第5話
夜は更けていく。
課員たちは二次会へと繰り出したり、帰途についたりした。
中堅社員の
「どうだったの? 手品」
妻が問いかけた。毎日遅くまで手品の練習をしている鰻村の姿を妻は見ていたのだ。
「大成功だった」
鰻村は顔に笑いを貼り付けた。妻はほほをゆるめ、その伴侶を抱きしめた。
ああ、俺はウソをついた。自分の妻にウソをついたんだ。最悪の人間だ。ああ、ウソつきだ。鰻村の総身は灰色と化した。最愛の人の両腕に抱かれたその体は、二度と本来の色を取り戻すことはなかった。
「――
犬村課長の寝言が、暗闇に沈む夫婦の寝室に響きわたった。
「何だ!?」
犬村課長の妻は、寝ぼけまなこをこすりながら、眠る夫へと視線を向けた。
すやすや眠っている。寝言のようだ。妻は布団をかぶって、犬村課長に背を向けて再び眠りについた。
犬村課長のピエロの記憶は、再び
しかし、眠っている時、考え事にふけっているとき、「薔薇の花びら」という言葉が犬村課長の口をついて出るようになった。そのことを知らないのは本人だけなのだ。
カーテンのわずかなすきまから朝日がベッドに差し込んできた。新入社員の猪村が目覚めた時、素肌をおおうものがシーツ以外にはなにもないことに気がついた。ベッドの隣に目を向けると、
「おはよう」驢馬村が口角を上げた。「昨夜は楽しかったね」
驢馬村の声色は優しかったが、その言葉が想起させる内容は、猪村の感情を強く刺激してやまなかった。猪村の頬はますます赤みを帯びていく。それを目にした驢馬村の口元が残酷に歪んだ。
「楽しかった……です」
ほとんど消え入りそうな声で、猪村は言葉を絞り出した。
「何? もう起きる時間?」
猪村のとなりにいた象村が、寝転がったまま大きな欠伸をした。そのさらに横にいた猫村係長は背伸びをした。ふたりともやはり
「起こしちゃったかな。申し訳ない。できれば寝かせたままに立ち去りたかったんだけど」
驢馬村は言った。
「最高の一夜だったわ」象村はネオ・ソバージュの髪をかきあげると、ベッドサイド・テーブルに置かれたグラスを口に運んだ。白い喉の内側をミネラル・ウォーターが通り抜けた。「次はいつ会えるの、驢馬村クン?」
「ないよ、次は」驢馬村は言った。「同じ女性は二度抱かない主義でね」
「冷たいわね」
象村は口をとがらせた。
「でも、サービスを使えばいつだってあなたを呼び出せるんでしょ?」猫村係長は乱れたロングヘアを手ぐしでよせた。その顔には勝ち誇ったような笑みが浮かぶ。「だって、あなたはそういう仕事をしているんだもの」
「どうかな?」
驢馬村はタバコに火を付けた。あふれ出た副流煙がモーテルの一室にひろがった。
驢馬村とは二度と出会えない――そういう直感が猪村にはあった――そして、その直感は的中するのだ。
この
猪村は異性との仕事上の駆け引きにおいては、セックスの可能性を匂わせて手玉に取るという手管を身につけ、無情な世間でのし上がることになる。
そのストーリーの
余談だが、今から十年後に猪村は姓を変える。彼女は、現在の妻と離婚調停が成立した後の魚村主任と結ばれるのだ。
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