第9話 作戦

 結果的に言ってしまえば、春川の作戦はどれもことごとく失敗した。

 それはもう惨めに。


 順番に紹介していこう。


 作戦その一。

 春川は教室に入る前に大量の目薬を目に入れた。

 そして、俺に付き添われるような形で教室に入り、


「ぐすっ……鷲津くん。ごめんね。私、一人じゃ勇気出なくて」


 泣いているフリをしながら、つたない足取りで自分の席へと向かう。

 そんな春川を支えながら励ます俺。


「大丈夫だ。春川が悪いわけじゃない」


 我ながら棒読みもいいところだった。

 それでも春川は続行する。


「あんな事の後じゃ、なかなか勇気出なくて……うう」

「あんまり自分を責めるな。俺がそばにいる。クラスのみんなもな」


 昨日クラスメートを黙らせた男とは思えないような台詞。


 当然、春川が考案した作戦だった。


 いわゆる、泣き落とし。

 同情を集めることにより、自分のしたことを有耶無耶にする作戦である。


 ちなみに俺が言った「クラスのみんなもな」という部分で、クラス全体を見回したところ、誰もが困ったように視線を逸らすだけだった。


 春川もすぐに作戦の失敗に気付く。


「ぐすっ……ううう、薄情者ばっかり……」


 小声で悪態をついていた。


「ま、まあ……元気出せよ」


 演技ではなく、心からの言葉を送っておいた。




 作戦その二。

 一限目の授業が終わった休み時間のこと。


 打合せ通り、俺が教室を出て行こうとすると、


「鷲津くんっ! 待って!」


 ヒロインよろしく俺を呼び止める春川。

 言うまでもないかもしれないが、春川脚本による三文芝居の第二幕である。


「鷲津くん。昨日は本当にごめんさなさい。それとありがとう、止めてくれて」


 扉に手を掛けて立ち止まる俺。


「気にすんなよ。だって……」


 そこで唇を噛み締めて、天を仰ぎ見る俺。天というか天井だが。

 そこ春川が声を張り上げる。


「いいの!」

「でもよ……」

「だってもう、しょうがないことだから……」

「しょうがないって……諦めんのかよ!?」


 壁に拳を叩きつける俺。

 そんな俺に対し、春川は涙をこらえながらも微笑みかける――的な表情を向けてくる。


「だって、もう決まったことだから」


 そう言って、教室を飛び出していく春川。

 それを呆然と見送ってから、再度教室の壁を叩いて項垂れる俺。


「クソっ……そんなってのありかよ!」


 いわゆる、シリアスを匂わせる作戦である。


 ちなみにそれっぽい演技をしているだけで、設定は何も考えていない。


 春川の予想ではこの辺りで誰かが「早く追いかけろよ!」的な台詞を言ってくるとのことだった。

 が、当然のことながら誰もが口を閉ざしていた。というか引いていた。


 結局、俺は咳払いをしてから普通に春川を追いかけることした。




 作戦その三。

 二限目の授業が終わったところで、昨日のいざこざがあったギャル二人組が遅刻して登校してくる。

 春川を見つけると、ひいっと小さな悲鳴を漏らしながら逃げようとした。

 

 そこを春川が捕獲。

 そのまま、校舎裏へと連れ出す。

 ちなみに報復のためではなかった。


「私に協力してくれるよね? まあ、拒否権とかないんだけど」


 笑顔で脅して、次の三文芝居への協力を要請する。

 言わずもがな、ギャル達は震えながらも了承していた。


 それから次の休み時間、


「は、春川。その……昨日は悪かったよ」


 席に座っている春川に対し、ギャルが戸惑いながら声を掛けた。

 この戸惑いは演技だけではないだろう。


「ホント、ごめん。ウチら、ひどいことばっか言っちゃって」


 もう一人のギャルも続く。

 そんな二人を見て、春川は首を横に振ってみせた。


「ううん。悪いのは私の方だよ。だって、私の言い方が悪かったから」


 一ミリたりとも思っていないだろうに、さすがの演技力である。

 そこでギャルがスマホを開く。

 春川の脚本を確認しているようだった。


「ねぇ、アタシ達、友達にならない?」


 俺に勝るとも劣らない棒読みである。

 それでも春川は続行の意思を見せる。

 

