恋結び地蔵 第3話

 昼間、飛び降りのあった場所には、侵入禁止の黄色いテープが貼られていた。山田はスマホを片手に、ライトを点して地面を照らし出し、這いつくばって、パスケースを探して回った。近くに茂みもなく、のっぺりとしたアスファルトで固められた地面に、ゴミ一つ落ちてない。


 あるわけもないのに、道を進み、旧学部棟付近まで来たとき、地面にごわごわした白い紙が落ちていた。拾い上げて紙を広げてみると、灰色のにじんだ文字が読み取れた。何が書いてあるか分からないが、辛うじて漢字であることが分かる。ゴミだと思い、後で捨てようとコートのポケットに押し込んだ。


 暗いと何も見えない。特に目が悪い山田には不利だ。諦めて明日の朝、もう一度探すことにした。





 一人暮らしのマンションに帰ってきた山田は、バッグの中身を脱衣所で広げた。ジーンズの血液が洗濯で取れるか分からないけれど、洗濯機に放り込み、作動させた。

 白から借りたスウェットパンツも脱ぎ、洗濯籠に入れる。


 血まみれのコートは、漂白剤に浸けて、血の跡が消えるかどうか試してみることにした。ポケットに押し込んだ紙を取り出して、漂白剤の入った桶に浸けた。


 メッセンジャーバッグや布地の小物類は、ジーンズが入っていたゴミ袋に入れて捨てた。

 服も着替えず、リビングの床に正座して、ローテーブルに置いた血を吸って赤黒くなった封筒を見据える。


 ゆっくりと丁寧な手つきで、血が乾燥してがびがびになった封筒から、紺色の装丁の卒業アルバムを取り出した。綿子が通っていた中学校の卒業アルバムだ。


 表紙を開き、ページをめくっていく。中学生の少女達が、めいめい笑顔で写真に収まっている。A組から順に生徒の顔写真を眺め、その中に綿子がいないことに胸が苦しくなった。本当なら、二年で自殺した綿子の写真が、卒業アルバムに納められていることなどない。


 母親の強い希望で、集合写真の欄に綿子の顔写真が、楕円形に囲った枠に嵌められている。このアルバムは母が一部、学校から受け取ったものだった。


 楽しそうな表情を浮かべている少女達の中に綿子はいない。


 美しくて、気が強く、プライドが高い綿子の得意げな笑顔を、その写真の中から見つけることは出来なかった。


 しかし、山田は綿子の写真があることを期待して、卒業アルバムを母親から借りたのではない。


 当時の綿子を知る女子生徒を探し出して、綿子のことを聞き出し、自殺した原因を探すつもりだった。


 夢や日常に現れる、綿子の無惨な姿。一度たりとも生前の姿を山田に見せたことがない。頭部が半分潰れて、眼球がこぼれた顔に唯一美しい唇だけが残っている。笑みを浮かべても凄絶な感情が押し迫ってくるだけで、到底、綿子が安らかであるとは思えなかった。


 今も綿子はここにいる。


 ローテーブルを挟んだ向こう側に、白い膝小僧が見えている。


 山田は顔を上げることが出来ない。


 山田には、綿子が何を願って自分の前に現れるのかが分からない。ただ寂しいだけかもしれない。無念の思いを伝えたいだけなのかもしれない。


 それとも、自分を自殺に追い込んだ人間を罰したくて、それを山田に願っているのかも知れなかった。


 これが、綿子が自殺した中学二年の時から続いている。


 綿子は突然凄惨な姿で、山田の前に現れた。どれほど綿子の死を否定しようと思っても出来ないような状態で、恨みと憤怒を全身から放出しながら。


 山田は、そのときの恐怖がトラウマになって、いまだに綿子の姿になれることがない。


 元々、山田に霊感はなかった。今もおそらくないだろう。それなのに、綿子だけがまるでそこにいるかのように存在して見える。匂いも感じる。動けば空気の揺らぎすら分かる。


 予兆もなく現れる綿子に驚いて失神したり叫んだり挙動不審な態度を取る自分に、理解を示す他人は皆無だった。変人扱いされ遠巻きに見られるようになった。生活費を稼ぐ為のバイトも、軒並み解雇されてしまう。唯一、一人で作業することの多い、夜中の警備員の仕事で、なんとかやっていくしかなかった。幽霊が見えないのが幸いして、問題のあるビルの警備を任されるようになってからは、ずいぶん楽になった。


 奨学金のおかげで学費の心配はしてないが、生活費がない。その生活費をまかなう為に、つい先日、山田は白のアルバイト募集に飛びついたのだ。


 白のアルバイトには不吉な噂話が付きまとっている。アルバイトを始めた学生が行方不明になったり、大けがを負ったり、死んだりと、枚挙にいとまがない。別名、死のアルバイトとまで言われているのだが、切羽詰まった自分にとってその高額アルバイトは、魅力的だった。採用されたと聞いた数少ない交流のある学生ですら、ドン引きしていた。


 見るわけでもなく、卒業アルバムに目を落として、ぼんやりと考えている間に、白い膝小僧が消えた。


 ようやく顔を上げて、山田はほっと胸をなで下ろした。


 とにかく、このアルバムにある女子生徒を当たって、綿子のことを知っている少女を探すしかない。


 綿子は、自分と違って友人の多い、コミュニケーション能力の高い少女だった。少なくとも当時の綿子を知る友人がいると思う。


 その少女から綿子の身に何が起こったのか探ることにした。


 綿子は怨霊になっている。深い恨みと憤怒を孕んだまま死んだ。魂は、その激しい感情に支配されていまだ安息を見いだしていない。


 どうにかして、綿子の無念を晴らして、天国に行けるように成仏させてあげたかった。


 そのために、山田はその方法を探し、民俗学に救いを見いだしたのだ。


 怨霊を神と崇め奉り、その恨み怒りを鎮めるような何か。


 まだ辿り着いてはいないけれど、山田なりのやり方で、綿子を安心させたかった。元の綿子に戻してあげたいのだ。

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