第12話 お兄ちゃん

 校門を出たところで、スマホの着信音が鳴る。

 開いてみると、理穂からの着信だった。

 珍しいこともあるものだと思いながら画面をタップする。


「もしもし」

『あ。もしもし? 兄さん今どこ?』

「学校出たところ」

『そうなんだ』


 淡々とした相槌。

 顔が見えないせいで、余計に無機質に聞こえる。


「何か用か?」


 俺が尋ねると、


『ドーナツが食べたい』


 あまりにも簡潔過ぎる願望。


 で、だから? とわざわざ尋ねるようなことはしない。

 この言い方からして、どうしてもドーナツが食べたいからお前が買ってこいと訳することができる。


 何の躊躇いもなく兄貴をパシリ扱いしようとするわがままっぷり。

 これはもう、両親の育て方が悪かったとしか言いようがないだろう。


 まったく、兄貴としては妹の行く末が心配で仕方ない。


『兄さん。お願い』

「…………」

『兄さん』

「…………」

『お兄ちゃん』

「コンビニのでいいか?」


 気付けば俺はそんなことを口走っていた。

 まあ、両親だけじゃなく、俺にも原因があったというわけで。


『駅前のドーナツ屋』


 理穂の言う店はすぐにわかった。

 春休みに買いに行ったことがある。

 ちなみに俺の意思ではない。

 チラシを見た理穂に買いに行かせられた挙句、なけなしのバイト代をたかられたというのが実状だったりする。


 それにしても、今日ばかりは素直に了承することができなかった。

 既に俺は身も心も疲弊している。


「自分で買いに行けばいいんじゃないか?」

『やだ。学校以外で家から出たくない』


 相変わらずの出不精だった。

 それでも俺は抵抗する。


「駅前って家と逆方向なんだが」

『そこを何とかお願い』

「…………」

『お願い。お兄ちゃん』

「よし――って二度も通じると思うなよ?」

『ちっ』

「え? 今舌打ちした?」


 数秒の無言の時間があってから、


『私、とても落ち込んでるんだけど』


 謎のアピールを始めた。


『しくしくしく。昨日、兄さんに大人げなくイジメられたし』


 棒読みで泣き真似をしている。


「おい待て。誰がイジメたって? そっちが勝手に自滅しただけだろ?」

『あれは自滅とは言わない。兄さんのせい』

「あのな……まあいい。とにかく、俺は行かないぞ」

『からの?』

「行かない」

『と、見せかけて?』

「行――かない」

『最後はやっぱり?』

「行ってくる」

『わー。さすが兄さん。大好き』


 微塵も愛がこもっていない台詞を最後に通話が切れる。

 つい、お約束みたいな流れに乗ってしまった。


 これで買ってこなかったら帰ってからブツブツと文句を言われるに違いない。

 無表情な分、不気味な迫力があるのだ。

 

 行きたくない。とても帰りたい。

 そんな心からの叫びを無視して、駅の方向へと歩き出す。


「……めんどくせぇ」


 ボヤかずにはいられなかった。




 夕暮れ時、駅前はそこそこ賑わっていた。

 この辺りは都会でもなければ田舎というほどでもないという、微妙な位置づけの街だったする。

 住みたい街ランキングで常に中間辺りにいるような感じ。


 それでも駅前くらいは常に人の行き交いがあるし、商業ビルや高層マンションがそこらに立ち並んでいる。

 俺が小さかった頃に比べたら、随分と発展をしたものだと思う。


 ただ、俺はそんな地元愛があるわけではないので哀愁を覚えて立ち止まったりとか、人類の進歩について考えたりするようなこともない。


 一つの目的の為だけに足を止めることなく歩き続ける。


 やがて駅に隣接したビルに辿り着き、その一階にあるドーナツ屋に入っていく。

 たまたま空いているタイミングだったらしく、すぐにカウンターへと向かう。

 理穂の好みは把握していたので悩むことはない。

 それから両親と自分の分を適当に見繕い、注文を完了する。


 すぐに清算をしてから品物を受け取り出て行く。

 滞在時間はわずか五分程度だったように思う。

 俺が相当急いでいるように見えたのか、店員の女性は困惑していた。


 愛想がない客で申し訳なかったものの、俺としては満足な流れだった。

 後は一刻も早く帰るだけである。


 それから来た道を戻ろうとしたところで、俺は立ち止まった。

 立ち止まるしかなかった。


 駅のロータリーへと続く階段の付近で、奇妙な男女が不穏なやり取りをしていたのである。


「君がミクちゃんでしょ? そんな恥ずかしがらなくてもいいのに」


 やたら鼻息が荒いおっさん。

 サラリーマンなのか、くたびれたスーツを着ていた。


 で、そのおっさんが女の子の腕を掴んでいる。


「違いますっ! 放してください!」


 その女の子は、いわゆる地雷系の格好をしていた。

 フリルのついたブラウス、丈の短いスカート、ニーソックス、厚底ブーツ。

 服に詳しくない俺でもわかる、こてこての地雷系ファッション。


 容姿についても同様だ。

 涙袋が強調されたメイク。

 ピンクのインナーカラーが入ったツインテール。


 まさにザ・地雷系って感じだった。

 そういう系統の雑誌の表紙になれるくらいの美人でもある。


 なんて、冷静に女の子のことを観察している場合ではなかった。

 未だにおっさんと女の子の不穏なやり取りは続けられている。


「で、いくらなの? おじさん結構持ってるよ?」

「知らないしどうでもいいです!」


 近くに交番はない。

 通り過ぎる人達は一瞬だけ関心を持つものの、誰もが見て見ぬフリをして通り過ぎていく。


 ふと、集団の年配女性達が噂話をしながら横を通り抜ける。


「ああいうのって今多いんでしょ?」

「あーやだやだ。うちの娘はあんな風になってほしくないわ」


 わざととしか思えないような大きい声量だった。

 女の子にも聞こえたらしく、


「だから……違うのに」


 悔しそうに唇を噛み締めている。


 そこで力が抜けてしまったのか、


「あっ」


 女の子はおっさんに手を引かれて歩き出す。


「良いホテル知ってるんだ。きっとミクちゃんも気に入ると思うよ」

「だから人違いだって言ってるじゃないですか!」


 女の子の抵抗むなしく、おっさんは下卑た笑みを浮かべている。


「そういう嘘つく悪い子にはお仕置きかな。なんちゃって」


 さすがにこれ以上は見ていられなかった。

 俺は二人に向かって近付いていく。

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