「え? いいの?」

「当たり前じゃん。あんなことあったし。言いたいことも言ったしさ」

「……二人共」

「アタシ達、ズッ友だね――ねぇ、春川。ズッ友って死語じゃない?」

「いいから言われた通りやれ」

「はいぃ!」


 一部素が漏れていたような気がしたが、もう今更気にしても仕方ない。

 そこで第三者である俺が登場。


「あれ? お前ら、仲直りしたんだな」


 なるべく大きな声を出して、見てわかるようなことを改めて言う俺。

 そこで春川はギャル達の顔を交互に見てから、


「うんっ!」


 本人曰く、百億万点級の笑顔を向けてくる。


 いわゆる、和解アピールである。

 しかし、この時点で春川が奇行を始めたと確信しているクラスメートも多かったのだろう。誰もが顔を背けていた。


 とまあ、春川が立案した三つの作戦はこうして散々たる結末を迎えることになった。


 なぜ、俺はこんなアホみたいな作戦に協力してしまったのか。

 俺としも後悔しか残らないような結末である。




「……死にたい。ずずっ」


 そうして、昼休み。

 俺は春川に強引に連れられて食堂を訪れていた。

 ちなみに席は日当たりも悪い隅のほうだった。

春川は周りの楽しそうな生徒を恨めしく睨みながらうどんをすすっている。


 俺はパンを咀嚼してから口を開く。


「なぁ」

「何?」

「春川ってバカだったんだな」


 俺の言葉に対し、春川は苦々しい表情になっていた。


「あのさ。そんなしみじみと言わないでもらえるかな? 確かに勉強は苦手だけど」

「いや、そういう意味じゃなくて。さっきまでのあれ」


 思い当たる節があるのか、わかりやすく視線を逸らしている。

 俺ははっきりとした口調で言う。


「あれじゃ、ただの頭がおかしいヤツだぞ?」

「うっ」


 俺の正論が突き刺さっているらしい。

 なぜか胸の辺りを押さえていた。


 最初の泣き落としは百歩譲ってまだわかる。

 ただ、何を思ったのか、春川は授業が始まった瞬間に泣き止んで背筋を正していたのである。

 

 そんな春川を見てクラスメート達はぎょっとしていた。

 当然、俺も。


 ちなみにその不自然さを後から春川に指摘したところ、


『え? だって授業は真面目に受けるものでしょ?』


 と、真剣な顔で言った。

 こりゃもうどうしようもないと俺は諦めるばかりだったわけで。


「い、いや……その、ちょっと失敗したなぁとは思ったよ? けどさ。そんなにおかしなことしてた?」

「ああ。明らかにおかしなヤツだった」


 感情を込めて頷いてみせる。

 俺は更に続ける。


「それとな。元も子もないことを訊いてもいいか?」

「何さ」

「春川ってクラスに友達いたのか?」

「ぶはっ! 何それ!? どういう意味!?」


 うどんを吐き出す春川。

 つゆらしき液体が俺にもかかった。


「あ、ごめん」


 春川が渡してきた紙ナプキンで顔を拭いてから、なるべく冷静に語り掛ける。


「よくよく考えてみたら、だ。春川って確かに人当り良いし、色んなクラスメートと話してたよな? でも特定の誰かと仲良かったっけ?」


 口元を拭いつつ、ぐぬぬとか漏らしている春川。


「しょ、しょうがないじゃん。新しいクラスになったばっかりだし。まだ探り合いの時期だったの」

「探り合い?」

「女子にはそういう時間が必要なの。グループだって、最初から決まるわけじゃなくてさ。探り合いがあって、自然にバラけていくの。面と向かって言えるわけないじゃん? あなたと気が合いそうとか、合わなそうとかさ」

「色々と面倒なことを言っているが。つまり、友達らしい友達がいないんだな」

「悔しい……けど、反論できないかも」


 まさかと思った。

 春川はうどんをすすりながらシクシクと泣き始めたのである。


「ううう……私、何やってたんだろ。そりゃ、誰も声掛けてくれるわけないよね。友達じゃないんだもん」

「いや、そもそもあの三文芝居に問題があったと思うんだが」


 俺の突っ込みは届いていないようで、泣きながらうどんをすすっている。

 ふと、良い案が思い浮かぶ。


「あ、ほら。一年の時はどうだったんだ? 一年の時に同じクラスだった奴らなら、何かのきっかけで話し掛けてくれるんじゃないか?」


 一瞬の間があってから、


「ううううううう!!!!」


 号泣である。


「そうだよ! 一年の頃からずっとこんな感じだよ! みんなからほどほどに好かれるけど、特定の誰とも仲良くなかったよ! 鷲津くんは私にこれを言わせて満足なわけ!?」

「え、あ、いや……」

「というかさ! 鷲津くんの演技力に問題があったんじゃないの!?」


 泣きながら怒っている。

 演技力に関して言えば、確かに反論の余地はない。

 我ながら大根役者だったと思う。


 俺が何も答えられずにいると、


「うううう……」


 恨めしそうに睨まれた。

 どうやら、よほど触れてほしくないことだったらしい。


 結局、食事が終わるまで春川の機嫌は悪そうだった。

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