恋結び地蔵 第2話

「とにかく、その格好はさすがにまずいかな。まるで殺人犯みたいだ」


 白に指摘されて、山田は決まり悪く、血飛沫にまみれたコートを見下ろした。ジーンズも血と嘔吐物で汚れている。


「ちょっと待ってて」


 そう言って、白が席を立ち、部屋の隣に接している資料室に入っていった。ほどなくして出てくると、右手に持ったグレーの服を、山田に手渡した。綿のくたびれたスウェットパンツだった。


 山田は受け取ったグレーのパンツを見て、白を見上げた。慌てて、立ち上がり、白に深々と頭を下げる。


「すみません。遅れた上に服まで」

「仕方ないよ。事故だし。それに、ここで寝泊まりしたとき使ってる服だから。洗ってないけど」


 洗ってなくても、濡れたジーンズで半日過ごすことに比べたら数段ましだ。


 山田は礼を言った。


「ありがとうございます」

「じゃあ、資料室で着替えてきて。濡れた服はゴミ袋に入れて持って帰ったらいいよ」


 山田は、そそくさと服を胸に抱いて資料室へ行き、急いでジーンズを着替えた。


 言われたとおり、くたびれて布地が薄くなったスウェットパンツは、ヨレヨレだったが着心地は悪くなかった。トールサイズの服なので、一般体型の山田には少し大きいくらいだ。


 研究室に戻ると、白がマグカップを持って自分のデスクに戻り、今日の講義で提出されたレポートをクリアファイルから取り出しているところだった。


「あの」


 礼を言おうと白に近寄ると、さっとレポートの束を手渡された。


「あの」


 レポートの束を受け取って戸惑いながら、白を見やった。


「内容を読んで」

「はい?」

「この資料を整理してるから、口述してくれるかな」


 要するに、二つの作業を同時に処理したいと言うことなのだろう。器用だなと思いながら、山田はレポートの束に視線を落とした。


 一枚目から数枚はたった三行しかない昔話。誰もが知っている桃太郎だったり、舌切り雀、花咲かじいさんを要約したものが書かれていた。挙句の果てにシンデレラまである。日本ですらない。


 どう考えても手抜きではあるが、白が三行で要約できること自体褒めている。


 褒めの天才か、と山田は内心思った。


 時々、田舎の祖父母に聞いた言い伝えを書いている学生もいた。けれど、聞いているのか聞いていないのかよく分からない様子で、白が手元の資料に目を通している。

 残り数枚というところで、これまでのレポートよりも、明らかに文字数の多い用紙に、山田は目を見張った。



『これは伯母から聞いた話です。

 福北大学の一角の、十三仏があるところに、恋結び地蔵というお地蔵さんがあります。恋結び地蔵には曰くがあって、このお地蔵さんに恋の願掛けをすると必ず成就するというのです。

 まず、月夜の晩に誰にも見られないように、恋結び地蔵の所へ行きます。墨で好きな相手の名前を書いて、水で濡らした半紙を恋結び地蔵に貼り付けます。

 翌日、半紙が恋結び地蔵に貼り付いたままだったら、恋は成就します。剥がれていたら成就しません。

 このことは絶対に他人に言ってはいけません。他人に言ったり見られたりしたら恋は成就しません。』



 読み終わり、山田は白に目を向けた。


「へぇ」


 昔話でも伝承でも何でも無い、大学内の噂話的なものに興味をそそられたのか、白の目が輝いている。


「面白いね。テーマからは外れてるけど、初めて聞いた」


 山田も同じ意見だ。


「ぼくも初めて聞きました」

「これってこの大学特有の伝聞かな。それとも、学校の七不思議みたいな都市伝説の一つかな」


 恋結び地蔵のことは知らないが、福北大学の旧学部棟の一角に、曰くありげな石仏が無数に集められている場所があることを、山田も知っている。そこに由来する噂話なのだろうか。一体、いつ誰から発生した噂なのだろう。白でなくとも確かに興味深いと感じる。


