恋結び地蔵 第5話
六日後の夕方に、白の研究室のドアが叩かれた。
白が顔を上げて、山田に視線を送る。山田は招き入れろということかと思い、作業を止めてドアに近づいた。背後から、立ち上がった白が大きな声でドアに向かって声を掛けた。
「新城さん、入っていいよ!」
新城? と山田は訝しげに白を振り返った。
「失礼します」
ゆっくりとドアが開かれて、隙間から左目に眼帯をしている、可愛らしい女性が顔を出した。
生臭い。
思わず、山田は鼻を押さえた。
新城と呼ばれた女性と、山田の目が合う。一瞬、ぼんやりと新城を見つめていたが、すぐに我に返って、「どうぞ」と中へ
「失礼しまーす」
改めて軽やかな声音で、新城が中に入ってきた。小柄で髪を肩まで伸ばしている。
「こんにちはぁ」
にっこりと微笑んで、新城が山田を見上げた。男性に好かれそうな笑顔だ。それなのに、フェミニンで清楚な出で立ちから想像できない臭いを発している。そういう臭いのするものでも持っているのだろうかと、山田は新城の両手を見た。手にブランド物の赤いバッグを持っているくらいだ。体臭がきついという臭いでもない。そんな印象を抱いて、楽しそうに席を立った白を振り返った。白は臭くないのだろうか。
臭いのことに気がついてないのか、白がマグカップを手にして、新城に訊ねる。
「お茶がいい? コーヒーがいいかな。座って」
「あ、じゃあ、お茶を」
勧められるままに新城がソファに座り、屈託ない笑顔で、白を見上げた。
「それで、シロ先生。なんのお話なんですか?」
白は笑顔を浮かべて、ティーバッグを煎れたままのマグカップを、テーブルに置いた。
「あ! この前出したレポートのことですか? ごめんなさーい。民話とかそういうの、おばあちゃんがいないから分かんなくって」
手のひらを合わせて小首をかしげた。
「いやいや、興味深い題材だと思うよ。この恋結び地蔵、おばさんから聞いたと書いてあるけど、そのおばさんは、この大学の卒業生なのかな」
向かいのソファに、自分のマグカップを持って座った白が訊ねた。
「はい。この大学の卒業生で、佐﨑先生の奥さんなんですよ」
佐﨑の名前を聞いて、白が目を大きくした。
「へえ、考古学ゼミの佐﨑教授かぁ。確か年の離れた奥さんがいるとは聞いてたけど、君のおばさんだったんだね」
佐﨑教授の名前を初めて耳にした山田は、自分のデスクの椅子に座って、二人の会話を聞いていた。
「そのおばさん。うーん、佐﨑教授の奥さんをおばさんって言うのは気が引けるなぁ」
「おばさんの名前、市子です。ちなみに私は弓美です」
新城が自分も下の名前で呼んでほしそうに言った。
「市子さんか。いつくらい前までこの大学に在籍してたのか、聞いてる?」
弓美が考え込むように空中を見た。少し眉を顰める。
「二十年? おばさん、四十三だから、そのくらいかなぁ」
「二十年。思ったより古くないんだね」
確かに、二十年だと都市伝説化するかしないか、微妙な噂話だ。しかも、あまり伝播もしてない。
「市子さんもその願掛けはやったって言ってた?」
「いいえ、佐﨑教授の秘書さんがやったみたいって言ってました」
「市子さんが知っていると言うことは、成就しなかった?」
「そう、ですね」
急に弓美が尻すぼみな声を漏らした。
「ところで、この願掛けは他にも知っている人はいるのかな」
「私の友達が」
気のせいか、さっきまで明るく笑っていた弓美の表情が暗い。
「その友達がどういう経路でそのことを聞いたのか、知ってる?」
すると、弓美がバッと勢いよく顔を伏せた。
「私なんです! 恋結び地蔵の願掛けの話、教えたの」
「え?」
山田と白がほぼ同時に声を漏らした。
「そしたら、香梨、自殺して! 死んじゃったんです!」
弓美が肩を震わせて泣き始めた。
白が山田を振り返る。それから、壁のボードに目をやった。
「その友達の名前は?」
山田は、泣いている弓美を見つめ、おそらく今から無神経な質問をしようとしている白に視線を移した。
