤解しているのだ。それにしてもこの言い方はなんだ。山田はむっとして言い返した。
「姉だよ。双子の」
「お姉さん?」
「中学の時に死んだんだ」
すると、弓美があからさまにガッカリした顔をした。
「なーんだ。お姉さんなんだぁ。じゃあ、これ」
引っ込めていた手を差し出してパスケースをぐいと山田に押しつけた。
それを、山田は無言で受け取る。なんだかお礼を言いたくない気分になった。しかも、何故わざわざ今渡すのだ。多分、この一週間、弓美はこのパスケースを持っていたのに何をしていたのだ。
「私、お姉さんの制服知ってますよ。北九州にある女子中ですよね」
山田はハッとしてパスケースから顔を上げた。
「知ってるの?」
「私の従姉妹が通ってたんです」
「
「そう、そこ。でも、従姉妹も中学生の時に死んじゃったんですけど」
もしかすると、同じ年齢かも知れないと思い、いつ亡くなったのか確かめた。
「亡くなったのは何年前?」
「えーとぉ、十年前?」
綿子が死んだのは十年前だ。もしかすると、卒業アルバムに載っているかもしれない。
「な、名前は?」
すると、弓美が訝しそうに山田を見つめた。
「名前? なんでですか」
そう言われると聞きづらくなる。
「その、姉の知り合いかと思って」
「ふーん。父方の従姉妹だから、同じ名字です。新城
案外、素直に教えてくれて、山田はほっとしたと同時に、先ほどの既視感を思い出した。
「ありがとう。あのさ」
「はい?」
フェミニンな雰囲気で髪を肩まで伸ばした女性。間違いなければ、確かにあのとき見た。
「一ヶ月前、夜、十三仏の所にいなかった?」
弓美がスッと表情を変えたと思ったが、すぐに笑った。
「えー? あんな気持ち悪いとこ、行かないですよぉ」
「あのさ、変なもの見なかった?」
「変なもの? なんですか?」
引っかかったが、追求しても仕方ないと思う。
「なんでもない。見てないならいいや。あ、パスケースありがとう」
礼を言って、山田は研究室に戻った。背中に弓美の視線を感じながら。
研究室に戻ると、白がまだソファに座って、コーヒーを飲んでいた。ぱっと顔を上げると、なんだか嬉しそうに山田に声を掛けた。
「弓美さん、生臭かったね」
山田は意外に思う。
「気がついてたんですか。臭ってるの、ぼくだけかと思ってました」
「いやいや、あれは誰でも気付くし、それに左目はものもらいじゃないね」
山田の脳裏に弓美の眼帯が少しピンク色に染まっていたのが
「そうなんですか?」
「なぼうに行き逢はば、生臭き風に当たり首
聞いたこともない文言を白が呟いた。山田は首をかしげつつ訊ねる。
「なんですか、それ」
「行き逢い神。この辺りに出たとされる悪神だね」
「それと、新城さんがどう関係してるんですか?」
白が得意げに話し出す。
「なんでだろう。ここの町名知ってるよね」
「はい。貝塚ですよね」
「うん。貝塚に関する文献に記されている一節。なぼうという行き逢い神は、生臭い風と共に現れて、その風に当たると、首を悪くするってこと。首って頸椎のことじゃないよ。頭のこと。ここから上」
そう言いながら、右手で首から上を指す。
山田はそれを聞いて、あの夜に嗅いだ生臭い風のことに思い当たった。
「それ、風に当たるだけで首、というか頭に何かあるんですか?」
「なぼうに行き遭わなかったら大丈夫、かも知れない」
あのとき見た化け物はなぼうと呼ばれる行き逢い神なのか。
「ぼく、臭いですか?」
山田の言葉に、白が即答する。
「いや? 何かあったの?」
山田は話そうか話すまいか迷ったが、もしあれがなぼうなら、また出くわす可能性がある。出来れば二度と会いたくない。
「ぼく、見たかもしれないです。その、なぼうって行き逢い神」
途端に、白の顔が輝いた。
「えー! なぼうを見たの?」
まるで、昆虫好きが立派なカブトムシを見つけたような顔つきだ。山田は少し引いて、苦笑いを浮かべる。
「はぁ、多分」
「どんなだった? どんな姿? どういう感じ? やっぱり生臭い風は吹いた?」
矢継ぎ早に繰り出される質問に、山田は答えていく。
「気味が悪い化け物です。白い服を着てました。どういう感じって言うか、こう、両腕が地面に着くくらい長くて、女性っぽかったかな。顔が大きくて、いや、顔は見えなかったです。臭いは、新城さんと同じでしたよ。風が吹いてきて、そっちを見たら、歩いてたんです。ぼくは逃げたけど、十三仏の所にいた女性の後ろについて行ってしまいました」
「女性?」
白がきょとんとした顔つきで山田を見つめた。
「はい。十三仏の所にうずくまってたんです。化け物が来てるから逃げろって声を掛けようとしたら逃げちゃって。そしたら化け物はその女性について行きました」
そのあと、間違っていなければ、同じく十三仏のところにいた弓美が、なぼうがやってきた方向に走り去ったのだ。
「ふむ」
白が眉を顰めて口を尖らせた。
山田は弓美のことを話そうか迷った。多分、あの逃げた女性と弓美は関係があるだろうから、隠しても仕方ないかもしれない。
「それに、その女性がいた十三仏の付近に、新城さんもいました」
「え?」
白が驚いた様子で声を上げた。
「ああ、そうなんだ」
そうかそうかと、上の空でマグカップを持ったまま、自分の席に戻って椅子に座り、窓のほうを向いた。
「先生?」
山田の声かけにも反応しない。しばらくそうやって、白は窓の外を眺めていた。
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