「この大学に七不思議なんてあるんですか?」


 好奇心で、山田は白に尋ねた。


「七不思議まではないけど、あるにはあるよ。私が知っている限りでは、移転した医学部の地下で、戦時中、人体実験がおこなわれていたとか、構内の踏切の側の大きな石には、昔列車事故に巻き込まれた親子の霊が宿っていて、夜になると泣くとか、昔、構内で不幸な死に方をした白い服の女性が彷徨っているとか、処刑場跡地の名残で今も罪人の生首が構内に現れるとか、大学敷地内から発掘された貝塚には無数の首が埋まっていたとか。もちろん、十三仏の話もある。元々は罪人を供養する為に建てられたものを、大学を建てる際に一カ所にかき集めたとか。その十三仏に触ると罪人に祟られるとまで言われてるね」


 山田は、白が話す大学の七不思議を口を開けたまま聞いていた。


「少なくとも六つはあるんですね」

「うん。まだあるだろうけど、今でも言われてるのはこの六つ。で、そのレポートにある噂話が本当なら七つ目ってことになるね」


 感嘆のため息を吐いて、山田は手元のレポートを眺めた。


「でも、本当にその願掛けって効くんでしょうか?」


 山田の質問に、白は口を尖らせる。


「わかんないねぇ。話すと成就しないのなら、伝播するのに時間が掛かるだろうし、レポートを提出したその子は伯母から聞いたと書いてあるから、少なくともかなり長い年月にわたって伝わっているとも考えられる」


 山田はもう一度レポートを眺める。叶ったことも話してはいけないのならば、願掛けが成就していることを他人が知ることは不可能だ。話せば成就しないのだから、一体どのくらいの割合で成就したのかしなかったのか、推測することも出来ない。なぜなら、話したことで成就しなかった人間しか存在しないからだ。


「面白いですね」


 山田は思わず呟いた。


「このレポートを書いた子と直接話がしたいなぁ」


 白の言葉を聞いて、山田はレポートの提出者の名前を見た。


「一年の新城弓美しんじょう ゆみさん、ですね」

「じゃあ、次の講義の時に声を掛けてみようかな」


 白が鼻歌を口ずさみながら、手元に目を落として、資料を読み始めた。


 白の背後の窓の外を眺める。


 あとひと月もすれば十二月だ。日が落ちるのも早い。まだ十七時なのに、空にはうっすらと夕日の茜色が差している。


 山田は手元のレポートをクリアファイルに挟み、デスクに置き、白の資料を集めて、ファインダーにまとめたりラベルを作ったりして、言われた仕事をこなした。


 しばらくして、ふと白の背後の窓の外を眺める。


 あとひと月もすれば十二月だ。すっかり日が落ち、窓の外は紺色の帳が下りている。暗い窓硝子が鏡のようになって、部屋の中が映し出されている。


 時刻を見ると、すでに二十時を過ぎていた。後一時間もすれば、バイトを上がる時間になる。整理していた資料をデスクに置き、山田は血で赤黒く染まったメッセンジャーバッグの中身を取り出した。布地の物は捨てるしかないと諦めた。心配していた封筒に入った卒業アルバムは、封筒があらかた血を吸ってくれたおかげで無事だった。ガサガサとバッグの中身を探っているうちに、山田は焦りを感じ始めた。


「ない」


 学生証をとICカードを入れたパスケースがなかった。それには、生前の綿子の写真も入っている。綿子が誕生日プレゼントでくれた、大事なパスケースだ。


 あるはずがないとわかっていても、研究室の床を見たり、ジーンズのポケットを探ってみたりしてしまう。


 焦ってキョロキョロ辺りを見回している山田に気付いた白が、不思議そうに視線を送る。


「どうしたの」

「あのっ、このくらいの、パスケース。茶色のなめし革のパスケース見ませんでしたか?」


 パスケースの大きさくらいに、両手の指で四角を作って見せた。


 白がポカンとした顔つきでそれを見ていたが、残念そうに首を振った。


「見なかったなぁ。見つけたら教えるよ。とりあえず、思い当たるところを探してごらん」


 まだバイトを終える時間ではなかったけれど、白が早めに上がることを提案してくれた。


 山田は白の言葉に甘えて、血飛沫を浴びたベージュのコートを羽織り、血まみれのメッセンジャーバッグにジーンズの入ったゴミ袋ごと荷物を押し込むと、「すみません」と声を掛けて、研究室を出て行った。

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