泣きながら、弓美が顔を上げた。
最近は泣いても化粧は落ちないんだなと、山田はぼんやりと弓美の顔を見ていたが、白い眼帯にうっすらとピンク色の染みが付いているのに、気付いた。
「金木、香梨、です」
声を詰まらせながら、弓美が言った。
目の前で女性が悲しみに暮れているのに、白は場違いなほど目を輝かせている。
山田は呆れると言うよりも、白に対してかなり気持ちが離れるのを感じた。
そんな山田の冷たい視線に気付いたのか、白がチラリと山田に目をやってから、ごまかすように咳払いをした。
「金木香梨さん」
「はい」
「亡くなられたの」
「先週、新学部棟から飛び降りたんです」
それを聞いて、山田はピンときた。あまり思い出したくない記憶だ。
「私が恋結び地蔵の話を香梨にしたから、香梨、それを実行しちゃったんだと思います。それで、だれかに見られるかして、成就しなくて、自殺を選んじゃったのかもしれないです」
弓美がバッグからレースのハンカチを取り出して涙を拭き、訥々と話し始めた。
香梨には好きな男性がいた。とてもモテる男性だそうで、どうしても付き合いたいと、弓美に日頃から漏らしていた。
弓美は、知っている限りの縁結びの神社や神様を、香梨に教えた。香梨は素直に言われた神社に行ったり神様のお札や御守りを買って身につけたりしていた。
けれど、そんなことで香梨の恋が叶うわけもなく、友達の為に何かしてあげたくて、弓美は、昔、伯母から聞いた願掛けのことを教えたのだ。
おそらく、教えてもらってすぐに香梨はその願掛けを実行したのだろう。
「月夜の晩にしたほうがいいって教えました。だからきっと、そのときに」
「教えたのはいつ頃?」
「一ヶ月か、それくらい前です」
「成就するかしないか分かるきっかけってあるのかな」
「それはおばさんからは聞いてません。ただ、人に話したり見られたりしたら成就しないとしか」
山田は脳内で記憶を反芻する。
一ヶ月前のこと、一週間前のこと、つい最近のこと。バラバラだった記憶に繋がりが見えた気がした。
そう思えたとき、山田は弓美を初めて見た気がしなくなった。そして、弓美からする悪臭を、以前嗅いだことがあることを思いだした。
バンッと、だれかがガラスを叩いた気がして、山田は窓を見た。
「眼帯が赤くなってるよ?」
ふいに白が自分の左目を指した。
「あ」
さっと、弓美が自分の左目を押さえる。
「怪我?」
「あの、ものもらいが出来て。あの、もう良いですか? 私、用事があって」
散々泣いて、気が済んだのか、弓美が立ち上がった。
「ああ、ありがとう。話しにくいことを話させてしまったね」
白のすまなさそうな声が聞こえる。
「いいんです。私もシロ先生に話せて良かったです」
失礼しますと、ドアが開いて閉じられる音を、山田は窓から視線を外せないまま聞いていた。
ガラスに窓を覆うような巨大な顔の綿子が貼り付いていた。その唇が歪み、笑っている。気持ち悪くて叫びそうなのに、目が離せない。
「山田君」
ゆさゆさと肩を揺らされて、山田は我に返った。ようやく体を動かせることに気付いて、呆然としたまま白を見た。
「大丈夫?」
「あ、はい」
目の前にレースのハンカチを差し出される。
何のことか分からず、ポカンとしていると、白が心配そうに言った。
「何か見た?」
「あ、あの」
そこまで言いかけると、白が窓ガラスにすっと目を遣る。
「綿子ちゃん?」
思わず、山田は音を立ててつばを飲み込んだ。面接時に綿子の話はしていたが、なぜ、分かったのだろう。何も言えずにいると、白が微笑んだ。
「このハンカチ、弓美さんの忘れ物」
そう言われて、山田は慌ててハンカチを受け取った。
「まだ間に合うかも」
「はいっ」
山田は返事をして、急いで廊下に出た。
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