第8話 待ち伏せ
「眠い……」
翌日、早朝。
俺は寝不足の体を引きずるように、通学路をノロノロと歩いていた。
昨日は理穂に付き合ったせいでひどい目にあった。
下手クソとかそういう次元じゃない。
あれからも、なぜかオウンゴールを連発していたのである。
それも狙ってやったわけじゃない、芸術的なオウンゴールばかりだった。
別にふざけているわけじゃない。
それは理穂の顔を見ればわかることで、
「兄さん、もう一回」
ムスっとした無表情で言ってくるのだ。
相当、悔しかったらしい。
結局、夜中まで付き合わされることになった。
おかげで寝不足だ。
教室でもどこでもいい。
とにかく、今日は寝て過ごそう。
そう決意したところで、
「ふふ……ふふふふふ」
通学路にあった公園。
そこで知っている顔を発見する。
春川である。
陰鬱な笑みを浮かべて、一人ブランコを漕いでいた。
「あなたはいいねぇ。自由に空を飛べて」
その辺のハトに話し掛けている。
見てはいけないものを見てしまった気分だった。
どうしたものかと考えてから、結局見て見ぬフリをすることを選択する。
しかし、歩き出そうとしたころで、
「あ」
バッチリと目が合ってしまった。
春川はのそのそとした動きで立ち上がると、ゾンビのような足取りでこちらに近付いてきた。
そして負のオーラを隠そうともせずに話し掛けてくる。
「おはよう、鷲津君」
「あ、ああ……おはよう」
「待ってたよ。朝の六時から」
ちなみに現在の時刻は七時四十分くらい。
ぞっとするような話である。
「何でだよ」
「鷲津君と話したいなぁって。昔、通学中にこの辺で見掛けたから」
「でも、だからって六時は早過ぎるだろ」
「しょうがないじゃん。家族に会いたくなかったんだもん」
そう言って、春川は歩き出す。
さすがに同情心が芽生えたので、俺はその隣に並ぶことにした。
「何かあったのか? 家族と」
春川は沈んだ顔を上げて、こちらに視線を向けてくる。
何かを考えていたようだったが、やがて溜息を吐き出した。
「はぁ。私の両親ってさ。どっちもお堅い仕事しててね。昔から何かと厳しいんだよ。昨日なんかたまたまお父さんが休みだったらしくてさ。学校から連絡あった時点ですっ飛んできてね。先生の前で説教始めるの。しかも放課後までずっと。先生もドン引きしててさ」
「それは災難だったな」
心の底から同情した。
俺が家族と良好な関係を築いている分、余計にそう思う。
「ちなみにお堅い仕事って何してるんだ?」
俺が尋ねてみると、春川は苦虫を嚙み潰したような表情になる。
「お父さんは裁判官。お母さんは教師」
「立派だな」
「まーね。自慢の両親なんだけどさ。色々厳しいんだよ。淑女たるもの~とか、この時代に平気で言ってくるの」
「なるほど。まあ、そう言いたくなる気持ちもわからなくもないけどな」
「え゛!?」
すごい声で驚いている春川。
「鷲津くんって何歳の人!? 昭和生まれ!?」
突っ込むことすら面倒だったので無視して続ける。
「これでも俺はハードボイルドな映画が好きでな。背中で語る硬派な男っていうか、そういう男に憧れたりする」
「あー男臭い男、みたいな?」
「言い方は悪いがそういうことだ。やっぱり男ってのはこう――」
「あ、ごめん。その話興味ないかな」
バッサリだった。
そういえば俺がハードボイルド映画を語る時は理穂もこんな感じだったっけ。
まあ女には理解できない世界なのだろう。
仕切り直すように咳払いをしてみせる。
「まあでもな。確かに俺は男らしい男に憧れているわけだが。それを他人に押し付けようとは思わないわけだ。男らしくとか女らしくとか。そんなもん、考え方も人それぞれだしな」
「ふーん」
「ましてや、それを自分の子供に押し付けるのは間違っていると思う」
「気持ちがわかるんじゃないの?」
刺々しい言い方だった。
