第6話 妹の将来が不安です

 俺が教室に戻ると、クラス中が一斉に静まり返る。

 教師が不在だったので、どうせ好き勝手に噂話でもしていたのだろう。


 自分の席に戻ると、やはりとも言うべきか小声の噂話が飛び交う。


「春川さんって結構やばい子だったんだね」

「ねー。あれはさすがに引く」

「あんまり関わらないほうがいいかもね」


 女子達は春川の悪口で盛り上がっているし、


「ああいう気の強い感じもいいよなー」

「な。俺も蹴られてみてー」

「お前それはやばいって」


 男子達は冗談交じりでゲラゲラと笑っている。


 この様子じゃ、やはり保健室で寝ていたほうが良かったかもしれない。

まあ、今更の話だが。


 結局、手持無沙汰だったので、机の上にあった課題のプリントに取り組むことにした。

 それでも周囲が騒がしいせいでなかなか集中できない。


 俺はわざとらしく大きく咳払いをしてみせた。

 再び静まり変える教室。

 クラスメート達の視線が俺に集まる。


「うるせぇよ」


 一言呟くと、クラスメート達はわかりやすく視線を逸らす。

 

 結局、それから自習の時間が終わるまで、誰一人として口を開くことはなかった。




 その日の夕方のこと。

 自宅に帰った俺は、すっかり疲労感でくたくたになっていた。

 自室で部屋着に着替えてから、ベッドに寝転がる。


 思い浮かぶのはもちろん、今日の出来事だった。

 クラスメートの女子が教室で暴れ、それを止めて、明日から何かの企みに協力することになってしまった。


 端的に述べてみても、何が何だかさっぱりわからない。


 そういえば、一つ気にかかることがあった。

 あれから春川が教室へ戻ってくることはなかった。

 ギャル二人は次の授業の途中には戻ってきたから、その時間まで事情聴取があったとは考えにくい。


 まさか教師相手にも暴れたとか?

 そんな疑問が思い浮かんだもののすぐに思考を振り払う。

 どうであれ、俺には関係のないことだった。


 ふと、規則的なノックの音がする。

 返事をすると、


「兄さん。おかえり。入ってもいい?」


 と、妹の理穂りほが部屋に入ってきた。一切の躊躇いもなく。


「ただいま。というか、俺の返事を聞く前に入るな」

「今更じゃん」

「まあ、今更だな」


 でしょ、と言わんばかりに頷いている。


 理穂は今年中学三年生になったばかりの十四歳。

 元気に育ち過ぎたせいか身長は女子の中では高めで、スレンダーな体型をしている。

 

 性格については、反抗期らしい反抗期を迎えることもなく清く正しい成長してくれている――と思う。多少わがままなところはあるが。


 自慢の妹ではあるものの、いかんせん感情表現に乏しい面があり、こうしている今もなぜか無表情で俺をじっと見ている。


 ちなみに部屋着姿だった。

 やたらとモコモコしている、可愛らしい部屋着だ。


 ちなみに理穂の制服姿を見るのは朝だけで、家では常にこういう部屋着を着ている。


「それ新しい部屋着か? 似合うな」


 理穂はこくりと頷いてから、その場で回ってみせる。

 ポニーテールの髪がふわりと揺れていた。


「いいでしょ、これ。パパに買ってもらった」


 ちなみに親父が俺に何かを買い与えてくれることはほとんどない。


 と言っても、俺と親父の関係が悪いわけじゃない。

 単に俺が放任されているというだけのことだった。


 ふと、一瞬の間が生まれる。

 見ると、理穂は無表情のまま首を傾げていた。


「疲れてる?」

「まあ、学校でな。色々と」

「ふーん。色々って?」

「クラスメートの女子が教室で暴れて、それを止めて、明日から何かの企みに協力することになった」

「何それ? まあ頑張って」


 素直に答えたというのに、さして興味はなかったらしい。

 俺達は決して仲が悪いわけではないが、こういう淡泊なやり取りは日常茶飯事だった。


 ただ、だからこそ話していて楽な相手でもある。

 理穂はどう思っているか知らないが、少なくとも俺はそう思っていた。


「そんなことより、兄さん」


こちらへ近付いてくる。

 そのままベッドの前でしゃがみ込み、じっとりとした視線を向けてきた。


 目の前にある理穂の顔。

 こういう時、つくづく兄妹だということを実感する。


 理穂は容姿が優れており、いかにも無表情系の美少女といったところだ。

 しかし、そんな顔が目の前にあったところで何も思わない。

 無の境地とすら言ってもいい。


 理穂が口を開く。


「ゲームしよ」


 寝返りを打って顔を背けようとしたところ、肩を掴まれる。

 抵抗の意思を込めて言う。


「まあ、いつか気が向いたらな」

「ダメ。今すぐ」

「嫌だ。めんどくさい」


 俺の返事が納得いかなかったのか、理穂はそこから動こうとしなかった。

 相変わらず、何を考えているのかよくわからない無表情だった。


 俺は嘆息交じりに言った。


「見ればわかるだろ? 俺は疲れてる」

「いつもそんなことばかり言ってる」

「そうか?」

「そうだよ。最近、全然付き合ってくれない」


 そう言われてみれば確かに、理穂と最後にゲームをしたのは数ヶ月くらい前だったような気がする。

 だとしても、そんな簡単に了承できるような気分でもなかった。

 

「今年受験生だろ? そんな暇あるのか?」

「別に学校の授業だけで充分だから」


 強がりではない。

 理穂は昔から成績が良かった。

 家で勉強をしている姿なんてほとんど見たことがないのに、常に学校でもトップクラスの成績らしい。


 同じ遺伝子を引き継いでおきながら、俺とは頭の出来が違っていた。

 ま、その分俺は運動神経には自信があるし、理穂はてんで運動ができなかったりする。

 世の中、上手くできているものだ。


 そんなことを考えていると、理穂の顔が更に近付いてきた。


「兄さん。ゲームしよ」


 参った。

 いつもはこれくらいで引き下がるのに、今日はやけにしつこい。

 春川といい、今日はよく絡まれる日らしい。


 まあ、それでも。

 結局、春川の頼み――というか脅しを引き受けたわけだし、妹の頼みだけを無下にするような気は起きなかった。


「わかった。付き合ってやる」

「え?」

「でも今すぐじゃない。夜、俺がランニングから帰ってきてからだ」


 俺は毎晩ランニングと筋トレを日課にしている。

 それはサッカー部時代からの名残であり、特に目的があるわけでもないただの日課だった。


 理穂は驚いたように俺を見ていた。

 無表情だったものの、家族である以上その違いはわかる。


「どうしたの兄さん」

「何だよ?」

「いつもは適当な理由作って断るのに。天変地異の前触れ?」

「そこまで言うか?」

「だって、本当に珍しいから」

「ま、軽く付き合ってやるだけだ」

「おお」


 本当に驚いているのかよくわからない薄味のリアクションだった。


「約束だからね」


 そう言って、パタパタと軽い足取りで部屋を出て行く理穂。

 表情よりも足音のほうがわかりやすい妹ってどうなんだろうか。


 理穂の人付き合いが不安になる瞬間だった。

 まあ、俺が言えたことではないが。

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