「わかるってだけで支持はしない」
「私は全くわからないけど。けどまあ、」
言葉を区切ってから、
「鷲津くんのことはちょっぴりわかったかも」
なんて小突いてくる。
「俺のこと?」
「普段から寡黙なのってハードボイルドな映画の影響なんだ?」
「……いや、それは違うぞ」
「意外と可愛いところあるんだね」
シカトしておくことにした。
断じて痛いところを突かれたとか、そういうわけじゃない。
「そういえば鷲津くんの両親って何してる人なの?」
話題を変えてくれるのはありがたかった。
いや、ホント、図星とかそういうのではないけれども。
「普通の会社員だな。どっちも」
「へぇ。厳しかったりする?」
「いや、全然。妹は甘やかされてるし、俺は放任されてる。というか諦められてる」
「それはそれで寂しいね」
「それでも仲は悪くないからな。気楽なもんだ」
「そういうものかねー」
そこで再び春川は溜息をつく。
「はぁ。というかさ、親のことだけじゃなくて。冷静になって昨日のことを思い出してみると、気が重くてしょうがないよ」
落ち込んでいるようには見えたものの、さっきよりは幾分マシに見えた。
「別に気にする必要ないだろ。教卓を蹴って課題のプリントを吹き飛ばしたくらいのことで」
バツが悪そうに顔を背けている。
続けて言った。
「別に誰かに迷惑かけたわけじゃないしな」
そこで申し訳なさそうに俺を見てくる。
「鷲津くんに迷惑掛けてる自覚はあるんだけど」
驚いてしまう。
まさかその自覚があったとは。
「そう思うのなら俺を脅すのをやめてくれ」
「だから、別に脅してないってば。お願いしてるだけ」
「なら、ちなみに訊いておくが。昨日の頼みを断ってたらどうするつもりだったんだ?」
うーんと腕を組んで考え込む春川。
「別にどうもしないよ。ただ、」
「ただ?」
「寂しいなぁって、思うだけ」
ふと、風が吹く。
春川は髪を抑えながら、自嘲気味に微笑んでみせた。
……まあ。
こんな表情をされてしまうと、俺としてはこれ以上文句を言う気も失せてくる。
純粋に同情をしたのは確かだった。
「手伝うよ。で、俺は何をすりゃいいんだ?」
そこで春川の表情は一変。
太陽のごとく、輝かしい笑顔を向けてきた。
「あはははっ! さすが鷲津くんっ! そう言ってくれると思ってたよ!」
背中をバシバシと叩かれる。
「今の演技か?」
「うん。なかなか儚げで良かったでしょ? 私、アンニュイ系もこなせるから」
「まさか落ち込んでみせたのも演技だったのか?」
「いや、あれは素だけど。まあいつまでも落ち込んででも仕方ないかなーって」
「切り替えが早いことで」
「まーね! そこが取柄だし!」
そこで春川は鞄からメモ帳らしきものを取り出す。
「色々とさ。作戦を考えてきたの」
「何の?」
「私が清楚キャラを取り戻す作戦に決まってるじゃん」
「清楚キャラ? 誰が?」
「コラ。そこで引っ掛からないの」
背伸びをして軽くチョップしてくる。
「ま、とにかく完璧な作戦を考えてきたんだって。もちろん、聞いてくれるよね?」
その自信はどこから生まれるのだろうか。
俺にはさっぱり理解できない。
それから嬉々として馬鹿らしい作戦を語る春川。
あらかじめ言っておくが、俺は何度も止めた。何度も、何度もだ。
それでも結局、
「よしっ! じゃあ頑張ろっか! 私が清楚キャラを取り戻すために!」
なんて、学校に着いた時にはやる気に満ち溢れていた。
ちなみに俺はひたすら憂鬱な気分だった。
筋肉痛で体がボロボロになっているだけじゃなく、精神まで擦り減らすであろうことが容易に想像できたからだ。
誰か頼むからこいつを止めてくれ。
俺は全世界に向けて、そう叫びたいような衝動に駆られていた。
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